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翌日の昼過ぎ、小宮探偵事務所。
まひろが事務机で依頼書を整理しているとき。
玄関の呼び鈴が鳴った。
篠原がコーヒーを淹れかけていた手を止めて一旦ヤカンを置き、玄関をあける。
「こんにちは。」
そこに立っていたのは律だった。
「こんにちは。どうぞ、中へ。」
篠原がスリッパを出して、応接スペースへ案内する。
律の姿を見ると、まひろが椅子から立ち上がり、笑顔を向けた。
律は少し照れくさそうに頭を下げた。
まひろがソファを勧めると、律は素直に座った。
まひろもその前の一人掛けのソファに座る。
「昨日は……ありがとうございました。」
「こちらこそ。今日はどうしたの?」
律は少し言葉を探すように黙る。
篠原が黙って三人分のコーヒーを机へ運んだ。
律の前には、砂糖とミルクも添えてある。
「どうぞ。」
「……ありがとうございます。」
律は小さく頭を下げた。
篠原もまひろの隣のソファに座り、三人でしばらくコーヒーをすする。
やがて律がゆっくり口を開いた。
「昨日、帰ってからずっと考えてました。」
まひろはカップを置いた。
「うん。」
「俺……時計職人になりたいんです。」
その言葉に、まひろは静かに頷いた。
「でも。」
律は少し笑う。
「昨日、探偵さんに言われるまで気づかなかったんです。」
「?」
まひろが首をかしげる。
律は、膝の上で両手を組んだ。
「俺、時計を直したいんじゃなくて。」
少し首を振る。
「いや、もちろん直したいです。……でも、一番嫌だったのは。」
工房の方角を見るように目を向ける。
「工房がなくなることだったんです。」
まひろは、何も言わない。
律は続けた。
「じいちゃんが生きてた場所だから……あそこだけは残したかった。」
空気に染み渡るような、静かな声だった。
まひろは優しく微笑んだ。
「そのこと、お父さんには話した?」
律は首を横に振った。
「ちょっと前に、時計職人になりたいとは言いました。でも、それだけでした。」
少し俯く。
「工房を残したいなんて、一度も言ってません。」
「言えなかった?」
律は苦笑する。
「自分でも分かってなかったから。」
その言葉に、まひろはゆっくり頷いた。
「だったら。」
律が顔を上げる。
「今日は、その話をしてみたら?」
律は少しだけ驚いたような顔をする。
まひろは、真っ直ぐに律を見ていた。
「時計職人になりたいっていう夢も、工房を守りたいっていう気持ちも。」
その目が、優しく細められる。
「どっちも律くんの本当の気持ちなんでしょう?」
律はしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吸う。
「……はい。」
表情には、まだ少し不安が残っている。けれど、その返事は力強かった。
「話してみます。」
◇
その日の夕方。
まひろと篠原は、借りていた鍵を返すため、鈴本家を訪れた。
呼び鈴を押すと、昨日と同じ男性が玄関に現れる。
「こんにちは。」
まひろは軽く頭を下げた。
「鍵、ありがとうございました。」
まひろは、鍵を両手で返した。
男性は、にこやかに応じる。
「いえいえ。それで、中はどうでした?」
まひろは、姿勢を正した。
「失礼ですが……律くんのお父さまは……?」
男性が怪訝そうな顔をする。
「律は、私の息子ですが。あいつが、何か?」
「ええ……実は、調査の途中で、律くんに会ったんです。」
「ああ、そうなんですね。」
律の父は表情を緩めかけたが。
「夜に、時計屋さんの中で。」
「え?」
まひろの言葉を聞いて、目を丸くした。
篠原がその先を続ける。
「噂の人影の正体は、律くんでした。」
「律が?」
「最近、工房へ通っていたそうです。」
律の父は困ったように息をついた。
「やっぱり行ってたのか……。」
その一言に、まひろは小さく首をかしげた。
「ご存じだったんですか?」
「いや……何となくです。最近、様子がおかしいとは思ってましたから。でも、なんでそんなこと……」
少しだけ沈黙が流れる。
まひろは静かに口を開いた。
「鈴本さん。」
律の父が顔を上げる。
「ひとつだけ、お願いがあります。」
「……なんでしょう?」
まひろは、律の父の目を真っ直ぐに見て言った。
「今夜、一度だけ、工房を見に行っていただけませんか。」
律の父は不思議そうな顔をした。
「工房を?」
「はい。」
「……何かありましたか?」
まひろは首を横に振る。
「何かがあったわけではありません。」
少し微笑む。
「でも、見ていただきたいんです。」
律の父は黙っている。
まひろのすぐ後ろで篠原が静かに続けた。
「見るだけで構いません。」
しばらく考えたあと、律の父は小さく頷いた。
「……分かりました。」
「ありがとうございます。」
二人は頭を下げた。
帰り道。
商店街を歩きながら、まひろがぽつりと言う。
「ちゃんと話せるといいね。」
篠原も静かに頷いた。
「きっと、大丈夫です。」
まひろが隣を見上げる。
「どうして?」
篠原は、ちらりとまひろを見ると、少しだけ微笑んだ。
「……そう思いませんか?」
まひろも、小さく笑った。
「……そうだね。」
二人はゆっくりと商店街を歩いていった。
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