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『図書館で出会った御曹司が、私のことになるとちょっとおかしい』   作者: 伊佐波瑞樹


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第149話 木曜日の放課後と、君に聞いてほしかった言葉



 木曜日の朝、水瀬彩花がカーテンを開けると、冬の青凪市には薄い雲が広がっていた。昨夜の強い風はすっかり収まったらしく、住宅街の電線も庭木の枝も、今はほとんど揺れていない。窓ガラスに触れた指先へ冷たさが伝わり、彩花は思わず肩をすくめたが、雲の切れ間から差し込む柔らかな朝日を見ると、自然と気持ちが落ち着いていった。


 机の上には、昨夜書いた葉模様の日記帳と、まだ完成していない星模様の創作ノートが並んでいる。彩花は制服に着替える前に日記帳へ目を向け、昨日の夜、九条悠真と交わした言葉を思い出した。


 悠真は、自分と話していると安心すると言ってくれた。


 その言葉を受け取ったときの嬉しさは、一晩眠った今も胸の奥に残っている。彩花自身も、悠真と話していると不思議なくらい落ち着けることがあるが、それを言葉にして伝えられたのは、昨日の自分にとって小さくない出来事だった。


(悠真君も、私と同じように感じてくれてたんだね。いつも優しく話を聞いてくれるから、私ばっかり安心してるのかなって思ってたけど……そうじゃなかったんだ)


 彩花は鏡の前で髪を整えながら、頬が少し温かくなるのを感じた。


 自分の知らない悠真の一面を、もっと知りたい。


 そして、悠真にも、自分のことを少しずつ知ってもらいたい。


 日曜日に交わしたその気持ちは、木曜日になっても変わっていなかった。


 階下へ下りると、台所から味噌汁の香りが漂ってきた。母の紗月が朝食を用意しており、父の耕助は食卓で新聞を読んでいる。姉の凛花は窓際に立ち、スマートフォンで何かを確認していた。


