第174話 私の名前で届ける言葉と、古い写真が示した角
水曜日の放課後、県立青葉高校の図書室には、昼休みよりもゆったりとした時間が流れていた。窓際の閲覧席で本を開いている生徒がいる一方、入口近くの展示台には冬の部誌が数冊並び、その横には文芸部の紹介文が立てられている。水瀬彩花は司書に返すための本を抱えて図書室へ入り、自分の名前が記されたカードを見つけたところで、ほんの少しだけ歩く速さを緩めた。
朝、展示が始まったばかりのときには、一人の生徒が実際に部誌を手に取ってくれた。その光景が嬉しくて、授業中もときどき思い出していたけれど、午後になって展示台を見ると、貸し出せる分として用意された冊子の並びが変わっていた。司書に聞くと、昼休みにも何人かが手に取り、そのうち二人が借りていったという。
「最初に読んだ人が、友達に教えてくれたみたいですよ。『文芸部の人たちが書いた本だよ』って話しているのを聞きました」
司書は貸出記録の個人名には触れず、展示を見た人の反応だけを教えてくれた。彩花は胸の奥がじんわり温かくなるのを感じながら、展示台の前で足を止めた。自分たちが書いた作品が、部室の外へ少しずつ届いているのだと思うと、これまで原稿を何度も直してきた時間にも新しい意味が生まれたようだった。
「ありがとうございます。みんなにも伝えていいですか」
「もちろん。紹介文を作ってくれた部員のみなさんにも、嬉しい知らせだと思います」
彩花は礼を言い、借りていた本を返却した。図書室を出ようとしたとき、展示台の前に立っていた男子生徒が、手元の部誌を閉じて司書へ話しかけた。彩花は会話に割って入らずにいたが、聞こえてきた言葉に思わず足を止めた。
「これ、校外の友達にも見せたいんですけど、写真に撮って送ってもいいんですか」
司書はすぐに許可するのではなく、部誌の内容を撮影して外部へ送ることについては、学校や作者の確認が必要だと説明した。男子生徒は悪気があったわけではないらしく、そうなんですね、と頷いて本を閉じ、借りる手続きをするためにカウンターへ向かった。
彩花はそのやり取りを聞き、少しだけ複雑な気持ちになった。面白いと思った本を誰かに紹介したくなることは、自分にもよくある。それでも、写真を撮って送れば、本を作った側が想定していないところまで作品が届く可能性があるのだと、今は以前より具体的に考えられた。
(読んでもらえるのは嬉しい。でも、どんな形でもいいってことにはならないんだよね)
彩花が廊下へ出ると、文芸部の友人が部室へ向かう途中で声をかけてきた。展示を見に行ったことを伝え、すでに何冊か借りられていると話すと、彼女は両手を胸の前で合わせて喜んだ。彩花もつられて笑い、二人で部室へ向かいながら、これまでより少し具体的に「読んでくれる人」について話した。
部室ではほかの部員が完成した部誌を手に、家族へ渡す分を確認していた。彩花たちが図書室で聞いた話をすると、机を囲んでいた生徒たちから嬉しそうな声が上がった。何人が読むのかまだ分からなくても、最初の読者がいるという事実は、次の作品を書くための力になっていた。
◇
作業が一段落したころ、顧問が部室へ来て、学校の広報担当から相談があったと伝えた。冬の部誌が完成したことを学校の案内ページで紹介する案があり、展示台の写真と紹介文を載せられないかという内容だった。
「校内の図書室に置くこととは、公開される範囲が違います。まだ決定ではありませんし、載せるとしたらどういう形がよいか、みなさんの意見を聞きたいんです」
顧問は印刷された案を机へ置いた。そこには展示台を正面から撮った写真と、部誌の説明を載せる余白があり、試しに彩花の紹介文がほぼそのまま入れられている。写真の中に生徒の姿は写っていなかったが、文字が読める大きさなら、カードの署名もそのまま公開されることになる。
彩花は紙を見つめた。つい昨日までは校内に自分の名前を掲示するだけでも迷っていたのに、今度は学校の外からも見られるページへ載せるかどうかを考えることになった。自分たちの作品を知ってもらえる機会は嬉しいが、校内限定で展示すると確認した約束を、気づかないうちに広げてしまいたくはなかった。
