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小宮探偵事務所の日常  作者: 蒼 小夜
第5話 心の灯火
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幕間1 初バイト

幕間 小宮探偵事務所の過去編です。

篠原視点でお送りします。


まひろと篠原の出会いはどんな感じだったのでしょうか……。ちょっと覗いてみましょう(⸝⸝ ´艸`⸝⸝)


その日、大学の授業が終わったあと、篠原は電車に乗り、綿倉駅に降り立った。


電車の中が暖かかった分、1年でいちばん寒い季節の風は、切れそうなほどに冷たく感じられた。


篠原は、自分の服装を見下ろした。教科書や筆記用具が入ったリュックをそのまま持ってきてはいるが、服はいつもより綺麗めにしてある。


ダッフルコートの下には、白の襟付きシャツ、紺のニット。それに黒のスラックス。失礼ではないはずだ。


今日は、先日決まった、探偵事務所での初バイトだ。


篠原は顔をあげると、心の中で気合を入れて、商店街へ向かって歩き始めた。




つむぎ橋商店街の中ほど、不動産屋の外階段を上がった先の扉の前で、篠原は軽く深呼吸をした。


「小宮探偵事務所」とプレートの掛かっている扉の横のインターホンを押す。


明るい呼び鈴の音が扉の向こうで響いて数秒後、扉が開いて、壮年の男性が顔を出した。


この探偵事務所の経営者、小宮誠人だ。


会うのは、バイトの面接も含めてこれで3回目のはずだが、


「よう!待ってたぜ!」


誠人は、前からの友人に会ったかのように軽く言うと、篠原に中へ入るように促した。


「失礼します。」


相手がそんな風でも、一応は上司だし、親しい訳でもない。


篠原は、気をつけの姿勢で少し頭を下げると、事務所の中へ入った。



玄関で靴を脱ぎ、持参したスリッパに履き替える。


「お、持ってきたか。もうそれ、ここに置いていっていいからな。」


そう言う誠人に、篠原は「はい」と頷いた。


誠人の後について、応接スペースの横を通って奥へ進むと、事務机が2つ置かれている場所があった。


窓際には、鉢植えの観葉植物。


天井まであるスチールの本棚には、ファイルや法律の本や住宅地図がぎっしりと並んでいる。


その反対側の壁に目を向ければ、木製の扉。


篠原の視線を追ったらしい。

誠人が朗らかに言った。


「その先は、まあ倉庫だな。季節ものとか、工具とか、救急セットとか。あと、さっき通った応接スペースの奥にも、給湯室がある。トイレは玄関の隣な。他、なんか気になるところは?」


