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『図書館で出会った御曹司が、私のことになるとちょっとおかしい』   作者: 伊佐波瑞樹


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第164話 金曜日、明日の約束に持っていくもの



 金曜日の放課後、青葉高校の文芸部室には、紙をめくる音と、誰かが椅子を引く小さな音が響いていた。水瀬彩花は机の上に広げられた原稿を見つめながら、佐々木先輩が顧問の先生から受け取ったという確認用紙に、もう一度目を通していた。


 冬部誌『いつか、ここに』へ掲載する作品のうち、これまで何度も修整を重ねてきた一編について、先生から最終承認が下りたのだ。登場人物の移動が分かりにくかった箇所も、最後の一文が誰の感情を表しているのか曖昧だった箇所も、作者本人の意図を確かめながら直してきた。その結果が、今、目の前の一枚に記されている。


「……本当に、これで大丈夫なんですね」


 作者の部員が確認用紙を見つめたまま呟くと、佐々木先輩は穏やかに頷いた。


「ええ。先生からも、この原稿については掲載用の本文として確定していいと返事をいただいたわ。ただし、冬部誌そのものが完成したわけではないから、これから誌面に組み込む作業があるけれどね」


「それでも、嬉しいです。何度も直しているうちに、最初に書きたかったものまで変わってしまうんじゃないかって、少し不安だったので」


 彩花はその言葉を聞き、机の上の原稿へ目を落とした。作者が残したかった最後の一文は、最初に読んだときから変わっていない。変わったのは、その一文へたどり着くまでの道筋であり、登場人物がどこに立ち、何を見送り、どのような空気が二人の間に残されたのかという部分だった。


「私は、最初よりも最後の一文が好きになりました」


 彩花がそう伝えると、作者の部員は驚いたように顔を上げた。


「水瀬さん、本当ですか?」


「はい。最初に読んだときもきれいな文章だと思ったんですけど、今は、その言葉がそこにある理由まで分かる気がするんです。誰か一人の気持ちを説明するんじゃなくて、二人が言えなかったことまで、部屋の様子から感じられるというか……」


 うまく説明できているだろうかと彩花が言葉を探していると、作者の部員はゆっくりと笑顔になった。何度も相談を重ねる中で、その部員が伝えたいと言っていたことに、ようやく近づけたような気がした。


「ありがとうございます。私も、今の文章の方が好きです」


 その返事を聞いた佐々木先輩は、原稿を透明なファイルへ収めた。表には作品名と確定日を記した紙が差し込まれており、以前の修整案と取り違えないように管理することになっている。


「それじゃあ、この作品は本文確定ね。水瀬さん、悪いけれど、次は誌面の見本を一緒に確認してもらえる?」


「はい。もちろんです」


 彩花は椅子を寄せ、先輩が新しく広げた紙へ目を向けた。そこには冬部誌全体の仮のページ構成が記されており、作品ごとの開始位置や、題名と本文の間隔などが整理されていた。


 原稿を読むときとは、また違う仕事が始まろうとしていた。


     ◇


「これ、本文が確定したら、そのまま印刷できるわけじゃないんですね」


 彩花がページ構成を眺めながら尋ねると、佐々木先輩は頷いた。


「ええ。作品を並べたときに、題名が前のページの最後に取り残されてしまったり、文章の途中で不自然にページが切り替わったりすることがあるでしょう。実際に読める形にしてから、もう一度確かめる必要があるの」


 先輩は見本の一か所を指した。そこでは、ある作品の題名だけがページの下部に置かれ、本文が次のページから始まる配置になっていた。


「確かに、これだと少し読みづらいですね」


「そうなの。内容の問題ではないけれど、せっかくの作品だから、気持ちよく読んでもらいたいでしょう?」


 彩花は頷き、別のページへ目を移した。本文の長さによって余白の取り方が変わり、作品の切り替わる位置にも工夫が必要になるらしい。これまで文章そのものを整えることに集中していたが、読者が実際に手に取る一冊を作るには、まだ考えるべきことがあるのだ。


 二人は確定した原稿を仮の構成へ当てはめ、ページの切り替わりを確認した。題名と本文が離れすぎていないか、会話文の途中で不自然な空白ができていないか、作品の終わりから次の作品へ移る部分が窮屈になっていないかを、一つずつ見ていく。