「おはよう、お父さん、お母さん、お姉ちゃん」


「おはよう、彩花。今日は早いのね」


 紗月が振り返り、微笑んだ。


「うん。少し早く目が覚めたの。昨日より風も落ち着いてるみたいだね」


「そうね。ただ、夕方はまた冷えるみたいだから、帰りは気をつけて」


 彩花は頷き、食卓へ着いた。


 凛花はスマートフォンを置き、少し考えるような表情で口を開いた。


「ねえ、彩花。植物を置く場所のことで、ちょっと相談してもいい?」


「うん。どうしたの?」


「前に話してた室内植物なんだけど、窓際に置くのがいいかなって思ってたの。でも、冬は窓の近くだと夜に冷えすぎることもあるみたいで、どうしようかなって」


 彩花は姉の言葉を聞き、少し考えた。


 植物の種類は、まだ決まっていない。


 種類によって適した環境も違うはずだから、今の段階で置き場所だけを決めるのは難しいかもしれない。


「お姉ちゃん、まだどの植物にするか決めてないんだよね?」


「うん。いくつか気になってるものはあるけど、まだ迷ってる」


「だったら、植物の種類が決まってから、置き場所を考えてもいいんじゃないかな。日当たりが好きなものもあるだろうし、寒さに弱いものもあると思うから」


 凛花はその言葉を聞き、ゆっくり頷いた。


「そっか。先に全部決めようとしてたけど、順番を変えてもいいんだね」


「うん。私も詳しいわけじゃないけど、中央図書館で植物の本を見たとき、種類によって育て方が違うって書いてあったよ」


 彩花がそう答えると、凛花は嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう。もう少し調べてみるね」


 耕助は二人の会話を聞きながら、新聞を畳んだ。


「何かを始める前に考えることは大切だけど、全部を一度に決める必要はないからな。分かることから順番に整理すればいいんじゃないか」


 彩花は父の言葉に頷いた。


 それは、文芸部の活動にも、創作にも通じる考え方だった。


 すぐに答えを出さなくてもいい。


 分からないことを分からないままにせず、少しずつ確かめていけばいい。


 そう思えるようになったことで、以前よりも落ち着いて物事に向き合えるようになった気がした。


     ◇


 通学路へ出ると、朝の空気は冷たかったものの、昨日ほど風は強くなかった。彩花はコートの襟元を整え、住宅街の歩道を進んだ。


 道沿いの植え込みには、いつもの小さな蕾がついている。


 彩花は歩道の端へ寄り、通行の邪魔にならない位置から枝を見上げた。


 蕾は、今日もまだ開いていなかった。


 ただ、昨日は風に揺れていた枝が、今朝はほとんど動いていない。彩花はその違いに気づき、鞄から小さなメモ帳を取り出した。


 木曜日。


 蕾は未開花。


 風は弱く、枝はほとんど揺れていない。


 形の大きな変化は確認できない。


 書き終えると、彩花はメモ帳を閉じた。


(今日もまだ咲いてないね。でも、毎日見てると、花が咲くことだけが楽しみじゃなくなってくるんだな)


 彩花は小さく微笑んだ。


 悠真と一緒に植物の本を見たことが、今の自分の見方へつながっている。


 そのことを思うと、土曜日の中央図書館で過ごした時間が、遠い思い出ではなく、今も日常の中に続いているように感じられた。


     ◇


 青葉高校の教室では、朝のホームルームが始まる前から生徒たちの話し声が広がっていた。彩花が席へ着くと、近くの女子生徒が教科書を取り出しながら声をかけてきた。


「水瀬さん、おはよう。昨日の授業のところ、もう一回聞いてもいい?」


「おはよう。うん、どこが気になったの?」


 彩花は鞄からノートを取り出し、女子生徒が示したページへ目を向けた。


 質問されたのは、昨日の授業で扱った文章の一部分だった。彩花自身も最初は少し迷ったところだったが、先生の説明を聞いてからノートへ整理していたため、そこを見ながら説明することにした。


「ここは、前の段落で出てきた言葉とつながってると思うんだ。私も最初は分かりにくかったけど、先生が説明してくれたところを見返したら、少し整理できたよ」


 女子生徒は彩花のノートを覗き込み、少し考えた。


「あ、本当だ。こっちの文章とつながってるんだね」


「うん。私も最初は気づかなかったけど、先生の説明を聞いてから分かったの」


 彩花がそう答えると、女子生徒は安心したように笑った。


「ありがとう。水瀬さんって、説明するとき本当に落ち着いてるよね」


 その言葉に、彩花は少し驚いた。


 昨日も、似たようなことを言われた。


 自分では、誰かに説明するときに緊張しているつもりだったからだ。


「そんなことないよ。私も、分からないところがあると結構迷うし……」


 彩花がそう答えると、女子生徒は首を横に振った。


「でも、分からないって言っても、ちゃんと一緒に考えてくれるじゃん。だから聞きやすいんだと思う」


 彩花はその言葉を聞き、少しだけ頬を赤くした。


「……ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい」


 女子生徒は微笑み、ノートを閉じた。


 彩花は自分の席へ戻りながら、胸の奥が温かくなるのを感じた。


 誰かにとって話しかけやすい人でいられること。


 それは、自分が思っていた以上に嬉しいことだった。


     ◇


 桜華学園高等部では、悠真が午前中の授業を終え、昼休みに入っていた。窓の外には薄い雲が広がり、校庭の木々が穏やかな風に揺れている。


 悠真が昼食の準備をしていると、森川航平が近くの席へやってきた。


「悠真、昨日の駅前写真の資料なんだけどさ、ちょっと整理し直してみたんだ」


 航平はそう言いながら、鞄からノートを取り出した。


「ありがとう。どんな感じになった?」


「撮影地点の候補を二つに分けて、それぞれ確認できてることと、まだ分からないことを表にしてみた。前より見やすくなったと思う」


 悠真はノートへ目を向け、整理された項目を確認した。


 確かに、以前より分かりやすくなっている。


 ただし、写真の年代と地図の年代が一致していないため、建物の位置だけで撮影地点を決めることはできない。写真の端に写る小さなものについても、まだ正体は分かっていなかった。


