↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『図書館で出会った御曹司が、私のことになるとちょっとおかしい』   作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
184/185

第184話 星の見えない昼間に、君の隣を選ぶ


 金曜日の夜、水瀬彩花は机の上に置いた短編の完成稿を一度だけ開き、最後のページを確かめてから表紙を閉じた。昼休みに行った小さな読書会には八人が参加し、主人公が鍵を渡すことをためらう場面について、彩花が思いもしなかった意見がいくつも出た。夕方には中央図書館で九条悠真へその話を伝え、帰り際、二人きりのときには名前を呼び捨てにしてもいいかと尋ねられている。


 彼が「彩花」と呼んだときの声を思い出すと、今でも頬が熱くなった。けれど、それは読書会で聞いた感想の嬉しさと競うものではなく、今日という一日の違う場所に、どちらも大切な出来事として残っている。彩花は完成稿を本棚の一段へ戻し、読書会の記録が書かれた手帳を開いた。


(次に誰かの文章を読むときは、私も一人の読者として、ちゃんと考えてみたい)


 司書と図書委員は、今回の試みをすぐに大きな企画へ広げるのではなく、参加者の反応を整理してから次を考えようと話していた。彩花も進行役を引き受けたからといって、毎回中心に立つつもりはない。むしろ次は誰かに導いてもらい、自分が読者として知らない文章へ出会う時間を持ってみたかった。


 そこへ悠真からメッセージが届いた。『今日、図書館で名前のことを聞けてよかった。帰ってから、もう一度呼んでみたくなった』という文を見て、彩花は手帳の上に置いた指を止めた。二人きりなら構わないと自分で答えたはずなのに、画面越しでもその変化を意識してしまう。


『私も、少しずつ慣れたいです。でも学校では、今までどおり彩花さんでお願いしますね』

『もちろん。彩花がいいと思う場所でだけ、そう呼ぶよ』


 返信を読んで、彩花は机に額をつけそうになった。普段なら簡単に返せる一行なのに、今日の自分は何度も文章を読み直してしまう。思い切って『私からも、そのうち呼び方を考えてみます』と送ると、悠真から『楽しみにしてる。でも無理はしないで』と返ってきた。


 彩花は小さく笑い、スマートフォンを伏せた。恋人になってから、必ず何かを変えなくてはいけないわけではない。けれど、自分が変えてみたいことを見つけるのは、思ったより楽しかった。


     ◇


 土曜日の午前、彩花は文芸部の友人から預かった短い詩を読んでいた。読書会の準備で一緒になった部員が、次に詩を書き直すときの参考にしたいので、普段は小説を読む彩花の感想も聞きたいと言って渡してくれたものだ。部活動の資料として預かった原稿なので、勝手に複写したり悠真へ見せたりはせず、自分が感じたことだけをメモに残すことにした。


 詩には、冬の朝に窓へ映る景色が描かれていた。光の強さや色よりも、教室に誰もいない時間の足音が印象に残り、彩花は最初に読んだとき、寂しいというより落ち着いた気持ちになった。しかし二度目に読むと、最後の行にある「まだ来ない声」が急に気になった。


(待っているのが誰なのか書かれていないから、読む人によって違うんだ。私が落ち着くと思ったのも、誰かが来ると信じて読んだからかもしれない)


 彩花は感想の横に、そのように感じた根拠となる行を書き留めた。詩の作者が何を意図していたのかを言い当てるのではなく、自分が何を受け取ったかを伝えたい。金曜日の読書会で、八人の読み手が少しずつ違うものを見つけてくれたことを思い出し、感想をまとめる手が自然と動いた。


 昼前には凛花が部屋へ顔を出し、植物を育てるための日当たりについて話しかけてきた。自室の窓辺へ鉢を置こうと考えていたが、冬は午後に日が陰ることが分かったため、最初に育てる植物をもう一度選び直すつもりらしい。彩花は以前なら、姉を喜ばせたくてすぐ鉢を買ってきたかもしれないと思いながら、その判断に頷いた。


「急がず決めてよかったね。手作り市で見た鉢も、底に穴がなかったから、すぐ土を入れるには向いてなかったし」

「そうなの。彩花が店の人に聞いてくれて助かったよ。まず置く場所を決めて、それから植物を選ぼうと思う」


 凛花は窓の外へ目を向け、来週は園芸店で育て方を聞いてみたいと話した。彩花が一緒に行こうかと尋ねると、姉は嬉しそうに頷いたが、悠真との約束があるなら無理をしなくていいと付け加えた。彩花は来週の予定はまだ決まっていないことと、姉と出かけたい気持ちもあることを伝え、都合のよい日をあとで相談することにした。


 その話のあと、彩花は机へ戻り、悠真へ何かを提案する前に自分の予定を確かめた。恋人と会う時間も、姉と出かける時間も、どちらかを我慢してから作るものではない。そう思えるようになったことが、少し嬉しかった。