 その途中で、彩花は気になる箇所を見つけた。


「先輩、このページなんですけど、最後の一文が次のページに一行だけ残ってしまっています」


 佐々木先輩は彩花の指した箇所を確認し、少し考えた。


「そうね。本文の文字を削るのは違うから、まずはページ全体の配置を調整できないか考えましょう」


「文章の方を変えるんじゃなくて、配置の方で直すんですね」


「ええ。本文は作者が確認して、先生も承認してくださったものだから。印刷の都合だけで勝手に書き換えることはできないわ」


 彩花はその説明を聞き、改めて原稿の確定という言葉の重さを感じた。修整できるところと、もう変更してはいけないところを分けて考える必要がある。読みやすくするための作業であっても、作者の言葉を守るという目的を忘れてはならないのだ。


 佐々木先輩は問題のあるページに印をつけ、次の作業で配置を調整することにした。今日のうちにすべてを完成させるのではなく、確認が必要な箇所を明確にして、担当する部員と相談しながら進めるという。


「水瀬さん、ありがとう。ここは見落としやすいところだったわ」


「いえ、私も先輩に教えてもらわなかったら、気づかなかったと思います」


「そういうものよ。一人で全部を見るより、違う人の目が入った方が気づけることも多いから」


 彩花はその言葉を聞きながら、確定原稿の入ったファイルを見つめた。作者の部員と一緒に悩んだ時間が終わり、今度はその作品を読者へ届けるための作業が始まっている。


 自分が書いている物語も、いつか最後まで完成させられたなら、誰かに読んでもらう日が来るのだろうか。


 そんなことを考えた彩花は、鞄の中の星模様の創作ノートへ、そっと目を向けた。


     ◇


 同じ頃、桜華学園高等部の図書室では、九条悠真が森川航平と向かい合っていた。二人の間には、これまで集めた古い駅前の写真と、年代の異なる案内図の写しが並べられている。


 調べているのは、昔の駅前写真がどこから撮影されたものなのかという問題だった。道路の曲がり方が似ている場所と、建物の並びが似ている場所の二つが候補に残っているが、どちらも決定的な根拠がない。


 航平は一枚のメモを取り出し、悠真の前へ置いた。


「九条、昨日話してた施設のことなんだけど、少しだけ進展があった」


「移転の記録が見つかったの?」


「そこまでは分からなかった。でも、施設名が載ってる資料をもう一つ確認できたんだ。問題は、その資料の年代なんだけど……」


 航平はメモに記した発行年を指した。これまで確認していた案内図よりも新しい資料であり、調査中の写真が撮られた可能性のある時期からは離れている。


「なるほど。名前が使われていた時期は少し広がったけど、写真が撮られた頃に同じ場所にあったとは言えないんだね」


「そう。しかも、施設の説明には建て替えの話が出てくるんだけど、元の建物がどこにあったかは書かれてないんだ」


 悠真はその言葉を聞き、資料へ視線を落とした。


 建て替えという記述があるのなら、現在知られている建物の外観を、古い写真へそのまま当てはめることはできない。位置まで変わったかどうかは分からないが、少なくとも外観の一致だけで判断することには注意が必要だった。


「じゃあ、今の建物の写真を見つけても、それだけじゃ役に立たないかもしれないね」


「うん。逆に、建て替え前の写真が見つかれば、かなり助かるんだけどな」


 航平はそう言って、机の上の古い駅前写真を見つめた。


 悠真は昨日、学校の図書室の先生から教えてもらった資料の探し方を思い出した。昔の地域広報誌や施設の記念誌には、建物が完成したときや改築されたときの写真が掲載されている場合があるという。


「それなら、施設の記念誌を調べる理由がはっきりしたね。建て替え前の建物が載っているかもしれない」


「そうなんだよ。ただ、昨日見つけた資料は学校にはないんだ」


 航平は少し残念そうに笑った。


「公共図書館に所蔵があるか、確認してみようか。見つかれば、次に調べられることが増えると思う」


 悠真がそう提案すると、航平は頷いた。


「頼む。俺も家で検索してみるけど、九条は図書館の資料を探すの、慣れてるだろ?」


「そんなに詳しいわけじゃないよ。でも、調べてみる」


 二人はそれぞれの役割を決め、確認済みの情報を整理した。施設の建て替えに関する記述が新しく見つかったことは重要だが、年代や所在地はまだ不明なままだ。写真の撮影地点についても、二つの候補を残すという判断は変わらなかった。


