第137話 土曜日の図書館で、君と選ぶ次の一冊を思い浮かべながら
土曜日の朝、水瀬彩花が目を覚ましたとき、部屋の中にはまだ冬の冷たさが残っていた。カーテンの隙間から差し込む光は穏やかで、窓の向こうには薄い雲が広がっている。学校へ行く日のように急いで支度をする必要がないため、彩花は布団の中で少しだけ体を伸ばし、枕元の時計を確かめた。
昨日の夜、九条悠真と交わしたメッセージが自然に思い出される。二人はまた中央図書館へ行きたいという気持ちを伝え合い、次に会う日については、それぞれの予定を確認してから相談することにしていた。まだ日付も時間も決まっていないけれど、彩花の胸には、楽しみな約束が少しずつ形になっていくような感覚が残っていた。
(悠真君も、また一緒に本を見たいって言ってくれたんだよね。次に会えたら、どんな本を紹介しようかな)
彩花は布団から起き上がり、机の上へ視線を向けた。そこには、まだ読み終えていない小説と、星模様の創作ノート、葉模様の日記帳が並んでいる。昨日は幼なじみの再会を描いた小説を少し読み進めたものの、二人が言葉を交わすところまではたどり着かなかった。
物語の続きを知りたい気持ちはある。けれど、今朝はまず、これまで読んだ部分についてゆっくり考えてみたいと思った。
彩花はベッドから下りると、窓辺へ歩いてカーテンを開いた。外の空気は冷たそうだったが、庭には柔らかな朝日が届いている。通学路で毎日見守っている蕾のことが頭に浮かび、今日も様子を見られたらいいなと思ったものの、学校へ行かない日にわざわざそこまで歩くかどうかは、まだ決めていなかった。
そのとき、廊下の向こうから凛花の声が聞こえた。
「彩花、起きてる? 朝ごはん、もうすぐできるって」
「うん、起きてるよ。今行くね」
返事をしてから制服ではない普段着へ着替え、彩花は髪を整えた。鏡の中の自分はいつもと変わらないはずなのに、今日は少しだけ表情が明るく見える。
学校のない土曜日。
家族と過ごす時間も、自分の好きな本を読む時間もある。
そして、まだ決まっていない次の約束を、ゆっくり楽しみにできる一日でもあった。
◇
水瀬家の食卓では、母の紗月が温かなスープを取り分けていた。父の耕助は新聞を畳み、凛花はテーブルの端に置いた小さなメモ帳を確認している。彩花が席につくと、紗月は「おはよう」と微笑み、焼きたてのパンが載った皿を差し出した。
「今日は学校もお休みだし、ゆっくりできそうね。彩花は何か予定があるの?」
「まだ特に決めてないよ。本の続きを読んだり、ノートを書いたりしようかなって思ってる」
彩花が答えると、凛花が顔を上げた。
「ねえ、彩花。昨日話してた図書館のことなんだけど、今日少し時間ある?」
「うん。どうしたの?」
「植物の本を見に行きたいなって思ってたでしょう。まだ買うものを決めるわけじゃないんだけど、実際に本を見て、育て方をもう少し調べてみたいの」
凛花はメモ帳を開き、いくつか書き留めた項目を彩花へ見せた。
置き場所の日当たり、部屋の温度、水やりの頻度。どれも以前から調べていたことだが、凛花はまだ自分の部屋に合う植物を決めきれていないようだった。
「それでね、もし彩花がよければ、今日の午後、一緒に中央図書館へ行かない?」
その言葉を聞いた瞬間、彩花の胸が小さく弾んだ。
中央図書館。
先週の日曜日、悠真と一緒に過ごした場所だ。
あの日は本棚を眺め、昔の閲覧室の写真を見て、それぞれの本を静かに読んだ。楽しかった時間が一瞬で思い出されたものの、今日図書館へ行く理由は、姉と植物の本を探すことだった。
「うん、行きたい! お姉ちゃんと一緒に園芸の棚を見るの、楽しみにしてたから」
彩花が笑顔で答えると、凛花は安心したように頷いた。
「よかった。私、まだどんな本があるのか分からないから、彩花が一緒だと心強いんだ」
「私も詳しいわけじゃないけど、前に見た棚なら案内できると思うよ。いろんな本を比べながら探そうね」
