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小宮探偵事務所の日常  作者: 蒼 小夜
第3話 止まった時間
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18/40

5

翌日の昼過ぎ、小宮探偵事務所。


まひろが事務机で依頼書を整理しているとき。


玄関の呼び鈴が鳴った。


篠原がコーヒーを淹れかけていた手を止めて一旦ヤカンを置き、玄関をあける。


「こんにちは。」


そこに立っていたのは律だった。


「こんにちは。どうぞ、中へ。」


篠原がスリッパを出して、応接スペースへ案内する。


律の姿を見ると、まひろが椅子から立ち上がり、笑顔を向けた。


律は少し照れくさそうに頭を下げた。


まひろがソファを勧めると、律は素直に座った。


まひろもその前の一人掛けのソファに座る。


「昨日は……ありがとうございました。」


「こちらこそ。今日はどうしたの?」


律は少し言葉を探すように黙る。


篠原が黙って三人分のコーヒーを机へ運んだ。


律の前には、砂糖とミルクも添えてある。


「どうぞ。」


「……ありがとうございます。」


律は小さく頭を下げた。


篠原もまひろの隣のソファに座り、三人でしばらくコーヒーをすする。


やがて律がゆっくり口を開いた。


「昨日、帰ってからずっと考えてました。」


まひろはカップを置いた。


「うん。」


「俺……時計職人になりたいんです。」


その言葉に、まひろは静かに頷いた。


「でも。」


律は少し笑う。


「昨日、探偵さんに言われるまで気づかなかったんです。」


「?」


まひろが首をかしげる。


律は、膝の上で両手を組んだ。


「俺、時計を直したいんじゃなくて。」


少し首を振る。


「いや、もちろん直したいです。……でも、一番嫌だったのは。」


工房の方角を見るように目を向ける。


「工房がなくなることだったんです。」


まひろは、何も言わない。


律は続けた。


「じいちゃんが生きてた場所だから……あそこだけは残したかった。」


空気に染み渡るような、静かな声だった。


まひろは優しく微笑んだ。


「そのこと、お父さんには話した?」


律は首を横に振った。


「ちょっと前に、時計職人になりたいとは言いました。でも、それだけでした。」


少し俯く。


「工房を残したいなんて、一度も言ってません。」


「言えなかった?」


律は苦笑する。


「自分でも分かってなかったから。」


その言葉に、まひろはゆっくり頷いた。


「だったら。」


律が顔を上げる。


「今日は、その話をしてみたら?」


律は少しだけ驚いたような顔をする。


まひろは、真っ直ぐに律を見ていた。


「時計職人になりたいっていう夢も、工房を守りたいっていう気持ちも。」


その目が、優しく細められる。


「どっちも律くんの本当の気持ちなんでしょう?」


律はしばらく黙っていた。


やがて、小さく息を吸う。


「……はい。」


表情には、まだ少し不安が残っている。けれど、その返事は力強かった。


「話してみます。」



◇


その日の夕方。


まひろと篠原は、借りていた鍵を返すため、鈴本家を訪れた。


呼び鈴を押すと、昨日と同じ男性が玄関に現れる。


「こんにちは。」


まひろは軽く頭を下げた。


「鍵、ありがとうございました。」


まひろは、鍵を両手で返した。


男性は、にこやかに応じる。


「いえいえ。それで、中はどうでした?」


まひろは、姿勢を正した。


「失礼ですが……律くんのお父さまは……?」


男性が怪訝そうな顔をする。


「律は、私の息子ですが。あいつが、何か?」


「ええ……実は、調査の途中で、律くんに会ったんです。」


「ああ、そうなんですね。」


律の父は表情を緩めかけたが。


「夜に、時計屋さんの中で。」


「え?」


まひろの言葉を聞いて、目を丸くした。


篠原がその先を続ける。


「噂の人影の正体は、律くんでした。」


「律が?」


「最近、工房へ通っていたそうです。」


律の父は困ったように息をついた。


「やっぱり行ってたのか……。」


その一言に、まひろは小さく首をかしげた。


「ご存じだったんですか?」


「いや……何となくです。最近、様子がおかしいとは思ってましたから。でも、なんでそんなこと……」


少しだけ沈黙が流れる。


まひろは静かに口を開いた。


「鈴本さん。」


律の父が顔を上げる。


「ひとつだけ、お願いがあります。」


「……なんでしょう?」


まひろは、律の父の目を真っ直ぐに見て言った。


「今夜、一度だけ、工房を見に行っていただけませんか。」


律の父は不思議そうな顔をした。


「工房を?」


「はい。」


「……何かありましたか?」


まひろは首を横に振る。


「何かがあったわけではありません。」


少し微笑む。


「でも、見ていただきたいんです。」


律の父は黙っている。


まひろのすぐ後ろで篠原が静かに続けた。


「見るだけで構いません。」


しばらく考えたあと、律の父は小さく頷いた。


「……分かりました。」


「ありがとうございます。」


二人は頭を下げた。



帰り道。


商店街を歩きながら、まひろがぽつりと言う。


「ちゃんと話せるといいね。」


篠原も静かに頷いた。


「きっと、大丈夫です。」


まひろが隣を見上げる。


「どうして?」


篠原は、ちらりとまひろを見ると、少しだけ微笑んだ。


「……そう思いませんか?」


まひろも、小さく笑った。


「……そうだね。」


二人はゆっくりと商店街を歩いていった。



お読みいただきありがとうございます。

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