     ◇


 日曜日の夕方、悠真から次の外出先について連絡が届いた。先日『候補は三つまで』と冗談を交わしたことを覚えていたらしく、今回は本当に三つに絞ったという。彩花は少し身構えながら画面を開いたが、そこに並んでいたのは場所の名前だけではなく、それぞれに三行ずつ説明がついた、妙にきちんとした提案だった。


『一つ目は青凪市民科学館のプラネタリウム。二つ目は駅から少し歩く川沿いの遊歩道。三つ目は目的を決めず、行きたい店をその場で選ぶ散歩。全部を回るつもりじゃなくて、どれか一つを一緒に選びたい』


 彩花は笑みを浮かべた。以前なら一度に二十七冊の本を紹介しそうだった悠真が、今回は本当に三つまでに絞っている。ただし一つ目には上映時間の候補、二つ目には歩く距離、三つ目には雨天時の変更案まで書かれていて、説明を丁寧にしようとする彼らしさが隠しきれていない。


『三つに絞ってくれたんですね。でも、それぞれの説明がずいぶん詳しいです』

『……そこは自分でも気づいてた。三つなら大丈夫かと思って』


 彩花は声を出して笑ったあと、最初の候補に目を戻した。プラネタリウムには小さいころ家族と行ったことがあるが、最近は訪れていない。冬の星空を昼間に見られるのも面白そうだし、いつも本の中で読んでいる星座がどんな位置にあるのか、実際の空へ結びつけてみたいと思った。


『私はプラネタリウムに行ってみたいです。悠真君も、そこが気になってたんですか?』

『うん。彩花と同じものを見ても、僕は違うことを考えるかもしれないでしょう。それを終わってから話してみたいと思ったんだ』


 名前を呼び捨てにされるだけでなく、自分が以前話したことを覚えてくれているのだと分かり、彩花は頬を熱くした。読書会で異なる意見を聞く面白さを伝えたばかりなのに、彼はそれを自分たちの次の外出へつなげて考えていたらしい。


 彩花は市民科学館の案内を調べ、来週土曜日の午後に一般向けの星空解説があることを確かめた。参加には当日の入場券が必要で、席数には限りがあると分かっているため、出かける前に開催状況を再確認し、満席なら展示室を見るだけにすることにした。二人は土曜日の午後一時に科学館の正面入口で会う約束をし、帰宅の目安も話し合った。


     ◇


 月曜日、彩花は青葉高校の文芸部で、預かっていた詩の感想を作者へ返した。部室の隅の机で、最初は温かな静けさを感じたことと、二度目には誰かを待つ寂しさも見えたことを話すと、相手は少し驚いたように原稿を見下ろした。彩花は、どちらが作者の意図に近いかを知りたかったわけではないので、最後に自分が気になった行を示した。


「ここにある『まだ来ない声』っていう言葉で、私の感じ方が変わったの。誰が来るのか分からないから、読む人が自分の経験を思い出せる気がして」

「……そう読めるんだ。僕は、まだ誰も来ていない教室が好きで書き始めたんだけど、最後は誰かが来てほしいとも思ってたのかもしれない」


 作者はそう言い、少し考えてから詩を折らずに机へ戻した。彩花は自分の感想が作者を困らせていないか気になったが、相手はむしろ嬉しそうに笑い、今度は最後の一行だけ書き直してみたいと話した。どの言葉へ変えるかは自分で決めると言ったので、彩花はその考えを尊重した。


「完成したら、また聞かせてくれる? 今度は読み直したあと、何が変わったか考えてみたい」

「うん。彩花さんが読者としてどう感じるか聞けて、参考になったよ」


 彩花は礼を言い、自分の席へ戻った。金曜日の読書会では作者として人の感想を聞いたが、今日は読者として別の人が書いた言葉へ向き合った。どちらの立場でも、相手が自分とは違うものを見つけることを面白いと思えるのが嬉しかった。


 部室を片づけるころ、顧問から冬の部誌について追加の連絡があった。学校の図書室での貸出が続いているため、傷み始めた一冊を補修し、今後も使えるようにする予定だという。部員の作品を増やすのではなく、完成した冊子をきちんと読んでもらえる状態に保つための作業で、学校司書が担当することになっていた。


 彩花は冊子の角が少し曲がっていたことを思い出し、補修が終わったらまた貸し出せると聞いて安心した。作品が手元を離れ、誰かに読まれ、次の人へ渡っていくのは、書き終えたあとも続く大切な時間だった。


     ◇


 火曜日の昼休み、桜華学園で悠真は生徒会の補助担当と今週の引き継ぎ予定を確認していた。土曜日には彩花と科学館へ行く約束があるが、引き継ぎ資料の確認は平日の放課後で終わる予定になっている。悠真は予定表を開き、担当教員と約束した期限までに必要な確認を済ませるよう、作業を二人で分けた。