「うん。すごく見やすくなったね。これなら、次に何を確かめればいいか分かりやすいと思う」


 悠真がそう言うと、航平は満足そうに笑った。


「だろ? まあ、結論はまだ出てないけどな」


「うん。でも、今の段階で無理に決める必要はないと思うよ」


 悠真はそう答え、ノートを閉じた。


 航平は少し考えたあと、ふと話題を変えた。


「そういえば悠真、最近、何か楽しみにしてることあるのか?」


 悠真は少し驚き、顔を上げた。


「どうして?」


「いや、前より表情が柔らかくなった気がしてさ。何かいいことでもあったのかなって」


 航平はからかうような口調ではなく、友人として感じたことをそのまま伝えているようだった。


 悠真は少し考え、穏やかに微笑んだ。


「……最近、誰かと話す時間が前より楽しみになったんだ」


 航平はその答えを聞き、少し笑った。


「そっか。いいじゃん。そういうの、大事だと思うぜ」


 悠真は頷いた。


 彩花と話す時間が増えてから、何気ない出来事を思い出すことが多くなった。


 学校での出来事も、ハクと過ごした時間も、帰り道で見つけた小さな変化も、彩花へ話したくなる。


 そのことを航平へ詳しく説明する必要はないと思ったが、友人が自分の変化に気づいてくれたことは、少し嬉しかった。


     ◇


 午後の授業が終わると、彩花は文芸部の部室へ向かった。廊下には放課後の生徒たちの声が広がり、窓の外では運動部の生徒たちが練習を始めている。


 部室へ入ると、佐々木先輩が机の上に資料を広げていた。


「水瀬さん、お疲れさま。今日もよろしくね」


「お疲れさまです。よろしくお願いします」


 彩花は挨拶をして席へ着いた。


 冬の部誌『いつか、ここに』については、先生からの最終承認がまだ届いていない。そのため、今日も印刷へ進むことはできず、部員たちは確認表の整理や記録の見直しを進めることになっていた。


