↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『図書館で出会った御曹司が、私のことになるとちょっとおかしい』   作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
162/185

第162話 水曜日の返事と、君に見せたい景色


 水曜日の朝、水瀬彩花がカーテンを開けると、昨日までの雨が嘘のように、空には淡い青色が広がっていた。隣家の屋根にはまだ水滴が残っているものの、朝日を受けた庭木の葉は明るく輝き、窓を少し開けると、冷たい空気と一緒に湿った土の匂いが流れ込んでくる。


 彩花は窓を閉め、机の上の予定表へ目を向けた。次の土曜日には、悠真と青凪市中央図書館で会う約束をしている。午後一時に入口付近で待ち合わせることまで決まっており、あとは金曜日に天気と互いの予定を確認するだけだった。


(今日は水曜日だから、あと三日。学校も文芸部もあるし、きっとあっという間なんだろうな)


 そう考えたところで、彩花は自分が自然に土曜日までの日数を数えていたことに気づいた。以前にも悠真と会う約束をしたことはあるが、今回は彼の方から、写真集が見つかるのを待たずに会いたいと言ってくれたことが、特に嬉しかった。


 机の上には、青葉高校の図書室から借りている古い町の写真集が置かれている。昨日、悠真から書誌情報の一致する本を所蔵している図書館が見つかったと聞いたものの、取り寄せや閲覧ができるかどうかは、まだ確認中だった。


 彩花は表紙へ手を伸ばしかけ、そこで少し考えた。


(悠真君が読めるようになったら、どの写真を選ぶんだろう。私とは違う一枚かもしれないし、同じだったら、それも面白そう)


 自分が選んだのは、庭先にいる女性と植木鉢が写った写真だった。何か特別な出来事が起きているわけではないのに、その場所で続いてきた暮らしが感じられるところを、彩花は気に入っている。


