第130話 土曜日の栞に挟んだ約束と、まだ渡さない物語
土曜日の朝、彩花は目覚まし時計が鳴る少し前に目を覚ました。窓の向こうには冬らしい白い空が広がり、平日なら通学の準備を始める時間なのに、今日は急いで制服に着替えなくてもいい。その違いに気づいた途端、昨夜交わした約束が胸の奥で明るく灯った。
明日の日曜日、午後一時半に中央図書館の入口で悠真と会う。先週の日曜日にも同じ場所で会ったのだから、初めての約束ではないはずなのに、日にちと時間を思い出すたび、彩花は少し落ち着かなくなる。(何を話そう、なんて考えすぎなくてもいいのに。悠真君とは、本を開いているだけでも楽しいんだから)
机には星模様のノートと葉模様の日記帳が並んでいた。星模様のノートの物語では、遠くに住む祖母へ手紙を書こうとする少女が、鉢植えの土を見つめながら水やりを迷っている。便箋の二行は変わらず、祖母へ伝えたいことの輪郭だけが、少しずつ濃くなっていた。
彩花はノートを開いたものの、すぐに書き始めることはしなかった。昨日、文章表現の本を読んでから、少女の気持ちを説明するより、少女自身に動いてもらいたいと考えるようになったからだ。そこで今日は、祖母と少女が最後に一緒に庭へ出た日のことを、まず頭の中で思い浮かべてみることにした。
祖母は何を教え、少女はどこを見ていたのだろう。庭には花があり、祖母の手には小さなじょうろがあったかもしれないが、細部を決める前に、二人がどんなふうに言葉を交わす人たちなのか知りたい。彩花は空白のページへ短く「教えるのではなく、一緒に確かめる」と書き、ひとまずノートを閉じた。
◇
階下へ降りると、台所では母の紗月が朝食の支度をしていた。父の耕助は休日用のゆったりした服で新聞を読んでおり、姉の凛花は食卓に置いた園芸の本をめくっている。数日前に話していた鉢植えのことを、本当に調べ続けていたらしい。
「おはよう、彩花。今日は早いね。せっかくの土曜日なんだから、もう少し寝ていてもよかったのに」と凛花が顔を上げた。彩花が「いつもの時間に目が覚めちゃった」と答えると、姉は本を閉じずに笑った。「私なんか、休みだと思ったら二度寝しちゃうのに。そういえば明日、図書館へ行くんだっけ?」
彩花は一瞬だけ箸を持つ手を止めた。昨夜、日曜日に外出することを家族へ伝えていたが、悠真と会うことを口にするのは、まだ少し照れくさい。「うん。午後一時半に中央図書館で、悠真君と待ち合わせることになったの」と答えると、紗月が「そうなのね」と自然に頷いた。
「この前も本の話をして楽しかったんでしょう。帰る時間が遅くなりそうなら、連絡だけしてね」と紗月が言った。耕助も「日曜日は道が混むところもあるから、慌てずに行くといい」と続ける。彩花は二人に礼を言い、まだ予定していないことまで勝手に心配しなくてよいのだと、少し肩の力を抜いた。
凛花は彩花の表情を見て、からかうような笑みを浮かべかけたが、すぐに園芸の本へ視線を戻した。「私は今日、駅前の花屋をもう一度見に行こうかな。買うかどうかはまだ決めないけど、置き場所の条件を店の人に聞いてみたいんだ」と言う。紗月が「質問をまとめてから行くといいわね」と返すと、凛花は本の余白ではなく、別のメモ用紙へ日当たりと水やりについて書き出した。
彩花はその姿を見て、自分の物語の少女を思い出した。育て方を調べる姉と、祖母の教えを思い出す少女は同じではないが、植物を大切にしたいからこそ、すぐに手を動かさず確かめようとするところは似ている。(見守るって、何もしないこととは違うんだね)そんな考えが浮かんだが、今は朝食の時間を楽しもうと、温かな汁物へ箸を伸ばした。
◇