 ただ、これまで単に「建物が似ている」と考えていた部分について、何を確かめなければならないのかが明確になった。


 悠真はその変化を、比較表の余白へ丁寧に書き込んだ。


     ◇


 調査を終えたあと、航平は資料を片づけながら悠真へ尋ねた。


「そういえば九条、明日は図書館に行くんだっけ?」


「うん。午後から中央図書館へ行く予定なんだ」


「じゃあ、ついでに記念誌も探せるんじゃないか?」


 航平は何気なくそう言ったが、悠真は少し考えてから首を横に振った。


「明日は別の約束があるから、調査に時間を使えるかは分からないんだ。資料名だけ確認しておいて、探すのは別の日にするかもしれない」


「へえ。誰かと会うの?」


「……うん。水瀬さんと」


 悠真が答えると、航平は一瞬目を丸くしたあと、何かを察したように笑った。


「なるほど。じゃあ、調査のことは気にしなくていいぞ。記念誌が急になくなるわけでもないだろうし」


「ありがとう。でも、所蔵だけは今日中に確認しておくよ。見つかったら連絡する」


「それなら助かる。あとは月曜日でも大丈夫だ」


 航平はそう言って資料を鞄へ収めた。悠真も比較表を閉じながら、少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じていた。


 明日は、彩花と青凪市中央図書館で会う約束がある。


 午後一時に入口付近で待ち合わせ、午後三時頃には図書館を出る予定だ。天気や互いの都合については、今夜改めて確認することになっている。


 写真の調査も大切だが、彩花と過ごす時間を、別の用事で埋めてしまいたくはなかった。


 悠真はそのことを自然に考えている自分に気づき、少しだけ照れくさくなった。


     ◇


 文芸部の活動を終えた彩花は、帰宅前に青葉高校の図書室へ立ち寄った。鞄には借りている古い町の写真集が入っていないため、今日は返却ではなく、別の本を探すための短い寄り道だった。


 昨日、自分の創作ノートへ書き込んだ疑問が、まだ頭に残っている。


 祖母へ手紙を書く少女は、思い出せない言葉を探すのをやめ、今見つけたことを手紙に書こうと決めた。実際に便箋へ書き始めるところまでは進んだが、その手紙をどうするのかは決められていない。


 そもそも、少女が書いている手紙を誰へ、どのような形で届けるのか。祖母が現在どこにいるのかという設定も、物語の中で明確にはしていなかった。


(書きたい場面を先に考えていたけど、ここを曖昧にしたままだと、あとで困るよね)


 彩花は図書室の一角にある机へ座り、創作ノートを開いた。


 今まで書いた部分を読み返すと、祖母との思い出については具体的な描写がある一方、現在の少女と祖母の距離については、読み手が判断できる情報が少なかった。手紙を書く理由が単に会えないからなのか、それとも、直接言葉にできない気持ちを整理したいからなのかでも、物語の意味は変わってくる。


 彩花は余白に二つの可能性を書き出した。


 一つは、祖母が遠くで暮らしていて、少女が手紙を送ろうとしている場合。


 もう一つは、祖母がすでに亡くなっており、届かないと分かっていても、少女が手紙を書く場合。


 書き並べたあと、彩花はしばらく考え込んだ。


 どちらにも物語としての意味はある。


 しかし、これまで自分が書いてきた文章を読み返すと、祖母が亡くなっていると決めなければ成立しない場面はなかった。むしろ、少女が今の庭を伝えようとする気持ちを描くなら、遠くで暮らす祖母へ手紙を書くという形の方が、自然につながるように感じられた。


(寂しい話にするために、無理に悲しい出来事を増やす必要はないんだよね)


 彩花はそう考え、二つ目の案に小さく線を引いた。


 ただし、すぐに本文を書き換えるのではなく、まず物語の前後関係を確認することにした。少女が祖母と最後に会ったのはいつなのか、手紙を書くことが特別な行動なのか、それとも以前から続けていた習慣なのか。そこを決めなければ、自然な場面にはならないだろう。


 彩花は創作ノートの別のページへ、設定を整理するための見出しを書いた。


『祖母は現在、離れた町で暮らしている案。少女は最近、直接会えていない。手紙を書くのは久しぶり。過去の返事を思い出せないことと、今の自分が言葉を届けられることを対比させる。』


