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足音が止まった。
部屋の扉が、ゆっくりと開く。
懐中電灯の光が部屋を照らした。
その光をまともに顔に受けたまひろが
「ひゃっ!」
と小さく声を上げて両手で顔を覆う。
それとほぼ同時に、
「ぅわあっ!」
部屋に入ってきた人物も驚いた声を上げた。
その拍子に一歩後ろへ下がり、そのまま尻もちをつく。
何かがガチャンと音を立てて転がった。
篠原も一瞬だけ目を見開いたが、すぐに自分の懐中電灯を点けた。
「驚かせてしまって、すみません。」
ゆっくりと相手に近づくと、その一歩手前で膝をつき、一旦懐中電灯を床に置く。
そして胸ポケットから名刺入れを取り出し、一枚差し出した。
「小宮探偵事務所の篠原です。」
暗くて相手の顔はよく分からないが、どうやら若い男性のように見えた。まだ状況が飲み込めない様子だが、差し出された名刺をそっと手に取る。
「……探偵?」
その言葉で、まひろもようやく我に返る。
「ごめんなさい。私たち、この建物を調べに来たんです。」
まひろも駆け寄って名刺を差し出した。
「小宮探偵事務所の小宮まひろです。」
入ってきた人物は懐中電灯を置き、ゆっくり立ち上がって、まひろの名刺も受け取る。
彼からは警戒しているような空気が感じられる。
けれど、逃げる様子はなかった。
それを見て、篠原も立ち上がり、まひろの半歩ほど後ろに下がる。
「……鈴本律です。」
彼は短く名乗る。
「鈴本……。」
まひろと篠原は小さく顔を見合わせた。
「この時計屋さんの……。」
「孫です。」
律が答えた。
部屋に静けさが戻る。
少しだけ間が流れたあと、律が動いた。
「明かり、つけますね。」
懐中電灯を拾って、尻もちをついた時に放り出されていたランタンを探し、それも拾った。入り口近くにあった机に置いて灯りをともす。
部屋に暖かい光が広がった。
律は、高校生くらいの年齢に見えた。
グレーのスウェットの上下を着ている。
髪は短く、意志の強そうな太めの眉が印象的だ。
律は、ランタンの明かりで、先程受け取った名刺を見ていた。
「…………助手?……こっちが探偵……?」
と小さく呟いているのが聞こえる。
まひろが遠慮がちに口を開いた。
「ここ、お化けが出るって噂になっててね。」
律が顔をあげる。
「……。」
黙って聞いている。
まひろは続けた。
「昨日、私たちも外から窓に人影が映るのを見たの。」
律は少し困ったように目を伏せた。
「それ……多分、俺です。」
まひろはほっとしたように「そう」と微笑むと、少し首をかしげた。
「毎日来てるの?」
「……最近は。」
律は目を伏せたまま、それだけ答える。
まひろは、小さく頷いた。
「どうして?」
律はそこでまた顔を上げて、工房をぐるりと見回した。
作業机。
棚。
工具。
本棚。
その視線は、どこか懐かしいものを見るようだった。
「父さんが、この店を売るって言ったんです。」
静かな声だった。
「もう誰も使わないし、このまま置いておくだけじゃ維持費ばかりかかるからって。」
そこで小さくため息をつく。
「それで、久しぶりに工房へ入ったら……。」
律は少し苦笑した。
「埃だらけで。」
ちょっと困ったように笑って続ける。
「じいちゃん、掃除にはうるさかったから。……だから、掃除しようと思いました。掃除して、本を読んで……。それだけです。」
しばらく誰も口を開かない。
静かな工房に、三人の呼吸だけが聞こえる。
まひろは作業台の前に立ち、部屋をゆっくりと見回した。
引き出しがきちんと収められた棚。
背の高さの順に並べられた本。
磨かれた工具。
掃除された床。
新しい布。
そして律へ視線を戻す。
「律くん。」
律が顔を上げる。
「この工房。」
まひろは微笑んで続けた。
「ちゃんと守られてるね。」
律は一瞬、言葉の意味が分からないような表情をした。
「俺、掃除してるだけです。」
「ううん。」
まひろは首を横に振る。
「掃除も、本を読むことも。ここを大事に思ってるからできること。」
まひろは、きちんと綺麗に片付けられている作業台に優しく触れる。
「私は、そう思う。」
律は、作業台にそっと置かれたまひろの手を見つめた。
「……守ってた……俺が……?」
小さく呟く。
「そっか……。」
工房をぐるりと見回す。
「俺……守りたかったんだ……。」
そして、それきり、視線を落として何かを考え込むように黙りこくる。
そんな律の様子をじっと見ていた篠原が、ゆっくりと問いかけた。
「……ひとつ、お聞きしてもいいでしょうか。」
「あ、はい。」
律が篠原へ顔を向ける。
篠原は、先程布がかけられていたトレーを見て言った。
「このトレーだけは、机の上に出してありました。……何故ですか?」
律も、トレーに目を向ける。
「掃除してる時に、途中まで分解されてた時計を見つけて。」
そして、どこか痛いところでもあるかのように、少しだけ眉を寄せた。
「じいちゃん、ここで倒れたんです。この時計を直してるときに。」
そう話しながら、作業台へ近づく。
「じいちゃんが亡くなったあと、父さんに付いてここへ来たんです。その時、この時計はそのまま置いてあって。……でも、じいちゃんは時計の天敵は埃だって言ってたから……俺、そこら辺にあった布をかけといたんです。」
律は、先程、篠原が見ていた布を両手で広げた。
「ずっと忘れてたんですけど。最近、また来た時に、思い出して……掃除のついでに新しい布にしたんです。」
その布をトレーの上に、そっと掛ける。
「いつか、俺がこの続きを直したいんです。」
その声は小さい。
けれど、ランタンの揺れる灯りに照らされた工房に、不思議とよく響いた。
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