7.
翌朝。
まひろは、いつも通り小宮探偵事務所への階段を上っていた。
ただし、とてもゆっくりと。
結局ようやく眠れたのは明け方だったので、寝不足なことこの上ない。
まひろは、欠伸を噛み殺しながら、事務所の扉を開ける。
お気に入りのスリッパに履き替え、自分の机に向かう。
目は半分閉じているのに、どこにもぶつからずに辿り着く。慣れとは恐ろしい。
鞄をカゴに入れると、篠原がコーヒーを持ってきた。
「おはようございます。」
「おはよ。」
まひろは挨拶を返すが、ちっともおはようの顔ではない。
1回のまばたきが、異様に長い。
篠原は、少しだけ苦笑いした。
「昨夜は、遅かったんですか?」
「うん。寝れなかった。」
篠原の目が、心配そうにまひろを見る。
声をかけようとして一旦開いた口を、一度閉じてから、また遠慮がちに開く。
「……大丈夫、ですか?」
その逡巡に気づいたかどうか、まひろは、「うん」と頷く。
頷いたその頭が重そうだ。
篠原は、小さくため息をついた。
「連絡いただけたら、今日は私一人で大丈夫でしたよ?無理しなくても。」
「ううん。」
今度は首をゆるゆると横に振る。
眠そうな目が、篠原の顔を捉えた。
「篠原に、お礼、言わなきゃと思って。」
「……私に?」
篠原が怪訝そうな顔をする。
「うん。」
まひろは目をこしこしと擦った。
いくらかはっきりとした視線で篠原を見る。
「昨日、付き合ってくれてありがと。あと、遅くまでごめん。」
そして、ゆっくりと微笑む。
「もう、大丈夫。」
「……そうですか。」
篠原は、一瞬遅れてそう返し、眼鏡を片手で押し上げて口元を緩めた。
「どういたしまして。」
小宮探偵事務所の、いつもの穏やかな朝が始まろうとしていた。
◇
誠人は、年明けまで自宅に滞在した。
誠人がまた出張先へ戻る日。
まひろ、篠原、誠人の三人は、空港にいた。
「あ〜、戻ったら仕事かぁ。めんどくせぇな。」
ため息をつく誠人に、まひろがクスッと笑う。
「家でも、いろいろメールのやり取りしてたじゃない。」
「家でダラダラしながら仕事するのと、現地に行くのじゃ、疲れ方が全然違うじゃねぇか。あ〜、もっと楽な仕事がしてぇなあ。」
「でも、必要とされているんですよね?」
篠原も苦笑して言うと、誠人は不貞腐れた顔で「そうだけどさあ……」と肩を落とす。
と、その顔がひょいと上がった。
「そうだ、慧。」
突然、すごい早業で篠原の肩を抱き、まひろから数メートル離れる。
さすがの篠原も驚いた顔でされるがままだ。
誠人は神妙な顔で「聞かなきゃいかんと思ってたんだ」と言うと、声を落とした。
「お前さ。……まひろのこと、好きだろ。」
篠原は、ぽかんとした後に、少し眉を寄せた。
「……分かりません。」
「いや、だって、いろいろ気にかけすぎだろう!あれは、お前どう見たって……」
篠原は「ちょっと何言ってるか分からない」という顔をした。
「以前出国される時、『まひろを頼む』と言ったのは、先生ですよ?」
「……は?」
今度は、誠人がぽかんと口を開けた。
「あれは『自分が見られない分、気にかけて欲しい』という意味ではなかったんですか?」
誠人は肩を離して、まじまじと篠原の顔を見た。
「……つまり?」
「助手としての仕事をしているまでです。」
口をあんぐり開けた誠人が、次の瞬間、ぷっと吹き出した。
「お前……ほんっと、クソ真面目だなあ!」
そのまま腹を抱えて笑い出す。
ひとしきり笑って、わけが分からないという顔をしている篠原の肩に手を置く。
「慧……、くくっ、まひろのこと、よろしく頼むな!」
「……?はい。」
誠人は、とりあえず頷く篠原の肩をぽんぽんと叩いて、荷物を持つと、何が起こっているのかさっぱり分からないまひろに向き直った。
「また時間が取れたら帰るわ。朝飯、ちゃんと食えよ。」
「うん。じゃあ、また。」
「おう、またな!」
そして、笑顔で手を振りながら、搭乗口に消えていった。
まひろと篠原は、それを見送ってから、ふたりで空港を出た。
駅まで歩きながら、篠原が口を開いた。
「明日、仕事始めですね。」
「うん。」
「……朝ごはん、ちゃんと食べてきてくださいね。」
からかうような篠原の眼差しに、まひろはむっとする。
「お父さんみたいなこと、言わないで。」
篠原は、ふっと笑った。
「いいんですよ、それで。」
「よくない。」
まひろは口をとがらせた。
篠原は、それ以上何も言わず、けれどどこか楽しそうにまひろの隣を歩いている。
冬の柔らかい陽射しが、歩くふたりの背中をあたたかく照らしていた。
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次回、幕間です。まひろと篠原の出会い、気になりませんか?
明日公開します。よろしくお願いします(ㅅ •͈ᴗ•͈)