篠原は軽く頷いて「大丈夫です」と言った。


誠人は「よし」と満足そうに頷くと、篠原に向かって右手を差し出した。


「では、篠原 慧くん。改めてよろしく。」


「はい。よろしくお願いします。」


誠人の手を軽く握る。


その手は、自分の手よりも少しだけ大きく、温かかった。



◇



篠原の仕事は、誠人が朝から昼の間に用意しておいてくれる。と言っても、資料のコピーや報告書の打ち込み、電話の取り次ぎ、あとは掃除くらいだ。


バイトは水曜日を除く平日の16:00から18:00。

大学終わりに通えばいいので、無理なくできる。


篠原はその条件に満足していた。




バイトを始めて1週間ほどたったある日、篠原が淹れたインスタントコーヒーを飲みながら、誠人が「慧、ちょっといいか」と切り出した。


「はい。なんですか?」


自分のカップを持ってきた篠原が首を傾げる。


誠人は、話しにくそうに「あー」とか「うー」とか言っていたが、やがてひとつ頷くと、話を始めた。


「お前さ、ここに来る前に、1回うちに来たことあったか?」


「はい。」


篠原が頷くと、誠人は片手で顔を覆った。


「やっぱりか〜。どこかで会った気がしてたんだよな!あれだろ、うちの嫁さんに線香あげに来てくれた……。」


「はい。父について行ってました。」


「そうか……あの時は、ありがとうな。」


穏やかに、少しだけ寂しそうに、誠人は微笑んだ。


「いえ……俺は付き添いでしたし。」


「それでもだよ。気づかなくてすまんかったな。」


「いえ。」


それ以上、なにか言うことが思いつかず、コーヒーに口をつけながら、篠原はひと月ほど前のことを思い出していた。


◆


篠原の父が、事故に遭った。


クリスマスの夕方、友人に誘われてつむぎ橋商店街に飲みに出かけた、その直後だった。


父は、赤信号で突っ込んできた車から、女性を助けようとして巻き込まれたのだ。


父は、不幸中の幸いと言うべきか、脚を骨折しただけで済んだ。

しかし、その女性は……。


父は、折れた脚の痛みに耐えながら、他の人が助けに入るまで、女性に心臓マッサージを施していたらしい。

救急救命士の鑑のような人だ。

篠原は父を誇りに思った。


退院した父は、その足で助けられなかった女性の家へ向かった。

どうしても線香をあげに行きたかったらしい。

当然、迎えに行った篠原も同行した。


そして、そこで自分たちを迎えたのが、妻を失ったばかりの憔悴した誠人だった。


◆


その印象があったから、偶然大学の生協で紹介された、ここのバイトの面接で誠人に会った時、篠原も気づいてはいなかった。


だから、誠人が自分のことに気づいていなくても、篠原は全然気にしなかった。


「仕方ないですよ。あの時は……気にしないでください。」


篠原は少しだけ微笑む。どんな顔をしていいのか、わからなかった。


誠人は、小さく頷くと「それでさ……」と続けた。


「うちの事情を知ってるお前だから、言えることなんだが……」


「はい。」


「明日から、娘をここに来させようと思う。」


「娘さん、ですか?」


篠原が聞き返すと、誠人はスマートフォンを取り出し、1枚の画像を篠原に見せた。


高校生だろうか。ブレザーの制服を着た女の子が、桜が咲く学校の前で笑っていた。

まだあどけない顔立ちをしているから、入学式なのかもしれない。

呼ばれて振り向いたところを撮ったのだろうか、肩までの髪がふわりと広がっている。


「可愛いだろう?」


誠人がニヤリと笑う。


画像をまじまじと見てしまっていた篠原は、すっと目を逸らして「そうですね」とだけ言っておいた。


「その子が、娘さんですか?」


「そう。こいつさ、母親を亡くしてから、学校からまっすぐ家に帰ってないみたいなんだよな。俺が帰る時間まで、下校時刻ギリギリまで学校にいてそこから友達の家とか、駅前のカフェにいたりとか。今はそれでもいいかもしれねぇが、限界あるだろ。」