 佐々木先輩は部員たちが集まると、今日の作業について説明した。


「今日は、これまでの確認表をもう一度見直して、記録の抜けがないかを確かめます。先生からの最終承認が出るまでは、原稿の内容を勝手に変更しないようにしてください」


 部員たちは頷き、それぞれ資料を手に取った。


 彩花も担当している確認表を開き、変更箇所と確認日が正しく記録されているかを見直し始めた。


 しばらく作業を続けていると、近くに座っていた後輩が声をかけてきた。


「水瀬先輩、少し相談してもいいですか?」


「うん。どうしたの?」


 後輩は手元の資料を示しながら、少し困ったように眉を寄せた。


「この確認表なんですけど、昨日までに整理したところは大丈夫だと思うんです。でも、別の人が見たときに、ちゃんと分かるかどうか自信がなくて……」


 彩花は資料へ目を向けた。


 記録は丁寧に整理されており、変更箇所や理由も分かりやすく書かれている。


 けれど、後輩が不安に思っていることも理解できた。


「そうだね。自分では分かってるつもりでも、ほかの人が見たときにどう感じるかは、少し違うこともあるよね」


 彩花はそう言いながら、資料をゆっくり読み返した。


「でも、今の書き方なら、どこを確認したのかは伝わると思うよ。もし心配なら、佐々木先輩にも見てもらって、分かりにくいところがないか聞いてみようか」


 後輩は少し安心したように頷いた。


「ありがとうございます。自分だけで考えてると、どこが分かりにくいのか分からなくなっちゃって」


「うん。私もそういうことあるよ。だから、誰かに見てもらうのって大切なんだと思う」


 彩花がそう答えると、後輩は小さく笑った。


「水瀬先輩でも、そういうことあるんですね」


 その言葉に、彩花は少し驚いた。


「もちろんあるよ。私も、まだ分からないことはたくさんあるから」


 後輩は少し考え、穏やかに微笑んだ。


「なんだか、安心しました」


 彩花はその表情を見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。


 自分が完璧ではないことを伝えることで、相手が安心することもある。


 それは、今まであまり意識していなかったことだった。


     ◇


 同じ頃、桜華学園高等部では、悠真が生徒会の確認作業を終え、資料を片づけていた。


 今日は特別に大きな議題があるわけではなく、各担当から提出された連絡事項を整理し、必要な確認を進める時間が中心だった。


 悠真が資料をまとめていると、近くで作業していた生徒が声をかけてきた。


「九条君、ちょっといいかな。さっきの連絡事項なんだけど、担当の先生への確認がまだ終わってないところがあるんだ」


 悠真は資料へ目を向け、該当する欄を確かめた。


「うん。そこは確認待ちとして残しておこう。まだ返事が来ていないなら、決定事項として扱わない方がいいと思う」


「分かった。じゃあ、確認が終わるまではそのままにしておくね」


 生徒は頷き、資料を受け取った。


 悠真はその様子を見ながら、少し考えた。


 何かを進めるときには、分かっていることと、まだ確認が必要なことを分けておく。


 それは、駅前写真の調査でも、生徒会の仕事でも同じだった。


 そして、彩花が文芸部で取り組んでいる部誌の確認作業にも、似たところがあるのかもしれない。


 悠真はそのことを思いながら、残りの資料を整理していった。


     ◇


 文芸部の活動が終わる頃、佐々木先輩は部員たちへ声をかけた。


「今日はここまでにしましょう。確認表の整理は進んだけど、先生からの最終承認はまだです。印刷についても、承認が出てから改めて確認します」


 部員たちは頷き、資料を片づけ始めた。


 彩花も自分の担当分を所定の場所へ戻し、鞄を手に取った。


 そのとき、佐々木先輩が近づいてきた。


「水瀬さん、今日も後輩の相談に乗ってくれてありがとう。あの子、少し安心したみたいだったね」


 彩花は少し照れながら頷いた。


「はい。私も、分からないことがあるって話したら、安心してくれたみたいで……。ちょっと意外でした」


 佐々木先輩は穏やかに微笑んだ。


「そういうこともあるよ。先輩だからって、何でも完璧にできる必要はないからね。分からないことを一緒に考えられるのも、大切な力だと思う」


 彩花はその言葉を聞き、静かに頷いた。


 自分が思っている自分と、周囲から見た自分は、少し違うのかもしれない。


 朝、クラスメイトから落ち着いていると言われたことも、今の佐々木先輩の言葉も、彩花にとっては新しい発見だった。


「ありがとうございます。私も、そういう先輩になれたら嬉しいです」


 佐々木先輩は微笑んだ。


「もう少しずつ、そうなってると思うよ」


 彩花はその言葉に少し驚き、頬を赤くしながら頭を下げた。


 部室を出ると、廊下には夕方の光が差し込んでいた。窓の外では風が強くなっており、校庭の木々が大きく揺れている。


 彩花はコートの襟元を整え、校舎の出口へ向かった。


     ◇


 帰り道、彩花は朝に見た蕾のことを思い出していた。


 風は朝より少し強くなっており、住宅街の角を曲がるたびに冷たい空気が頬へ触れる。


 彩花はマフラーを整えながら歩き、いつもの蕾が見える場所へ近づいた。


 蕾は、今日もまだ開いていなかった。


 けれど、風に揺れる枝の先で、小さな蕾がしっかりとついているのが見える。


 彩花は歩道の端から静かに眺め、少しだけ微笑んだ。


(今日もまだ咲いてないけど、こうして毎日見てると、少しずつ親しみが湧いてくるんだね)


