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小宮探偵事務所の日常  作者: 蒼 小夜
第5話 心の灯火
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26/40

3

翌日。

空は朝からどんよりと暗い雲に覆われていた。


探偵事務所への道を歩きながら、まひろは昨夜のことを思い返していた。



誠人は日付が変わる頃に帰ってきた。


まだリビングで起きていたまひろを見て、驚いたように足を止めたが、


「早く寝ろよ。」


とだけ言って、風呂へ向かっていった。


その背中には、「何も聞くな」と書いてあるようだった。


微かに漂う酒の香り。


まひろは、何も言えずに、自分の部屋のベッドに潜り込んだ……。



そして朝。


誠人は、昨夜の雰囲気とは別人のように、ギリギリの時間に起きてきたまひろをからかい、朝食を食べさせ、玄関で「しっかり仕事しろよ!」と朗らかに見送ったのだ。


「……なんだろう。」


ため息混じりのまひろのつぶやきは、足元に落ちて転がっていくようだった。


違和感がたくさんある。


少なくとも、まひろの知っている父は、いつも陽気で笑顔の絶えない人だった。


なにか、おかしいとは思う。


けれど、なにがおかしいのか分からない。


帰国してからの父の様々な表情を思い出し、違和感の正体をつかもうとするが、それらはふわふわと漂って、つかめない。


まひろは、自分がどこに向かっているのか、意識しないまま歩き続けた。


気が付くと、まひろはいつものように小宮探偵事務所の扉を開け、お気に入りのスリッパに履き替えていた。


自分の机に辿り着くと、給湯室から、コーヒーカップを持った篠原が出てきた。


「おはようございます。」


「……おはよ。」


篠原は、事務机にまひろのカップを置くと、まひろを見て言った。


「今日は、食べてきましたか?」


まひろは、篠原と目を合わせないまま、コートを脱ぎ、鞄をカゴに置いた。


「食べた。」


「何をですか?」


「……パンと卵とウインナーとトマト。」


篠原は、一瞬目を見張ったあと「ああ、なるほど、先生が」と呟いた。


「では、クロワッサンは3時のおやつですね。」


そして、そう言って自分の事務机に向かおうとして、はたと足を止めた。


「……?」


篠原は振り返る。


まひろの様子がどこかおかしい。


ずっと眉を寄せている。


唇を少し引き結んでいる。


景色は見えているけれど、ここを見ていないような……そう、考えに沈んでいる時の目をしている。


まひろは感情の起伏が穏やかな方なので分かりにくいが、今日は明らかにいつもと違う。


「まひろさん?」


呼びかけてみたが、返事はない。


篠原は、少し首をかしげると、まひろのすぐ前に立った。


少し屈んでまひろの目を覗き込む。


「まひろさん?」


「……へゃ!?」


変な声を上げて、まひろが後ずさった。


「な、何?」


「何じゃないですよ。」


篠原はまひろと目の高さに合わせたまま、聞く。


「どうしたんですか?」


「え?」


驚いたときに胸に手を当てたまま、まひろが目を丸くする。


「なにか、あったんですか?」


篠原の声は、いつも通り低く穏やかだ。


まひろは、そろそろと手を下ろすと、目を伏せた。


少し躊躇ったあと、つぶやくように言葉をこぼす。


「お父さん……分からなくなっちゃった。」


「先生が……?」


まひろは頷く。


「時々、私の知らない顔する。前は、そんなこと無かった。」


「……そうですか。」


「私……お父さんのこと、ほんとは何も知らないのかもしれない。」


喫茶店の外での何かを睨みつけるような顔、深夜に帰ってきた時の、何もかもを拒絶するかのような背中、まひろのことを子ども扱いする大きな手、母とのやり取りを忘れたと言った時の声。


どれも父で、どれも父ではないような。


まひろが黙っていると、


「まひろさん。」


篠原が静かに呼んだ。


まひろが顔をあげる。


篠原は、優しい目をしていた。


まるで、迷子に話しかける時のような。


その目が、柔らかく細められる。


「一緒に考えましょう。」


篠原は、丁寧に言い含めるようにゆっくりと続けた。


「ひとりでは分からなくても、二人なら何とかなるかもしれません。」


まひろは、驚いたように篠原の目を見つめていたが、やがて、こくんと頷いた。






お読み頂きありがとうございます。

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