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次の日。
休日なので、まひろは朝ゆっくり起きて、テレビを何となく見ながらカフェオレを飲んでいた。
そろそろ掃除でもするか、と立ち上がりかけた時。
テーブルに置いたスマートフォンが震えた。
「恵美さんから……。」
昨日のことかな、と思いながら電話に出る。
「はい、小宮です。」
『おはようございます!麦島です!聞いてください!』
「え、はい。どうしました?」
すごい勢いで話す恵美に気圧されながら聞くと、恵美はそのままのトーンで言った。
『浮気じゃなかったんです!』
「……え?」
まひろの頭の中を、調査中の拓也の怪しい行動が駆け巡る。
たしかに決定的な瞬間はなかったし、ちょっと距離はあると思った。でも、奥さんに嘘をついてまで女性と出かけていたのは、なんだったのだろう?
『とにかく、詳しいことはまたお話しに行くから。明日の夕方は大丈夫?』
「え、ええ。大丈夫です。」
『じゃあ、明日の夕方6時くらいに行くわね!』
明るい声でそう言い残した恵美は電話を切った。
「どういうこと……?」
まひろは首を捻って、スマートフォンを再びテーブルに置いた。
◇
「どういうことですか?」
月曜日。朝一番にまひろから話を聞いた篠原は、まひろと全く同じ反応をした。
「ね、そうなるよね。」
まひろは深く頷くと、これまで撮り溜めた写真をパソコンに読み込ませて整理し始めた。
「夕方に来るらしいから、一応資料だけ作っておこう。使うかどうかは分からないけど。」
「そうですね。」
篠原も自分の机に向かった。
そして午後6時。
呼び鈴がなって篠原が玄関を開けると、恵美と拓也が並んで立っていた。
少し驚きながら二人を応接スペースへ案内する。
まひろと篠原も席に着くと、恵美が申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさいね、私の勘違いだったみたいなの。」
「あの、どういうことでしょう?問題は、解決したということですか?」
拓也も同席しているので、浮気という言葉は使いづらい。
まひろは拓也の表情を見ながら聞いた。
拓也は、じっと机の上を見つめて動かない。
緊張しているのだろうか?
「ええと、どこから話したらいいかしら。」
恵美はまひろの問いに頷いたものの、どう説明したらいいか分からないようだ。
「では、こちらからお話してもいいですか?」
まひろは机の端に置いておいた調査報告書を、自分の前に移動させた。
「ええ、お願いします。」
恵美が頷いたところで、まひろは思い切って聞いてみた。
「今回のご依頼のことは、拓也さんもご存知ですか?」
恵美はそれにも頷いた。
「ええ、昨日話したの。だから、今日一緒に事情を話しに来たのよ。」
それなら話は早い。
まひろは「そうですか」と頷いて続けた。
「まず、恵美さんがこちらにご相談にいらしたのは、拓也さんが浮気をしているのではないか、という疑いを持ったためでしたね。」
恵美が大きく頷く。
拓也は、まだ動かない。
「私たちの調査でわかったことは、拓也さんが女性と一緒にショッピングモールへ出かけ、1本のナイフを購入されたことと、夕方から夜にかけて、皆川市郊外のパン屋で、同じ女性と2時間ほど過ごした、ということです。」
言いながら、まひろは撮った写真とその場所を示した地図を恵美と拓也に見えるように置いていく。
写真が置かれていくにつれて、恵美と拓也の目が丸くなっていく。
「いつの間に……。」
「週刊誌で見るような写真ね。」
2人の様子を見ながら、篠原が口を開いた。
「一般的に『浮気だ』と証明できるような証拠は、こちらでは掴むことができませんでした。……実際、『浮気ではなかった』と恵美さんは仰っていましたが、では、この女性はどなただったのですか?」
全員の視線を受け、拓也がボソボソと話し始めた。
「その人は、『麦の恵』というパン屋さんの店主さんです。……パンの作り方を、教えてもらってました。」
「えっと、拓也さんは、パン屋さんですよね?どうしてプロの方がパン作りを教わる必要があるんですか?」
まひろが首を傾げる。
「パンには、色々種類があって……うちとは違う系統のパン屋なんです。」
「なるほど。では、なぜ違う系統のパンを作ろうと思われたのですか?」
今度は篠原が質問する。
「妻が……好きだと言っていたので……」
まひろと篠原が同時に恵美を見る。
恵美は、ちょっと照れくさそうに、フフフと笑った。
「前に、私が『このパン屋のこのパンがすごく好き』って言ってたのを、覚えててくれたんですって!ね?」
肘でつつかれて、拓也が頷く。
「結婚20周年の記念に、なにかしたくて……妻はアクセサリーはつけないし、ほしいものを聞いても言わないので……。」
「それで、サプライズを?」
まひろが目をまたたく。
「はい。ダメ元で事情を話したら、店主さんが快く協力してくださって。『せっかくだから内緒で準備して驚かせちゃいましょう!』と言われたので……」
「普段そんなことは思いつきもしない人だから!怪しいのなんのって!」
恵美は、バンバンと拓也の背中を叩きながら言う。
「おかげでこっちは、しなくてもいい心配して、探偵さんにまでお願いしちゃったじゃない!」
恵美は怒っているように言ったが、表情は明るい。
まひろは、自分の頬が緩むのを感じた。
「少し、お聞きしてもいいでしょうか。」
篠原が、拓也を見ながらちょっと手を挙げる。
拓也が頷くと、篠原はノートをめくって聞いた。
「ショッピングモールで購入されたナイフは、どうされたんですか?」
「ああ、あれはクープナイフです。バゲットに切れ目を入れる道具です。」
「では一緒に出かけたのは……」
「どういうものがいいか、選んでもらったんです。」
ぼそぼそと、けれどしっかりと答える拓也。
篠原は、ふっと口元を緩めた。
「すみません、気になっていたので。」
そして、恵美に笑いかけた。
「良かったですね。」
「ええ!ご心配おかけしちゃって、ごめんなさいね!」
恵美と拓也は、何度も頭を下げながら、笑顔で帰っていった。
「コーヒー、飲みますか?」
ひと息ついて篠原が言うと、まひろは嬉しそうに頷いた。
応接スペースのソファにふたりで座り、熱いコーヒーをすする。
「篠原、良かったね。」
不意に、まひろが言った。
「……何がですか?」
篠原は怪訝そうに眉を寄せた。
まひろは、頬杖をついてにやりとする。
「すごく心配してたでしょ。知り合いが困ってたもんね。」
篠原は、なにか考えるように視線を逸らしていたが、やがて小さく頷いた。
「心配……そうかもしれません。そう見えましたか?」
まひろは、ため息をついた。
「すごくそう見えたけど。篠原、自分でわかってなかったの?自分のことには、ほんと無頓着だよねぇ。」
篠原は、少し驚いたように目を開いたが、何度か瞬きをした後に、ふっと表情を緩めた。
「……そうかもしれませんね。」
自分でも気づいていない心情を、どうして分かったのだろう。
本当に、この人には敵わない。
篠原は、カップにふうふうと息を吹きかけているまひろを見ながら、小さく息をついた。
その目が柔らかく細められていることには、やはり自分では気づかなかった。




