↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小宮探偵事務所の日常  作者: 蒼 小夜
第5話 心の灯火
PR
27/40

4

その日の夜。


まひろと篠原は、向かいの喫茶店の扉を開けた。


ランチタイムに、まひろが「話したい」と切り出したところ、マスターが「今日は早めに店を閉めるよ」と、気を遣ってくれたからだ。


ベルの音とともに二人が店内に入ると、マスターはカウンター席に飲みかけのグラスを置いて待っていた。


「いらっしゃい。」


二人に穏やかな笑顔を向ける。


「二人で来たのか。じゃあ、こちらを使おう。」


そう言って二人をテーブル席へと案内した。


二人が並んで椅子に座ると、マスターは「ちょっと待ってな」と言ってカウンターの奥へ引っ込み、しばらくして湯気が上がるカップを二つ持って来た。


「今日は、特別だ。」


マスターが置いたカップの中には、ミルクココアが入っていた。


二人が礼を言うと、マスターは満足そうに頷いて、まひろの向かいに座った。


「それで、何が話したいんだ?」


まひろは、少し視線をさまよわせた後に、伏し目がちに言った。


「…お父さんのこと。」


マスターは「うん」と頷いた後で、ちらりと篠原に目を向け、またまひろを見た。


「篠原くんにも、聞かせていいのかい?」


まひろは、こくんと頷いた。


「…ここに、いてほしい。」


マスターは「そうか」と言うと、ふうっと息をついた。


「それで?誠人の何が知りたい?」


まひろは、少しためらった後に顔を上げた。


「昨日の夜、何を話したの?」


マスターは、ふっと口元を緩めた。


「昨日か?…昔の話を、ちょっとな。聞いても面白くないぞ?」


まひろは眉を下げた。


「でも、お父さん、帰ってきた後 変だった。夕方、ここを出る時も。」


「…そうか。でもなあ…。」


マスターは顎に手を当てた。


「俺から話していいもんかどうか。……本人から聞いた方が、いいんじゃないか?」


「先生が、話すと思いますか?」


篠原が間に入る。


「……いや、思わないね。」


「差し支えない範囲でいいので、お話していただけませんか。」


篠原は続ける。


「…先生の力に、なれるかもしれません。」


マスターはまひろを見た。


不安そうな目。けれど、その奥に芯を感じる。


マスターはしばらく迷っているようだったが、やがて両手を軽く上げた。


「わかった、わかった。ほんと、お父さん思いのいい子だなぁ。」


そして、テーブルに両肘をつくと、組んだ手の上に顎を乗せて、小さくため息をついた。


「あいつは…。」


少し言葉を探すように何度か口を開いては閉じて、続けた。


「自分のことを…『逃げ出した卑怯者だ』って言ってたよ。」


「え……?」


どきん、と心臓の音が聞こえた気がして、まひろはぎゅっと自分の胸を押さえた。


「逃げ出す」「卑怯者」

どちらも、誠人には似つかわしくない言葉だ。


「逃げ出した?先生が?」


聞き返した篠原に、マスターは軽く頷いた。


「俺は、そうは思わないけどな。」


「何故ですか?」


篠原が尋ねると、マスターは当然のことのように言った。


「篠原くんも知ってるだろう?香織ちゃんを事故で亡くしてから5年間、あいつはまひろちゃんをひとりで育てきった。」


篠原が黙って頷く。


「その後で海外へ出たんだ。逃げたなんて、思えないね。」


まひろも大きく頷く。


「それに、その頃は篠原くんも、だいぶ仕事を覚えてきてただろう?だから、あいつも安心してここを離れられたんだろうな。」


マスターが篠原を見る。


篠原は表情を変えずに少し首を傾げる。


「……そこは買いかぶりすぎだと思いますが。」


「いやいや」とマスターは少しだけ笑った。


「あいつは篠原くんのことを随分買ってるよ。でなきゃ、可愛い一人娘を任せてなんて行かないだろう?」


納得いかない顔をしている篠原。


マスターは「それはさておき」とまひろに向き直った。