朝食のあと、彩花は自室へ戻って借りている小説を取り出した。幼なじみの二人がそれぞれ故郷へ戻り、変わった町並みの中で昔の記憶をたどる物語だ。二人はまだ再会しておらず、彩花は昨日、別々の道を歩く場面でしおりを挟んでいた。
窓際の椅子へ腰を下ろし、膝に薄い毛布を掛けて本を開く。物語の一人は、子どもの頃に待ち合わせをした場所へ向かう途中、かつての商店が別の店になっているのを見つけた。もう一人は、その場所へ続く道の反対側で、古い掲示板の跡を眺めている。
彩花は二人の歩く速度が違うことに気づいた。片方は何かを確かめるようにゆっくり歩き、もう片方は迷うのを避けるように足を速めている。作者は「会いたい」とも「怖い」とも書いていないのに、その歩き方だけで二人の心の違いが伝わってくるようだった。
(こういう書き方、好きだな。気持ちを全部言葉にしなくても、読んでいる人が想像できるんだ)彩花は少しページを戻し、足取りが描かれた段落をもう一度読んだ。昨日読んだ文章表現の本の内容が、今度は小説の中で実際に息づいているのを感じた。
読み進めると、二人のうち一人が、昔の待ち合わせ場所の近くで立ち止まった。そこには今、新しい案内板が立っており、昔の目印だったものは残っていない。それでも、その人物は目を閉じて、かつて誰かを待っていたときの足音を思い出す。
彩花はページの先が気になったが、そこで一度本を閉じた。続きが怖くなったわけではなく、読んだ場面をもう少し心に置いておきたかったのだ。次のページで二人が会うのかどうか、まだ分からないまま、しおりを丁寧に挟んだ。
◇
一方、九条家の朝は、ハクが廊下を歩く柔らかな足音とともに始まっていた。悠真が食堂へ入ると、妹の琴葉が窓の外を眺めながら、昨日よりも少し乾いたように見えた押し葉の話を母の麗華へしている。昨日、兄妹で紙を慎重に開いて確認したものの、葉はまだ完全には乾いておらず、もうしばらく待つことにしていた。
「お兄様、おはよう。昨日は一緒に見てくれてありがとう。今朝も気になったけど、今日は開かずにおこうと思うの」と琴葉が言った。悠真は席へ着きながら、「おはよう、琴葉。何度も開くと葉が動いてしまうかもしれないから、その方が安心だね」と答える。琴葉は満足そうに頷き、ハクへ「もう少し待とうね」と話しかけた。
麗華は二人を見て微笑み、「琴葉があんなに楽しみにしているなら、できあがったときは嬉しいでしょうね」と言った。父の正樹は仕事の予定を確認していたが、会話が一段落すると「乾いたあとも、扱い方には気をつけた方がいいな」と穏やかに加える。悠真は「しおりにするかどうかも、状態を見てから琴葉と決めるつもりです」と答えた。
食後、悠真は祖父の俊治と短く顔を合わせた。俊治は手元の本を閉じ、「この頃は図書館へよく足を運んでいるそうだな」と尋ねる。悠真が「はい。明日も彩花さんと中央図書館で会う約束をしました」と答えると、祖父は「相手と同じ時間を過ごすのは、本を読むのとはまた違う学びがあるだろう」と静かに笑った。
悠真は祖父の言葉を、すぐに何かの教訓へ結びつけようとはしなかった。ただ、彩花と並んで昔の閲覧室の写真を見たとき、彼女が自分とは違うものを見つけたことを思い出す。「はい。話していると、同じものでも違うところが見えてくるんです」と答えると、俊治はそれ以上詮索せず、満足そうに頷いた。
◇
昼前、彩花は紗月に頼まれ、近所の店へ牛乳と夕食用の野菜を買いに出かけた。店までの道は通学路とは違うため、いつもの蕾のある植え込みは通らない。彩花はそのことに気づき、毎日同じ景色を見られるのも、決まった道を歩いているからなのだと思った。
店内には週末の買い物をする人が何人かいて、彩花は必要なものをメモと照らし合わせながら籠へ入れた。野菜売り場で迷ったときは、頼まれた数と種類を確かめ、似た名前の商品を間違えないようにする。レジを終えて袋の重さを確かめると、帰り道では片方の手へ負担が偏らないように持ち替えた。