 けれど、その理由も含めて、まだ悠真には伝えていない。彼自身が同じ本を読み、自分の目で好きな一枚を選ぶまでは、答えを伏せておく約束だからだ。


 彩花は写真集をそのままにして、制服へ着替えた。今日は文芸部の活動があるため、昨日書き直した創作ノートの一部も、帰宅後にもう一度確かめるつもりだった。


     ◇


 階下へ降りると、食卓では妹の凛花が母の紗月へ何かを説明していた。テーブルの端には、土曜日に園芸店へ行ってから使い続けている小さなノートが開かれている。


「だからね、お母さん。昨日みたいに雨が降ってる日は、窓際でも思ったより暗かったの。でも、今日は朝から明るいでしょう?」


 凛花は窓の方を指しながら、真剣な顔で話していた。紗月は朝食の皿を並べつつ、娘の説明に耳を傾けている。


「そうね。でも、今の時期は日が短くなっていくから、夏と同じ明るさが続くわけじゃないと思うわよ」


「それもお店の人に聞いた方がいいかな?」


「そうね。育てたい植物が決まったら、その植物に必要な明るさを確かめるのがいいんじゃないかしら」


 彩花が挨拶すると、凛花は顔を上げ、嬉しそうにノートを見せてきた。


「お姉ちゃん、おはよう! 昨日の雨の日と、今日の晴れの日で、窓際の明るさが全然違うんだよ」


「おはよう、凛花。ちゃんと比べてるんだね」


「うん。でもね、ちょっと困ったこともあるの」


 凛花はノートの一角を指した。そこには、窓際の棚、机の端、部屋の奥という三つの候補が書かれ、それぞれの場所で気づいたことが整理されている。


「窓際が一番明るいんだけど、窓を開けたときに風が直接当たりそうなの。だから、鉢を置くなら少し場所をずらした方がいいのかなって」


 彩花は妹の説明を聞き、以前、父の耕助が鉢の安定性について話していたことを思い出した。光の条件だけでなく、窓の開閉や鉢が落ちないことも考えなければならない。


「じゃあ、窓を開けるときに邪魔にならない場所も調べてみたら?」


「そうする! あと、棚の上に置くなら、ちゃんと安定するかも確かめたい」


 凛花はそう言って頷いたが、すぐに少し困った顔になった。


「でも、調べれば調べるほど、どこがいいのか分からなくなってきちゃった」


 彩花は思わず微笑んだ。


「最初から全部決めなくてもいいんじゃないかな。育てたい植物によって、合う場所も違うと思うし」


 紗月も頷き、二人の前へ朝食を置いた。


「彩花の言うとおりね。次にお店へ行くときは、部屋の条件を伝えて、育てやすい種類を相談してみましょう」


 凛花は少し考えたあと、安心したように笑った。


「うん。じゃあ、今日は窓の開け方と、棚の安定を確かめてみる」


 その様子を見ながら、彩花は妹が以前よりも慎重になったことを感じていた。かわいい植物を見つけて買うことだけではなく、そのあと長く世話を続けることまで考えている。


 まだ植物は一鉢も増えていない。それでも、凛花にとっては、すでに何かが始まっているのだろう。


     ◇


 登校途中、彩花はいつもの蕾がある場所で足を緩めた。昨日は雨粒がついていて輪郭を確かめにくかったが、今日は朝日が差しており、蕾の表面もほとんど乾いている。


 彩花は歩道の端へ移動し、周囲の邪魔にならない位置から蕾を眺めた。月曜日に撮った写真を表示し、今の姿と見比べてみる。


 先端の輪郭は、以前より少し丸みを帯びているように見えた。


 ただし、写真を撮った角度や光の違いによる可能性もあるため、彩花はすぐに成長したと決めつけなかった。


(今日は同じ角度から撮れそうかな。少なくとも、金曜日よりは条件を揃えられるかもしれない)


 彩花は以前の写真を確認しながら位置を調整し、新しく一枚撮影した。そのあと、蕾の根元や周囲の葉も眺め、傷んだ部分がないか確かめる。


 花はまだ開いていないが、蕾の表面には目立った傷もなく、雨のあとでも茎はしっかり立っていた。彩花はその様子を観察メモへ書き留める。


『水曜日。晴れ。蕾は未開花。月曜日と近い角度から撮影。先端がやや丸く見えるが、実際の変化かどうかは引き続き確認する。茎と周囲の葉に目立つ異常なし。』


 書き終えたあと、彩花はスマートフォンを鞄へ戻した。


 毎日見ていても、はっきりした変化が分からないことはある。それでも、同じ場所を通るたびに目を向けていると、以前なら気づかなかった小さな違いが見えてくる。


 彩花はそんなことを考えながら、学校へ向かった。


     ◇


 桜華学園高等部では、昼休みになると森川航平が悠真の席へやってきた。手には昨日の案内図について調べたメモがあり、いつもより少し得意そうな顔をしている。


「九条、昨日の施設名のことなんだけど、ちょっと分かったぞ」


 悠真は昼食を片づけ、航平が広げたメモへ目を向けた。


「何か見つかったの?」


「ああ。案内図に載ってた建物、少なくとも二つの年代の資料には同じ名前で出てきたんだ。ただ、建て替えがあったかどうかまでは分からない」


 航平は二つの資料の発行年を示した。どちらも、調査している古い駅前写真の撮影時期を特定するには十分ではないものの、施設名が一時的な表記ではなかった可能性を示している。


 悠真はメモを読み、少し考えた。


「同じ名前が続いていたことは確認できたんだね。でも、建物の位置まで同じとは限らないから、そこは別に調べた方がよさそう」


「そうなんだよ。あと、案内図の一つには建物の形が描いてあるんだけど、実際の形と同じかは怪しい」


 航平は少し困ったように笑い、資料の写しを指した。


 悠真は昨日、自分が学校の図書室で見つけた駅前商店街の写真について説明した。道路の幅や建物の並び方に似ている部分はあるものの、撮影位置が不明なため、同じ場所だとは判断していない。


 二人は資料を並べ、何が確かめられていて、何がまだ分からないのかを整理した。


「こうして見るとさ、前より資料は増えたのに、決められないことも増えた気がするな」


 航平が苦笑すると、悠真は少し考えてから答えた。


「でも、最初は何を調べればいいかも曖昧だったでしょう? 今は、施設の位置が変わったかどうかと、写真の撮影方向を確かめる必要があるって分かってる」


「まあ、そうだな。闇雲に探すよりはいいか」


 航平は頷き、比較表へ目を向けた。


 道路の曲がり方が似ている第一候補と、建物の並び方が似ている第二候補。どちらにも一致する点はあるが、決定的な根拠は見つかっていない。


 そこで悠真は、昨日見つけた写真の説明文に記されていた年代を、もう一度確認することにした。


「この写真、撮影時期はおおよそしか分からないんだけど、もし同じ施設が写っているなら、建物の位置を比べられるかもしれない」


 悠真がそう言うと、航平は資料へ顔を近づけた。


「でも、この写真だと建物の名前までは読めないよな」


「うん。だから、外観が分かる別の写真を探したいんだ。名前が一致するだけじゃなくて、実際の建物を比べられる資料があれば、候補を絞れると思う」


 航平はしばらく考え、頷いた。


「じゃあ、俺は施設の沿革を調べる。九条は写真を探す。昨日と同じ分担だけど、目的は前よりはっきりしたな」


「そうだね。何か見つかったら、出典も一緒に残そう」


 二人はそれぞれの担当を確認し、資料を片づけた。


 撮影地点の謎は、まだ解けていない。しかし、施設名が複数の資料で確認されたことで、調査する対象は具体的になった。


 悠真はその進展を大切にしながら、午後の授業へ向かった。


     ◇


 青葉高校では、放課後の文芸部が始まっていた。


 彩花が部室へ入ると、佐々木先輩が冬部誌『いつか、ここに』の資料を整理している。昨日、作者本人が最後の一文で残したかったものを説明し、その意図に合わせて直前の描写を見直したところだった。