紗月は二人の会話を聞き、嬉しそうに微笑んだ。
「それなら、午後に行ってきたらどうかしら。帰りが遅くならないようにして、気をつけてね」
「うん。ありがとう、お母さん」
凛花が答えると、耕助も頷いた。
「本を見てから決めるのはいいことだね。植物は買って終わりじゃないから、長く世話できるか考えるのも大切だと思うよ」
「そうなんだよね。だから、今日はまだ選ぶだけにするつもり」
凛花はそう言ってメモ帳を閉じた。
彩花は姉の様子を見ながら、午後の時間が楽しみになっていた。
今日は悠真と会う約束をしているわけではない。偶然会えるかもしれないと期待して図書館へ行くのでもなく、姉と一緒に本を探すために出かけるのだ。
それでも、あの場所へまた行けることが嬉しかった。
(悠真君と行ったときとは、きっと違う本を見つけられるよね。お姉ちゃんがどんな植物に興味を持つのかも、楽しみだな)
彩花は温かなスープを一口飲み、午後の予定を思い浮かべながら朝食を続けた。
◇
一方、九条家では、悠真が朝食を終えて自室へ戻っていた。
今日は学校が休みで、生徒会の活動も予定されていない。昨日のうちに確認しておきたい課題を整理していたため、午前中は読書を進める時間が取れそうだった。
机の上には、青凪市中央図書館から借りている歴史写真の本が置かれている。古い閲覧室や街の建物について紹介されている本で、悠真はまだ最後まで読み終えていなかった。
昨日、航平と昔の駅前写真について調べたこともあり、今朝は写真に写っている建物の見方について、もう少し考えてみたくなっていた。
悠真は椅子に座り、本を開いた。
ページには、昔の街並みを写した写真と、その場所がどのように使われていたかを説明する文章が載っている。現在の姿とは違う建物が並んでいる写真を見ていると、そこに暮らしていた人々の生活を想像したくなる。
(写真に写っているものだけで、全部が分かるわけじゃないんだよね。航平が調べている駅前の写真も、きっとまだ気づいていないことがあるんだろうな)
悠真は昨日作った整理表を思い出した。
二つの候補地点について、一致しているところと疑問点を分けて書き出した。撮影場所も年代もまだ確定していないが、分からない部分を整理できたことで、次に何を調べればよいか少し見えてきた。
悠真は本の中にある写真を眺めながら、撮影角度によって建物の印象が変わることに改めて気づいた。正面から見た建物と、少し斜めから見た建物では、屋根や窓の位置が違って見える場合がある。
そのことを航平へ伝えれば、調査の参考になるかもしれない。
ただ、今読んでいる本に載っている建物と、航平が調べている駅前写真の建物が同じだという証拠はない。悠真はそこを混同しないようにしながら、気になった点だけをメモ帳へ書き留めた。
しばらく読書を続けたあと、扉の向こうから控えめなノックが聞こえた。
「お兄様、今ちょっといい?」
「うん、いいよ。どうしたの、琴葉」
扉を開けて入ってきた琴葉は、手に一冊の本を抱えていた。表紙には葉の形を紹介する写真が並んでおり、昨日も読んでいたものらしい。
「押し葉のことなんだけどね、乾かしてる葉っぱをまだ開けない方がいいって、お母様と話してたの。それで、今日はこの本で形を見てたんだけど、少し迷ってることがあって」
琴葉は悠真の机の近くへ歩き、本を開いた。
「葉っぱを並べるとき、同じ向きにするのと、少しずつ向きを変えるのと、どっちがいいと思う?」
悠真は妹が示したページを見つめた。
そこには、形の違う葉を並べた写真がいくつか載っている。どれもきれいに見えたが、並べ方によって印象が違っていた。
「どちらもいいと思うよ。葉の形を比べたいなら同じ向きの方が分かりやすいかもしれないし、自然な感じにしたいなら、少し向きを変えるのもよさそうだね」
悠真が答えると、琴葉は真剣な顔で考え込んだ。
「そっか。じゃあ、ちゃんと乾いてから並べてみて、それで決めようかな」
