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「浮気調査、ですか。」
お菓子の包みを置いてきた篠原が、今度は小さなジョウロを手にして言った。
「うん。旦那さんの様子、おかしいんだって。」
まひろは、コーヒーを飲みながら、篠原が観葉植物に水をやっているのを、何となく見ている。
「今日の営業終わったら1回詳しい話をしに来るって。」
「営業? どこかのお店の方で働いてる方ですか?」
「うん。パン屋さん。」
「え?」
篠原が、空になったジョウロを持ったまままひろを振り返って固まった。
「え?分からない?コムギベーカリーの。」
「いえ、分かりますが。すみません、ちょっと意外すぎて。」
篠原は、出勤日の朝はほぼ毎日、まひろに食べさせるパンを買っているため、商店街のパン屋「コムギベーカリー」の常連だ。
当然、レジに立っている奥さんとは顔見知りだし、旦那さんとも何度か顔を合わせたことがある。
篠原個人の感想では、パン屋の主人は「朴訥な人」という印象だった。そんなことをするような人物には見えないし、奥さんも快活な人で、そんな悩みを持つようには思えない。
考え込んでしまった篠原に、まひろはわざと明るく声をかけた。
「まだ決まったわけじゃないし。まずは話を聞いてみよう。」
その軽い調子に、篠原は小さく息をついて口角をあげ、頷いた。
「そうですね。」
◇
コムギベーカリーの奥さん…麦島 恵美が事務所を訪ねて来たのは、午後5時頃だった。
応接スペースのソファに座った恵美に、篠原がコーヒーを出しながら話しかける。
「営業時間は午後5時半まででしたよね?大丈夫ですか?」
「ああ、それはね。『ちょっと買い物に出たいから』って言ってきたから。だから、あまり長くはいられないんだけど。」
「じゃあ、お時間短めに行きましょう。ちょっと詳しくお聞きしていきますね。」
恵美の向かいに座っているまひろが言う。篠原はその隣に座ってノートを広げた。
恵美はコーヒーを一口飲むと、覚悟を決めたように大きく頷いた。
まひろは、電話を受けた時のメモを見ながら確認をしていく。
「まず、お名前は麦島恵美さん、ですよね。」
「ええ。」
「ご相談内容は、ご主人の浮気調査、で間違いないですか?」
「そう。」
篠原はノートにペンを走らせながら、目だけでちらりと恵美を見た。
恵美は、いつもパン屋で見せている、明るくて噂好きな顔とは全く違う、不安そうな表情をしていた。
「どうして、ご主人が浮気をされていると思ったんですか?」
「私にね、なにか隠している感じがするの。スマホをよく触るようになって、いつも肌身離さないのよ。誰かとメールばっかりして。誰と連絡取り合ってるのかも教えてくれないし。ね、怪しいでしょう?」
まひろは頷いた。
目の端で篠原が恵美の話をすごいスピードでメモしているのを確認して、質問を続ける。
「他に、怪しいところは?」
「休日に、出かけるようになったのよ。夕方から夜が多いかしら。どこに行ってたのか聞いても、『知り合いとご飯を食べにいってた』としか言わないし。だから晩ごはんも家で食べないの。」
「なるほど。」
恵美は、ため息をついた。
「ネットで調べたら、『浮気のサイン』みたいなのに当てはまってるし、でも『問い詰めない方がいい』っていうことも書いてあったし……。」
まひろは頷く。
「それで、うちに?」
「ええ。離婚とかは考えてないんです。でも、はっきりさせておきたくて。」
恵美は、手をパタパタと振って続ける。
「ほんとはね、こんなみっともないこと、顔見知りの人に頼むのもどうかと思ったのよ。でも、遠くまで行く時間なんてないし。それに」
そこで、まひろと篠原を順番に見て、にっと笑った。
「あなたたちなら、信用できそうだしね!」
まひろは、嬉しくなって大きく頷いた。
「お任せ下さい。」
◇
パン屋「コムギベーカリー」の店主は、麦島拓也という。
人当たりは悪くはないが、口数は多くない人物で、普段はパンの製造を主に担当しているため、店舗の方には滅多に出ない。
妻の恵美は、明るくて他人と打ち解けるのが早い。パンは作るより食べる方が好き、と自分でもよく言っている。
店舗で接客をするのは、もっぱら恵美の仕事だった。
篠原は、目を通していたメモを閉じてため息をついた。
麦島夫婦は、お互い役割分担がきちんとできていて、支え合っている夫婦、という印象が強かったのだが…。
他人には見えない何かがある、ということだろうか。
「どうしたの?」
向かいの机で仕事をしていたまひろが首をかしげた。
「いえ、本当のことは、なかなか見えにくいものだな、と思いまして。」
「それはそうだよ。でなきゃ、探偵なんていう仕事、ないもん。」
篠原は苦笑した。
「たしかに。」
まひろはそんな篠原をじっと見て言った。
「……パン屋さんのこと?」
「ええ。よくわかりましたね。」
篠原がちょっと驚いた顔をすると、まひろは得意げに胸を張った。
「篠原、昼間に浮気調査がパン屋さんのことだってわかってから、様子がおかしかったから。」
そして、少し不思議そうな顔をする。
「そんなに気になるの?」
「ええ、まあ。知り合いですからね。」
篠原は、ノートパソコンをパタンと閉じてまひろを見る。
「誰かさんのおかげで、常連なもので。」
まひろが、すっと目をそらした。
それを見て、篠原はちょっと笑いながら立ち上がる。
「終業時刻ですね。片づけましょうか。」
「うん。」
二人で簡単に事務所の掃除をして、玄関を出たところで、まひろが言った。
「明日から、調査始めよう。」
篠原は「はい」と頷いた。