 ただし、先生の最終承認はまだ下りていない。


「こんにちは、佐々木先輩。今日もよろしくお願いします」


「こんにちは、水瀬さん。昨日の原稿について、先生から確認の連絡が来ているわ」


 彩花は鞄を置き、先輩の方へ向き直った。


「どうでしたか?」


 佐々木先輩は資料を一枚取り出し、彩花へ見せた。


「文章の流れについては、昨日の修整案で問題ないそうよ。作者が残したかった余韻も、前より自然に伝わるって。ただし、掲載用の最終原稿として確認する前に、誤字や表記の統一をもう一度見てほしいそうなの」


 彩花はその説明を聞き、ほっとした。


 これまで何度も話し合ってきた文章について、先生から肯定的な返事があった。まだ最終承認ではないが、内容面の大きな修整は必要ないという判断だった。


「よかったですね。作者の人も、きっと安心すると思います」


「ええ。ただ、ここからは細かな確認が大切になるわ。内容がよくても、掲載したあとに誤字が見つかると残念でしょう?」


 彩花は頷いた。


 文章の意味を整える作業と、表記を揃える作業は違う。どちらも必要だが、確認するときの視点を切り替えなければ、見落としが生まれるかもしれない。


 しばらくして作者の部員が部室へ入り、佐々木先輩から先生の返事を聞いた。


「本当ですか? よかった……」


 部員は胸の前で両手を合わせ、安堵したように息を吐いた。


 彩花もその表情を見て、自然と笑顔になった。作者が大切にしていた最後の一文を残しながら、読み手が迷いやすい部分を改善できたことが、ようやく形になりつつある。


「でも、まだ最終確認があるんですよね」


 部員が尋ねると、佐々木先輩は頷いた。


「ええ。今日は表記と誤字を中心に確認しましょう。意味を変える必要があるところが見つかったら、勝手に直さず、必ず作者に確認することにしましょうね」


 三人は机を囲み、原稿の写しをそれぞれ手元へ置いた。


 彩花はまず、会話文の句読点や、同じ言葉が異なる表記になっていないか確認した。内容を読むときとは違い、一文字ずつ注意して追う必要があるため、普段よりもゆっくり読み進める。


 しばらくすると、同じ意味で使われている言葉の表記が、一か所だけ異なっていることに気づいた。


「先輩、ここなんですけど、前の段落と表記が違うみたいです」


 彩花が指した箇所を、佐々木先輩と作者の部員も確認した。


「あ、本当だ。そこ、前に直したときに残っちゃったのかもしれません」


 作者は少し照れくさそうに笑った。


 彩花はその反応を見ながら、以前の修整案を確認した。変更履歴に残されている文章と照らし合わせると、確かに修整の途中で表記が揃わなくなったようだった。


「どちらの表記に揃えたいですか?」


 彩花が尋ねると、作者は少し考えたあと、前の段落と同じ表記を選んだ。


 佐々木先輩は変更内容を記録し、ほかの箇所にも同じ表記がないか確認することにした。


 その後も三人は作業を続け、句読点の位置や会話文の表記を確かめた。大きな修整は必要なかったものの、細かな違いがいくつか見つかり、作者の確認を受けながら一つずつ整えていく。