 ところが、補助担当の生徒が一つ困ったような表情を見せた。金曜日に配布する行事案内の確認者が急に欠席となり、予定していた時間までに最終確認できないかもしれないという。悠真が確認すると、資料の本文は完成しているが、配布する教室一覧だけが教員の承認待ちになっていた。


「僕が土曜日に来れば、確認はできると思うんだけど……」


 補助担当がそう言いかけたところで、悠真は一度資料を机へ置いた。土曜日に学校へ来ることだけが解決方法ではなく、必要なのはいつ誰が承認できるかの確認だ。担当教員へ相談すると、木曜日の放課後に別の教員が教室一覧を照合できることが分かり、金曜日の配布には間に合う見込みが立った。


「じゃあ、木曜日に確認した結果を共有表へ残そう。もし訂正が必要なら、金曜日の朝に印刷する前に直せるね」

「うん。僕も土曜日へ持ち越さなくて済むなら、その方が助かる」


 悠真は頷き、決まった手順を連絡表へ記した。彩花と会うためだけにほかの人へ仕事を押しつけたわけではなく、当初の期限に間に合わせる方法を探した結果、週末の予定も守れた。自分の仕事と私的な約束の両方を大切にしたいからこそ、必要なことを誰がいつ行うか具体的に決められてよかったと思った。


 その日の帰り、琴葉が廊下で悠真へ声をかけた。彼女は先週、彩花と付き合い始めたと本人から聞いているが、校内で広めないと約束してくれている。今日は悠真が手帳へ土曜日の予定を書き込んでいるのを見て、少しだけからかうように笑った。


「九条君、今度は候補を三つまでにしたの?」

「……どうして分かったの?」

「前に本の候補をたくさん用意してたって、彩花さんから聞いたことがあるから。君ならデートの行き先まで何十個も調べそうだなって」


 悠真は苦笑し、今回は本当に三つに絞ったと答えた。琴葉は感心したように頷いたあと、三つとも同じくらい詳しい説明を付けたんでしょう、と言い当てた。悠真が言葉に詰まると、彼女は声を立てずに笑った。


「でも、彩花さんはきっと、君が何を選んだかより、何で行きたいと思ったかを聞きたいんじゃない?」

「……そうだね。今回は、そのつもりで選んだんだ」


 悠真は短く答え、彩花へ星空を一緒に見たいと伝えたことを思い出した。たくさん調べること自体が悪いわけではないが、何を楽しみにしているのかは一覧表より本人の言葉で伝えたい。琴葉は予定を楽しんでねとだけ言い、それ以上二人の約束について尋ねなかった。


     ◇


 水曜日の午後、彩花は担任から写真の件について新しい説明があると伝えられ、放課後に相談スペースへ向かった。顧問も同席しており、最初に撮影した人物の特定ではなく、これまで確認できた画像の転送経路についての報告だと説明された。学校側が任意で示された記録を照合したところ、日曜夕方に画像を受け取った生徒より早く、同じ日の日中に別の生徒が文章のない画像を受け取っていたことが分かったという。


 その生徒は、すでに画像を削除していたが、受信時刻と送り主が表示された会話の記録を残していた。送り主は別の知人から画像を受け取ったと説明しており、学校側はその先についてまだ確認を終えていない。どちらも写真を撮った本人とは認めておらず、最初に撮影した人や公開された最初の場所は、今のところ不明のままだった。


「これで、最初に誰が撮ったのかまで分かったわけではないんですね」

「そのとおりです。ただ、これまで一番早く確認できていた日曜日の夕方より前に画像が動いていたことは、記録から確かめられました。撮影から最初の転送までの時間を考えるための材料にはなります」


 彩花は頷き、受信時刻が新しく確認されたという事実を手帳へ書き留めた。これまで日曜日の夕方に受け取った人が最初だと思い込みかけていたが、確かめられていたのがその人の記録だけだったということなのだ。調べる人が増えるにつれて、最初だと思っていたものが変わることはあるが、確認できていない部分を無理につなげてはいけない。


 顧問は、学校側が当該記録を適切に保存し、知人同士の私的なやり取りをむやみに広げない形で確認を続けると話した。彩花には新しい画像や投稿を見つけた場合の相談先をもう一度示し、自分で転送元を探して連絡する必要はないと伝えてくれた。


「……ありがとうございます。これまでに分かった人の名前より、まだ確認できていないことが何なのかを、私も知っておきたいです」

「分かりました。次も、確定した事実と本人の説明だけの部分を分けてお伝えします」


 彩花は礼を言い、相談スペースを出た。嫌な写真の問題はまだ残っているが、文芸部への資金援助をでっち上げた人物と、桜華学園の掲示板へ侮辱的な文を書いた人物には、それぞれ訂正と指導が進んでいる。今回は写真そのものがどのように動いたかについて、確かめられる時刻が少し早まったという進展だった。