たしかに。


この辺りは治安は悪くないが、それでも女子高生が暗い時間まで一人でフラフラしているのは危険だ。


「あいつ、多分、今はひとりで家にいるのが辛いんじゃねぇか、って思うんだ。これまでは家に帰れば、母親がいたからな。」


誠人はため息をついた。


「俺だって、慧が来てくれたおかげで早めに帰れちゃあいるが、これから夜通しの仕事だってないとは言えねぇ。」


篠原は頷いた。


「それで、所長のお仕事が終わるまでここにいる、ということになったんですね。」


しかし、誠人は首を横に振った。


「いや、勧めてはみるけどな。あいつ、ギリギリまで家に帰ってないこと、俺に気づかれてないと思ってるんだよなー。」


なるほど、「明日から下校後に事務所にこい」とだけ言えばいいのに、どうやら誠人はトップダウンの人間ではないらしい。


篠原は、少し誠人のことがわかった気がした。



◇



翌日、篠原が事務所を訪れると、奥から女の子の声がした。

玄関の靴箱には、高校生がよく履いているローファー。


誠人の娘は、ここに来ることにしたらしい。


篠原が奥まで行って「お疲れ様です」と声をかけると、誠人の事務机の横に椅子を置いて、こちらに背を向けて座っていた制服の女の子が振り向いた。


篠原が来たのに気づいていなかったのだろう、驚いた顔をしている。


「ああ、来たか。」


笑顔を見せる誠人に振り向いて、女の子が「お客さん?」と聞く。


「いや、バイト。」


誠人は短く答えて、立ち上がり、篠原の隣に並んだ。


女の子の目も誠人を追って動き、もう一度篠原を見る。


「慧、俺の娘のまひろだ。よろしくな。」


「はい。」


「まひろ、バイトの篠原 慧くんだ。大学2年生。仲良くしろよ。」


「……。」


まひろは、何も言わずに小さく頷いた。


微妙に気まずい空気が事務所の中を流れる。


篠原はまひろをじっと見た。人のことをあまり言えないが、あまり表情の動かない子だな、と思った。


誠人は小さくため息をつくと、「お前らなあ!」と言いながら自分の椅子にどかっと座った。


「なんかこう、もっとないのかよ?『可愛いですね、何年生ですか?』とか、『どこの大学ですか?勉強教えてください♡』とかさあ!」


「言うわけないでしょう。」


「私がそれ言うと思ってるの?」


ほぼ同時に2人から反論され、誠人は一瞬キョトンとした後に吹き出した。


「なんだ、お前ら、息ピッタリじゃねえか!」


まひろと篠原は、なんとも言えない微妙な顔を見合わせた。


「まあまあ、一緒におやつでも食べようぜ!ケーキ買っといたんだよ。」


誠人がそう言って、給湯室へ入っていく。


篠原も手伝うために動きかけたが、誠人に「そこで待ってろ」と言われて足を止めた。


まひろとふたりでその場に残され、なんとも気まずい。


まひろが、じっとこちらを見ている。


「なんですか?」


聞くと、まひろはスっと視線を外して「別に」と言った。


そのまま、誠人が帰ってくるまで、ふたりは目を合わせず言葉も交わさなかった。


誠人はそんな空気を読めないのか、読んだ上でなのか、ふたりにケーキを選ぶためのじゃんけんをさせたり、学校の話を振ったりして、ずっと賑やかに喋っていた。


誠人のその不器用とも言えるかもしれない振る舞いを、嫌いではないなと篠原は思った。



◇



初めは、まひろに対し、遠慮やら気恥ずかしさやらも手伝って、何を話したらいいのかもわからずにいたが、それでも毎日同じ空間にいれば、言葉を交わすことも次第に増えてきた。