 彩花はメモ帳を取り出し、今日の記録へ短い言葉を書き加えた。


 夕方は風が少し強い。


 蕾は未開花。


 形の大きな変化は確認できない。


 書き終えると、彩花はメモ帳を閉じた。


 そのとき、ふと悠真へ今日のことを話したくなった。


 学校でクラスメイトから言われたこと。


 文芸部で後輩が安心してくれたこと。


 そして、自分が思っている自分と、周囲から見た自分が少し違うのかもしれないと感じたこと。


 彩花はその気持ちを胸に、家へ向かって歩き出した。


     ◇


 夕方、水瀬家へ帰宅した彩花は、母の紗月へ挨拶をしてから自室へ向かった。


 制服を着替え、机の上へ鞄を置くと、まず今日の出来事を手帳へ書き留めた。


 朝、クラスメイトから言われた言葉。


 文芸部で後輩が安心してくれたこと。


 佐々木先輩から、完璧でなくても一緒に考えられることが大切だと言われたこと。


 彩花は一つずつ丁寧に記録した。


 そのあと、星模様の創作ノートを開いた。


 祖母へ手紙を書こうとしている少女の物語は、まだ完成していない。


 けれど、今日の出来事を通して、少女の気持ちについて新しく考えられることがあるように感じた。


(少女も、自分では気づいてないことがあるのかな。おばあちゃんと過ごしていた頃には当たり前だったことが、今になって大切だったって分かることもあるのかもしれない)


 彩花はペンを取り、ノートの余白へ短い文章を書き加えた。


 祖母と庭で過ごしていた時間。


 祖母が何気なく教えてくれたこと。


 そのときには特別だと思わなかった言葉が、今になって少女の中で意味を持ち始める。


 彩花はその流れを考えながら、文章を少し整えていった。


 まだ完成ではない。


 けれど、今日も物語の中に小さな変化が生まれた。


     ◇


 夜、彩花は夕食と入浴を終え、自室で葉模様の日記帳を開いていた。


 今日の出来事を書こうとすると、思い出したいことがいくつも浮かんでくる。


 クラスメイトから言われた言葉。


 後輩が安心してくれた表情。


 佐々木先輩の穏やかな声。


 そして、帰り道で見た風に揺れる蕾。


 彩花は一つずつ丁寧に書き留めた。


『木曜日。今日は、周りの人から見た自分について考えることがあった。クラスメイトから落ち着いていると言われて少し驚いたし、文芸部では後輩が安心してくれた。自分ではまだ分からないことが多いと思っているけど、それでも誰かの役に立てることがあるのかもしれない』


 そこまで書くと、彩花は少しだけペンを止めた。


 今日のことを、悠真にも話したい。


 そう思ったところで、スマートフォンが小さく震えた。


 画面には、悠真からのメッセージが表示されていた。


『彩花さん、こんばんは。今日は学校、どうだった? 俺は生徒会の確認作業をしてから帰ってきたよ』


 彩花は自然と笑顔になった。


『こんばんは、悠真君。今日はね、ちょっと不思議なことがあったの。クラスメイトから落ち着いてるって言われたり、文芸部の後輩が私と話して安心したって言ってくれたりしたんだ』


