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小宮探偵事務所の日常  作者: 蒼 小夜
第4話 幸せの四つ葉
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2


数日後。


事務所の時計が18時を指す。


まひろは、見ていた資料から顔を上げて伸びをした。篠原もふぅ、と小さく息をついてノートパソコンを閉じる。


「まとまりそう?」


「明日の午前中にはできます。」


そう言って篠原が立ち上がった時。


まひろも事務机の上の大量の資料たちを片付けようと立ち上がった拍子に、積み上げたファイルがぐらりと傾く。


「!!」


篠原がとっさに腕を伸ばして、ファイルたちを押さえつけた。


「……大丈夫ですか?」


「……うん、ありがと。」


まひろも手を伸ばしかけてはいたが 、全然間に合っていなかった。


二人はほっと息をついて、慎重にファイルを片付け始めた。


「出してくるばかりで、片付けないからですよ?」


篠原の小言はいつものことだ。


「……うん。」


まひろが仕事に集中し始めると、周りが見えなくなるのも、いつものことだった。


ファイルを片付け終えると、二人は軽く事務所の掃除をして玄関を出た。


篠原が鍵をかける。


カチリ、と小さな音が狭い階段に響いた。


階段を下りて通りへ出た途端、冷たい風が二人の髪を乱した。


「寒っ。」


まひろが思わず肩をすくめた。


篠原が暗い空を見上げる。


「今日は思ったより冷えますね。」


そう言うと、自分の手に持っていたマフラーを、まひろの方へ差し出す。


「使いますか?」


まひろは首を横に振る。


「ううん。大丈夫。15分くらいだし。」


「そうですか。」


篠原はそれ以上何も言わず、小さく頷いてマフラーを自分の首元に巻いた。


「では、お疲れさまでした。」


「お疲れさま。」


篠原は駅の方へ。


まひろは橋の方へ。


いつものように、それぞれの帰り道を歩き始めた。




橋へ向かう途中、まひろはふと美容院の隣へ目を向ける。


工事中の店舗の前に、一人の女性が立っていた。


「……森さん。」


美咲が振り返る。


「あ、小宮さん。」


まひろを見て、柔らかく微笑む。


「お仕事帰りですか?」


「ええ。」


まひろも表情を緩めて、美咲の隣に立った。


店先には木材の匂いが残っている。


さっきまで職人たちが作業をしていたのだろう。


「見に来たんですか?」


まひろが聞く。


「はい。」


美咲は照れたように笑って、店舗を見た。


まひろも釣られるようにまだ看板のかかっていない店舗を見上げる。


「毎日来ちゃうんです。……まだ工事が始まったばかりなのに。」


そう言って、美咲は小さく笑った。


まひろは店内を覗き込む。


商店街の街灯の光が、微かに差し込む店内。


断熱材が見える壁。


木材が直に置かれた床。

真新しい木の匂いが、この場所が少しずつ変わっていくことを教えてくれる。

「楽しみ。」


まひろがぽつりと言う。


美咲は嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます。」


少し間が空く。


「この間は、試食してくださって、ありがとうございました。」


まひろは美咲に目を向けた。


「こちらこそ。」


美咲は笑顔のまま聞く。


「どう、でしたか?」


「……美味しかったですけど?」


まひろは不思議そうな顔をした。


感想なら、食べた時に伝えたはずだった。


「そう、ですか……」


美咲は、一瞬視線を落とすと、店の方を見た。


「もっと、美味しいお菓子を作りたくて。毎日焼いてるんです。」


まひろが少しだけ、首を傾げる。


「あんなに美味しいのに?」


「ありがとうございます。でも……。」


美咲はそう続けてから、言葉を飲み込む。


「ううん。」


首を振る。


「すみません。変なこと言っちゃいました。」


また笑顔になって、まひろを見る。


まひろは、じっと美咲を見つめた。


笑顔の美咲。


けれど……どこか安心できない笑顔。


「森さん……。」