おやつのときに「飲み物、何にしますか?」とか「机拭きますね」とかその時に必要なことがほとんどだったけれど。


まひろが事務所に来るようになって2週間目。


誠人が留守にしている間、報告書の打ち込みをしていた篠原の手元を見て、まひろが言った。


「速いね。」


「そうですか?」


篠原は手を止めてまひろを見た。


話しかけられたことに多少の驚きもあった。


「うん。」


まひろは篠原の手元を見たままだ。


見られているとやりづらいな、と思いながらも誠人が帰るまでに仕上げておきたいので、また手を動かし始める。


すると、まひろは自分の椅子を篠原の机の横に持ってきて座り、そこで文字を打ち込む様子を見始めた。


ますますやりにくい。


篠原は集中するために、絶対に目をモニターから離さないという縛りを自分に課した。


すると、またまひろの声が横からする。


「手、見なくても出来るの?すごい」


褒められた。


「え?」


数秒前に自分に課したことをあっさり破って、篠原は思わずまひろを見た。


まひろは、篠原の目を見つめていた。


ぱちっと目が合った。


初めて、ちゃんとまひろの顔を見た気がした。


誠人に見せられた写真より、少し大人びた輪郭。

少し開けられた唇。

柔らかく肩にかかる髪。

屈託なく笑っていたあの画像と、どこか違う瞳。


どこが違うんだろう。


ふと気になってそのまま見つめていると、まひろが眉をひそめた。


「……なに?」


篠原は、はっとして「すみません」と小さく言いながら、またパソコンのモニターに目を向けた。


すると、またまひろが「ねえ」と話しかけてきた。


「なんですか?」


今度はモニターを見たまま応える。


少し間があって、ぶっきらぼうにも聞こえる声でまひろが言った。


「……なんて、呼べばいい?」


そう来たか。


さすがにそちらを見ないで話すのは気が引けて、篠原はまひろに身体を向けた。


「なんとでも。」


「……友達には、なんて呼ばれてるの?」


「篠原、が多いですね。」


「そう、じゃあそれで。」


まひろは、ひとつ頷くと少しだけ笑った。

笑うと、一気に雰囲気が柔らかくなった。

あの画像の瞳が見えた気がした。


「まひろさん。」


「え?」


突然呼ばれて、まひろが目を丸くする。


「……で、いいですか?」


呼び方の確認。そう理解したまひろの表情が少し緩んで、こくんと頷く。


「改めて、よろしく。篠原。」


「はい、まひろさん。」


ふたりはお互いにぺこりとお辞儀をして、くすくすと笑った。



その後。


予定よりも遅れて帰ってきた誠人は、先に休憩時間にしていた二人を見て、首を傾げた。


「お前たち、なんかあった?」


「いえ、特に。」


「別に。」


お茶を飲みながらそう答えるふたりを見て、誠人は怪訝そうな顔をしながらも、どこか嬉しそうに自分のお茶を用意し始めた。



◇



4月になり、篠原は大学3年生になった。


そろそろ就職のことも考えなくては、と思っていた矢先、誠人から「なあ、慧」と話しかけられた。


「はい。」


「お前さ、うちで働かないか?」


篠原は目を瞬いた。


「え、働いているつもりでしたが。」


「そうじゃねえよ!」


誠人は笑って篠原の肩をバンバン叩いた。


「卒業したらさ、ここに就職しろよ。」


篠原自身、もっと迷うかと思っていた。


でも、口をついて出た言葉は「いいんですか?」だった。


「いいに決まってんだろ!でなきゃ誘わねえよ。」


誠人はニヤリと笑うと「な、お前もいいと思うだろ?」とまひろに聞いた。


「いいんじゃない?」


先程から机にノートと問題集を広げてうんうん唸っているまひろが、適当に返事をする。


「ということで決まりな!卒業したらどんどん働いてもらうから、今のうちに色々教えてやるな!」


誠人は嬉しそうだ。


篠原は誠人に向き直ると、「では、よろしくお願いします。先生。」と頭を下げた。


「おう、よろしく頼むな!」


誠人は、その篠原の頭をくしゃくしゃと撫でた。



思いがけず就職の内定は貰ったが、やることはいつもと変わらない。


篠原は、誠人の仕事を淡々と手伝っていたが、その合間に、ふと机の前で眉を寄せて参考書とにらめっこしているまひろが目に入った。


そっと近くへ行って、後ろから覗き込むと、数学の問題が途中まで解いてあるのが見えた。


ざっと問題を見ると、ここまでの解法は合っているようだが、この先どうすればいいかが分からないらしい。


「これを代入するんですよ。」


思わず手を伸ばして、問題の該当箇所を指さす。


まひろは突然出てきた指に驚いていたが、少しその先を見つめて「こう?」と式をノートに書いた。


「そうです。あとはそれを解けば……」


「……できた。」


まひろが篠原を見て、嬉しそうに目を細めた。


「よかったですね。」


篠原は少し口元を緩めて、自分の仕事に戻った。



その後も、まひろがノートと問題集を前に頭を抱えていると、篠原は仕事の合間にちょくちょくその手元を覗いては、ひと言二言教えて戻るということを繰り返した。


誠人は、それをちらちらと見ていたが、その時は何も言わなかった。


その時は。




次の日、事務所に顔を見せた篠原に、誠人はにっこりと笑って言った。


「今日から、まひろのテストが終わるまで、お前の仕事は家庭教師な!」


「え」


篠原は目を丸くした。


問題が解けた時の、嬉しそうなまひろの顔が思い出される。


それもいいか、と思った。


「分かりました。」


篠原は、快く頷いた。


……それが、まさか受験まで続くとは、その時は思いもしなかった。


お読みいただきありがとうございます!

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