1.
九月も終わりに近づき、商店街を吹き抜ける風は、夏より少しだけやわらかくなっていた。
夕方。
子どもたちが賑やかに話す声が通り過ぎていく。
小宮探偵事務所には、午後の陽射しがレースのカーテン越しに差し込んでいる。
水槽の魚がゆっくりと泳ぎ、その隣では、休憩時間中のまひろがコーヒーカップを片手に窓の外を眺めていた。
「静かですね。」
「うん。」
「……最近、莉子さんたち来ませんね。」
まひろと同じように窓の外を見た篠原が、ふと思い出したように言う。
以前「そのうち遊びに行きます」と言った通り、莉子と結衣は8月が終わるまでは、時々この探偵事務所に遊びに来ては、おしゃべりしたり宿題をしたりしていた。
それが、新学期が始まると、パタリとなくなった。
賑やかだった分、いないと寂しくも感じる。
「中学生っていうのは、意外と忙しいのかもね。」
まひろが事務机に頬杖をついたとき。
階段を上る足音が近づいてきた。
続いて、呼び鈴が明るい音を立てる。
「はい。」
篠原が扉を開けると、そこには制服姿の莉子と結衣が立っていた。
「こんにちは!」
ぱっと弾けるような笑顔の莉子。
「こんにちは。」
柔らかくはにかんだような笑顔の結衣。
篠原は「どうぞ。」と二人にスリッパを出し、少し後ろに下がって道を開けた。
莉子と結衣がそれぞれ礼を言って応接スペースへ向かうと、事務机で作業をしていたまひろが二人の姿を見て小さく笑う。
「夏休みぶり。」
「あれ、もうそんなに経っちゃいましたっけ?」
莉子はきょとんとした顔で首をかしげる。
結衣がふふっと小さく笑う。
「夏休みは3日に1回くらいお邪魔してたもんね。莉子が行こう行こうって言うから。」
「ゆ、結衣だって、ここは静かで宿題が捗るって言ってたじゃない!」
結衣は慌てたように反論する莉子を「はいはい」と軽くいなして、まひろを見る。
「すみません、いつも突然来ちゃって。」
「大丈夫。」
まひろは柔らかい表情で頷いた。
そこへ、篠原がジュースとアイスコーヒーを2つずつ、トレーに乗せて現れる。
「ちょうど、おふたりがどうしてるか、って話していたんですよ。」
莉子はソファへ腰を下ろすと、嬉しそうに話し始めた。
「もうすぐ文化祭なんです!うちの学校って、結構本格的で。クラスごとに出し物があるんですよ。」
「そうなんだ。」
まひろはにこやかに相槌を打つ。
「私たちのクラスは、結構揉めたんですけど、お化け屋敷をやることになって。」
「……王道だね。それで?」
まひろは、自分の前に置かれたアイスコーヒーに手を伸ばしながら続きを促す。
すると、少しだけおかしそうに笑いながら、結衣が続けた。
「でも、莉子ってば、自分からお化け屋敷やりたいって言ったのに、お化け役はやらないって言うんですよ。」
「どうしてですか?」
ストローを咥えているまひろの代わりに、篠原が尋ねた。
莉子は、ちょっと口を尖らせて拗ねたように答える。
「だって、私、わぁって脅かすんじゃなくて、『お化け出そうだな〜』っていう雰囲気の方が怖いと思うんです。だから、そっちの方を作りたくて。」
「なるほど。では、莉子さんは大道具職人なんですね。」
篠原が微笑むと、莉子は苦笑して、
「そんなんじゃないですけど。でも、いくらお化けがショボくても、お客さんにちゃんと怖がって貰えるようにはしたいなって。」
そう言ってオレンジジュースに手を伸ばしかけて、「あ」と手を止めた。
「そうだ、お化け屋敷と言えば。ね、結衣。」
ふと呼びかけられて、結衣が「ああ」と頷いた。
「あの噂のことね。」
莉子もちょっと神妙な顔になる。
「……あの噂?」
まひろが怪訝そうな顔をすると、莉子は身を乗り出して、まるで誰かに聞かれてはいけないことのように声をひそめた。