「うん。それがいいと思う。今のうちに全部決めなくても、実際に見てから考えられるからね」
琴葉は嬉しそうに頷いた。
「ありがとう、お兄様。彩花さんにも、いつか見てもらいたいから、きれいにできたらいいな」
「きっと喜んでくれると思うよ。でも、琴葉が楽しんで作ることも大切だから、焦らなくていいと思う」
「うん。私もそう思う!」
琴葉は笑顔で本を閉じた。
悠真は妹を見送りながら、彩花が押し葉の完成を楽しみにしていることを思い出した。
まだ乾燥中で、紙の色も並べ方も決まっていない。完成する日がいつになるかは分からないけれど、琴葉が一生懸命考えていることを、彩花にもいつか伝えたいと思った。
◇
午前中の水瀬家では、彩花が自室の机へ向かっていた。
午後には凛花と中央図書館へ行く予定になったため、出かける前に少しだけ創作ノートを進めておきたいと思ったのだ。
星模様のノートを開くと、少女が祖母との思い出を胸に、庭の植物を見守る場面が続いている。昨日は祖母が使っていた道具について書き加えたが、まだ細かな形や置き場所までは決めていなかった。
彩花はその部分を読み返し、少女が道具を見つけたときの気持ちを考えた。
祖母と一緒に庭の手入れをしていた頃、少女はその道具を何度も見ていたはずだ。けれど、当時は特別なものだとは思っていなかったかもしれない。
今になって手に取ると、持ち手の小さな傷や、長く使われた跡に気づく。
そこから、祖母と過ごした時間が思い出される。
(思い出って、最初から大切なものだって分かっているわけじゃないのかもしれないね。あとから振り返って、あの時間が好きだったんだって気づくこともあるのかな)
彩花はペンを手に取り、少女が道具を見つめる場面を少し書き直した。
祖母がその道具を使っていた姿を、少女が思い出す。手入れを終えたあと、二人で庭を眺めながら話したことも、自然に胸へ浮かんでくる。
その記憶を通して、少女は今も庭を見に来ている理由を少し理解する。
彩花はそこまで書き、文章の流れを確かめた。
祖母へ宛てた手紙は、まだ二行のままだ。
『おばあちゃん、庭の花がもうすぐ咲きそうです。』
『毎朝見ていると、昨日とは少し違うところが見つかります。』
その先へ何を書くのかは、まだ決めていない。
けれど、手紙を書いている少女の気持ちは、以前より少しずつ見えてきている。
彩花はノートを閉じ、机の上へ置いた。
悠真には、物語が完成したら最初に読んでもらいたいと思っている。まだ詳しい内容は話していないけれど、完成を急がなくてもよいと言ってくれたことが、彩花には嬉しかった。
自分の物語を大切に書いていくこと。
そして、完成したときに胸を張って見せられるようにすること。
その二つを考えながら、彩花は午後の外出へ向けて支度を始めた。
◇
昼食を終えたあと、彩花と凛花は中央図書館へ向かった。
冬の午後の空は明るく、朝よりも雲が薄くなっている。歩道には休日らしい穏やかな人の流れがあり、買い物袋を提げた人や、家族連れの姿が見えた。
凛花は小さな鞄を肩に掛け、植物について調べたメモ帳を持っている。彩花も自分の鞄に筆記具とメモ帳を入れてきたが、今日は新しい本を借りるかどうかまでは決めていなかった。
「彩花、前に見た園芸の棚って、どの辺りにあるの?」
凛花が尋ねると、彩花は少し考えながら答えた。
「中央図書館の中で、暮らしに関係する本が並んでいるところだったと思う。前に見たとき、植物の育て方とか、部屋に置く植物の本がいくつかあったんだ」
「そうなんだ。写真が多い本もあるといいな。文章だけだと、実際の大きさとか形が想像しにくいこともあるから」
「うん。写真を見ながら考えられたら楽しそうだね」
二人はそんな話をしながら歩いた。
凛花は、植物を買う前に調べておきたいことがたくさんあるらしい。水やりの回数だけでなく、日当たりや温度、置き場所の広さについても気にしていた。