 書き終えたあと、彩花はその文章を見つめた。


 まだ正式な設定として確定したわけではない。


 けれど、物語を最後まで書くために、何を決める必要があるのかが見えてきた。


 彩花はノートを閉じ、窓の外へ目を向けた。校庭の向こうには薄い雲が広がり、その隙間から夕方の光が差し込んでいる。


 明日は悠真と会う日だ。


 その約束を思い出すと、彩花は自然と笑顔になった。


     ◇


 水瀬家へ帰宅すると、凛花がリビングの床にノートを広げ、父の耕助と何かを話していた。二人の間には小さな紙が置かれ、窓と机、棚の位置を簡単に描いた図がある。


「お姉ちゃん、おかえり!」


「ただいま。何してるの?」


「植物を置く場所を、もう一回考えてるの。昨日、お父さんと棚を見たでしょう?」


 凛花は図を指しながら説明した。


 窓際の棚は明るいものの、少し揺れがあり、窓を開けるときに手が当たる可能性があるため、候補から外したという。代わりに、机の近くにある低い台を調べているが、そこは窓際よりも日が当たりにくい。


「それでね、今日は朝と帰ってきたときに、同じ場所を見てみたの。やっぱり、窓際とは明るさが違うんだ」


 凛花は観察ノートを見せた。


 そこには、朝は部屋全体が明るかったこと、午後になると低い台の周囲には直接日が当たらなくなったことが書かれている。正確な照度を測ったわけではないが、植物を選ぶ際に説明できる程度には、部屋の様子が整理されていた。


「ちゃんと比べたんだね」


「うん。でも、まだどんな植物が合うのかは分からないから、次にお店へ行くときに聞いてみる」


 凛花がそう答えると、耕助も頷いた。


「置き場所の安全はある程度確認できたからな。あとは植物に必要な環境を確かめてから決めればいい」


「じゃあ、低い台なら絶対に大丈夫ってわけじゃないんだね」


 彩花が尋ねると、耕助は首を横に振った。


「そうだな。鉢の大きさや重さにもよるし、水やりをするときに周りを濡らさない工夫も必要だ。今は候補として考えておけばいい」


 凛花はその説明を聞き、ノートへ新しく書き加えた。


『低い台は置き場所の候補。明るさは植物によって確認。鉢の重さ、水やりのときの置き方も相談する。』


 彩花はその文字を眺め、少し微笑んだ。


 まだ植物は買っていないし、種類も決まっていない。それでも、凛花は自分で調べ、家族へ相談し、分かったことを次の判断につなげている。


 その姿を見ていると、今日の文芸部での作業が少し重なって見えた。


 最初から完成した形が分からなくても、一つずつ確かめながら進めていくことはできる。


 彩花は妹のノートを閉じる手元を見ながら、自分も創作ノートを大切に書き進めようと思った。


     ◇


 夕食の準備が始まる頃、彩花は母の紗月へ声をかけた。


「お母さん、明日の図書館のことなんだけど、帰るときはちゃんと連絡するね」


 紗月は台所で手を動かしながら、彩花へ顔を向けた。


「ええ。午後三時頃に図書館を出る予定だったわね」


「うん。今日、悠真君ともう一度確認することになってる。天気が大きく変わっていたら、朝にも連絡するつもり」


「それなら大丈夫そうね。帰り道が暗くならないように気をつけてね」


 彩花は頷き、少し考えてから続けた。


「それと、明日は図書館の中で本を選んだり、最近読んだ本の話をしたりするつもりなんだ。写真集は、まだ同じ本を中央図書館へ取り寄せられないから」


 紗月はその説明を聞き、穏やかに微笑んだ。


「そう。写真集がなくても、一緒に過ごす時間を楽しめるならいいわね」


 彩花は少しだけ頬を赤くした。


「……うん。私も、そう思ってる」


 紗月はそれ以上からかわず、彩花へ食器を並べるよう頼んだ。彩花は返事をして食器棚へ向かいながら、胸の奥に残る温かな気持ちを意識していた。


 悠真と会うことを、母へ自然に話せる。


 それは以前よりも、少しだけ自分の気持ちに素直になれたということなのかもしれなかった。


     ◇


 九条家では、悠真が帰宅後、自室で中央図書館の資料検索結果を確認していた。航平と調べている施設の記念誌について、学校には所蔵がなかったため、公共図書館の目録を確認している。


 いくつかの検索結果を見比べたあと、悠真は目的の資料と同じ題名を見つけた。


 ただし、検索結果に記されている情報だけでは、調べたい施設の建て替え前の写真が載っているかどうかまでは分からない。所蔵されていることと、必要な内容が含まれていることは別だからだ。