「先生、私は、部誌が完成したことを学校のページで紹介するのはいいと思います。でも、私の名前が入ったカードの写真は、今のまま載せたくありません」
言い切ると、近くにいた部員が顔を上げた。彩花はその視線を受け止め、理由を続けた。顔写真がないから絶対に安全だと決めつけられるわけではないし、何より自分は校内の展示という条件に納得して署名したのであって、校外への公開まで許可したわけではない。
「名前を伏せた別の文章を作るなら、学校の活動を知らせることはできると思うんです。部誌の表紙も、みんなで確認してから使う方がいいと思います」
顧問は頷き、その意見は自然なものだと答えた。ほかの部員からも、内容が読めるほど近くで撮った写真は避けたい、紹介するなら表紙だけにしたいという声が出た。一方で、学校の活動が広く伝わるのは嬉しいという意見もあり、全員が反対しているわけではなかった。
彩花はそれぞれの言葉を聞き、どちらか一方へ無理にそろえる必要はないと思った。大切なのは、何を公開するかを具体的に確認し、納得した範囲で決めることだ。顧問は部内で話し合う時間を取り、まず広報担当へ掲載内容を調整できるか確認すると約束した。
「公開する文章は、学校の活動紹介として短く作り直しましょう。個人名のある展示カードをそのまま使わないこと、作品の本文を無断で載せないことを前提に案を考えます」
この方針に異論は出なかった。部員たちは表紙を使う場合も、デザインを担当した部員に確認することを決め、顧問が関係する先生へ連絡してくれることになった。
彩花は机の上の案を見つめ、少しだけ息を吐いた。誰かから求められたとき、断ることしかできないわけではない。自分の望まない部分をはっきりさせたうえで、別の方法を考えることもできるのだと分かった。
(前の私なら、せっかくの機会だからって、全部任せちゃったかもしれない。でも、みんなの作品だからこそ、ちゃんと確かめたい)
顧問が部室を出たあと、彩花は紹介カードの校外掲載を見送る理由を手帳に記した。単に不安だからという言い方だけではなく、校内の展示について了承したことと、外部への公開は別の判断だという点を残しておきたかった。
◇
木曜日の昼休み、彩花は学校の図書室で、古い駅前写真の調査に使えそうな資料を探していた。前に見つけた青凪市の道路整備に関する冊子では、駅前広場から商店街へ向かう道が、かつては今と違う角度で曲がっていたことが分かった。写真の撮影地点は二つの候補が残っているものの、現在の道路だけを基準に比べる必要はなくなっている。
机に広げたのは、古い市街地の区画を示した図と、以前に書いた調査メモだった。最初の候補は商店街の角付近、もう一つは駅前広場に近い場所で、どちらも建物の並びから考えたものだ。写真に写った奥の通りがどちらへ伸びていたのかを比べたいが、略図だけでは建物の細かな位置までは分からない。
(道路が変わったことは分かったけど、それだけで撮影場所を決めるのは早いよね。ほかに確かめられる目印があればいいんだけど)
彩花は図書室の目録端末で、駅前地区の商店街に関する資料を探した。そこで見つけたのは、道路整備の前後で商店の位置がどう変わったかを紹介する郷土史の小冊子だった。学校の図書室には所蔵がなかったが、市立中央図書館には閲覧用として一冊あると書かれている。
資料名を控えた彩花は、すぐに悠真へ知らせようとして手を止めた。今日はまだ授業が残っているし、閲覧できるかどうかも確かめていない。先に市立中央図書館の受付へ問い合わせ、資料を読めるか確認してから連絡した方が、具体的に相談できそうだった。
昼休みが終わる前に手帳を閉じ、放課後の予定を確認した。文芸部は今日は通常の活動を行うが、印刷作業はすでに終わっていて、大きな作業は入っていない。顧問へ一声かけてから中央図書館に寄るなら、帰宅が遅くなりすぎることもないだろう。