(全部が一度に終わらなくても、今分かっていることを間違えずに持っていればいい。私は、今夜も自分の時間を過ごしていいんだ)


 彩花は校舎を出る前にスマートフォンをしまい、文芸部の友人へ渡す読書メモを鞄へ入れ直した。今日の部活動では、ほかの人の詩を読み直す時間を取る予定だった。写真についての報告を聞いたことと、自分がやりたいことを続けることを、無理にどちらか一つへまとめたくなかった。


     ◇


 木曜日の夜、彩花と悠真は土曜日の予定について短い通話をした。科学館の一般向けプラネタリウムは午後二時からで、午後一時に入口で会えば、入場券を購入する時間を取れるという。万一満席なら展示室を見て帰ること、長く並んで体を冷やす必要はないことも確認した。


 彩花が学校から聞いた転送記録の進展を説明すると、悠真は桜華学園側でも必要な情報が共有されたと答えた。ただし、転送された画像の作成者について新たな確定情報があるわけではないため、二人は確認できた時刻だけを区別して受け止めた。悠真は自分の学校で処理すべきことがあれば教員へ任せると話し、彩花も同意した。


 それから、悠真が少し言いにくそうに話題を変えた。土曜日はプラネタリウムで、もし暗くて周囲が見えにくくても、彩花が不安にならないよう近くにいたいと思っているという。彩花は一瞬だけ驚いたが、彼が心配しすぎるのを責める代わりに、自分は暗い場所が特別苦手なわけではないと伝えた。


「……悠真君、私のことになると、先に心配を十個くらい考えてませんか?」

「十個は……いや、数えてないから分からないな」


 彼の返事があまりに真面目だったので、彩花は笑ってしまった。悠真も少し遅れて笑い、そういえば必要な心配と自分が勝手に想像した心配を分けるつもりだったと話した。


「星を見るところですし、暗くなるのは分かっています。私は楽しみにしてますよ。何か困ったら、そのときは自分から言います」

「うん。そうだね。……僕は、彩花が隣で楽しんでくれたら嬉しい」


 彩花はその言葉に少し照れた。彼が過剰に心配しようとするとき、今はただ大丈夫だと言うだけでなく、何を楽しみにしているかも伝えられる。こうして話しておけば、当日は星を見上げる時間を二人とも楽しめそうだった。


     ◇


 金曜日の放課後、彩花は文芸部の部室で、預かっていた詩の作者から新しい一枚を受け取った。最初の原稿では、誰もいない教室の静けさが最後まで続いていたが、書き直したものでは、廊下から足音が近づき、扉が開く寸前で文章が終わっている。彩花は二つを並べずに新しい方を最後まで読み、最初の印象よりも少しだけ期待が残る結末になったと感じた。


「……どうかな。彩花さんが言ってくれた『待っているみたい』って感想を聞いて、自分でもそこを考えてみたんだ」

「私はこっちも好き。でも、最初の方が悪かったとは思わないよ。最後に足音が聞こえるから、読み終わったあとも続きがあるように感じた」


 作者は嬉しそうに笑ったが、どちらを完成稿にするかはまだ少し迷っていると話した。彩花は自分が結論を決める必要はないと思い、どちらの景色を残したいかを本人に聞いた。相手は詩を見つめ、今は新しい方を読んでほしい気持ちが強いと答えたので、彩花はそれならその気持ちを大切にしていいと思うと伝えた。


 部室の片づけを終えると、顧問が彩花へ、金曜日の読書会について学校司書から感謝の連絡があったと話した。図書委員会では次に行う場合の案を考え始めているものの、今の時点で次回の開催は決まっていない。彩花は今回の参加記録と感想の概要を提出し、次は参加者側にもなってみたいという希望を顧問へ伝えた。


「進行をしたからといって、次も同じ役割でなければならないわけではありません。図書委員会が新しい形を考えるときに、そういう希望があると伝えておきますね」

「ありがとうございます。別の人が選んだ文章を、自分で読んでみたいです」


 彩花は礼を言い、部室を出た。誰かに見せるための原稿を作り、感想をもらい、そのあと自分も一人の読み手として別の作品へ向き合う。どちらの立場も大切にしたいと感じられたことで、冬の部誌を完成させたあとの自分の活動に、また一つ新しい道ができたように思えた。


     ◇


 土曜日の午前、悠真は九条家の自室で手帳を確認し、科学館へ向かうための持ち物を整えていた。普段の外出なら小さな本を一冊入れるところだが、今日は施設の案内だけあれば十分だと思い、読みかけの本は机へ戻した。木の浅い皿には仕事のメモがまとまっており、彩花から受け取った青緑の葉のカードも、いつもの場所にある。


 出かける前、父から午後の予定について尋ねられた。悠真は彩花と市民科学館へ行き、プラネタリウムを見たいと思っていると答えた。父は少し意外そうな顔をしたが、息子が自分から行きたい場所を選んだことを聞くと、穏やかに頷いた。