 彩花はその作業を通じて、文章を完成させるまでには、思っていた以上に多くの段階があることを実感していた。


 書きたいことを見つける。


 文章にする。


 読み手が迷わないように整える。


 そして、最後に細かな部分を確かめる。


 どれか一つだけで終わるわけではない。


 ただし、その過程を重ねたからこそ、最初よりも作者の意図が伝わりやすい文章になっているのだと思った。


     ◇


 確認作業が一段落した頃、佐々木先輩は修整済みの原稿をまとめた。


「今日はここまでにしましょう。見つかった表記の違いは、全部作者に確認できたわね」


 彩花は手元の記録を見直し、頷いた。


「はい。変更履歴にも残してあります」


 作者の部員は、少し安心したように笑った。


「ありがとうございます。最初は、こんなに何度も見直すことになると思ってませんでした」


 佐々木先輩は穏やかに答えた。


「それだけ、自分の作品を大切にできたということでもあるわ。あとは先生に最終原稿を確認していただきましょう」


 部員は頷き、原稿を丁寧に揃えた。


 先生へ提出する準備は整ったが、正式な承認はまだこれからだ。彩花はその違いを意識しながら、作業記録を片づけた。


 帰り支度をしていると、佐々木先輩が彩花へ声をかけた。


「水瀬さん、最近、自分の作品の方はどう?」


 彩花は少し驚いたが、すぐに星模様の創作ノートを思い出した。


「少しずつ書き直してます。まだ完成には遠いんですけど、何を大切にしたいのか、前より考えられるようになった気がします」


「そう。それならよかったわ」


 先輩は微笑み、机の上の資料を揃えた。


「書き直していると、どうしても細かなところが気になってしまうけれど、最初に書きたかったものを忘れないことも大切だから」


 彩花はその言葉を聞き、静かに頷いた。


 祖母へ手紙を書く少女の物語。


 そこには、忘れてしまった言葉と、今も覚えている笑顔がある。


 自分が描きたいのは、過去の答えを無理に取り戻すことではなく、覚えているものを大切にしながら、今の時間を生きていく少女の姿なのだろう。


 彩花はそのことを胸に、部室をあとにした。


     ◇


 帰宅途中、彩花は青葉高校の図書室へ立ち寄った。


 古い町の写真集について、貸出期限はすでに確認している。ただ、昨日、悠真から同じ本の所蔵先が見つかったと聞いたことで、写真集を読む時間を改めて大切にしたいと思っていた。


 図書室の中は静かで、窓際の席では数人の生徒が本を読んでいる。彩花は書架の間を歩き、郷土資料の棚へ目を向けた。


 そこには、古い町並みや暮らしを紹介する本が並んでいた。


 彩花は一冊の本を手に取り、目次を開いた。


 昔の家屋や生活道具について書かれた資料だった。


 昨日まで、自分の創作に登場する園芸道具の種類を決められずにいたが、今は少し考え方が変わっている。道具そのものを詳しく説明することが目的ではなく、祖母が長く使っていたものとして、少女の記憶に自然に残ることが大切だと思うようになった。


 それでも、実際の暮らしと矛盾する描写は避けたい。


 彩花は目次を確認し、生活道具に関するページを開いた。


 古い道具の写真がいくつか掲載されていたが、探している園芸道具について詳しい説明があるわけではなかった。


 彩花は少し考え、無理に参考にするのをやめた。


(今の物語に必要なのは、道具の種類を全部説明することじゃないんだよね。祖母と少女の時間が伝わるように、必要なところだけ確かめればいい)


 彩花は本を元の場所へ戻し、別の棚へ移動した。


 そこで、植物の育て方について書かれた入門書が目に入った。


 凛花が植物を育てたいと考えていることを思い出し、彩花はその本を手に取った。室内で植物を育てるときには、日当たりだけでなく、風通しや水やり、鉢の置き場所も大切だと書かれている。


