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玄関の呼び鈴が控えめに鳴ったのは、午後、まひろが水槽に魚の餌を入れて、頬を緩めているときだった。
自分の机で何やら小難しい本を読んでいた篠原が、眼鏡を掛け直しながら立ち上がる。
「いらっしゃいましたね。」
篠原の落ち着いた声に、まひろが「うん。」と小さく返事をした。
「篠原、お願い。」
「はい。」
篠原が静かに玄関へ向かう。
まひろが最後のひとつまみを水面へ落とすと、小さな魚たちが嬉しそうに集まってくる。
その様子が可愛らしくて、まひろは小さく笑った。
「またあとでね。」
そう言ったものの、目はそのまま水槽を見つめている。
やがて応接スペースから聞こえてきたのは、聞き覚えのある笑い声だった。
「その節はどうも。」
「こちらこそ。その後、お変わりありませんか。」
まひろはようやく水槽から離れて応接スペースへ向かった。
応接スペースの三人掛けのソファの真ん中には、小柄なおばあちゃんがきちんと両手を膝の上に揃えて座っていた。
おばあちゃんは、沢村美智子という。商店街で昔から小さな和菓子屋「月福堂」を営んでいる人で、ここのソファに座るのは、数年ぶりだ。
まひろは「こんにちは」と声をかけて向かいのソファへ腰を下ろした。
「お久しぶりです。」
美智子は嬉しそうに目を細めた。
篠原が温かいお茶が入った湯呑みを三つ置いて、まひろの隣のソファに座る。
「そうそう、こないだ、うちの隣の空き店舗に、お花屋さんが開店してねえ。」
美智子が、にこにこと話し始める。
花屋がお近付きのしるしにと、可愛い鉢植えをくれたこと、それとは逆に閉店した定食屋のこと……商店街の話題は次々に出てくる。
他愛のない話に聞こえるが、商店街の最新情報と考えれば、とても有益な時間だ。
3人は、しばらく世間話を楽しんでいたが、ふと、美智子が湯呑みへ目を落とした。
少しだけ言葉を探すような間があってから、ぽつりと口を開く。
「こんなことを探偵さんに話すのも、どうかと思うんですけどねぇ。」
「何でしょう?」
まひろは、首をかしげた。
美智子は少し困ったように笑って続けた。
「うちの孫とね、そのお友達の子なんだけど。最近、様子がおかしいんです。」
「お電話いただいたのは、そのことですか?」
篠原が聞くと、美智子は「そうなんです」と頷いた。
「詳しく教えていただけますか?」
まひろに促されて、美智子は言葉を続ける。
「わたしはね、何があったのかは、何にも知らないんです。孫に聞いても、『なんでもない』って笑うから。」
窓の外では、小学生が笑いながら走っていく。
その声を聞きながら、美智子は静かに首を振った。
「でもねぇ。なんでもない子の笑い方じゃないんですよ。」
篠原がちらりとまひろを見た。まひろは黙って聞いているが、その目はじっと何かを考え込んでいるように細められている。
「お友達もね。ちゃんと笑うんです。『こんにちは』って挨拶もしてくれる。でも……。」
湯呑みを持つ指先に、少しだけ力が入る。
「なんだか、仮面を貼りつけてるみたいで。」
美智子が言葉を切ると、時計の音がやけに大きく聞こえた。
「いつも一緒に帰ってた二人なのに。最近は並んで歩いてても、距離がある気がするんですよ。二人とも、笑ってるのに、笑ってないみたいで。」
まひろは、まだ難しい顔をしている。
「それは心配ですね。」
篠原が言うと、美智子は頷いた。
「心配ですけどね、私じゃなんにもできなくて。でもなにかしてあげたくて、それで小宮さんのことを思い出したんですよ。」
「それで、お電話をくださったんですね。」
篠原は頷いたが、美智子は湯呑みを見つめ、自嘲気味に笑った。
「おせっかいでしょう?」
まひろがゆっくり首を横に振った。
「いいえ。」
少しだけ目を細める。
「心配って、おせっかいとは違いますから。」
その言葉に、美智子はほっと息をついた。
「……そう言ってもらえると、よかった。」
少しだけ表情が和らいだ美智子を見ながら、まひろは首をかしげた。
「それで、私たちは何をしたらいいですか?」
美智子は、申し訳なさそうに眉を下げた。
「できれば、あの子たちが前みたいに仲良くなってくれると嬉しいんですけどねぇ……まずは、様子を見てくださるかしら?」
まひろは頷いて、篠原に目を向けた。
「ふたりでいるところが見られるといいよね。」
「やはり、登下校中がいいでしょうか。そのお二人は、今も一緒に帰っていますか。」
篠原はそれを受け、美智子に聞く。
「ええ。毎日。」
美智子はすぐに頷いた。
また、子どもたちの楽しげな笑い声が通り過ぎていった。
まひろはその声を追うように窓の外へ目を向ける。
そしてまた美智子を見ると、柔らかく微笑んだ。
「お孫さんとお友達の特徴、教えていただけますか?」