 送信すると、ほどなくして返事が届いた。


『それは素敵なことだね。彩花さんが丁寧に話を聞いていることが、周りの人にも伝わっているんだと思うよ』


 彩花はその言葉を読み、胸の奥が温かくなるのを感じた。


 悠真はいつも、自分が気づいていないところを見つけてくれる。


 そのことが嬉しかった。


『ありがとう。でも、自分ではそんなに落ち着いてるつもりがなかったから、ちょっと驚いちゃった』


『そうなんだね。でも、彩花さんは相手の話をちゃんと聞いてから考えることが多いから、周りの人には落ち着いて見えるのかもしれないね』


 彩花はその文章を読み、少し考えた。


 確かに、自分はすぐに答えを出すよりも、一度考えてから話すことが多い。


 それは、緊張しているからでもあるし、間違えたことを伝えたくないからでもある。


 けれど、周りの人には、それが落ち着いているように見えることもあるのかもしれない。


『そういう見方もあるんだね。悠真君に言われると、少し分かる気がする』


『うん。俺も、彩花さんと話していると安心することが多いよ』


 その言葉を読んだ瞬間、彩花は思わずスマートフォンを見つめた。


 悠真も、自分と話していると安心する。


 そのことを、今まで直接聞いたことがあっただろうか。


 彩花は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、ゆっくりと返信を打った。


『……ありがとう、悠真君。私も、悠真君と話してると安心するよ』


 送信したあと、彩花は少しだけ頬を赤くした。


 自分の気持ちを言葉にするのは、今でも少し照れくさい。


 けれど、伝えなければ分からないこともある。


 今日、周囲の人から自分について教えてもらったように、悠真にも自分の気持ちを少しずつ伝えていきたいと思った。


     ◇


 九条家の自室で、悠真は彩花から届いたメッセージを読み、静かに微笑んでいた。


 彩花も、自分と話していると安心すると言ってくれた。


 その言葉が、胸の奥へ温かく広がっていく。


 悠真は以前から、彩花と話していると自然に肩の力が抜けることがあった。学校では生徒会の仕事を任されることも多く、周囲から落ち着いていると言われることもある。けれど、彩花と話す時間には、何かを完璧にこなそうと意識する必要がないように感じられた。


 自分が好きな本のことを話しても、ハクと過ごした時間を話しても、彩花は丁寧に聞いてくれる。


 そして、分からないことがあれば、無理に知っているふりをせず、一緒に考えてくれる。


 その姿勢が、悠真には心地よかった。


(彩花さんと話していると、俺も自然に自分のことを話せるんだよね。きっと、それが安心するってことなのかな)


 悠真はそう考えながら、スマートフォンを手に取った。


『彩花さん、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ。俺も、彩花さんと話す時間を大切に思っているからね』


 送信すると、少し間を置いて返事が届いた。


『うん。私も大切にしたいな』


 悠真はその文章を読み、穏やかに微笑んだ。


 大きな約束を交わしたわけではない。


 けれど、互いの気持ちを少しずつ言葉にできることが、今の二人には大切だった。


     ◇


 彩花は悠真とのやり取りを終えたあと、葉模様の日記帳へ視線を戻した。


 今日の最後に、もう一つ書きたいことがあった。


『夜、悠真君と話して、私も悠真君に安心してもらえていることを知った。嬉しかった。自分では気づかないところを、周りの人が見つけてくれることもあるんだと思った』


 彩花はその文章を読み返し、静かに微笑んだ。


 今日も、特別に大きな出来事があったわけではない。


 けれど、自分について新しく知ることができた。


 そして、悠真が自分と話す時間をどう感じているのかも、少し知ることができた。


 彩花は日記帳を閉じ、机の上へ置いた。


 星模様の創作ノートは、まだ完成していない。


 文芸部の冬の部誌も、先生からの最終承認を待っている。


 借りている小説の幼なじみたちも、まだ再会していない。


 通学路の蕾も、まだ開いていない。


 けれど、どれも少しずつ進んでいる。


 彩花はそのことを思いながら、部屋の明かりを落とした。


     ◇


 同じ頃、悠真も自室で明日の予定を確認していた。


 金曜日には通常の授業があり、生徒会の活動も続く。


 航平と進めている駅前写真の調査についても、今後少しずつ資料を確認していくつもりだった。


 ただし、撮影地点の候補はまだ二つのままで、確かな結論は出ていない。


 悠真は手帳を閉じ、机の上に置いた淡い青色の花模様のカードへ目を向けた。


 彩花から贈られたそのカードには、今も大切な言葉が残っている。


『私の好きなものを、いつも大切にしてくれてありがとう。』


『悠真君と話す時間が、私は好きです。』


 悠真はその言葉を思い出し、静かに微笑んだ。


 今日も、彩花と話す時間があった。


 学校での出来事を伝え合い、互いが相手と話す時間をどう感じているのかを、少しだけ知ることができた。


 その時間が、悠真には嬉しかった。


(彩花さんも、俺と話してると安心するって言ってくれたんだね。これからも、そう思ってもらえるように、自然に話していけたらいいな)


 悠真はカードを元の場所へ戻し、部屋の明かりを消した。


 木曜日の夜は、穏やかに更けていく。


 彩花と悠真は、それぞれの家で今日の出来事を振り返りながら、静かに眠りについた。


 別々の学校で過ごす毎日にも、二人をつなぐ小さな出来事が増えている。


 そして今日もまた、言葉にして初めて届く気持ちが、一つ増えていた。


 その積み重ねが、二人にとって大切な時間になっていた。


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