「最初はね、部屋に緑があったらいいなって思っただけだったの。でも調べてみたら、植物によって育て方が違うでしょう。だから、見た目だけで選ぶのは少し心配になってきて」
凛花は少し照れたように笑った。
「でも、そうやって調べるのも楽しいんだよね。まだ何も買ってないのに、もう育ててるみたいな気持ちになることがあるの」
彩花はその言葉に微笑んだ。
「分かる気がする。私も、まだ咲いていない蕾を見てるだけなのに、毎日楽しみになってるから」
「そうだね。彩花も、少しずつ変わるのを見守ってるんだもんね」
凛花は頷き、歩道の先へ目を向けた。
中央図書館の建物が見えてくると、彩花の胸には懐かしいような気持ちが広がった。
先週の日曜日、悠真と待ち合わせた入口。
一緒に本棚を眺めた時間。
静かな閲覧席で、それぞれの本を読んだこと。
その思い出は、今日も変わらず大切だった。
けれど、今日は姉と一緒に来ている。
彩花は凛花の隣を歩きながら、これから二人で見つける本を楽しみにしていた。
◇
中央図書館へ入ると、館内には静かな空気が広がっていた。
入口近くでは、利用者が返却する本を整理している。少し離れた場所には新しく紹介されている本が並び、棚の間を歩く人々の足音が控えめに響いていた。
彩花は凛花を案内しながら、以前見た園芸の棚へ向かった。
並んでいる本の背表紙を確かめると、室内で育てる植物についての本や、植物の手入れを紹介する本がいくつか見つかった。
「あ、ここだと思う。お姉ちゃん、見てみて」
彩花が声を落として話しかけると、凛花は嬉しそうに棚へ近づいた。
「本当にいろいろあるね。こんなに種類があると思わなかった」
凛花は背表紙を一つずつ眺め、気になった本を慎重に取り出した。
最初に手にしたのは、室内で育てる植物の写真が多く載った本だった。ページを開くと、葉の形や大きさが異なる植物が紹介されており、凛花は興味深そうに写真を見つめた。
「これ、きれいだね。でも、うちの部屋に置けるかどうかは別だよね」
「うん。お姉ちゃんの部屋って、窓の近くは明るいけど、棚の上は少し日が当たりにくいよね」
「そうなの。だから、どこに置くかも考えないといけないんだ」
凛花は本を開いたまま、メモ帳へ視線を落とした。
「この本だと、日当たりのことも書いてあるね。もう少し詳しく読んでみようかな」
彩花は頷き、近くの棚から別の本を取り出した。
こちらには、植物を育てるときの基本的な世話について説明が載っている。水やりや置き場所の考え方が紹介されており、彩花は凛花へ見せながら、どちらの本が参考になりそうか一緒に考えた。
「写真が多い本と、育て方が詳しい本を比べてみるのもいいかもしれないね」
「うん。最初は写真を見て気になる植物を探して、それから育て方を確かめるのがよさそう」
凛花は楽しそうに頷いた。
二人は本を数冊選び、空いている閲覧席へ移動した。
窓際の席には柔らかな午後の光が差し込み、机の上に置いた本の表紙を明るく照らしている。周囲ではほかの利用者が静かに読書をしており、ページをめくる音が時折聞こえた。
彩花は椅子へ座り、凛花が本を開くのを見守った。
姉は真剣な表情で写真を眺め、気になった部分をメモ帳へ書き留めている。その様子を見ていると、彩花まで嬉しくなってきた。
(お姉ちゃん、本当に楽しそう。まだ植物を買ってないけど、こうやって調べる時間も大切なんだね)
彩花は自分の手元の本を開き、凛花が気になっている条件に合う説明がないか探し始めた。
◇
しばらくして、凛花は一冊の本を閉じ、少し考えるように窓の外へ目を向けた。
「彩花、調べれば調べるほど、すぐには決められなくなってきたかも」
その言葉に、彩花は顔を上げた。
「どうして?」
「最初は、好きな形の植物を選べばいいかなって思ってたの。でも、育て方を読んでると、ちゃんと世話できるか考えたくなるんだよね。部屋のどこに置くかも、もう少し確かめたいし」
凛花はメモ帳を開き、今日書き加えた内容を見せた。