「天文の勉強でも始めたのか」

「いえ。星に詳しくなりたいというより、彩花さんと同じ景色を見たあと、何を感じたのか話してみたいんです」


 言ってから、悠真は少し照れた。いつもなら施設の特徴や上映内容から先に説明していたはずなのに、今は目的の中心に彩花と過ごす時間がある。父はその答えを聞いて軽く笑い、なら楽しんできなさいと言った。家の者が同行したり特別に席を手配したりする話にはならず、悠真は予定どおり自分で向かうことにした。


 家を出る直前、悠真はスマートフォンの画面を見た。彩花から『今日は駅前を通らずに、科学館へ直接向かいます。午後一時に入口でお願いします』という連絡が届いていた。彼女は自分の予定と移動方法を確かめて知らせてくれている。悠真は了承を返し、外出先の情報をもう一度調べる代わりに、約束の時刻へ間に合うよう玄関へ向かった。


     ◇


 青凪市民科学館の正面には、丸い屋根を持つ建物が併設されていた。彩花はその形がプラネタリウムのドームなのだろうと思いながら入口へ向かい、案内板に書かれた上映時刻を確認した。休日のため親子連れが多く、展示室へ入る子どもたちは、壁に描かれた大きな惑星の絵を見上げて歓声を上げている。


 午後一時まで少し時間があったので、彩花は受付の近くで待った。やがて悠真が歩いてきて、彩花を見つけると笑顔で手を振った。彼は待ち合わせの前から施設の案内を確かめていたらしく、今のところ午後二時の回は入場できそうだと話してくれた。


「こんにちは、悠真君。今日は誘ってくれてありがとうございます」

「こんにちは、彩花さん。来てくれて嬉しい。……実は昨日、星座の名前を少し調べようと思ったんだけど、今日は先に解説を聞きたいと思ってやめたんだ」


 彩花は意外に思い、どうしてなのか尋ねた。悠真は、あらかじめ全部の答えを覚えてしまうと、知らないものを一緒に見つける面白さを逃しそうだったからだと答えた。彩花はその考えに頷き、自分もどんな星が出てくるのか楽しみだと伝えた。


 二人は受付で午後二時の上映券を一人一枚ずつ購入した。座席は入場後に空いている場所から選ぶ形式で、上映前には少し時間があるため、同じ建物の展示室を見られるという。彩花は残り時間を確かめ、まずは入口に近い常設展示を見てから、開場の案内が出たらドームへ向かおうと提案した。


 展示室には、月の満ち欠けを示す模型や、昼と夜ができる仕組みを確かめられる回転式の道具が置かれていた。彩花は学校の授業で習ったことを思い出しながら、手元の説明を読み、操作してよいと書かれた模型をゆっくり動かした。光を当てる方向によって月の見え方が変わる仕組みが目の前で分かると、教科書の図が少し身近になった。


「これ、何度も見た図なのに、動かすと分かりやすいですね。私、月そのものが細くなったり丸くなったりしてるように、子どものころは思ってました」

「僕も小さいころは、どうして毎晩形が違うのか不思議だったよ。今は仕組みを知ってても、実際に空で見つけると少し嬉しい」


 悠真が模型の横に立ち、彩花の操作した位置を確かめる。二人は同じ説明を読みながら、どこに光が当たるか一緒に考えた。隣に立っているだけなのに、同じものを見てそれぞれの疑問を口にできることが嬉しかった。


 次の展示には、街の明かりが増えると夜空の星が見えにくくなる様子が、小さな街の模型で示されていた。係の人が操作の順番を説明し、ボタンを押すと模型の中の照明が少しずつ強くなり、上部に映る星の点が見えにくくなる。彩花は明るくなった街を見て、夜道を歩くには安心できそうなのに、空の景色は変わってしまうのだと気づいた。


「便利になることと、前と同じように見えることは、別なんですね」

「うん。どちらかが全部正しいって話じゃなくて、何が変わるか知っておくのが大事なんだと思う」


 悠真はそう答え、操作を終えた模型を次の人へ譲った。彩花は以前調べた古い駅前写真を思い出したが、ここでまた資料の話へ戻るのではなく、今目の前にある展示そのものを楽しみたいと思った。二人は壁に並ぶ星空の写真を眺め、街によって見える星の数が違うことを確かめた。


     ◇


 午後一時四十分を過ぎたころ、プラネタリウムの開場を知らせる案内が出た。彩花と悠真は展示室を出て、ほかの来館者と一緒にドームの入口へ向かった。係員が上映中の携帯電話の使用や撮影を控えるよう説明していたため、彩花は入場前にスマートフォンの音を切り、鞄の内側へしまった。