彩花は自分で資料を確かめてみることにした。悠真が調査を手伝ってくれるのは嬉しいが、彼の予定を待たなければ何も進められないわけではない。見つけたことを次に会ったとき話せるなら、それも楽しいと思った。
◇
その日の放課後、彩花が顧問へ用事を伝えて図書室を出ようとすると、紹介カードを一緒に考えた部員が追いかけてきた。広報担当への返事について、顧問から連絡が届いたという。学校の案内ページには部誌の完成を紹介する短い文章だけを載せ、表紙の画像は担当者の了承が取れてから使用することになったらしい。
「名前入りのカードも本文も、外には載せないって。学校の活動として紹介するなら問題ないって先生が言ってた」
彩花は安心して頷いた。校内の展示を取りやめずに、外部への公開範囲だけを調整できたことが嬉しかった。部誌を読んでもらいたいという願いと、勝手に情報を広げられたくないという気持ちは、どちらか一つを選ぶ必要がなかったのだ。
「よかった。わざわざ教えてくれてありがとう」
「ううん。それより、彩花はこれから図書館?」
手にしたメモを見た部員が尋ねた。彩花は古い駅前写真の資料を探しに行くと説明し、今日は少しだけ確認して帰るつもりだと話した。
「相変わらず調べ物が好きだね。でも、部誌が終わったからって無理しすぎないでよ」
「うん。今日は資料があるか確かめるだけにする」
友人は笑って手を振り、部室へ戻っていった。彩花は鞄の中の手帳を確認してから校門を出た。冬の日は短いため、外はすでに午後の光が傾き始めている。中央図書館へ着いたら、必要な部分だけ調べ、帰りの時間を守ろうと決めた。
◇
青凪市立中央図書館の郷土資料カウンターでは、職員が彩花のメモを見て所蔵状況を確認してくれた。目当ての小冊子は館内閲覧の資料で、持ち出しはできないが、閲覧席で読むことは可能だという。彩花は利用方法を教えてもらい、資料を受け取ると、郷土資料用の机へ向かった。
表紙には『青凪駅前商店街のあゆみ』という題名があった。薄い冊子の中には文章だけでなく、商店街の古い写真や、道路の形が変わったときの簡単な案内図も載っている。彩花は目次から道路整備に関する章を探し、二つの候補地点が分かるページを開いた。
最初に目についたのは、駅前広場側から商店街へ向かう古い道路の図だった。今より道が曲がっていたことは前の資料でも確認できたが、今回はその角にあった商店の位置まで示されている。さらに隣のページには、道の曲がり角から通りを写した古い写真が掲載されていた。
「……あれ?」
彩花は思わず小さな声を漏らし、すぐに周囲を見回した。誰も気にしていないことを確かめると、写真の端に写る建物へ視線を戻した。
その建物には、二階に横並びの窓があり、一階の軒先が通りの角へ少し突き出している。彩花が調べていた元の写真でも、画面の端に似た形の建物が写っていた。ただ、これまでは遠くに見える屋根の並びにばかり注目していて、角にある建物の細部を十分に確かめていなかった。
(似てる。でも、似てるだけかもしれない。窓の数も、軒の形も、ちゃんと比べないと)
彩花は手帳を開き、元の写真について以前に記録した特徴を確認した。元の写真では、二階の窓が三つ横に並び、左端の窓の下に細長い看板のようなものが見える。今見ている冊子の写真にも同じ配置があり、軒の角の形もよく似ていた。
さらに説明文を読むと、その建物は道路整備の前に商店街の曲がり角に立っていた店で、整備に伴って取り壊されたと記されていた。掲載された写真の撮影年は明記されていたが、彩花が最初から調べている写真の撮影年は分かっていない。そのため、同じ建物と断定するには注意が必要だった。
それでも、候補の一つだった駅前広場側の地点からでは、この建物の正面と奥の通りを同時に写す角度にはならないことが、案内図と合わせて確かめられた。商店街の角に近い候補なら、道の曲がり方も建物の位置も、写真の構図と無理なく一致する。
彩花は鉛筆を置き、少しだけ息を整えた。これまで二つの場所を同じ程度に考えていたが、少なくとも新しい資料に照らす限り、商店街の角の方が強い根拠を持つことになった。資料の中にある建物が本当に元の写真と同一なのかを確認できれば、駅前広場側の候補を外せる可能性が高い。