「はい、なんでしょう?」


「困ったら、周りにも頼ってみてくださいね。」


「え?」


美咲の笑顔が一瞬強ばる。


まひろは何も言わず、店の中をもう一度覗き込んだ。


「いいお店になりそう。」


その一言に、美咲は少しだけ目を丸くした。


それから、ゆっくり笑う。


「……そうだといいな。」


冷たい風が一陣通り過ぎて行った。




「じゃあ。」


まひろが小さく手を振る。


「また。」


「はい。」


美咲も軽く手を振る。


まひろは橋の方へ歩き出した。


商店街の名前にもなっているつむぎ橋は、商店街と住宅街の間の綿渡川にかかっている。


橋の真ん中まで来たところで、また少し強い風が吹いた。


「……寒。」


まひろは思わず肩をすくめる。


「借りとけば、よかったかな。」


歩きながら呟いた独り言は、橋の上の風に溶けていった。



◇



また数日後。


小宮探偵事務所には、特に予定も電話もない、静かでまったりとした時間が流れていた。


時計が12時を指し、商店街のスピーカーからお昼のチャイムが聞こえてくる。


まひろは、一旦机の上を整理すると、「お昼行ってくる。」と立ち上がった。


篠原は、自分の鞄から弁当袋を出しながら、「行ってらっしゃい。」とまひろを送り出した。


まひろが向かった先は、いつもの喫茶店だった。

今日は天気がよく、風も穏やかだ。


まひろは喫茶店のドアを引いた。


カラン、とベルが鳴る。


「いらっしゃい。」


マスターが笑顔で迎える。


「今日は一人?」


「うん。」


まひろはいつものカウンター席へ腰を下ろした。


「日替わりでいい?」


「うん。」


マスターが厨房へ戻る。


店内には数組の客がいるだけだった。


しばらくして、湯気の立つ日替わりランチが運ばれてくる。


「いただきます。」


まひろが箸を手に取る。


今日は客が少ないらしい。


まひろが食べている間に、最初に居た客が帰ると、喫茶店にはマスターとまひろだけになった。


店内には、静かなジャズが流れている。


マスターがコーヒーカップを磨きながらぽつりと口を開いた。


「森さん、この前会ったろ?」


まひろが顔を上げる。


「うん。」


「最近なぁ……ちょっと元気なくて。」


まひろは小さく切ったハンバーグを口に運ぼうとして、やめた。


昨日のどこか不安そうな笑顔が、まひろの脳裏によぎる。

マスターは磨いていたカップを一度手の中で止めると、珍しく言葉を探すように続けた。

「まあ、開店準備はね……順調なんだよ。」


まひろはそのまま、黙って聞いている。


「工事も予定通りだし、保健所の手続きも終わったって喜んでた。」


マスターは苦笑いを浮かべる。


「なのに、本人だけが浮かない顔してる。」


まひろは静かに頷く。


「聞いてみたんだけどね。『大丈夫です。』って、そう笑うだけなんだ。」


マスターはコーヒーカップを棚へ戻す。


「無理に聞くことでもないんだけどさ。なんとなく心配なんだよね。」


少しだけ店内が静かになる。


まひろはミニトマトを箸でつまもうとしたが、つるりと滑って掴めなかった。


「自分でも、何に困ってるのか分からないのかも。」


ぽつり、とまひろが言った。


マスターは少し驚いたように振り返る。


「……そういうこと、あるかな。」


「うん。」


短く頷く。


まひろは、何度か格闘した後にようやく捕まえたミニトマトを口に運んで、嬉しそうにしている。


マスターがふっと笑った。


「もし、あの人が話したそうにしてたらさ。」


「?」


「その時は、よろしく。」


まひろは返事の代わりにこくんと頷いた。



「じゃあ、前払いってことで」とマスターがいたずらっぽく笑って出してくれたコーヒーを飲んでから、まひろは喫茶店を出た。


探偵事務所への階段を上がる前に、なんとなく橋の方へ目を向ける。


美容院の隣では、工事の職人が脚立を運んでいた。


新しい店が、少しずつ形になっていく。


美咲から探偵事務所に電話があったのは、その翌日のことだった。


お読みいただきありがとうございます!(´▽`)

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