 悠真は資料名と所蔵先をメモし、航平へ連絡した。


『森川君、昨日話してた記念誌と同じ題名の資料が、公共図書館の目録で見つかったよ。ただ、中身はまだ確認できてないから、建て替え前の写真があるかは分からない』


 少しして、航平から返事が届いた。


『おお、ありがとう! それだけでも助かる。今度時間があるときに確認してみるよ』


 悠真は頷き、返信した。


『うん。俺も機会があれば確認するね。明日は別の予定があるから、調査は月曜日以降になるかもしれない』


 航平から、すぐに返事が届いた。


『了解。明日はそっちの予定を楽しんでこいよ』


 その文章を見た悠真は、少しだけ苦笑した。


 航平には、明日彩花と会うことを話している。


 だからこそ、調査を急がなくてもいいと言ってくれたのだろう。


 悠真は礼を伝え、スマートフォンを机へ置いた。


 明日は、彩花と青凪市中央図書館で会う。


 写真の調査も大切だが、明日の約束は、それとは別に楽しみにしている時間だった。


     ◇


 夕食後、悠真がリビングへ降りると、妹の琴葉がテーブルで押し葉の配置を確認していた。生成り色の台紙の上には、乾燥させた葉が慎重に置かれている。


「お兄ちゃん、見て。昨日決めた台紙、やっぱりこっちの方がいいと思うの」


 琴葉は嬉しそうに顔を上げた。


 悠真は隣へ座り、台紙の上へ目を向けた。葉の色は生成り色の紙によく映えており、輪郭も見やすくなっている。


「うん。葉っぱの色がきれいに見えるね」


「でしょ? でも、まだ貼ってないんだ。位置をもう少し考えてからにしようと思って」


 琴葉は葉の向きを少し変え、二つの配置を見比べた。


「こっちだと、葉っぱが真ん中に見えるんだけど、少し寂しい気もするの。もう少し横に寄せた方がいいかな?」


 悠真はしばらく眺め、答えた。


「琴葉がどんなふうに見せたいかによると思う。葉っぱそのものを見せたいなら真ん中でもいいし、余白を残したいなら少し寄せてもいいんじゃないかな」


 琴葉はその言葉を聞き、少し考えた。


「そっか。じゃあ、もう少し並べてみる」


 悠真は頷き、妹が台紙へ向き直るのを見守った。


 以前は薄い緑色と生成り色のどちらを使うか迷っていたが、今は生成り色に決め、その上で葉の位置を考えている。まだ貼りつけていないため完成ではないが、一つの選択が決まったことで、次に考えることがはっきりしていた。


 悠真はその様子を見ながら、彩花の創作ノートを思い出した。


 彼女も今、物語の中で何を大切にするのか考えながら、少しずつ書き進めている。


 完成したら最初に読ませてもらう約束をしているが、急いでほしいとは思っていない。


 琴葉が納得できる配置を探しているように、彩花にも自分の言葉を大切にしてほしかった。


     ◇


 そのあと、悠真は母の麗華へ明日の予定を改めて伝えた。


「母さん、明日は午後一時に中央図書館で待ち合わせて、午後三時頃に図書館を出る予定だよ。今日、彩花さんと天気も確認することになってる」


 麗華は頷き、悠真へ目を向けた。


「分かったわ。帰るときは連絡してね。それから、雨が強くなるようなら無理をしないこと」


「うん。彩花さんともそう話してる」


 悠真はそう答え、少し考えた。


 前に彩花と会ったのは、同じ中央図書館だった。


 あのときも、二人で本を選び、話をした。


 けれど、今回は少し違う気がしている。


 古い町の写真集を一緒に読む約束ができ、互いの学校での出来事を以前よりも詳しく話すようになった。彩花が書いている物語についても、完成したら最初に読ませてもらえることになっている。