 彩花はしばらく読み、妹が調べていることと重なる部分を見つけた。


 ただし、植物の種類によって必要な条件は異なるため、一般的な説明だけで育て方を決めることはできない。


 彩花はその点を覚えておき、帰宅したら凛花へ本のことを話してみようと思った。


 図書室で本を戻すとき、窓の外には夕方の光が差し込んでいた。


 雨上がりの空は澄んでおり、遠くの校舎の屋根が柔らかな色に染まっている。


 彩花はその景色を眺めながら、ふと悠真のことを思い出した。


 彼なら、この光をどう感じるだろう。


 古い写真を見て、そこに暮らしていた人々の時間を想像する悠真なら、何気ない夕方の景色にも、きっと何かを見つけるのかもしれない。


 彩花はそんなことを考えながら、図書室をあとにした。


     ◇


 その頃、悠真は桜華学園の図書室で、昨日見つけた駅前商店街の写真について調べていた。


 今日は航平が施設の沿革を確認しているため、悠真は同じ建物が別の角度から写っている写真を探すことにしている。


 しかし、目次や索引を確認しても、目的の建物がはっきり写っている資料はなかなか見つからなかった。


 悠真は一冊の資料を閉じ、メモ帳へ確認結果を書き込んだ。


『該当資料では建物の外観を確認できず。撮影地点の判断材料にはならない。』


 書き終えたところで、図書室の先生が近くを通りかかった。


「九条君、何か探しているの?」


 悠真は顔を上げ、挨拶した。


「はい。昔の駅前の写真を調べているんですけど、同じ建物が別の角度から写っている資料がないか探していて」


 先生は少し考えたあと、郷土資料の棚へ目を向けた。


「それなら、写真集だけじゃなくて、昔の地域広報誌や記念誌にも載っていることがあるわよ。ただ、ここに全部揃っているわけではないけれど」


 悠真はその言葉を聞き、少し驚いた。


「広報誌や記念誌ですか」


「ええ。施設ができたときや、町の様子を紹介するときに写真が使われることがあるの。もちろん、探している建物が載っているとは限らないけれどね」


 悠真は頷いた。


 これまで、古い町の写真集を中心に探していた。


 けれど、施設の外観を確かめたいのであれば、写真集以外の資料にも目を向ける価値がある。


「ありがとうございます。探す範囲を少し広げてみます」


 悠真が礼を言うと、先生は穏やかに微笑んだ。


「資料の年代には気をつけてね。同じ建物でも、改築されていることがあるから」


「はい。そこも確認するようにします」


 先生が離れたあと、悠真はメモ帳へ新しい調査先を書き加えた。


 地域広報誌。


 施設の記念誌。


 古い案内資料。


 どれも、撮影地点を確かめるための手がかりになる可能性がある。


 悠真はその内容を整理し、今日の調査を終えることにした。


     ◇


 九条家へ帰宅した悠真を、白いサモエドのハクが玄関で迎えた。


 ハクは嬉しそうに尻尾を振り、悠真の足元へ近づいてくる。悠真は鞄を置き、しゃがんでその頭を撫でた。


「ただいま、ハク。今日はいい天気だったね」


 ハクは小さく鳴き、悠真の手へ鼻先を寄せた。


 その様子を見ていると、妹の琴葉が廊下から顔を出した。


「お兄ちゃん、おかえり。今日ね、押し葉の配置を決めたんだ」


 悠真は顔を上げた。


「本当? どんな感じにしたの?」


「生成り色の台紙にすることにしたの。葉っぱの色が一番きれいに見える気がして」


 琴葉は少し照れくさそうに笑った。


 これまで薄い緑色と生成り色のどちらにするか迷っていたが、何度か見比べた結果、生成り色を選ぶことにしたらしい。


「いいと思うよ。琴葉が一番きれいだと思う方に決められてよかったね」


「うん。でも、まだ貼ってないんだ。位置をもう少し確かめてからにする」


 悠真は頷いた。


「そうなんだ。完成したら見せてね」


「もちろん!」


 琴葉は嬉しそうに答え、自室へ戻っていった。


 悠真はその後ろ姿を見送りながら、彩花のことを思い出した。


 彼女も今、自分の物語を少しずつ書き進めている。


 完成したら最初に読ませてもらえるという約束を、悠真は楽しみにしていた。


 ただし、急いで完成させてほしいとは思っていない。


 琴葉が押し葉の配置を納得できるまで考えているように、彩花にも、自分が大切にしたいものをゆっくり形にしてほしかった。


 悠真はそんなことを考えながら、自室へ向かった。


     ◇


 夕食後、悠真が駅前写真の調査メモを整理していると、スマートフォンに通知が届いた。


 画面を確認すると、青凪市中央図書館からの連絡だった。


 昨日、書誌情報が一致する写真集の所蔵先が一件見つかり、悠真は閲覧や取り寄せの条件について問い合わせていた。


 悠真は少し緊張しながら、連絡内容を開いた。


 所蔵先の図書館へ確認したところ、該当する写真集は現在、館内での閲覧が可能な状態にあるという。


 ただし、資料の扱いに制限があり、ほかの図書館へ取り寄せて貸し出すことはできないとのことだった。


 悠真はその文章を読み、しばらく考えた。


 同じ本が存在することは確認できた。


 けれど、青凪市中央図書館へ取り寄せることはできない。


 それは残念だったが、完全に道が閉ざされたわけではなかった。


 所蔵先での館内閲覧は可能だと案内されている。


 ただし、実際に訪問する場合には、開館日や閲覧手続きについて事前に確認してほしいと記されていた。


 悠真は連絡を最後まで読み、メモ帳へ書き込んだ。


『写真集の所蔵先確認済み。館内閲覧は可能。ただし、他館への取り寄せ貸出は不可。訪問前に開館日と閲覧手続きの確認が必要。』


 書き終えたあと、悠真は机の上へ目を向けた。


 彩花と同じ本を読む約束。


 そのために、土曜日から少しずつ調べてきた。


 最初は所蔵先すら分からなかったが、今は閲覧できる場所が一つ見つかっている。


 ただし、その図書館へいつ行けるかは、まだ決めていない。


 悠真は少し考え、まず所蔵先の場所と交通手段を確認することにした。


 案内された図書館は、青凪市内ではなく、隣接する地域にあった。


 公共交通機関で行くことはできそうだが、乗り継ぎや所要時間については、まだ詳しく調べていない。


 悠真は地図を眺め、少し考えた。


(行けない場所ではなさそうだけど、学校がある日に無理して行くのは難しいかな。まずは家の予定も確認しないと)