そこには、日当たりや水やりについての注意点が並んでいる。まだ具体的な植物を一つに絞る段階ではないが、何を確認すればよいかは以前よりはっきりしてきたようだった。
「でもね、迷ってるのに嫌じゃないんだ。むしろ、ちゃんと考えてから選びたいって思うようになったの」
凛花は少し照れくさそうに笑った。
彩花はその言葉を聞き、昨日の悠真とのやり取りを思い出した。
次に会う日も、まだ決まっていない。
けれど、決まっていないからこそ、一緒に考える楽しみがある。
「お姉ちゃんが納得できるまで調べていいと思うよ。今日すぐに決めなくても、また本を見に来られるし」
「うん。そうするつもり。今日は来てよかったな」
凛花は笑顔で頷いた。
彩花は姉の表情を見ながら、自分も嬉しくなっていた。
図書館へ来たことで、植物を選ぶための答えがすべて見つかったわけではない。それでも、凛花が何を大切にしたいのか、少しずつ分かってきたように思う。
そのことが、今日一緒に来た意味なのかもしれない。
凛花はもう一度本を開き、気になった写真を眺めた。
彩花も隣でページをめくりながら、姉がどんな植物を選ぶ日が来るのだろうと想像した。
まだ何も決まっていない。
けれど、今日の時間は確かに、その日のための一歩になっていた。
◇
同じ頃、九条家では、悠真が読書を終えて居間へ下りてきていた。
母の麗華はテーブルで書類を確認しており、琴葉は近くで植物の本を読んでいる。ハクはその足元に伏せ、時折尻尾を動かしていた。
「お母様、少しよろしいですか」
悠真が声をかけると、麗華は顔を上げた。
「もちろん。どうしたの、悠真」
「次に彩花さんと会う日のことなんですが、学校の予定をもう少し確認してから相談しようと思っています。家の予定についても、変更があれば教えていただけると助かります」
麗華は穏やかに頷いた。
「分かったわ。今のところ、急に決まっている用事はないけれど、何かあれば早めに伝えるわね」
「ありがとうございます」
悠真は礼を言い、少し安心したように微笑んだ。
その様子を見ていた琴葉が、本を閉じて顔を上げた。
「お兄様、彩花さんとまた図書館へ行くの?」
「まだ決まっていないけど、また一緒に行けたらいいねって話しているよ」
「いいなあ。彩花さん、きっと楽しみにしてるね」
琴葉は嬉しそうに笑った。
悠真はその言葉を聞き、少し照れながら頷いた。
「そうだと嬉しいな。俺も楽しみにしているから」
麗華は二人の会話を聞きながら、柔らかく微笑んだ。
「悠真が自分から予定を考えているの、なんだか嬉しいわ。以前から本は好きだったけれど、最近は誰かと一緒に過ごす時間も大切にしているのね」
その言葉に、悠真は少し考えた。
彩花と出会う前から、図書館へ行くことは好きだった。
本を読む時間も、静かな場所で考え事をする時間も、自分にとって大切だった。
けれど、今は少し違う。
彩花と一緒に本を見たり、同じものについて話したりする時間が、新しい楽しみになっている。
「はい。彩花さんと話していると、自分では気づかなかったことを知ることができるんです。それが、とても楽しいんだと思います」
悠真が答えると、麗華は嬉しそうに頷いた。
「そうなのね。これからも、お互いに大切にできる時間を作れるといいわね」
「はい」
悠真は静かに答えた。
そのあと、琴葉が押し葉について話し始めたため、会話は自然にそちらへ移っていった。
悠真は妹の話を聞きながら、次に彩花と会う日を楽しみにする気持ちが、また少し強くなっていることを感じていた。
◇
中央図書館では、彩花と凛花が本を棚へ戻し始めていた。
今日調べた内容はメモ帳にまとめてある。凛花はまだ植物を選んでおらず、購入する予定も決めていないが、何を確認したいのかが以前よりはっきりしたようだった。
「彩花、今日は付き合ってくれてありがとう。すごく参考になったよ」
凛花が本を棚へ戻しながら言うと、彩花は笑顔で首を横へ振った。
「私も楽しかったよ。お姉ちゃんと一緒に本を探せて嬉しかったし、知らないこともたくさんあったから」