「まひろさん、本物のお化け屋敷って、信じますか?」
少しの沈黙の後、まひろは少しだけ首をかしげた。
「……行ったことない。」
「信じるかどうかを聞かれてるんですよ?」
すかさず篠原が言うと、結衣がクスッと笑って言った。
「最近、商店街の外れの元時計屋さんが、お化け屋敷だって噂になってるんです。」
それを莉子が引き継ぐ。
「夜になると人影が見えるとか……ゆらゆら動いてたとか……灯りがついたり消えたりするとか。……『見た!』って子が何人もいて。」
指折り数えながら言って、顔をあげる。
「今度みんなで行こうって話になってるんです。」
「でも。」
結衣の表情が少し曇る。
「危ないから、私は行きたくなくて。」
篠原が静かに頷いた。
「廃屋に入るのは危険ですね。」
「ですよね!」
結衣はほっとしたように笑って、すぐに眉を寄せた。
「でも、みんな全然聞いてくれないんです。」
まひろは静かにコーヒーを飲む。
「……時計屋さん。」
ぽつりとつぶやく。
「昔、あったね。」
「知ってるんですか?」
莉子が身を乗り出す。
「子どもの頃、前を通ったことある。」
「どんなところでしたか?」
結衣も興味津々という様子だ。
「うん……時計がいっぱいあった、かな。」
それだけ言うと、まひろは窓の外へ視線を移した。
話題はそのまま文化祭の話へ戻り、しばらく四人で穏やかな時間を過ごす。
やがて莉子と結衣は「また来ます」と笑って帰っていった。
◇
翌日。
篠原は買い物帰りに、商店街のパン屋『コムギベーカリー』へ立ち寄っていた。
会計を済ませると、店のおばさんが思い出したように言う。
「そうそう、篠原さん。時計屋の噂、聞きました?」
「ええ、昨日、少し聞きました。」
篠原は頷いた。
「困っちゃってねぇ。」
おばさんは店先から商店街の外れを見やる。
「なんだか、お化けだなんだって、子どもが騒いでるみたいで。」
「そのようですね。」
相槌を打つ篠原。
「この前、小学生が塀を乗り越えようとして、近所の人にこっぴどく叱られたんですって。」
おばさんは、まるで自分が叱ったかのように腰に手を当てて眉間に皺を寄せた。
「昨日は高校生が夜に騒いでたって話も聞いたし。」
そこまで言って、ふうっと息をつく。
「……ただの噂なんだけどね。誰か怪我でもしたら嫌でしょう?」
「そうですね。」
頷く篠原。おばさんは、「そうだ」と手を合わせてカウンター越しに身を乗り出してきた。
「探偵さんって、そういうのを調べたりもするのかしら?」
ほんの少しだけ身体を後ろに反らした篠原は、少し考えて答えた。
「……所長次第、ですね。」
おばさんが「ふうん」と分かったような分からないような声を出して乗り出した身体を戻す。
篠原もまた真っ直ぐに立つ。
「……噂が本当かどうかじゃなくてね。」
おばさんが、心配そうにため息をつく。そして、
「どうにかならないかしらねえ。」
いいながら、ちらりと篠原を見る。
篠原は小さく頭を下げた。
「分かりました。所長に伝えます。」
篠原が事務所へ戻ると、まひろは水槽へ餌を入れているところだった。
「まひろさん。」
「ああ、おかえり。」
声をかけた篠原に答えるが、目はまだ水槽を見ている。
「昨日の時計屋の件ですが。」
篠原がそう切り出すと、まひろはようやく篠原に目を向けた。
「何か、あった?」
篠原はパン屋で聞いた話を伝える。
まひろは餌の缶を閉じると、小さく息をついた。
「……そう。」
少し考える。
それから、水槽の中を泳ぐ魚を見つめたまま言った。
「行ってみようか。」
お読みいただきありがとうございます。
お化け屋敷は好きですか?
私は苦手です。




