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小宮探偵事務所の日常  作者: 蒼 小夜
第3話 止まった時間
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2

翌日の午後。


商店街はいつも通りの賑わいを見せていた。


「こんにちは。」

「お、二人で買い物かい?」


商店街の人たちが、通りを歩くまひろと篠原に気さくに声をかける。

そのたびに二人も挨拶や会釈を返した。


やがて商店街の端のほうまで来ると、人通りは次第に少なくなっていく。


二人は、小さな喫茶店とシャッターが閉まって久しい靴屋の間の、広めの路地へ入った。


風が吹いた。


道端の伸びた草が、さらさらと葉を擦り合わせる。

どこからかコオロギの声が聞こえた。


「……秋だね。」


まひろがぽつりと言う。


「ええ。」


篠原も静かに頷いた。


路地に入ってから五軒目。一軒の古い建物が姿を現した。


建物の前には花壇。

しかしそこからは背の高い雑草が生え、蔦も伸びてそれが壁伝いに二階の窓辺まで這い上がっている。


その窓は白く曇り、中の古いカーテンにも阻まれて、部屋の中をうかがうことはできなさそうだ。


緑青色の柱に囲まれたショーウインドウの中には、何もない。しかし、その壁にはいくつも円く日焼けしていないところがあり、かつてそこには多くの時計がかけられていたことがわかる。


そして建物の中央。


真鍮のドアノブが付いた木製の扉の上には、銅板の看板が掛かっていた。


――鈴本時計店。


「……ここだよ。」


まひろが建物を見上げながら言う。


篠原は建物全体をゆっくり見渡す。


「思っていたより荒れていませんね。」

「うん。」


まひろも頷いた。


「誰か、手入れしてる……?」

「それは分かりませんが……。」


篠原はドアノブに手をかけた。

鍵が掛かっている。


「少なくとも、荒らされた様子はありませんね。」

「……うん。」


まひろは建物を見上げたまま、小さく息をついた。


「普通の建物だね。」


篠原は、先程ドアノブに触れた手を見つめながら軽く首をかしげた。


「噂になるような場所には見えませんが。」


篠原の言葉に、まひろは少し考えるように目を細める。


「でも、その噂は。」

「?」


篠原がまひろを振り返る。


「夜、なんだよね?」


篠原はその言葉に頷いた。


「では。」


時計屋へ目を向ける。


「今夜、もう一度来ましょうか。」

「……うん。」


二人は来た道をゆっくりと引き返し始めた。

その背中には、秋の風だけが静かについてきていた。


◇


その日の夜。


まひろと篠原は、並んで商店街の通りを歩いていた。


商店街は夜が更けるにつれてシャッターが閉められた店が多くなっていき、逆に、人の気配は少なくなっていく。


昼間は賑やかだった道も、今は二人の足音だけが静かに響いている。


街灯が青白く通りを照らしていた。



昼間と同じ路地。


けれど、通りから外れたその景色は、まるで別の場所のように見える。


進むにつれて、街灯の明かりが届かなくなる。


篠原が、懐中電灯のスイッチを入れた。


風が吹く。


伸びた草が、かさ、と擦れる。


少し遅れて、コオロギの声が静かな夜へ溶けていった。


「……。」


まひろは無意識に歩幅を少しだけ狭めた。


いつの間にか、篠原との距離が半歩ほど開いていた。


「…まひろさん?」


篠原は懐中電灯を足元へ向けたまま足を止めて、さっきまで隣にいたはずのまひろを振り返った。


「…なに?」


同じく足を止めたまひろが答える。


まひろは、自分を抱きしめるように腕を組んでいる。

表情はいつもと変わらない。

しかし、その両手は、自分のカーディガンをぎゅっと握りしめていた。


篠原は数度まばたきをして、

「……なんでもないです。」

と、また前を向いて歩き始めた。



少しカーブした路地の先に、あの時計屋が見えてきた。


昼間と変わらないはずの白い壁。

蔦の絡まる窓。

けれど夜の闇の中では、その輪郭だけがぼんやりと浮かび上がり、昼間とはまるで違う表情を見せていた。


二人は建物から少し離れた場所で足を止めた。

そのまま、しばらく二人で時計屋を見上げる。


風。

虫の声。

葉の擦れる音。

静かな夜だった。


「やっぱり、ただの噂……。」

まひろがそう言いかけた、その時だった。


二階の窓が、ぼんやりと明るくなった。


「!」


まひろが息をのむ。


カーテン越しに、小さな灯りが揺れる。


そして、その灯りに照らされて見えたのは……

人影。


ほんの数秒、窓に映った黒い影は、そのまま灯りとともに奥へ消えた。


「……まひろさん。」


篠原が静かに言う。


「……見ましたか?」

「うん……。」


まひろが小さく返事する。


その時。


風が一瞬強く吹いた。

蔦が壁を擦り、ざわっと葉が鳴る。


まひろの肩が小さく跳ねた。


篠原は、ジャケットの裾がわずかに引っ張られる感覚に気づき、ちらりと横を見た。


いつの間にか、まひろの指先が彼の裾をそっとつまんでいる。

篠原がそのまま視線を上げると、まひろはぎゅっと目をつぶっていた。


「……。」


篠原は、何も言わず、ただ視線を前へ戻した。

二階の灯りは、もう見えなかった。


◇


翌日の夕方。


昼間は別の依頼で外へ出ていた二人が事務所へ戻る頃には、西日が商店街を赤く染め始めていた。


簡単に片付けを済ませると、まひろは机の上に置かれたメモを手に取る。


「鈴本さん。行ってみよう。」


「はい。」


二人はまた事務所を出た。




商店街の裏の住宅地の一角。


表札に「鈴本」とある一軒家の呼び鈴を押すと、しばらくして四十代半ばほどの男性が玄関に現れた。


「はい。」


まひろは軽く頭を下げた。


「こんにちは。私、小宮探偵事務所のものです。」


そう言って名刺を差し出す。


「探偵?」


男性は、一瞬訝しむような表情を浮かべたが、すぐに何かを思い出したように顔を上げた。


「ああ、『コムギベーカリー』の奥さんが言ってた……。」


男性は、そう言って名刺を受け取る。


「それで、探偵さんが、なんの御用です?奥さんには『探偵さんが行くからよろしく』としか言われてなくて。」


まひろは、静かに頷くと話し始めた。


先日から時計屋が噂の的になっていること。

近隣住民も心配していること。

昨日まひろたちが見たもの。

そして、建物の中を一度見せてもらいたいということ。


男性は少し驚いたように目を丸くした。


「そんな噂になってるんですか。」


「ええ。」


篠原が静かに頷く。


男性は苦笑しながら頭を掻いた。


「私は何年も入ってないんですけどね。」


そう言うと、「ちょっと待ってください。」と家の奥へ入っていく。


ほどなくして、小さな真鍮の鍵を手に戻ってきた。


「これが入り口の鍵です。」


まひろは両手で鍵を受け取る。


「ありがとうございます。」


「何もないとは思いますけど。一応、あまりものは動かさないでいてもらえますか。」


男性は二人を順に見ながら言った。


「もちろんです。」


篠原が生真面目な顔で頷き、


「明日、お返しします。」


まひろもぺこりとお辞儀をしながら言った。


「じゃあ、お願いしますね。」


男性がそう言い残して玄関のドアを閉めると、二人は鈴本家を後にした。


西日に照らされた真鍮の鍵は、小さいのに不思議と重たく感じられた。



お読みいただきありがとうございます。

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