「さっきの『逃げた』って話な。あいつは、『俺はこの街から、香織の面影から逃げたんだ』って話してたよ。」


「面影……?」


篠原がまひろをちらりと見る。


マスターは首を降った。


「いや、まひろちゃんはどっちかと言うと誠人似だからな。多分、何を見ても香織ちゃんのことを思い出して辛かったんだろうな。」


マスターは、グラスをちょっと持ち上げて、カランと回した。


「香織ちゃんを亡くしてからのあいつは、見てられなかったよ。毎晩、ここに来ちゃあ泣き明かしてた。『どこにいても、何をしてても、香織のことを思い出す。自分もあいつのところに行きたい』ってなあ。」


「え……?」


まひろの声が震えた。


「だって、お父さん、いつも笑って……。」


「まひろちゃん。」


マスターは寂しげに眉を下げた。


「親っていうのはさ、子どもに弱い所を見せたくないんだよ。」


まひろはきゅっと口を結んだ。


「だからさ、俺から見れば、あいつは十分耐えたんだ。あいつ自身がなんて言おうと、海外へ行ってたこの3年間は、あいつにとって必要な時間だった。俺はそう思う。」


マスターはそう言ってグラスの水を飲む。


グラスを置く音が、やけに大きく聞こえた。


「では、先生が帰ってこなかったのは……。」


ややあって、篠原が口を開くと、マスターは頷いた。


「帰らなかったんじゃない。帰れなかったんだ。」


「帰れなかった……。」


まひろは、ココアを見つめながら眉を寄せた。考えながら、つぶやく。


「じゃあ、なんで、今?」


それを聞くと、マスターはため息混じりに言った。


「なんでだろうなあ…ただ、吹っ切れたようには、見えなかったな。」


篠原が、頷く。


「……飲酒運転の事故に巻き込まれた、と聞いています。そう簡単に心の整理がつくものではないでしょう。」


まひろが驚いたように隣の篠原を見る。


「知ってるの?」


「ええ、まあ。」


篠原は軽く答えたが、マスターも「そこまで知ってるのか」と驚いているようだった。


けれど、「いやそうじゃなくて」と首を振る。


「あいつ……多分だけど、自分自身のことも責めてるように見えた。昨日な、『まひろにも甘えてばかりだ』って言ってたんだ。」


「え……?」


「どういうことですか?」


怪訝そうなふたりに、マスターはちょっと苦い顔をした。


「ああ、悪い、そこは聞かなかったことにしてくれ。言わない約束なんだ。」


そして、話は終わりとばかりに立ち上がった。


そう言われては仕方ない。


ぬるくなってしまったココアを飲んで、ふたりは喫茶店を出た。




「遅くなってしまいましたね。」


篠原が腕時計を見て言う。


「うん……ごめん。」


まひろがマフラーに顔を半分埋めて言うと、篠原は首を振った。


「大丈夫です。今日はこのまま帰りますか?」


まひろは下を向いた。


正直、今は誠人に会ったら何を話していいか分からない。


けれど、家には帰らなければならない。


まひろは黙っている。


篠原はしばらく星の浮かぶ冷たい夜空を見上げていたが、やがてつむぎ橋の方へ足を向けた。


「……送りますよ。」


「でも。」


まだ動けないでいるまひろを、3歩先で振り返る。


「他に泊まるところもないでしょう?」


「う……。」


篠原はそんなまひろをじっと見ていたが、やがて、つっと眼鏡を押し上げると、まひろの前に戻ってきた。


「ほら。」


右手を差し出す。


「帰りましょう?」


「……。」


まひろは差し出された手を見て、目を上げた。


篠原は、ちょっと困ったような、けれどいつもの穏やかな顔をしていた。


まひろは、もう一度篠原の手に目を落とす。


「……うん。」


その上にそっと、左手を乗せる。


その手がきゅっと握られ、引かれた。


歩き出す。


冷たい風が、頬を撫でて行った。


けれど、その手から伝わる温かさは、たしかにまひろの足を前へと進めていた。


お読み頂きありがとうございます。

リアクション、評価、感想などいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。