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小宮探偵事務所の日常  作者: 蒼 小夜
第5話 心の灯火
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29/41

6


誠人が篠原と共に外へ出て行ったあと。


まひろは、コートとマフラーを掛け、鞄を置いてリビングのソファに身体を沈めた。


父と篠原は、どんな話をしているのだろうか。


なんとなく、左手を見る。


もうあの手のぬくもりは残っていない。


ため息をついた時、ふと、母の写真が目に入った。


「香織ちゃんが亡くなってからのあいつは見てられなかったよ」と言った、マスターの声を思い出す。


まひろの母が亡くなったのは、8年前、まひろが高校2年のクリスマスの日だった。


あの日、「買い忘れたものがある」と夕方ひとりで外出した母は、そのまま帰らぬ人となった。


もちろん、まひろはそんな現実を受け入れたくはなかったし、1週間は泣き暮らしたし、家に入れば母の面影だらけで一人ではいられず、学校帰りには毎日探偵事務所に通っていたものだった。

ただし、その理由は父には言わず、「暇だから」と強がってはいたが。


しかし、そんなまひろを、父は快く事務所に迎え入れてくれていた。

母がいた時と同じように、いつも陽気で、オヤジギャグを飛ばし、よく喋ってうるさいくらいだった。


その父が、毎晩、泣き明かしていた……?


いや、今ならわかる。


まひろの前でもイチャイチャするほど仲が良かった夫婦だ。母を失って、平気でなんていられるはずはない。


当時の自分は、周りを気遣う余裕なんてなかった。

父も自分と同じように、いや、もしかしたら自分以上に、悲しかったのかもしれないのに。


それでも、まひろに笑顔を見せていた理由は。


「わたしの、ため?」


思わず小さく声に出すと、まひろは、ぐっと胸を押さえた。


マスターは「十分耐えたんだ。」と言った。


何に?


