1
3月の声を聞くようになると、少しずつ陽射しを暖かく感じる日が増えてきた。
とは言っても、まだまだ風は冷たい。つむぎ橋商店街を行き交う人々も、寒そうに縮こまりながら歩いている。
まひろは、休憩中に温かいコーヒーを飲みながら、窓の外を眺めて「外、寒そう」と呟いた。
「今週はまだ寒い日が続くようですよ。」
篠原が向かい合わせの事務机で、住宅地図を開きながら言う。
まひろは、小さくため息をついた。
「早く、あったかくならないかなぁ。」
その時、事務所の呼び鈴が鳴った。
二人は顔を見合わせる。
「今日、何か面談予定あったっけ?」
「荷物が届く予定もないはずですが。」
まひろが聞くと、篠原が首をかしげながら立ち上がった。
「はい。」
篠原が玄関を開けると、そこには、鈴本 律が立っていた。
律は、以前「お化け屋敷」の噂がたっていた元時計店の孫だ。
あの時計店の一件以来、律が小宮探偵事務所を訪れるのは、初めてだった。
「こんにちは。あの、お久しぶりです。」
背すじを伸ばして、ハキハキと挨拶する律。
「ご無沙汰してます。どうぞ、中へ。」
篠原が案内すると、律はちょっと頭を下げて応接スペースのソファへ腰を下ろした。
まひろが奥から出てくる。
「律くん?久しぶり!元気だった?」
数ヶ月ぶりの顔に嬉しそうに笑顔を見せながら、向かいのソファに座る。
「はい、あの……急に来てすみません。」
「ううん、大丈夫。今日はどうしたの?」
まひろが柔らかく尋ねると、律はちょっと考えてから話し始めた。
「えっと、俺、あれから、親父と一緒に時計屋の掃除を少しずつしてるんです。」
「うん、知ってる。」
頷くまひろに、律は驚いた顔をした。
「知ってるんですか。探偵さんって、すごいんですね。」
「すごくなんてないよ。」
まひろは首を横に振った。
「商店街の人が教えてくれた。時計屋さん、昼間にお掃除してたって。」
「そうなんですね。」
律は納得したように頷く。
「お父さん、一緒にやってくれてるんだね。」
「はい。『自分がほっといたのが良くなかったから』って。」
「そう、よかったね。」
「はい。」
まひろと律が笑顔で頷きあう。
そこへ、篠原がコーヒーを運んできた。
「そう言えば、お化け屋敷の噂も、いつの間にかなくなっていたようですね。」
「うん。聞かなくなった。」
「そうなんですか。」
律が目を瞬かせる。
「雰囲気が全然違うから。」
「人が手を入れるというのは、そういうことなのかもしれないですね。」
まひろと篠原がそういうと、律は嬉しそうな顔をした。
「それで、その掃除のときに見つけたやつなんですけど。」
そして、そう言いながらリュックをゴソゴソして何かを取り出し、机にコトッと置いた。
まひろが首をかしげる。
「箱?」
「はい。これ、開かないんです。」
「触ってみてもいい?」
律が頷く。
まひろは興味深そうに箱を眺めていたが、やがて立ち上がると、自分の鞄から白い手袋を出してきた。
白手袋を嵌めて、そっと箱を持ち上げる。
まひろが両手で持って少し余るくらいの、古い木の箱だ。
全体的にツルツルした触感だ。
あまり重くは感じない。
少し振ってみたが、中からは硬い音はしなかった。
表面上部には、いわゆるスライドパズルのようなものが付いていて、それが浮き彫りの唐草模様で縁取られている。
側面には、四面とも違う色が塗られていた。
まひろの横から見ている篠原が、どこか楽しそうにしている。
「これは、からくり箱ですね。」
「なんですか、それ?」
律が眉を寄せると、篠原はまひろの手の中の箱を見ながら答えた。
「決められた順序で動かさないと、開かない箱です。実物は初めて見ました。」
まひろは、しばらく箱をくるくると回していろいろな角度から見ていたが、やがて静かにテーブルの上に置くと、律を見た。
「開けられるかも。」
「え!?」
「さすが、早いですね。」
律と篠原が目を丸くする。
まひろは、照れたのか少し頬を赤くしながら言った。