「また来たいな。今度は、今日メモしたことを家で確かめてからにしようかな」
「うん。そうしようね」
二人は静かに話しながら、棚の間を歩いた。
彩花はふと、以前悠真と一緒に見た本棚の方へ目を向けた。
あの日、二人はそれぞれ気になった本を探し、同じ場所で静かに読書をした。
今、そこに悠真の姿はない。
けれど、寂しいというより、また一緒に来られる日が楽しみだという気持ちの方が強かった。
(今度は悠真君と、どんな本を見ようかな。今日お姉ちゃんと調べた植物のことも、話してみたいな)
彩花はそんなことを考えながら、凛花の隣を歩いた。
入口近くまで戻ると、凛花が少し足を止めた。
「彩花、今日は本を借りなくても大丈夫?」
「うん。今はまだ読み終わってない本があるから、今日は借りないで帰ろうと思う」
「そっか。じゃあ、また今度だね」
凛花は頷き、二人は図書館を出た。
外へ出ると、冬の午後の空気が頬に触れた。館内の静けさとは違い、道路を走る車の音や、通りを歩く人々の話し声が聞こえてくる。
彩花は振り返り、中央図書館の建物を見上げた。
先週の日曜日には、悠真と一緒にここへ来た。
今日は凛花と、植物の本を探した。
同じ場所でも、一緒に過ごす相手や目的によって、違う時間になるのだと思った。
そして、どちらの時間も大切だった。
◇
帰り道、凛花は今日見た本について楽しそうに話していた。
植物の写真を見て気になったこと、育て方を調べて初めて知ったこと、家に帰ったら部屋の日当たりをもう一度確かめたいこと。どれもまだ結論が出ていない話だったが、凛花の声には明るさがあった。
「彩花、私ね、今日行ってよかったと思ってる。まだ何を育てるか決めてないけど、最初よりちゃんと考えられるようになった気がするんだ」
「うん。お姉ちゃん、すごく楽しそうだったよ」
彩花が答えると、凛花は少し照れたように笑った。
「そうかな。でも、楽しかったのは本当だよ。彩花が一緒に考えてくれたのも嬉しかった」
「私もだよ。また一緒に行こうね」
二人はそんな会話をしながら、家へ向かって歩いた。
彩花はふと、悠真と次に会う日のことを思い出した。
まだ具体的な約束は決まっていない。
けれど、今日の凛花との時間を通して、誰かと一緒に何かを選ぶ楽しさを改めて感じることができた。
次に悠真と図書館へ行けたら、今度はどんな本を選ぶのだろう。
それぞれが気になった本を紹介し合うのも楽しそうだし、同じ棚を眺めながら知らない本を探すのもいい。
彩花はそんなことを考え、少しだけ頬を緩めた。
凛花はその表情に気づいたようだったが、何も尋ねず、穏やかに微笑んだ。
姉妹は並んで歩きながら、冬の夕方の街をゆっくり進んでいった。
◇
夕食を終えたあと、彩花は自室へ戻り、今日の出来事を振り返っていた。
机の上には、図書館へ持っていったメモ帳が置かれている。凛花と一緒に調べた植物の育て方について、いくつか書き留めたことがあった。
彩花はそのページを読み返し、姉が楽しそうに本を選んでいた姿を思い出した。
植物を育てることについて、凛花はまだ分からないことがたくさんある。
けれど、今日図書館へ行ったことで、何を調べたいのかが少しずつはっきりしてきた。
その過程を一緒に過ごせたことが、彩花には嬉しかった。
そして、中央図書館の本棚を歩いているとき、何度か悠真のことを思い出した。
先週の日曜日に一緒に過ごした場所だから、自然なことなのかもしれない。
けれど、ただ思い出すだけではなかった。
次に会えたら、今日見つけた本の話をしてみたい。
姉と植物について調べたことを、悠真にも聞いてほしい。
そんな気持ちが、少しずつ大きくなっていた。
(悠真君、今日はどんな一日だったのかな。本の続きを読んでるかもしれないし、琴葉ちゃんと押し葉のことを話してるかもしれないね)
彩花はスマートフォンを手に取った。
昨日の夜、二人はまた中央図書館へ行きたいという気持ちを伝え合った。
