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世間話を少しした後、美智子が「よっこらせ」と立ち上がる。
「じゃあ、おばあちゃん、下の不動産屋さんで待ってるね。」
莉子は不安そうな顔を上げる。
「終わったら迎えに来るから。相談、するんでしょう?」
「……うん。」
美智子は笑顔のまま頷くと、まひろと篠原へぺこりとお辞儀をして、静かに事務所を出ていった。
扉が閉まる。
事務所に、水槽のフィルターが水を循環させる音だけが残った。
篠原が、おばあちゃんの使った湯呑みを持って給湯室へ入っていった。
莉子はオレンジジュースへ目を落としたまま、ストローを指先でそっと回す。
氷が小さく鳴った。
しばらくして、まひろが窓際の水槽を眺めたまま小さくつぶやく。
「……おばあちゃん、優しいね。」
莉子が顔を上げて、小さく頷く。
「……はい。」
少し間があって。
「大好き。」
小さく、けれどはっきりした声だった。
まひろは、その言葉に頬を緩めて頷いた。
「うん。莉子ちゃんのこと、すごく心配してた。」
莉子はストローへ目を戻した。
そしてきゅっと口を結ぶと、まひろを見た。
「だから来ました。」
まひろは小さく頷いた。
「続き、聞いてもいい?」
「はい。」
そう答えたものの、莉子はまた視線を落として何も言わない。しばらく眉を寄せて考えた後、ぽつりと言った。
「……何から話せば、いいですか。」
まひろは首を横に振る。
「順番じゃなくていいよ。」
コーヒーカップに手を伸ばしながら、静かに言う。
「思い出したところから。話せるところだけでいい。」
莉子は小さく頷く。
オレンジジュースを一口飲む。
コップをテーブルに戻し、もう一度ストローを見つめる。
氷が静かに揺れた。
「……おばあちゃんに。」
考えながら話し始める。
「話を聞いてもらっておいでって言われました。」
少しだけ間が空く。
「小宮さんは、迷子の心と、一緒に歩いてくれる人だからって。」
まひろは少し照れたように笑った。
「そんなふうに言ってくれたんだ。」
戻ってきた篠原が、ソファの横で膝をついて莉子に話しかけた。
「私も、一緒にお話を聞いてもよろしいですか。」
莉子は篠原を見る。
少し考えてから、小さく頷いた。
「……はい。」
「ありがとうございます。」
篠原はそれだけ言うと、一人掛けソファに座り、静かにノートを膝の上へ置いた。
けれど、開こうとはしなかった。
莉子はその様子を見て、少しだけ肩の力を抜いたが、また黙ってしまった。
部屋に水槽の水音が小さく響いている。
「それで……莉子ちゃんが今、困ってることって何かな?」
まひろがそう言って、カップを皿に戻す。
その手をなんとなく目で追って、莉子はつぶやいた。
「…思い出せるところから…」
そして、小さく息を吸って、顔を上げた。
「……友達のこと、なんです。結衣っていうんですけど。」
「うん。」
まひろは、頷いた。
莉子は膝の上で両手を握りしめる。
少しだけ迷うように視線を落としてから、ぽつりと口を開いた。
「……この前、結衣に言われたんです。」
一瞬、言葉が止まる。
「『あんなこと、しなくてもよかったのに』って。」
部屋が静かになる。
莉子は小さく息をついた。
「……意味が、分からなくて。」
つぶやくように続ける。
「私、助けたかっただけなんです。」
まひろは静かに頷いた。
「そうなんだね。」
莉子は小さく頷いて、ゆっくりと言葉を続ける。
「その日、係の仕事があって。結衣が、持ってこなきゃいけない物を忘れちゃって。それで、先生に聞かれて……。」
莉子は少しだけ目を伏せる。
「このままだと結衣が怒られるって思ったんです。だから…『私が持ってくるのを忘れました』って言ったんです。」
そこまで話して、口を閉じた。
時計の針がかちりと音を立てて動いた。
篠原はノートへ手を添えたまま、開こうとはしない。
莉子は自分の手元を見つめながら、小さく続けた。
「私は先生に怒られちゃいましたけど。でも、それでよかったんです。結衣は怒られませんでしたし。」
そこで一旦息をつく。
「でも。」
声が震える。
「放課後になって。」
莉子は目を閉じた。
「『あんなこと、しなくてもよかったのに』って。」
少しだけ唇を噛む。絞り出すように続ける。
「……『助けて欲しいなんて言ってない』って、言われました。」
莉子は首を小さく振る。
「私…結衣を守ってあげたのに。どうして結衣にそんなことを言われなくちゃいけなかったのか、分からないんです。」
また部屋に沈黙が落ちる。
しばらくして、まひろが口を開いた。
「莉子ちゃん。」
莉子が顔を上げる。
「それは、何日か前のお話なんだよね?」
「はい。」
「今は、結衣ちゃんと話せてるの?」
莉子が少しだけ戸惑ったような顔をした。
「……今。」
その言葉を口の中で転がすように繰り返す。
「…学校では、普通に話すんです。」
ぽつりぽつりと、思い出すように続ける。
「おはようって言って。授業も一緒に受けて。…帰りも、一緒に帰るんです。」
少し笑おうとして、笑えなかった。
「でも。」
その一言だけで、声が少し震えた。
「前みたいじゃ、ないんです。…話してるのに。…笑ってるのに。…なんか……。」
莉子は言葉を探すように、膝の上で指を組み直した。
「遠くて。」
目に涙がにじむ。
「前は、そんなことなかったのに。何を話したらいいのか。どうしたら、前みたいに笑えるのか。……分からないんです。結衣のために何かしてあげたいことがあっても、またあんなこと言われたらって考えちゃって。」
ぽろり、と一粒だけ涙が落ちた。
莉子は慌てて指で拭う。
「結衣には……」
莉子は少しだけ息を止めた。眉にぎゅっと力を入れて、言葉を紡ぐ。
「私なんて……必要じゃないのかなって。はっきり言われたわけじゃ、ないですけど……でも、結衣と一緒にいたいのに、一緒にいると苦しいんです。」
膝の上に置いた手を、ぎゅっと握る。
「私……。」
莉子は勇気を振り絞るように顔を上げる。
まひろと目が合う。
「…どうしたら、いいんでしょう。」
まひろは少し考えて首をかしげた。
「…莉子ちゃんは、どうしたい?」
その言葉に、莉子の目が揺れた。
答えようとして、言葉が出ない。
何度も口を開きかけては閉じる。
膝の上で握った手に、ぽたりと涙が落ちた。
長い沈黙のあと。
やっと、小さく声になる。
「……前みたいに。」
涙があふれる。
「笑いたい。結衣と、一緒に。」
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