住宅街へ戻る途中、小さな公園の前で親子が立ち止まっていた。子どもは落ち葉を指差し、葉脈の形が違うことを母親へ一生懸命説明している。彩花は会話を邪魔せず通り過ぎたが、子どもの声に含まれていた発見の喜びが、しばらく耳に残った。
(同じ木から落ちた葉でも、形が少しずつ違うんだろうな)彩花はふと、悠真と琴葉が押し葉を作っていると聞いたことを思い出した。琴葉がどんな葉を選び、どうして残しておきたいと思ったのか、明日悠真に聞いてみたくなった。
帰宅すると、紗月が袋を受け取り、「重かったでしょう、ありがとう」と声をかけた。彩花は「大丈夫だよ」と答え、手を洗ってから買ってきたものを一緒に片づける。特別な出来事ではなかったが、頼まれたことを終え、家の中の一日が少し進んだことが心地よかった。
◇
午後、凛花は駅前の花屋へ出かける前に、園芸の本とメモをもう一度確認していた。彩花が「何か決めたの?」と尋ねると、姉は首を横に振り、「まだ。今日は話を聞いて、家のどこに置けるか考えるだけ」と答えた。育てたいという気持ちだけで植物を迎えないようにしているところが、凛花らしいと彩花は思った。
「彩花は今日は本を読むの?」と凛花に尋ねられ、彩花は頷いた。「うん。それと、書きかけのお話も少し考えたいな。まだ最後まで決まっていないから、今日は登場人物のことを整理するつもり」と答える。凛花は「読ませてもらえる日が来たら楽しみにしてる」と笑ったが、ノートを見せてほしいとは言わなかった。
姉を見送ったあと、彩花は机へ戻り、星模様のノートを開いた。祖母へ手紙を書く少女の物語には、まだ書いていない時間がいくつもある。彩花は便箋の三行目を無理に埋めるのではなく、少女と祖母が一緒に庭へ出た日の短い回想を書いてみることにした。
回想の中で、幼い少女はじょうろを持ち、花へすぐに水をあげようとする。祖母は止めるのではなく、「今日は土がどんなふうに見える?」と尋ね、少女と並んで鉢の前にしゃがむ。少女は答えられずに困るが、祖母は急かさず、土の色と手触りを確かめるところから一緒に始める。
彩花はそこまで書き、祖母の台詞を読み返した。教えを押しつけるのではなく、少女が自分で気づくのを待つ人にしたいと思っていたが、今の一言なら、その人柄が少し伝わるかもしれない。彩花は続けて、少女が祖母の手元ではなく、自分の目で鉢を見直す場面を書いた。
そのとき、祖母が何でも正しい答えを知っている人物に見えないようにも気をつけた。植物の世話は天気や置き場所で変わるし、同じ方法がいつも当てはまるわけではない。祖母自身も「今日はどうだろうね」と考えながら暮らしている人の方が、彩花には自然に思えた。
回想を終えると、彩花は現在の場面へ戻った。離れて暮らす今、少女は祖母の言葉を思い出しながら、自分の鉢植えを見つめている。誰かに正解を教えてもらうのではなく、自分で見て決めようとしている姿が、先ほどより少しはっきりした。
(これなら、三行目をまだ書かなくても、少女の時間は進んでいるよね)彩花はペンを置き、肩を軽く回した。完成したら悠真に最初に読んでもらうという約束は大切にしているが、そのために急いで結末を作るつもりはなかった。
◇
同じ午後、悠真は借りている地域の歴史写真集を読み進めていた。昔の中央図書館の閲覧室を写したページには、木製の机と背の高い窓があり、先週彩花と眺めたときの会話が自然と思い出される。彼女は写真の中で本を開く人々の時間を想像し、悠真は窓の位置や机の並び方を確かめていた。