(やっと、比べるものが見つかったんだ。道路の形だけじゃなくて、建物の位置まで)
彩花は冊子の書名、発行年、該当ページ、写真についた説明文の要点を手帳へ書き込んだ。元の写真を今ここへ持ってきているわけではないため、記憶だけで最終的な結論を出さず、後日もう一度並べて確かめることにした。
資料を戻す前に、彩花は最後のページにある参考文献の一覧も確認した。そこには、以前から気になっていた別の図書館所蔵の古い写真帖が挙げられていた。題名が一致していることに気づき、彩花は目を丸くした。
写真帖には道路整備前の駅前通りを写した写真が複数収められているらしい。まだ中身を見たわけではないし、今探している建物が必ず載っているとも限らない。それでも、次に確認すべき資料が具体的になったことは確かだった。
彩花は郷土資料カウンターへ戻り、参考文献にある写真帖について閲覧方法を尋ねた。職員は所蔵先が別館であることを確認したうえで、古い資料なので取り扱いに条件がある可能性があり、事前に問い合わせた方がよいと教えてくれた。
「こちらから所蔵館へ閲覧方法を確認しておくこともできますよ。ご希望なら、必要な手続きを案内します」
彩花は少し考えてから頷いた。せっかく手がかりが見つかったのだから、次に何をすればよいかだけでも確かめておきたかった。
「お願いします。すぐに行けるかどうかはまだ分からないんですけど、閲覧できるなら、予定を合わせてみたいです」
職員は必要な情報を控え、確認結果が分かったら案内できるようにすると説明した。彩花は礼を言い、資料を返却してから時計を見た。予定していた時間を少し過ぎていたが、帰宅が遅くなるほどではない。彩花は鞄を持ち直し、図書館の出口へ向かった。
◇
帰り道、彩花は駅前の道路を歩きながら、さっき見た古い地図の形を思い出していた。現在の道路は広くまっすぐに見えるが、かつては商店街へ向かってゆっくり曲がり、その角に店が並んでいた。いつも歩いている場所にも、自分が知らなかった景色が重なっているのだと思うと、不思議な気持ちになった。
自宅へ着いた彩花は、凛花へ帰ったことを伝え、自室で調査メモを広げた。元の写真について以前に書いた特徴と、今日見た資料の特徴を並べると、窓の数や軒の形だけでなく、道路の向こう側に見える建物の高さも近いことが分かった。ただし、撮影された角度が完全に一致するかは、現物を並べて確かめる必要がある。
彩花はメモの見出しを「候補一・商店街の角」と書き直し、その下に新しい根拠を加えた。一方の「候補二・駅前広場側」には、古い道路と建物の位置から見た不一致を記し、完全に除外するのではなく、確認待ちの印をつけた。
(まだ決定じゃない。でも、二つを同じように迷っている段階ではなくなったんだ)
その違いが嬉しかった。今までの調査では、何かを見つけても「分からないことが増えた」と感じることがあった。けれど今日は、何を比べれば答えに近づけるか分かり、そのための資料まで見つかった。
彩花は悠真へメッセージを送った。今日、中央図書館で道路整備前の商店街を写した資料を見つけたこと、角の建物が元の写真に写るものと似ていること、まだ同一だとは確定できないが、二つの候補のうち商店街側に強い根拠が見つかったことを、できるだけ短く整理して伝えた。
返信は少ししてから届いた。
『すごいね。建物の形と道路の位置が一緒に比べられるなら、前よりずっと具体的に確認できそうだ。彩花さんが自分で見つけたんだね』
彩花は画面を見つめ、頬を緩めた。悠真が自分の発見として受け止めてくれたことが嬉しかった。もちろん、今まで一緒に調べてきたことも大きいが、今日の資料を探そうと決め、図書館で確かめたのは自分自身だったからだ。
『はい。でも、元の写真と並べて確かめないと、まだ断定できません。今度会ったとき、悠真君にも一緒に見てもらえますか』