香織を失った悲しみに。


香織を奪った相手への憎しみに。


香織のいない世界の虚しさに。


「……!」


まひろは目を閉じて、胸を押さえた右手をぐっと握った。


父への申し訳なさと、話してくれなかった怒りと、感謝で胸が痛かった。


父と、無性に話がしたかった。



◇



誠人は、帰ってくると開口一番、「寒かった……!」と、ファンヒーターの前を陣取った。


「ちくしょう……慧のやつ、覚えてろよ…。」


と文句を言いながら手を擦り合わせる姿を見て、まひろは苦笑した。


熱いコーヒーを入れて、ダイニングテーブルに置く。


「お父さん、コーヒー。」


声をかけると、誠人は「お、ありがたい!」と嬉しそうにテーブルにつき、ひとくち啜って、ほうっと息をついた。


まひろも自分の分を入れて、向かい側に座る。


「……どんな話だった?」


いろいろ考えていたのに、結局直球になってしまって、まひろは心の中で頭を抱えた。


けれど、誠人はいつもの口調で、


「ん?ああ、『ちゃんと話せ』って言われた。」


と、何でもないことのように言った。


「でもなあ、そう言われてもなあ。何から話せばいいんだか…。」


それきり黙ってしまった誠人に、まひろは聞いてみた。


「お父さん、なんで帰ってきたの?」


誠人は困ったように笑った。


「それ、その聞き方、何とかならんか。」


まひろはもう少し考えて聞いた。


「クリスマス、去年もその前も帰って来なかった。どうして、今年は帰ってきたの?」


「そりゃあ、仕事が忙しくて……いや違うな。」


誠人は言いかけて、首を振った。


「自分で忙しくしてたんだよ。帰らなくてもいいようにな。」


「帰りたくなかった?」


まひろが囁くように聞くと、誠人は素直に頷いた。


「そうだな。帰りたくなかった。」


「どうして?」


リズム良く受け答えしていた誠人の返答が一瞬遅れた。


「この街には、思い出が多すぎるからな。」


誠人は、コーヒーをまたひとくちすすった。


まひろもコーヒーをすすった。


熱い液体が、腹の中に流れ込む。その温かさが勇気をくれる。


「じゃあ、今年は、どうして?」


誠人は、そこではじめて眉間に皺を寄せた。


「うん、そうだな……。そろそろいいかと、思ったんだ。」


まひろは何も言わず、次の言葉を待っている。


「この街を離れれば、この苦しさから少しは開放されると思ったんだ。」


誠人は、じっとカップを見つめて話す。


「でも、それは間違いだった。3年間離れてみても、苦しさは変わらなかった。結局、ここから逃げたって、あいつがいないっていう事実も、事故への怒りも、消えなかった。」


ため息をひとつついて、続ける。


「……それどころか、逃げ続けている自分に、嫌気がさすようになっちまってな。」


まひろをちらりと見る。


「事務所も、お前に預けっぱなしだ。慧をつけたとはいえ、心配だったしな。」


「仕事、ちゃんとやってる。」


まひろがむっとして言う。


「そうみたいだな。」


誠人の目が、優しく細められる。


「お前はよくやってる。」


あまり素直に褒められたので、まひろは目を瞬かせた。一瞬遅れて頬にさっと赤みがさした。


誠人はくくっと笑って、それから、ふっと真面目な顔になった。


「……悪かった。」


「え?」


「お前を、置いて行っちまった。」


まひろは、ぽかんと口を開けて誠人の顔を見たが、すぐにふるふると首を振った。


「置いていくなら、すぐにでもできたでしょ。でも、5年間もここにいた。どうして?」


「すぐに置いていくとかはないだろ。お前まだ子どもだったし。一人で家にもいられないようなのを、残しては行けんだろ。」


誠人は、「何を当たり前のことを」と笑ったが、まひろは、泣きそうな顔をした。


「私のため、だったの?」


誠人は手を伸ばして、まひろの頭にぽんぽんと乗せた。


「いいんだよ。そんなの。」


まひろの目から、ぽろりと雫が転がる。


まひろは、またふるふると首を振った。


「だって、お父さんも苦しかったのに……。私、なんにも、知らないで……。」


「だから、いいんだって。」


誠人はまひろの頭を撫でた。


「お前は何も知らなくてよかったんだよ。お前は子どもで、俺は親だったんだから。……でも。」


誠人は一度言葉を切った。まひろの頭から手を離して、ゆっくり引っこめる。


「それは、お前に何も話さなくていい理由にはならなかった。」


軽く腕を組んで、ため息をつく。


「本当はな、お前が成人した時に話しても良かったんだ。ここを出る前だって、話そうと思えば話せた。」


まひろは、目をごしごしと擦った。

小さく頷く。


「……話して欲しかった。」


「うん、そうだよな。」


誠人は自嘲的な笑みを浮かべたが、すっと真顔に戻ると、まひろを見た。


「きっとさ、俺は、お前の前では『父親』でいたかったんだよ。」


まひろが首を傾げる。


「お父さんはお父さんでしょ。」


誠人は、眉を寄せた。


「そういうことじゃねぇよ。……つまりさ……あ〜、その、メソメソしてる父親なんて、かっこ悪いじゃねえか。」


「……そう?」


「そうなの!」


誠人は、仏頂面で言ってから、すぐに苦笑いした。


「なんか、その反応見てると、悩んでた自分が馬鹿みたいに思えるな。」


まひろは目を瞬かせたあと、少し考える表情をしてから、口を開いた。


「お父さんだって人間だし。泣きたい時だってあるんじゃない?」


誠人が、驚いたようにまひろを見る。


しかし、その視線は、すぐにふっと逸らされた。


「……こんな情けない父親でいいのか?」


「情けなくないでしょ。私を守ってくれてたんだもの。」


まひろは、誠人を見て、微笑む。


「……お父さん。」


呼ばれて、誠人が顔をあげる。


母親によく似た、まひろの柔らかい瞳の色から、目が離せなくなる。


「お父さんが帰ってきてくれて、よかった。」


誠人は、息をのんだ。


けれど、一度目を閉じ、やがてゆっくりと目を開けると、


「そっか。……じゃあ、帰ってきてよかったな。」


少し照れたように笑った。


◇


その後、まひろは風呂に入り「おやすみ」を言って一旦部屋に入ったが、なかなか寝付けなかった。


ホットミルクでも飲もうかと、部屋を出た時、リビングの扉から光が漏れていることに気づいた。


「……?」


少しだけ開けて、そっと中を覗くと、ソファに座っている誠人の横顔が見えた。


リビングテーブルには、母の写真。

琥珀色の液体が入ったグラスが2つ。


「……また、まひろに甘えちまったな……」


独り言のように呟いて、グラスを手に取る。


「なあ、香織。」


グラスをカランと回して、一口飲み、ふっと優しい顔をした。


「あいつ、お前にそっくりだよ。」


「……。」


まひろは、なんだかやさしい気持ちになって、そっと扉を閉じた。


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