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翌日、日曜日はコムギベーカリーの定休日だ。
日曜日は小宮探偵事務所の定休日でもあるのだけれど、今日のように調査が入る時もある。
朝8時。まひろと篠原は、麦島家の駐車場が見える道路に車を停め、その中で拓也が現れるのを待っていた。
この車は、いつも尾行用に使っている誠人の白いカローラだ。
運転席には篠原が座っている。
まひろも篠原も、事務所勤務の日はわりときちんとした服装なのだが、今日は周りに溶け込めるようにカジュアルな感じにしていた。
「休日は必ず出かけるって話だけど、どこに行ってるんだろう?」
まひろが助手席でクリームパンを食べながら、独り言のように呟いた。
今日のパンは、コンビニのものだ。
「それは……まだこれからですが。奥さんは浮気相手のところだって決めてかかってますよね。」
篠原は、麦島家の車から目を離さずに答える。
「うん。でも、奥さんはあとをつけたわけじゃないでしょ。」
「そうですね。」
「……奥さんの勘、間違ってるといいよね。」
事実だけを見つめなくてはいけないプロの探偵として、主観のこもった眼差しは良くない。
まひろはふわふわしているように見えて、仕事に対してはきっちりしている。
そんな彼女の言葉とは思えず、篠原は驚いてまひろを見た。
「……なに?」
篠原の視線に気づいたらしい。まひろは前を見つめたまま聞いて、またクリームパンを一口食べた。
「いえ。珍しいなと思いまして。いつもなら言わないことですから。」
まひろはパンを飲み込み、缶コーヒーを一口飲んでからちらっと篠原を見て、また前を向いた。
「たまには、そういうこともあるよ。」
「……そうですか。」
篠原はなんだか釈然としない気持ちで、また前を向いた。
午前9時過ぎ。
まひろのスマートフォンが震えた。
「奥さんからメール来た。『そろそろ出かけるみたい』って。」
「いよいよですね。」
まひろが頷いたとき、麦島家の玄関の扉が開いて拓也が姿を現した。
グレーのコートにマフラー、黒いパンツ、スニーカー。
ごく普通の格好と言える。
「来た。あの人でいいよね?」
「はい。間違いありません。」
ふたりが話している間に、拓也は駐車場に停めてある黒いファミリーカーに乗り込み、エンジンをかけた。
「追います。」
篠原がサイドブレーキを解除した。
拓也が運転する車は、住宅街を抜けて大通りへ出ると、そこを10分ほど走って、別の住宅街へ入って行った。
篠原は、付かず離れず一定の距離を保ってそれについて行く。
角を曲がったところの家の前に拓也の車が停まっているのを見ると、その横を通り過ぎてすぐの角を曲がる。そして碁盤の目のようになっている道を利用して、もう一度拓也の車が後ろから追える位置、かつ民家の塀で死角になっている場所に車を停めた。
「ちょっと見てくる。」
まひろはそう言い残すと、車を降りて塀の陰から、拓也の車が停まった辺りを覗いた。
そこでは、ちょうど拓也が車を停めたところの家から、女性を伴って車に乗り込むところだった。
女性の年齢は40代前半といったところか。
細身で肩下までのストレートヘア。
女性としては、身長は高め。
中肉中背の拓也よりは少しだけ低い。
目元がキリッとしていて、几帳面そうな印象だ。
まひろは、塀からスマートフォンのカメラだけを覗かせて写真を撮ると、車に戻った。
「いいよ。出して。」
篠原が頷いて、ゆっくり走り始める。
拓也の車がちょうどひとつ先の角を曲がっていく。
まひろは、スマートフォンの地図アプリにピンを打った。
拓也の車は住宅街を出て幹線道路に戻ると、皆川市の郊外にある大型ショッピングモールの駐車場に入って行った。
「買い物かな?」
「どうでしょうね。」
日曜日とあって、駐車場は空きが少ないが、拓也が車を停めた位置をチェックして、少し離れたところでまひろだけ降りる。
「あとで連絡する。」
「はい。」
篠原の運転するカローラを見送って、まひろは車から降りて歩いている拓也と女性に目を向けた。
二人は、そのままショッピングモールの中へ入っていく。まひろは、イヤホンを装着して篠原に電話をかけた。
ワンコール待たずに通話状態になる。
「車、停められた?」
『はい。問題ありません。』
「そう。入口、Bのところから入って右に曲がってまっすぐ。」
『了解です。向かいます。』
まひろは電話をつないだまま、口を閉じてふたりを追う。
日曜日で人が多いのはありがたい。
並んで歩いていく二人を見失わずに、自分も人ごみに紛れて歩くことができる。
しばらくして、電話の切れる音がしたかと思うと、篠原が横に並んだ。
「お待たせしました。」
まひろは、篠原を見上げ、その表情を見てげんなりした顔をした。