 次の土曜日には、彩花と青凪市中央図書館で会う約束がある。


 その予定を変えてまで、急いで別の図書館へ行く必要はない。


 悠真はそう判断し、所蔵先の情報を保存した。


 そのあと、母の麗華へ相談するため、部屋を出た。


     ◇


 リビングでは、麗華が琴葉と話していた。


 琴葉は押し葉の台紙について説明しているところで、生成り色の紙を使うことに決めたと嬉しそうに話している。


 悠真は二人の会話が一段落するのを待ってから、声をかけた。


「母さん、少し相談してもいい?」


 麗華は顔を上げた。


「もちろんよ。どうしたの?」


「前に話した古い写真集なんだけど、同じ本を持っている図書館が見つかったんだ。ただ、中央図書館へ取り寄せることはできなくて、直接行けば館内で読めるみたいなんだ」


 麗華は興味深そうに頷いた。


「そうなのね。どこの図書館なの?」


 悠真は案内された所蔵先を説明した。


 麗華は場所を確認し、少し考えたあと口を開いた。


「行けない距離ではなさそうだけれど、学校がある日に急いで行くのは大変かもしれないわね」


「うん。だから、休みの日に行けるか考えようと思ってる」


 悠真はそこで、土曜日の予定についても改めて説明した。


 彩花と青凪市中央図書館で会う約束をしており、その日は別の図書館へ行くつもりはないこと。


 写真集の所蔵先へ行くのは、別の日に考えたいこと。


 麗華はその説明を聞き、穏やかに微笑んだ。


「それなら、まず開館日と閲覧の手続きを確認しておくといいわ。予定が合う日に、無理なく行けるように考えましょう」


「うん。ありがとう、母さん」


 悠真が礼を言うと、麗華は少しだけ笑った。


「それにしても、ずいぶん熱心に探しているのね。その写真集、そんなに気になるの?」


 悠真は少し考えた。


 もちろん、古い町の写真には興味がある。


 けれど、それだけではない。


 彩花が読んだ本を、自分も読んでみたい。


 彼女が何を見て、どんなところに心を動かされたのか、同じ本を通して知りたいと思っている。


 悠真は少し照れくさくなりながら、答えた。


「うん。写真そのものにも興味があるけど、彩花さんと同じ本を読んで、好きな一枚を選ぶ約束をしてるんだ」


 麗華はその言葉を聞き、優しく微笑んだ。


「そう。素敵な約束ね」


 悠真は少しだけ頬を赤くした。


「……ありがとう」


 麗華はそれ以上詳しく尋ねず、悠真が自分で予定を考えられるように見守ってくれた。


 悠真はそのことに感謝しながら、自室へ戻った。


     ◇


 水瀬家では、彩花が自室で星模様の創作ノートを開いていた。


 今日の文芸部では、冬部誌の原稿について内容面の修整がほぼ整い、表記や誤字の確認まで進めることができた。


 その経験を思い出しながら、自分の物語を読み返している。


 祖母へ手紙を書く少女は、庭の花が咲くのを待っている。


 幼い頃、祖母と一緒に庭へ出ていた時間を覚えている。


 けれど、祖母が何を言ってくれたのかは、もう思い出せない。


 彩花はその部分を読み返し、少し考えた。


 昨日までは、祖母の言葉を思い出せないことを、少女の寂しさとして描こうとしていた。


 しかし、今は少し違う気持ちがある。


 思い出せないことは、確かに寂しい。


 けれど、それでも覚えているものがある。


 祖母の笑顔。


 道具の柄に残る傷。


 庭で過ごした時間。


 そして、今も同じように花を眺めている自分。


 彩花はペンを取り、新しい文章を書き始めた。


『私は、おばあちゃんが何を言ってくれたのか、もう思い出せません。それでも、あのとき一緒に庭にいたことまで消えてしまったわけではありません。道具の柄に残っていた小さな傷も、私の質問を聞いて笑ったおばあちゃんの顔も、今も覚えています。だから私は、思い出せない言葉を探す代わりに、今日見つけたことを手紙に書こうと思いました。』


 彩花は書き終えた文章を、ゆっくりと読み返した。


 これまで、少女は過去の記憶を確かめようとしていた。


 けれど、今は少し違う。


 覚えていないことを無理に埋めるのではなく、今見つけたものを祖母へ伝えようとしている。


 それは、物語の中で少女が自分で選んだ、小さな行動だった。


(これなら、前より少し進んだかな。少女が何をしたいのか、はっきりしてきた気がする)