『もちろん。ただ、彩花さんが見つけた答えを僕が決めるんじゃなくて、一緒に確かめる形にしたいな』
その返事に、彩花は思わず笑った。彼の言葉は少し真面目すぎるようにも聞こえるが、自分が何を望んでいるのかを丁寧に考えてくれているのだと分かる。
『はい。一緒に確かめたいです。それが一番嬉しいです』
送信したあと、彩花は今日の資料を改めて読み返せないことに少しもどかしさを感じたが、必要な書誌情報は残してある。次に中央図書館へ行くときには、元の写真と並べて確認することもできるだろう。
◇
金曜日の昼休み、青葉高校の図書室では、冬の部誌の展示を見に来る生徒が少しずつ増えていた。司書が用意した貸出分はすべて出払うほどではなかったが、展示用の一冊には閲覧する人が絶えず、部誌を持ち帰るか迷っている生徒もいた。彩花が本を返しに行くと、司書は嬉しそうにその様子を教えてくれた。
「昨日、感想を書いてくれた生徒もいましたよ。よければ、部員のみなさんに伝えてください」
司書が示したのは、図書室の感想カードだった。書いた人の名前は伏せられていたが、そこには、物語の主人公が最後に自分の希望を口にする場面が印象に残ったという感想があった。彩花はその内容を読み、思わず手を止めた。
自分の作品のことかもしれない。けれど、似た主題の作品はほかにもあるため、すぐにそうだと決めることはできなかった。司書も誰の作品について書かれたものか断定せず、部員みんなで読んでほしいと伝えた。
カードの最後には、短い一文が書かれていた。
『自分の気持ちを言っても、相手と話し続けられるんだと思えました。』
彩花はその言葉を何度か読み返した。作品を読んだ人が、登場人物の気持ちを自分のこととして考えてくれたのかもしれない。誰が書いた感想なのか分からなくても、そこには確かに一人の読者の言葉があった。
「……これ、部のみんなにも見せたいです」
「ええ。個人が分かる情報は載せていないので、顧問の先生へ渡しておきますね」
彩花は礼を言い、図書室を出た。廊下では次の授業へ向かう生徒たちが行き交い、誰かが笑いながら友達の名前を呼んでいる。いつもと変わらない学校の風景の中で、自分たちの文章が誰かへ届いたことが、彩花には大きな出来事だった。
(読んでくれる人がいるって、こんなに嬉しいんだ)
今まで部誌を作ること自体が目標のようになっていたけれど、完成した先には、まだ知らない人の読み方や感想がある。そのことが分かると、次に書く作品についても少しずつ考えたくなった。
◇
その日の放課後、文芸部では感想カードが顧問から共有された。部員たちは一人ずつ読み、どの作品についての感想か想像しながらも、無理に答えを決めようとはしなかった。彩花が、誰の作品であっても読者が自分のことを考えてくれたのなら嬉しいと話すと、何人かが頷いた。
顧問は今後の活動について、次の部誌の準備をすぐ始めるのではなく、しばらくは各自で新しい題材を探す時間を取ると説明した。彩花は手帳を開き、書いてみたいことを一つだけメモした。自分の意思を伝えることと、相手の考えを聞くことが両立する場面を、今度は自分の物語でもっと丁寧に描いてみたいと思った。
部活動が終わるころ、スマートフォンに悠真から連絡が届いた。彼は借りた短編集を読み終え、最後の話を読んでから最初の商店の場面へ戻ってみたという。彩花が関係図に書いたつながりの一つを、自分でも見つけられたらしい。
『最初はただの雨宿りの店だと思った場所が、最後まで読むと全然違って見えた。彩花さんが何度も読み返したくなるって言ってた意味が、少し分かった気がする』
彩花は画面を見ながら嬉しくなった。好きな本を貸した相手が、ただ読み終えるだけでなく、もう一度最初へ戻っている。そのことが、自分にとっては何より嬉しい感想だった。
『読んでくれてありがとうございます。私も最初の話へ戻ったとき、同じように感じました。今度、どの場面が好きだったか聞きたいです』
悠真からは、次に会えるときには本も返したいと返事が来た。彩花はまだ日程を決めていなかったが、今度は古い駅前写真の確認と、本の感想を話す時間をどちらも作りたいと考えた。