 座席へ進むと、ドームの中央へ向いた椅子がゆるやかに並び、背もたれを倒して天井を見上げられるようになっていた。二人は隣同士の空席へ座り、荷物が通路へ出ないよう足元を確かめた。最初は室内が明るく、周囲の人の声も聞こえていたが、上映時刻が近づくと係員が静かな声で注意を伝え、照明が少しずつ落ちていった。


 彩花は背もたれへ体を預け、天井を見上げた。明るいままだったドームの内側に、最初は小さな光が一つ、次にいくつもの光が現れ、やがて見上げる場所すべてが夜空へ変わっていく。実際には建物の中にいると分かっているのに、視界の端まで星が広がると、自分たちが外に出てしまったような不思議な感覚があった。


(……すごい。夜じゃないのに、こんなに空が見えるんだ)


 解説は、この季節に青凪市から見える星空の話から始まった。南の空に見つかる明るい星、冬に目立つ星の並び、街の明かりが少ない場所なら見つけやすい小さな星々が、ゆっくり示されていく。彩花は名前を全部覚えようとせず、光の並びがどんな形に見えるのか、今の自分の目で確かめた。


 解説者は、昔の人々が星の並びに物語を重ねてきたことにも触れた。ある星をどのような形として見るかは、地域や時代によって異なる場合があるという説明を聞き、彩花は読書会で同じ文章から違う感想が生まれたことを思い出した。しかし、星の位置そのものは勝手に変えられず、物語を考えるときにも、目の前にある光を確かめることから始まるのだと思った。


 隣に座る悠真は静かに天井を見ていた。上映中なので声をかけることはしなかったが、彼がどの星を見つけたのか、あとで聞いてみたくなった。言葉を交わさない時間でも、同じ場所にいることを楽しめるのが、彩花には少し新鮮だった。


 途中、ドームには街の夜景が映し出された。明るい建物の輪郭と道路の光が現れ、先ほどまで見えていた細かな星が目立たなくなる。解説者は、星が消えたのではなく、人の目に届きにくくなっているのだと話した。彩花は展示室で見た模型を思い出し、同じ説明でも、視界いっぱいに広がると感じ方が違うことに驚いた。


 最後に、街の明かりが少しずつ消えた状態の空が再び映った。大きな星ばかりを見ていた彩花は、その間に小さな光が増えていたことに気づき、思わず目を細めた。どれも一度に見ようとすると分からないが、ある場所へ目を向けていると、次の点が少しずつ見えてくる。


 解説が終わり、ドームの明かりが戻ると、周囲の人がゆっくりと体を起こした。彩花は席を立つ前に悠真の方を向いた。彼も目が合うと微笑み、声を出さずに小さく頷いた。二人は案内に従って出口へ向かい、ほかの来館者が通れるよう通路を空けた。


     ◇


 ドームを出た先には、窓際に腰掛けられる休憩スペースがあった。午後の明るい街並みが見える場所で、彩花は少しだけ笑いそうになった。つい数分前まで夜空を見上げていたのに、今は窓の向こうを歩く人の影までくっきり見えている。


「……不思議ですね。昼間なのに夜空を見て、外に出たらまた昼間なんて」

「うん。僕は途中で、本当に外で星を探したくなったよ。でも、今はまだ明るいから、今日見たものをすぐ確かめられないね」


 悠真の言葉に、彩花は頷いた。彼が最初に見つけたいと思ったのは、解説で示された明るい星の並びらしい。自分は逆に、最後に細かい光が増えていった場面がいちばん印象に残ったと伝えた。


「最初は大きな星ばかり見てたんです。でも、暗くなると小さい星が見えてきて、まだ見えてないものがこんなにあったんだって思って」

「僕は星を見つける目印が分かって、少し嬉しかった。同じところを見てたのに、覚えてることが違うんだね」


 二人はそれぞれ印象に残った部分を話し、どちらの感想も否定しなかった。彩花は読書会で自分が進行役をしたとき、参加者の意見を比べていたことを思い出した。あのときは人の意見を聞く側だったが、今日は自分も一人の読み手のように、悠真と違うものを見つけられた。


「悠真君、今日ここを選んでくれてありがとうございます。知らないことを聞くのも面白かったですけど、終わったあとに悠真君が何を見てたか聞けるの、楽しみにしてたんです」

「……僕もだよ。彩花と同じものを見たあと、どこが好きだったか聞いてみたかった」


 悠真はそこで一度言葉を切り、少し照れくさそうに笑った。彩花は、彼が自分を呼び捨てにしてくれたことに気づいたが、ここはほかの来館者が行き交う場所なので、すぐに指摘することはしなかった。彼の声が近くにいる人へ聞こえるほど大きくなかったこともあり、今はそのまま受け取れた。


 彩花は少し迷ってから、小さな声で名前を呼んだ。


「……悠真」


 声にした途端、自分の頬が熱くなるのが分かった。悠真は目を見開き、それから驚いたように笑った。彩花は言い直したくなったが、自分で変えてみたいと思った呼び方だからこそ、そのまま彼の顔を見ていた。


