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小宮探偵事務所の日常  作者: 蒼 小夜
第5話 心の灯火
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28/46

5

まひろの家は、つむぎ橋を渡った先の住宅街を、10分程歩いた先のマンションだ。


この辺りで他に似たマンションはないので、すぐに分かる。


篠原は、エレベーターまでまひろを連れていくと、左手で持っていた鞄を床に下ろしてボタンを押した。


ふたりは、歩き始めてから、ずっと黙ったままだった。


手を繋いだまま、まひろの家の前に立つ。


篠原が、そっとまひろを振り返った。


まひろは、足元を見つめている。


「まひろさん?」


小さく呼ぶと、まひろはのろのろと目をあげた。


「私……どうしたらいい?」


篠原は、少し考えるように視線をそらしてから、またまひろを見た。


「まだ、知らなかったことにもできます。でも、先生の本当の気持ちを知りたければ…話をするべきだと思います。」


まひろは頷いた。


「私、知らなかった。お父さんが苦しんでたこと。……だけど、知っちゃったから。」


まひろの繋がれた手に力が入る。


「もう、このままにはできない。」


けれど、その手はすぐに力を失った。


「……でも、何を話したらいい?」


篠原は、それには答えず、まひろの手をきゅっと握り直した。


そして、ゆっくりとその手を離した。


冷たい空気がまひろの手を撫でる。


「私が先に、先生と話してみてもいいですか?」


「どうして?」


まひろが首を傾げる。


篠原は、玄関の扉に向き直って言った。


「私にも、言いたいことができたので。」


いつもの穏やかな声。けれど、その目は鋭く、扉の向こうを見つめていた。



◇



篠原が玄関の呼び鈴を押すと、部屋着の誠人がドアを開けて驚いた顔をした。


「慧……!? 」


「夜分にすみません、先生。」


「お、おう。」


落ち着き払った篠原の態度に、気圧されたように返事をする。


その目が、篠原の後ろに隠れるように立っているまひろを見つけた。


「……ああ、まひろを送ってきてくれたのか。遅いから、迎えに行こうかと思ってたんだけどな。悪かったなあ。」


誠人はそう言って篠原に笑いかけたが、篠原は「いえ」と一言だけ言って、まひろに道を開けた。


まひろは、「ただいま」と誠人の方を見ずに言って、家の中へ入って行った。


「おかえり……?」


誠人は様子のおかしいまひろに目を瞬かせた。


そんな誠人に、篠原が声をかけた。


「先生。」


「ん?」


まひろを目で追っていた誠人が、振り返る。


篠原は、まっすぐ誠人を見ていた。


「……お話したいことがあります。ちょっと、出られますか?」




誠人は、部屋着の上に丈の長いダウンコートを着込んで出てきた。


誠人は玄関から出た後に「寒っ」と言ったきり、何も言わない。


エレベーターの中でも、マンションから出たあとも、二人は無言だった。


マンションの隣にある公園には誰もいない。

夜の闇に溶け込みそうな遊具を、青白い街灯が冷たく照らしていた。


誠人は、街灯の下のベンチの端に浅く腰掛けた。

膝に腕を軽くかけて、手を前に垂らしている。


篠原は、その3歩手前で立ち止まった。


誠人が篠原を見上げる。


「座れよ。」


少し躊躇ったあと、篠原は誠人が座っているベンチの逆の端に腰掛けた。


しばらく二人とも、話さなかった。


遠くで、電車が走る音が聞こえる。


「話が、あるんだろう?」


前を向いたまま、誠人が切り出す。


篠原も前を向いたまま、深く息を吸った。


白い息を吐き出して、告げる。


「まひろさんが、困っています。」


「……うん。」


「先生が、変わってしまったと、感じています。」


誠人は、はっと短く笑った。


「俺は何も変わってねぇよ。」


「……そうですか。」


篠原は静かにそれを受け止めた上で、尋ねた。


「では、まひろさんが抱いた違和感は、なんなのでしょうか。」


誠人は、答えない。


篠原は、誠人を目だけで見た。


誠人は先程と同じ姿勢で、動かない。


「まひろさんは、先生がなにかを隠していると思っているようです。」


「……何も、隠すような事なんて」


「先生が今も苦しんでいることを!」


誠人は反論しようとしたが、篠原の珍しく強い口調に遮られる。


篠原は、はっと気が付いたようにいつものトーンに戻って続けた。


「……まひろさんは知りませんでした。」


「……。」


篠原は、足元を見つめた。


「でも、今日知ってしまったんです。」


そこで言葉を切る。


誠人はややあって、「そうか」とだけ答えた。


「先生、私は……先生が話したくないことまで話す必要は、ないと思います。」


誠人は黙って聞いている。


「ただ……話せることは、話してあげてください。」


誠人はゆっくりと息を吐き出した。


「あいつは……なんか言ってたか?」


「知ってしまったから、このままにはできないと。」


「……どういうことだ。」


「そこまでは。ただ、なんとなくですが……。」


篠原は、顔を上げた。キンと冷えた冬の夜空に星が瞬いている。


「まひろさんは、先生を責めたいわけではないような気がします。」


誠人は片方の口の端を上げた。


「なんとなく、か。お前にしては珍しいじゃねぇか。」


「そうかもしれません。」


篠原も、少し口元を緩める。


それから、小さく息をついて立ち上がると、「先生」と誠人に向き直った。


「まひろさんは、もう守られるだけの子どもではないと、私は思います。」


誠人が篠原を見上げる。


二人の視線が交差する。


やがて、誠人は諦めたように軽く首を振ると、立ち上がった。


「仕方ねぇなあ……お前にそこまで言われちゃあな。」


そして、空を仰ぐと、白い息をふうっと吐き出して、元来た道をゆっくりと歩き始めた。


篠原は、しばらく心配そうにそれを見送っていたが、ふと腕時計を見ると、足早に駅へと向かい始めた。



お読み頂きありがとうございます。

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