ただ、その前に一つだけ気になっていることがあった。昨日、市立中央図書館で問い合わせた古い写真帖の閲覧方法について、まだ返事を受け取っていない。所蔵館へ確認してもらっているのだから、急かす必要はないが、いつか見られるなら自分でも確かめてみたかった。
彩花はそのことを悠真へ伝えた。すると彼は、予定が分かったら一緒に行くこともできるけれど、まずは彩花がどうしたいか聞きたいと返信してきた。
『私は、自分でも見てみたいです。でも、悠真君とも一緒に確認できたら嬉しいです。閲覧できる日が分かったら相談してもいいですか』
『もちろん。都合を合わせられるか確かめてから、一緒に考えよう』
彩花はその言葉に安心し、帰り道へ向かった。自分が見つけた手がかりを、相手に報告して終わりにするのではなく、一緒に何が分かるか考えられることが嬉しかった。
◇
帰宅して少し経ったころ、彩花のスマートフォンに中央図書館からの連絡が入った。先日問い合わせた古い写真帖について、所蔵館での閲覧条件が確認できたという案内だった。資料は館内の指定席で閲覧できるが、保存状態の確認が必要なため、事前に希望日時を伝えて予約する形式になっているらしい。
彩花は案内に記された手続きを読み、すぐに予約するのではなく、まず自分の予定を確かめることにした。学校の活動や家族の用事を確認し、候補になる日を手帳に書き出してから、悠真へ簡単に知らせた。
返信を待つ間、彩花は窓の外を眺めた。冬の夕方の空は少しずつ色を失っていたが、街の道には帰宅する人々の姿が残っている。昔の青凪市にも、今と同じようにこの道を歩き、本を読み、誰かと話していた人がいたのだろう。
自分たちが調べている写真は、まだ撮影地点が確定していない。それでも、今日までに見つけた資料から、以前よりずっと具体的な場所が見えてきた。もう一つの図書館にある写真帖まで確かめられたら、長く迷っていたことに答えを出せるかもしれない。
スマートフォンが震えた。悠真からは、候補日を確認してから返事をしたいという連絡と、彩花が自分で資料を見つけたことを改めて喜ぶ言葉が届いていた。
『ありがとう。僕もぜひ見てみたい。でも、彩花さんが調べたいと思ったことだから、都合が合わなかったら先に行っていいからね』
彩花はその文章を読み、少しだけ考えてから返信した。
『はい。でも、今回は一緒に見たいです。悠真君と最初に二つの候補を考えたので、どちらが合っていたのか、できれば隣で確かめたいんです』
送信すると、しばらくして返事が届いた。
『……それなら、僕も一緒に確かめたい。予定を見て、行ける日を連絡するね』
彩花は自然と笑顔になった。特別な言葉を交わしたわけではないが、同じことを楽しみにしているのが伝わってきた。
机の上には、図書室へ飾った部誌の紹介文の控えと、古い駅前写真についての調査メモが並んでいる。どちらも、自分が誰かに頼まれて始めたものではなく、続けたいと思って自分の意思で進めてきたことだった。
彩花は調査メモの最後に、新しく分かったことを一行だけ書き加えた。商店街の角にあった建物の外観が、元の写真に写るものと似ていること。別の図書館にある写真帖を閲覧できる可能性があり、これから日程を決めること。
それから、まだ確かめていないことには、いつもどおり印をつけた。何が分かったのかと同じくらい、何を知らないままなのかを残しておきたかった。
スマートフォンの画面には、悠真から届いた最後の言葉が残っている。
『次は、僕もちゃんと自分の目で確かめたい。彩花さんが見つけた景色を、一緒に見てみたいから』
彩花は少しだけ頬を赤くし、その文章を読み返した。写真の答えを探すことが楽しみなのはもちろんだけれど、今はそれを誰と確かめたいのかまで、はっきり分かっている。
(……私も、一緒に見たい。最初からそう思ってたんだ)
彩花は手帳を閉じ、机の端へ置いた。次に会う日を決めるのは、まだこれからだったが、二人で向かう場所と確かめたいことは、もう具体的に見えていた。