 彩花は文章の横へ「採用候補」と書き込み、前後の流れを確認した。


 まだ手紙の全文は完成していない。


 けれど、少女が何を伝えたいのかについては、以前より明確になった。


 彩花はそのことを嬉しく思いながら、ノートを閉じた。


 そのとき、スマートフォンに通知が届いた。


 画面には、悠真からのメッセージが表示されていた。


『彩花さん、こんばんは。写真集のことで、また一つ分かったことがあるんだ』


 彩花は自然と微笑み、返信を打った。


『こんばんは、悠真君。今日もお疲れさま。何か分かったの?』


 少しして、返事が届いた。


『うん。同じ本を持っている図書館で、館内閲覧はできるみたいなんだ。ただ、中央図書館へ取り寄せることはできないって』


 彩花はその文章を読み、少し考えた。


 取り寄せられないのは残念だ。


 けれど、直接行けば読むことができる。


 それは、昨日よりも具体的な情報だった。


『そっか。取り寄せは難しいんだね。でも、読める場所が分かったのはよかったね』


 悠真から、少しして返事が届いた。


『うん。すぐには行けないかもしれないけど、休みの日に予定を合わせて行けるか考えてみるよ』


 彩花はその言葉を読み、少しだけ眉を寄せた。


 悠真が同じ本を読みたいと思ってくれていることは嬉しい。


 けれど、そのために無理をしてほしくはなかった。


『悠真君、あんまり無理しないでね。写真集は急がなくても大丈夫だから』


 送信すると、悠真から返事が届いた。


『ありがとう。俺も急いでるわけじゃないよ。行ける日があったら、ゆっくり読んでみたいと思ってるんだ』


 彩花はその文章を読み、安心した。


 悠真は自分の都合も考えながら、無理のない方法を選ぼうとしている。


 それなら、彩花も安心して待つことができる。


『うん。それならよかった。悠真君が読める日を、私も楽しみにしてるね』


 悠真から、すぐに返事が届いた。


『ありがとう。読めたら、ちゃんと自分で一枚選ぶよ』


 彩花はその文章を読み、思わず微笑んだ。


 自分が選んだ写真は、まだ秘密のままだ。


 悠真も、その約束を覚えてくれている。


     ◇


 しばらくして、彩花は今日の文芸部での出来事を悠真へ伝えた。


 冬部誌の原稿について、先生から内容面では問題ないという返事があったこと。


 ただし、最終承認の前に誤字や表記を確認する必要があり、今日はその作業を進めたこと。


 作者本人が大切にしていた文章を残しながら、少しずつ完成へ近づいていること。


 悠真はその話を読み、嬉しくなった。


『それはよかったね。何度も確認してきた文章が、ちゃんと形になってきてるんだ』


 彩花はその返事を読み、頷いた。


『うん。まだ正式な承認はこれからだけど、今日はみんな少し安心してたよ』


 悠真は少し考え、返信した。


『彩花さんも、ずっと丁寧に読んでたもんね。お疲れさま』


 彩花はその言葉を読み、少しだけ頬を赤くした。


 自分が頑張ってきたことを、悠真は覚えてくれている。


 それが嬉しかった。


『ありがとう。悠真君も、写真の調査お疲れさま。今日は何か進んだ?』


 悠真はその質問を読み、今日の図書室での出来事を思い出した。


 古い駅前写真を探していたが、決定的な資料は見つからなかった。


 ただし、図書室の先生から、地域広報誌や施設の記念誌にも写真が載っている可能性があると教えてもらった。


 悠真はそのことを、彩花へ伝えた。


『今日は新しい写真は見つからなかったんだけど、探す資料の種類を増やしてみようと思ってる。写真集だけじゃなくて、昔の広報誌や記念誌にも載ってることがあるらしいんだ』