 そうした積み重ねがあるからこそ、明日会うことを以前よりも強く楽しみにしているのかもしれなかった。


 麗華は悠真の表情を見て、少し微笑んだ。


「楽しんできてね」


「……うん。ありがとう、母さん」


 悠真は少し照れくさくなりながら答え、自室へ戻った。


     ◇


 夜、水瀬家の自室で彩花が明日の持ち物を確認していると、スマートフォンに通知が届いた。


 画面には、悠真からのメッセージが表示されている。


『彩花さん、こんばんは。明日の予定、もう一度確認しておこうと思って』


 彩花は自然と微笑み、返信した。


『こんばんは、悠真君。うん、私もちょうど準備してたところだよ』


 少しして、悠真から返事が届いた。


『明日は午後一時に青凪市中央図書館の入口付近で待ち合わせて、午後三時頃に図書館を出る予定で大丈夫かな?』


 彩花は朝に母へ伝えた内容を思い出し、頷いた。


『うん、大丈夫。お母さんにも話してあるよ。帰るときは連絡することになってる』


『俺も母さんに伝えてあるよ。天気は曇りが中心みたいだけど、雨の可能性もあるから、傘を持っていこうと思ってる』


 彩花はその文章を読み、窓の外へ目を向けた。


 夜の空には薄い雲が広がっている。


 今は雨が降っていないが、明日も同じ天気とは限らない。


『私も折りたたみ傘を持っていくね。もし朝になって雨が強かったら、出かける前に連絡しよう』


『うん。そうしよう』


 こうして、明日の予定は改めて確認された。


 午後一時に中央図書館の入口付近で待ち合わせること。


 午後三時頃を目安に図書館を出ること。


 天気が大きく変わった場合は、出発前に相談すること。


 彩花はその内容を確認し、少し安心した。


 ただ、そこで会話を終えようとしたとき、ふと気になることがあった。


『悠真君、明日は何か見たい本がある?』


 送信してから、彩花は少し考えた。


 明日は一緒に本を選ぶ約束をしている。


 けれど、具体的にどの棚を見るのかまでは決めていなかった。


 悠真から、少しして返事が届いた。


『古い町の写真集も気になってるけど、明日は彩花さんと一緒に、普段あまり見ない棚も見てみたいな』


 彩花はその文章を読み、少し嬉しくなった。


『それ、楽しそう。私も、いつもは小説の棚ばかり見ちゃうから』


『じゃあ、明日はお互いに気になった本を一冊ずつ見つけて、紹介し合うのはどうかな?』


 彩花は思わず笑顔になった。


 自分が選んだ本を悠真へ紹介する。


 そして、悠真が選んだ本を教えてもらう。


 同じ場所にいても、目を向けるものは違うかもしれない。


 その違いを話し合えることが、きっと楽しい。


『うん、やってみたい! それなら、どんな本を選ぶか考えるのも楽しそうだね』


『よかった。じゃあ、明日はそれもやってみよう』


 彩花はその返事を読み、胸の奥が温かくなるのを感じた。


 明日の予定が、また一つ具体的になった。


 ただ本を眺めるだけではなく、お互いに気になった一冊を選び、その理由を話す。


 それは、二人にとって自然で、楽しみな約束だった。


     ◇


 しばらくして、彩花は今日の文芸部での出来事を悠真へ伝えた。


『そういえば、今日は嬉しいことがあったんだ』


 悠真から、すぐに返事が届いた。


『何があったの?』


『冬部誌の原稿、先生から正式に承認されたんだよ。ずっと確認してきた作品だから、すごく嬉しかった』


 悠真はその文章を読み、自然と笑顔になった。


 彩花が何度も原稿を読み返し、作者の意図を確かめながら修整を進めてきたことを、これまでのやり取りで知っている。


 その作品が正式に承認されたという報告は、悠真にとっても嬉しいものだった。


『おめでとう、彩花さん! ずっと頑張ってたもんね』


 彩花はその返事を読み、少しだけ頬を赤くした。


『ありがとう。作者の人もすごく安心してたよ。でも、冬部誌全体の作業はまだ残ってるんだ』


『そうなんだ。次はどんな作業をするの?』


 彩花は少し考え、今日の部室での出来事を説明した。


 本文が確定したあとも、誌面に配置したときの読みやすさを確認する必要があること。


 題名と本文が離れてしまったり、最後の一文だけが次のページへ残ってしまったりする場合があること。


 そうした問題は、作者の文章を勝手に書き換えるのではなく、ページの配置を調整して解決すること。


 悠真はその話を読み、興味を持った。


『なるほど。文章が完成しても、本として読める形にする作業が残ってるんだね』