「……ショッピングモールで、そんな緊張した顔で歩いてる人なんていないでしょ。」
篠原はそれを聞くと、拓也たちを見ながら小さく深呼吸をして口角をあげた。
「これでいいですか?」
まひろが吹き出す。
「なにそれ。引きつってる。」
「……苦手なんですよ、そういうの。」
篠原は眉を寄せた。仕事だと考えると、ショッピングモールのほかの客のような、楽しげな顔をすることはどうも難しい。
それに、演技というのも、あまり好きではない。
拓也たちを視界に入れつつも、そんな篠原をちらちらと見ていたまひろが、ぽんと手を打った。
「じゃあ、仕事だと思わなければいいんじゃないかな。」
「どういうことです?」
「うん。ただ私とお出かけしてると思ったらいいんじゃない?」
いい思い付きだ、と嬉しそうなまひろ。
「何を言い出すかと思ったら……。」
篠原はため息をついてまひろに目を向けた。
まひろは、もう拓也たちのほうを見ていたが、一瞬だけ篠原に目を向けると、ふふっと笑った。
「うん、ちょっとは良くなった。」
その言葉に、篠原は少し驚いた顔をしたあと、眉を下げた。
「……かないませんね、本当に。」
「まあね。」
まひろが得意げな顔をしたとき、拓也たちがある店に入っていった。
まひろたちも、遅れて入る。
そこは、雑貨店だった。
色とりどりのランチョンマットの棚、プレゼント用のマグカップのセット、銀色に輝く様々なデザインのカトラリー。
拓也たちは、可愛らしいそれらの商品には目を向けず、奥の一角にあるキッチン用品のコーナーで足を止めた。
まひろたちも、そちらへ向かう。
拓也たちは、お菓子作りの道具のあたりを見ているようだ。
まひろは、その裏側のフライパンのコーナーにまわるふりをしながら、商品を見ている二人の写真を撮った。
篠原も、同じようにフライパンのコーナーにまわる。商品棚越しにボイスレコーダーをそっと近づけた。
拓也たちは、店の中とあってか、小さめの声で話している。
「切れ味が…。」「こっちのほうが…。」と女性の声が時々聞こえてくるが、あとはどんな話をしているかは聞き取れない。
やがて購入するものが決まったのか、一本のナイフを拓也がレジに持って行った。女性はそのあとからついていく。
まひろは商品棚の陰からその様子をカメラに収め、篠原を促して店の外に出た。
少し離れた場所で、ふたりが出てくるのを待つ。
「撮れましたか?」
「うん。大丈夫。でも、あんまり決定的じゃないよね。手でも繋いでくれたらほぼ確定なんだけど。」
まひろがスマートフォンの画像ライブラリを見せながら答える。
篠原は、少し顔を近づけてそれを見ると「たしかに」と頷いた。
「ちょっと距離があるように感じますね。」
「うん。この後どう出るか、だね。あ、出てきた。」
篠原が顔をあげると、拓也と女性がにこやかに話しながら店から出て、もと来た方へと歩いていくところだった。
まひろはその様子も撮ると、篠原に目配せをして歩き始めた。
ふたりを見失わないように歩きながら、ぼそぼそと話す。
「楽しそうでしたね。」
「嬉しそうにも見えたね。」
「仲は悪くなさそうですが……。」
「うん。でも、すごく親しい感じにも見えない。」
「そうですね。」
「女性と一緒に出かけてはいるけど、浮気かって言われると、難しいね。」
「ただの友人と言われたら、それまでですね。」
「うん。」
話しているうちに、出入り口まで戻って来た。
「……買い物は終わりってこと?篠原、さっき私を降ろしたとこで拾って。」
「了解です。」
篠原は言うが早いか、早足で離れていった。
まひろは拓也たちを見ながら歩く。
ふたりは、拓也の車に乗り込むと、駐車場の出口に向かって走り出した。
そこへ、篠原の運転するカローラが到着する。
まひろはさっと乗ると「出口に行ったよ」と伝えた。
篠原は頷くと、車を出口へと向けた。
拓也の車は、幹線道路を走って女性の家まで戻った。
そこで女性だけが降り、拓也は車を出す。
どこに行くのかと思ったら、自宅だった。
拓也は駐車場に車を停めると、買ったナイフの袋をコートの中に持って、家の中へ戻って行った。
「……お買い物しただけ?」
まひろが、拓也が入っていった玄関を見ながら言うと、篠原が頷いた。
「でしたね。」
「でもさ、買ったもの、ちょっと隠してたね。」
「そうですね。やはり後ろめたい気持ちがあるんでしょうか?」
まひろは、こめかみに指を当ててくるくるとほぐしながら「うーん」とうなった。
「どんな気持ちかは分からないけど……隠しておきたいなら、相手の家に置いてこればいいのにね。」
「たしかに……詰めが甘いのか、自分で持っていたいのかのどちらかですかね。」
篠原がため息混じりに言うと、まひろもふうっと息をついた。
「今日はここまでかな。」
まひろは、恵美に尾行終了の連絡メールを送った。