 彩花はその文章を読み、興味を持った。


『そうなんだ。写真集以外にも、昔の景色が残ってるんだね』


『うん。まだ調べてみないと分からないけど、少し違う方向から探せそうだよ』


 彩花はその返事を読み、静かに頷いた。


 自分も今日、図書室で生活道具の本を探していた。


 けれど、目的に合う情報が見つからなかったため、無理に使わずに戻した。


 悠真も同じように、必要な情報を考えながら資料を選んでいる。


 彩花はその共通点が、少し嬉しかった。


『悠真君と話してると、本の探し方もいろいろあるんだなって思うよ』


 悠真から、少しして返事が届いた。


『俺も彩花さんと話してると、同じ本でも違うところに目が向くことがあるよ』


 彩花はその文章を読み、少しだけ頬を緩めた。


 同じ本を読んでも、感じることは違う。


 けれど、その違いを話し合えることが楽しい。


 彩花は、土曜日に悠真と会う時間が、ますます楽しみになった。


     ◇


 やり取りが一段落した頃、悠真はふと、土曜日のことを思い出した。


 午後一時に青凪市中央図書館の入口付近で待ち合わせる約束は、すでに決まっている。


 写真集を取り寄せられないことも分かったが、それで予定を変えるつもりはなかった。


 悠真は少し考え、彩花へメッセージを送った。


『彩花さん、土曜日は予定どおり中央図書館で会おうね。写真集は別の日に読める方法を考えるから』


 彩花はその文章を読み、自然と微笑んだ。


『うん。私も、土曜日は悠真君と一緒に本を選ぶのを楽しみにしてるよ』


 悠真はその返事を読み、胸の奥が温かくなるのを感じた。


 同じ本を読む約束は大切だ。


 けれど、それとは別に、彩花と会いたい。


 昨日も一昨日も、その気持ちは変わっていない。


 悠真は少しだけ照れくさくなりながら、返信した。


『俺も楽しみにしてる。土曜日、晴れるといいね』


 彩花から、すぐに返事が届いた。


『うん。金曜日に天気も確認しようね』


 二人はそこで、土曜日の予定についての話を終えた。


 約束は変わらない。


 ただし、天気や互いの体調によっては、無理をせず相談するつもりだった。


 彩花はそのことを安心に感じながら、スマートフォンを机へ置いた。


     ◇


 メッセージのやり取りを終えたあと、彩花は葉模様の日記帳を開いた。


 今日の出来事を書き留めようとして、まず文芸部でのことを思い出した。


 冬部誌の原稿は、内容面の確認が一段落し、表記や誤字の確認まで進んだ。


 まだ先生の最終承認は下りていないが、作者本人が納得できる形に近づいている。


 彩花はペンを持ち、ゆっくりと書き始めた。


『水曜日。文芸部で、冬部誌の原稿について表記や誤字の確認をした。先生からは内容面で問題ないという返事があり、少し安心した。まだ最終承認はこれからだけれど、作者の人が大切にしていた文章を残せそうで嬉しい』


 彩花は少し考え、続きを書いた。


『夜、悠真君から写真集のことで連絡があった。同じ本を持っている図書館では館内閲覧ができるけれど、中央図書館へ取り寄せることはできないらしい。すぐには読めないかもしれないけれど、悠真君が無理のない日に見に行く方法を考えてくれている』


 書き終えたあと、彩花は少し微笑んだ。


 写真集の約束は、まだ途中だ。


 けれど、読める場所が分かったことは確かな進展だった。


 そして、土曜日に悠真と会う約束も変わっていない。


 彩花は日記帳を閉じ、机の上の写真集へ目を向けた。


 表紙の向こうには、古い町の景色が広がっている。


 その中には、自分が好きな一枚もある。


 いつか悠真が同じ本を読み、自分の好きな写真を選んだとき、どんな話ができるだろう。


 彩花はその日を楽しみにしながら、部屋の明かりを落とした。


     ◇


 九条家の自室で、悠真も今日の出来事を整理していた。


 駅前写真の調査では、施設の沿革を確認するための資料を探す方向が見えてきた。


 写真集の件では、同じ本を所蔵している図書館で館内閲覧が可能だと分かった。


 ただし、青凪市中央図書館への取り寄せはできない。


 そのため、実際に読みに行く日を考える必要がある。


 悠真はメモ帳へ、今日の確認結果を書き加えた。


『写真集は所蔵先で館内閲覧可能。他館への取り寄せ不可。訪問する場合は開館日と閲覧手続きの確認が必要。日程は未定。』


 書き終えたあと、悠真は机の上の淡い青色の花模様のカードへ目を向けた。


 彩花から贈られた、大切なカード。


 そこには、彼女が自分の好きなものを大切にしてくれたことへの感謝と、悠真と話す時間が好きだという言葉が書かれている。


 悠真はそのカードを見ながら、少し微笑んだ。


 次の土曜日、彩花と会う。


 午後一時、青凪市中央図書館の入口付近。


 写真集がなくても、一緒に本を選び、話す時間を楽しみにしている。


 悠真はそのことを思いながら、窓の外へ目を向けた。


 夜の庭は静かで、ハクの寝息が廊下の向こうからかすかに聞こえてくる。


 明日も学校があり、調べたいことがある。


 けれど、週末には彩花と会う約束が待っている。


 悠真はその楽しみを胸に、部屋の明かりを落とした。


 水曜日の夜は、穏やかに更けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。