『うん。私も今日、初めてちゃんと考えた気がする。書くことと、読んでもらうために整えることは、少し違うんだね』


 悠真はその返事を読み、少し考えた。


 自分が図書室で手に取る本も、誰かが文章を書き、確認し、読める形に整えたものなのだろう。


 普段は当たり前のようにページをめくっているが、その裏側には多くの作業がある。


『彩花さんの話を聞いてると、今度本を読むとき、ページの作り方も気になりそうだよ』


 彩花はその文章を読み、思わず笑った。


『私も、明日図書館に行ったら、ちょっと気にしちゃうかもしれない』


 悠真から、少しして返事が届いた。


『じゃあ、明日は本の中身だけじゃなくて、作り方にも目が向くかもしれないね』


 彩花はその言葉を読み、静かに微笑んだ。


 明日、悠真と一緒に本を選ぶ。


 そのとき、自分が気づいたことを直接話せる。


 そう考えるだけで、明日が待ち遠しくなった。


     ◇


 メッセージのやり取りを終えたあと、彩花は葉模様の日記帳を開いた。


 今日の出来事を書き留めようとして、まず文芸部でのことを思い出した。


 冬部誌の原稿が、先生から正式に承認された。


 何度も修整を重ね、作者本人の意図を確かめながら整えてきた文章が、一つの完成形になった。


 そのことが、思っていた以上に嬉しかった。


 彩花はペンを持ち、ゆっくりと書き始めた。


『金曜日。文芸部で、冬部誌の原稿が正式に承認された。作者の人が大切にしていた最後の一文を残したまま、読みやすい形にできてよかった。今日は誌面の確認も始まり、文章が完成したあとにも、読者へ届けるための作業があることを知った』


 彩花は少し考え、続きを書いた。


『自分の物語についても、まだ決めていなかった設定があることに気づいた。少女が手紙を書く理由や、祖母へどう届けるのかを、もう少し考えたい。無理に悲しい出来事を増やすのではなく、今の少女が何を伝えたいのかを大切にしたい』


 書き終えたあと、彩花は少しだけ微笑んだ。


 そして、最後に明日のことを書き加えた。


『明日は悠真君と中央図書館で会う。午後一時に入口付近で待ち合わせて、午後三時頃に図書館を出る予定。お互いに気になった本を一冊ずつ選んで、紹介し合うことになった。どんな本を選ぶのか、今から楽しみ』


 彩花はその文章を読み返し、静かに日記帳を閉じた。


 明日、悠真と会う。


 そのことを考えると、胸の奥が少しだけ高鳴った。


 けれど、不安よりも楽しみな気持ちの方が大きい。


 彩花は机の上の古い町の写真集へ目を向けた。


 同じ本を読む約束は、まだ途中だ。


 けれど、明日はそれとは別に、新しい本との出会いを一緒に楽しめる。


 彩花はそのことを思いながら、部屋の明かりを落とした。


     ◇


 九条家の自室で、悠真も明日の準備をしていた。


 財布とスマートフォン、折りたたみ傘を確認し、カレンダーへ待ち合わせの予定を書き込む。


 午後一時、青凪市中央図書館の入口付近。


 午後三時頃に図書館を出る。


 天気が大きく変わった場合は、出発前に連絡を取り合う。


 そして、お互いに気になった本を一冊ずつ選び、紹介し合う。


 悠真はその内容を確認し、少しだけ微笑んだ。


 机の上には、彩花から贈られた淡い青色の花模様のカードが置かれている。


 そこには、彩花が自分の好きなものを大切にしてくれたことへの感謝と、悠真と話す時間が好きだという言葉が書かれている。


 悠真はそのカードへ目を向け、静かに息を吐いた。


 明日、彩花と会う。


 前に会ったときから、二人はそれぞれの学校や家での出来事を伝え合ってきた。


 文芸部の原稿が完成へ近づいたこと。


 古い駅前写真の調査が少しずつ進んでいること。


 同じ写真集を読むための方法が、ようやく見つかり始めたこと。


 そして、彩花が自分の物語を少しずつ書き進めていること。


 メッセージで知っていることは多い。


 けれど、直接顔を見て話す時間には、きっと違う楽しさがある。


 悠真は窓の外へ目を向けた。


 夜の空には薄い雲が広がっているが、今は雨が降っていない。


 明日の天気がどうなるかは、まだ分からない。


 それでも、約束した時間に彩花と会えることを、悠真は楽しみにしていた。


 部屋の明かりを落とし、ベッドへ向かう。


 明日は土曜日。


 青凪市中央図書館で、彩花と会う日だ。


 悠真はその約束を胸に、静かに目を閉じた。


 金曜日の夜は、穏やかに更けていった。

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