「これ、上のパズルを解くと多分ヒントになる。線に色がついてるでしょ。この色、側面の色と一緒だから、関係あると思う。」
律が、箱を手に取って見ながら「ほんとだ……」と呟く。
「……開ける?」
まひろが聞くと、律は少し考えて頷いた。
「お願いします。探偵さんなら開けられると思ったから来たんだし。」
持っていた箱を差し出す。
まひろは、それを受け取りながら「やってみるね」と頷いた。
箱を机の上に置き、上部のスライドパズルを1ピース動かしてみる。ピースは、少し引っかかったが動かすには問題なさそうだった。
ピースは4×4の16ピースの1枚が移動スペースになっているタイプで、各ピースには黒くて太い線と、白くて細い線がある。
黒い線は全てのピースにあったが、白い線がないピースは4つあった。白い線は、直線のものと、ピースの角に沿って直角に曲がっているものがあった。
ピースの色は、赤が3枚、青、緑、黄色がそれぞれ4枚ずつあった。
「この白い線、周りの縁どりっぽい?」
まひろが呟くと、篠原はすぐ横で頷く。
「そうですね。ということは、1枚少なくて直角の白い線がない赤を左上にまとめた方がいいかもしれません。」
「うん、じゃあ、これをまずこっちに動かして……。」
まひろが、ぱちぱちとピースを動かし始める。
時々、手を止めてちょっと首をひねっては、また動かし、うんうんと頷いては、「あれ?」と目をまたたいている。
篠原がふいに、くすっと笑った。
「何?」
「いえ、楽しそうだなと思いまして。」
「……そう?」
まひろが首を傾げると、篠原は「ええ」と頷き、律はちょっと苦笑いした。
まひろは、ちょっとむっとしながらパズルを再開した。
しばらく動かしているうちに、なんとなく完成形が見えてくる。
「これ、数字?」
まひろが言うと、篠原が頷いた。
「そう見えますね。」
「数字……俺、なにかの模様かと思ってました。」
律も感心したように言う。
黒い線は、植物のつるのような意匠ではあるが、それを繋がるように読むと、確かに数字のように見えた。
「ここを……一旦戻して、こうして……できた!」
最後のピースを動かすと、箱から「カチッ」と小さな音がした。
「……1、2、3、4?」
律が数字を読む。
赤地に1、青地に2、黄色地に3、緑地に4が書いてある。
「まひろさん、側面と関係がありそうだと言ってましたね。」
「うん。」
「この順番でその色の側面を動かす、ということでしょうか?」
篠原が箱の側面を見ながら言うと、まひろは眉を寄せた。
「でも、さっき触った時には動きそうになかった……」
そういいながら、赤い色の側面をぐっと押すと……
「動いた。」
「動きましたね。」
「……すげえ。」
赤い色の側面が、5mmほど動いた。
「ということは?」
同じように、青い色の側面も動いた。
次は黄色だが、一応やってみようと先に緑を押してもビクともしなかったのに、順番通りに黄色を先に動かしたら、最後の緑はあっけなく動いた。
そして……。
「これで、上の蓋が開くでしょうか?」
篠原が言うと、まひろは箱の上部の板に手をかけた。
三人で息を飲む。
まひろが板に力をかけると、ス……と音もなく、板がはずれる。
中はごく普通の木の箱だった。
装飾も、布が張ってあることもない、ただの空洞。
けれど、その中に残されていたものがあった。
まひろが手袋をしたままの手で、その黄ばんだ紙を慎重に取り出す。
まひろは4つに折られたそれを、丁寧に開いた。
「これは、手描きの地図のように見えますね。」
篠原が眼鏡を押し上げながら言う。
「もう一枚ありますよ。」
律が箱の中から、紙をそっと取り出してまひろに差し出した。
まひろは地図のような紙をテーブルの上に置いて、それを受け取る。
「……写真?」
「だいぶ古いですね。」
篠原がまひろの手元を覗き込む。
律はもう一度箱の中を見たが、もう何も入っていなかった。
まひろは何気なく写真を裏返して、首をかしげた。
「……これ、どういう意味だろう。」