「……今、呼んでくれた?」

「はい。二人で話してるときなら、私も呼んでみたいと思って。……嫌でしたか?」

「嫌なわけないよ。すごく嬉しい。……ありがとう、彩花」


 その返事に、彩花は思わず口元を押さえた。まだ何度も自然に呼べる気はしないが、自分から一度言えただけで、胸に残るものがある。二人はしばらく照れながら笑い、周囲の人の邪魔にならないよう席を立った。


     ◇


 展示室へ戻ると、入口近くで小さな子どもが星座の案内を指しながら家族へ質問していた。子どもはドームで見た星の名前を覚えたらしく、案内板の中から同じ形を探しているようだったが、星の位置が分からず、何度も指を動かしている。彩花はその様子を見て、先ほど自分も同じように探していたことを思い出し、思わず微笑んだ。


 悠真は子どもの邪魔をしないよう通路の反対側へ寄り、別の展示を見ようと提案した。彩花は頷き、二人で天文観測の道具を紹介する場所へ向かった。そこには望遠鏡の模型や、遠くの光を集める仕組みを説明した図があり、彩花はレンズの大きさによって見えるものが違うことを初めて実感した。


「星って、見えないからないわけじゃないんですね。見つける方法を知らなかったり、見える条件がそろってなかったりするだけのこともあるんだ」

「そうだね。でも、見えてないものを勝手に決めつけないようにしたいな。見つけたと思ったら、確かめることも必要だし」


 悠真がそう答え、彩花は頷いた。彼の言葉を聞いて以前の写真事件が頭をよぎったが、今日はそこへ戻って話を広げるつもりはなかった。学校側で確認できる部分は進めてもらっていて、二人が今すぐ自分たちで何かを調べる必要はない。彩花は説明板の図へ視線を戻し、光を集める道具の仕組みについてもう一度読んだ。


 展示の出口には、来館者が感想を書ける小さな用紙が用意されていた。彩花は一枚を取り、今日見たものの中で印象に残ったことを書いた。『星の名前を全部覚えられなくても、見えなかった小さな光が少しずつ現れるところが好きでした』という短い文章で、名前は書かず、設置された箱へ入れた。


 悠真も別の用紙へ感想を書き、彩花とは違うことを記したらしい。何を書いたのか尋ねると、彼は少し考えてから、最後に星の並びを自分でも探してみたくなったと伝えたと話した。彩花は同じ解説を聞いた二人が別々の言葉を残したことを面白く感じ、展示室を出た。


     ◇


 午後四時前、二人は科学館の外へ出た。日差しは少し傾いていたが、まだ周囲は明るく、丸いドームの屋根には空の色が映っている。彩花は入口の横へ移動し、帰宅の連絡を凛花へ送った。悠真も家へ戻ることを知らせ、二人はこのあとの移動方法を確認した。


「今日は本当に楽しかったです。星の名前を覚えるのは得意じゃないけど、また空を見上げてみたくなりました」

「僕も。今度、実際に星が見える夜があったら、今日のことを思い出しそうだね」


 悠真はそう言ったが、夜に二人で外へ出かける約束をすぐに作るつもりではなかった。彩花も今は家族へ伝えた帰宅時刻を守りたいし、星を見るためだけに予定を無理に変える必要はない。今日は昼間に見た夜空を、それぞれの家で思い返すだけでも十分だと思った。


 歩道の端で、悠真が少し迷ったように右手を出した。彩花はその手を見て、先日の菓子店から駅へ戻ったとき、初めて自分から手をつなぎたいと伝えたことを思い出した。今回は尋ねられる前に、彼の表情を確かめ、自分から手を重ねた。


「……少しだけ、こうして歩いてもいいですか」

「もちろん。僕も、そうしたかった」


 二人は手をつないで、科学館の前の歩道をゆっくり進んだ。今度は歩幅を合わせるのに戸惑わず、横断歩道の手前では同じタイミングで立ち止まれた。彩花は手袋越しに伝わる温かさを感じながら、彼と一緒にいる時間が少しずつ生活の中へなじんでいくのだと思った。


 通りの角へ着くころ、悠真が小さく笑った。彩花が理由を尋ねると、出かける前にはプラネタリウムの座席や暗さのことばかり気にしていたのに、帰る今は別のことが印象に残っているという。


「彩花がどこを見ていたのか聞けたことと、さっき名前を呼んでくれたこと。……たぶん、僕は今日はその二つをいちばん覚えてると思う」

「私は、星が増えていくところも覚えてますよ。でも……悠真が嬉しそうにしてくれたことも、ちゃんと覚えてます」


 呼び捨てにするのはまだ少し照れくさかったが、彩花は今度も自分の意思でそう呼んだ。悠真は驚いた顔をせず、穏やかに笑った。その反応を見て、彩花は呼び方が特別な演出ではなく、二人で少しずつ選んでいけるものになった気がした。