今日もその話をする必要はないかもしれない。
けれど、図書館で過ごした時間が楽しかったことは、素直に伝えたいと思った。
彩花は少し考え、悠真へメッセージを送った。
『悠真君、こんばんは。今日はお姉ちゃんと中央図書館へ行ってきたよ。部屋に置く植物のことを調べたくて、園芸の本を一緒に見てきたの』
送信すると、彩花は机の上の本へ目を向けた。
まだ読み終わっていない幼なじみの小説。
今日も続きを読む時間はあったけれど、図書館で過ごした時間が楽しかったため、今夜は少しだけ余韻に浸っていたかった。
しばらくして、スマートフォンが小さく震えた。
◇
悠真は彩花から届いたメッセージを読み、自然に微笑んだ。
今日は凛花と中央図書館へ行っていたらしい。
以前、彩花が姉と園芸の本を見に行きたいと話していたことを思い出し、その約束が実現したのだと分かって嬉しくなった。
『こんばんは、彩花さん。そうだったんだね。前に話していた、お姉さんと園芸の本を見に行く約束ができたんだね。楽しかった?』
送信すると、すぐに彩花から返事が届いた。
『うん、すごく楽しかったよ。お姉ちゃん、まだどの植物を育てるか決めてないんだけど、今日はいろんな本を見ながら、部屋の日当たりとか水やりのことを調べてたの』
悠真はその文章を読み、凛花が真剣に本を選んでいる姿を想像した。
彩花から以前聞いていた話では、姉は植物を買う前に育て方を調べていた。
今日もまだ購入するものは決まっていないようだが、調べる時間そのものを楽しんでいるのだろう。
『それはよかったね。お姉さんも、きっと嬉しかったと思うよ。彩花さんと一緒に調べられたんだから』
悠真がそう送ると、彩花から少し照れたような返事が届いた。
『そうだと嬉しいな。私も、お姉ちゃんと一緒に本を探せて嬉しかったよ。それにね、中央図書館へ行ったら、日曜日に悠真君と一緒に本を見たことも思い出したの』
悠真はその文章を見つめた。
彩花は今日、姉と過ごした時間を楽しんでいた。
それなのに、自分と過ごした日曜日のことも思い出してくれた。
そのことが、胸の奥へ静かな温かさを広げていく。
(彩花さんにとっても、あの日の時間は大切な思い出なんだね)
悠真は少し考え、返信を打ち始めた。
『ありがとう、彩花さん。俺も日曜日のことをよく思い出しているよ。今日は借りている歴史写真の本を読んでいたんだけど、一緒に昔の閲覧室の写真を見たときのことを思い出したんだ』
送信すると、悠真は机の上の本へ目を向けた。
まだ読み終わっていない歴史写真の本。
その中には、以前彩花と一緒に眺めた写真もある。
同じ本を一人で読んでいても、あの日の会話が自然に思い出される。
そのことが、悠真には嬉しかった。
◇
彩花は悠真からの返信を読み、胸の奥が温かくなるのを感じた。
悠真も今日、本を読みながら日曜日のことを思い出していたらしい。
それぞれ違う場所で過ごしていても、同じ時間を大切に思っている。
そのことが、彩花にはとても嬉しかった。
『悠真君も思い出してくれてたんだね。なんだか嬉しいな。私、今日お姉ちゃんと本を見ながら、また悠真君とも一緒にいろんな本を探したいって思ったの』
送信したあと、彩花は少しだけ頬を熱くした。
昨日も、また図書館へ行きたいと話している。
それなのに、今日も同じ気持ちを伝えてしまった。
けれど、今夜は少し違う。
今日、姉と一緒に本を選ぶ楽しさを感じたからこそ、悠真ともまた本を探したいと思ったのだ。
その気持ちは、昨日の繰り返しではない。
今日という一日を過ごしたからこそ、生まれたものだった。
しばらくして、悠真から返信が届いた。
『俺もだよ、彩花さん。今度一緒に行けたら、お互いに気になった本を紹介し合うのも楽しそうだね。彩花さんがどんな本を選ぶのか、俺も知りたいな』
彩花はその文章を読み、思わず笑顔になった。
自分が考えていたことと、悠真の言葉が重なっている。
次に会う日付は、まだ決まっていない。