 帰る方向が分かれる場所へ着くと、二人は足を止めて手を離した。彩花は今日持ってきた手帳を鞄へしまい、悠真へ礼を言った。彼も同じように礼を返し、次の約束は今夜か明日、互いの予定を確かめてから考えようと話した。


 彩花は頷き、最後にもう一度、科学館の丸い屋根を振り返った。昼間に星を見たという少し不思議な思い出が、自分の中で新しい場所を占めている。隣にいる人が何を見つけたのか聞けることが、これほど楽しいとは、図書館で初めて会ったころにはまだ知らなかった。


     ◇


 帰宅後、彩花は凛花へ科学館の話をした。月の模型を動かしたことや、街の明かりが強くなると細かな星が見えにくくなる展示について説明すると、姉は面白そうに聞き、今度自分も行ってみたいと話した。彩花は展示室の中で写真を撮らなかった代わりに、覚えている範囲で図を描いて説明し、途中で二人とも笑ってしまった。


「星が増えるところ、実際に見ないと分かりにくいね。でも、彩花が楽しそうなのはよく分かったよ」

「うん。あとで悠真君と何を見てたか話すのも面白かった。私は小さい星が気になったけど、悠真君は明るい星の並びを覚えたかったんだって」


 凛花は頷き、同じ場所へ行っても見ているものは違うものだねと言った。彩花は先週の読書会で八人が違う意見を出したことを思い出し、それと少し似ていると答えた。人が何を見つけたのかを聞くことは、作者としても読者としても、そして恋人としても、今の自分には大切な時間になっている。


 自室へ戻ると、スマートフォンに悠真から帰宅したという連絡が届いていた。彼は机に置いた葉のカードを見ながら、今日は彩花が初めて自分を呼び捨てにしてくれたことを思い出していると書いていた。彩花は頬を熱くし、どう返そうか迷ったが、今度は長く考え込まなかった。


『私も、嬉しかったです。少しずつ慣れたいと思います。でも、学校やほかの人の前では今までどおりでもいいですよね』

『もちろん。僕たちが落ち着いて話せるときに、自然に呼べたら嬉しい』


 彩花はその返事を読み、机の上のカードへ目を向けた。少し不揃いな紺色の点が並ぶ一枚は、手作り市で初めて交換したときと何も変わらない。けれど今は、そのカードを見るたびに、図書館での会話だけでなく、菓子店や科学館で過ごした時間まで思い出せる。


 彩花は手帳を開き、今日のページへ一行だけ書いた。『同じ空を見て、違う星を覚えた』。その下へ、二人で決めた新しい呼び方を書こうとして、少しだけ手を止めた。紙に残してもいいが、今日は声に出せたことを、そのまま胸の中で大切にしておきたいと思った。


 ペンを置き、窓の外へ目を向けると、まだ空は完全には暗くなっていなかった。実際の星が見えるまでには、もう少し時間がかかりそうだったが、彩花は急いで待つつもりはなかった。明るい空の下でも、今日見た星のことを思い出せるし、悠真と過ごした時間がそこに重なっている。


 しばらくして、悠真からもう一通届いた。


『次に会うときは、彩花が選んだ場所でも、僕が選んだ場所でもいいよ。今日は僕の見たかった空へ来てくれたから、次は彩花が今いちばん気になってることを聞きたい』


 彩花はその文章を読み、自分が次にしたいことを考えた。科学館へ行ったからといって、また何かを調べる場所へ行きたいわけではない。凛花と園芸店を見に行く予定もあるし、文芸部で新しい作品を読む時間も持ちたい。それでも、悠真と会うときには、そこでどんな話をしたいのか、自分の気持ちを先に伝えられそうだった。


『じゃあ、次は一緒に本屋さんへ行きたいです。図書館で借りる本じゃなくて、お互いに自分のために一冊選んで、あとでどうして選んだのか話してみたいです』


 返信すると、悠真から短い返事が届いた。


『いいね。じゃあ僕も、今度は彩花に勧める本じゃなくて、自分が読みたい一冊を選ぶよ』


 彩花は手帳の空いたページへ「本屋さん」と書き込んでから、少しだけいたずらを思いついた。先日の約束をもう一度持ち出して、『ただし、紹介するために二十七冊選ぶのは禁止です』と送ってみる。すると悠真から、『分かった。でも、僕自身が読みたい一冊を選ぶ方が、案外難しいかもしれない』と返ってきた。


 彩花は画面を見つめ、本棚の前で真剣に迷う悠真の姿を想像した。いつもなら彩花に似合う本を探そうとする彼が、今度は自分だけのために何を手に取るのだろう。次の休日にはその答えを先回りして当てようとせず、悠真が一冊を選ぶところを隣で見ていたかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。