けれど、二人で過ごしたい時間の形は、少しずつ見えてきている。
『うん、楽しそう! 私も悠真君が選ぶ本を見てみたいな。次に会える日が決まったら、また一緒に考えようね』
彩花がそう送ると、悠真から穏やかな返事が届いた。
『そうだね。お互いの予定を確かめながら、無理のない日を相談しよう。俺も楽しみにしているよ』
彩花はその文章を読み、静かに頷いた。
今夜も、具体的な日付は決まらなかった。
それでも、不安にはならなかった。
悠真が同じように楽しみにしてくれていると分かっているからだ。
◇
その夜、彩花は葉模様の日記帳を開き、今日の出来事を書き始めた。
凛花と中央図書館へ行ったこと。
園芸の本を一緒に見ながら、植物を育てるために必要なことを調べたこと。
まだ植物は決まっていないけれど、姉が楽しそうにしていたこと。
そして、悠真とまた中央図書館へ行きたいという気持ちを、今日も伝えられたこと。
彩花はペンを動かしながら、今日一日を振り返った。
同じ図書館でも、一緒に過ごす相手によって違う時間になる。
凛花と過ごした今日は、植物について考える楽しさを知る時間だった。
悠真と過ごした日曜日は、本を通して互いの好きなものを知る時間だった。
どちらも、自分にとって大切な思い出になっている。
(次に悠真君と行けたら、また新しい思い出が増えるのかな。どんな本に出会えるのか、今から楽しみだな)
彩花は日記帳へ、ゆっくり言葉を綴った。
『土曜日。お姉ちゃんと中央図書館へ行った。植物の本を一緒に探す時間が楽しかった。悠真君とも、また一緒に本を選びたい。まだ次に会う日は決まっていないけれど、楽しみに待てることが嬉しい』
書き終えると、彩花は日記帳を閉じた。
机の上には、星模様の創作ノートが置かれている。
その中の少女も、まだ手紙を完成させていない。
けれど、庭を見守る時間を通して、祖母との思い出を少しずつ確かめている。
彩花はそのことを思い出し、静かに微笑んだ。
完成していないものがある。
まだ決まっていない約束がある。
それでも、今日という一日は確かに楽しかった。
彩花は部屋の明かりを落とし、布団へ入った。
明日は日曜日。
学校へ行く日とは違う時間の中で、また本を読んだり、物語を書いたりできるだろう。
そして、悠真と次に会える日を楽しみにする気持ちも、きっと変わらない。
◇
九条家では、悠真が寝る前に歴史写真の本を閉じたところだった。
今日も少し読み進めたが、まだ最後までは読み終えていない。
航平と調べている昔の駅前写真についても、撮影場所や年代が分かったわけではない。
琴葉の押し葉も、まだ乾燥中だ。
けれど、どれも少しずつ前へ進んでいる。
悠真は机の上を整えながら、彩花から届いたメッセージを思い出した。
今日は凛花と中央図書館へ行ったこと。
植物の本を一緒に探したこと。
そして、その時間の中で、自分と過ごした日曜日のことも思い出してくれたこと。
悠真はその一つ一つを、大切に受け止めていた。
(彩花さんが楽しい一日を過ごせてよかった。俺も、また一緒に図書館へ行ける日が楽しみだな)
次に会う日付は、まだ決まっていない。
けれど、互いにまた会いたいと思っていることは分かっている。
それだけで、待つ時間も少し楽しみになっていた。
悠真はベッドへ入り、静かに目を閉じた。
冬の夜は穏やかに更けていく。
彩花と悠真は、それぞれ違う場所で土曜日を過ごした。
彩花は姉と中央図書館へ行き、植物の本を探す楽しさを知った。
悠真は歴史写真の本を読み進め、妹の押し葉について一緒に考えた。
そして夜には、今日の出来事を伝え合いながら、また一緒に本を選ぶ時間を楽しみにしていることを確かめ合った。
まだ具体的な約束は決まっていない。
それでも、二人の間には、次に会う日へ向かう穏やかな期待が育っていた。
同じ場所へ行く日を、同じ気持ちで楽しみにできる。
その小さな喜びを胸に、二人はそれぞれの夜を静かに終えた。