今日は写真の説明文を前後まで読み、建物の改修について記された部分に付箋ではなく、手元のメモへページ番号を書き留めた。借り物の本に印をつけずに残せるよう、気になる箇所を自分の言葉で整理する。写真から確かめられることと、説明文に書かれていることを混ぜないようにするのは、航平と資料を見て以来、以前より意識している点だった。
途中、航平から短いメッセージが届いた。昨日まで調べていた駅前の写真について、今日は新しい資料を見つけられなかったが、候補の二か所を地図で並べて整理してみたという内容だった。悠真は「結論を急がず、根拠を比べていこう」と返し、必要なら来週一緒に確認しようと伝えた。
航平の調査はまだ続いている。悠真はそのことを面倒だとは思わず、友人が自分の興味を持って取り組んでいるのを嬉しく感じた。以前なら自分一人で読み終えた本を閉じていたかもしれないが、今は見つけたことを誰かへ伝えたいと思う機会が増えている。
しばらくして琴葉が部屋の前でノックをした。「お兄様、少しだけいい?」という声に、悠真は本を閉じて返事をする。琴葉はハクを連れて入ってきたが、今日は押し葉を開きたいわけではなく、葉が乾いたあとにどんな紙へ挟むか考えたいのだと話した。
「色のついた紙もきれいだと思うけど、葉の形が見えにくくなったら嫌なの」と琴葉が言った。悠真は「先に葉の状態を確かめてから、背景の紙を並べて比べてみるのはどうかな」と提案する。琴葉は少し考えて頷き、「それなら、まだ決めなくていいね」と笑った。
ハクは二人の足元で静かに伏せ、時折尻尾を揺らしていた。悠真は妹が選択を楽しめるようにしたいと思いながらも、完成後の使い方まで自分が決めてしまわないように気をつけた。琴葉が自分で選んだ葉だからこそ、どんな形で残すかも彼女の気持ちを大切にしたかった。
◇
夕方、凛花が花屋から帰ってきたとき、手には鉢植えではなく、小さな紙袋とメモがあった。彩花が不思議そうに見ると、凛花は「今日は植物は買わなかったよ。育て方の説明が書かれた紙をもらってきたの」と言い、袋から店の案内を取り出した。日当たりと水やりだけでなく、冬の室温についても確認したらしい。
「店の人がね、置きたい場所を先に決めて、その場所に合う種類を選んだ方がいいって教えてくれたんだ」と凛花は話した。彩花は「なるほど。植物を選んでから場所を探すんじゃなくて、場所のことも考えるんだね」と答える。凛花は「うん。うちの部屋の窓辺は朝しか日が入らないから、そのことも伝えてきた」と続けた。
姉妹は居間の窓際へ行き、実際にどの時間帯に光が入るかを思い出しながら話した。紗月も加わり、「冬と夏では日差しの入り方が違うから、そこも考えたいわね」と言う。凛花は新しく知ったことをメモに書き足し、今日は購入を見送ってよかったと笑った。
彩花は姉の姿を見て、朝の自分の考えを思い出した。大切にしたいものがあるからこそ、すぐに手に入れたり完成させたりしないこともある。けれど、待っている間に何もしないのではなく、知ろうとすることはできるのだと感じた。
夕食の支度が始まると、彩花は食器を並べるのを手伝った。耕助は凛花のメモを見て「ずいぶん本格的だね」と感心し、凛花は「枯らしたくないからね」と笑う。家族の会話は穏やかに続き、彩花は明日の外出が楽しみな一方で、こうした家での時間も好きなのだと改めて思った。
◇
夜、彩花は明日の図書館へ持っていくものを確認した。読みかけの小説はまだ返す段階ではないが、悠真へどこまで読んだか話せるように鞄へ入れるつもりだった。筆記具と小さなメモ帳も用意したが、星模様のノートは机に置いたままにした。
そのノートは、完成したら悠真に最初に読んでもらうと約束した物語だ。今はまだ途中で、祖母への手紙も二行しか書かれていない。悠真は少女が大切な手紙を準備していることは知っているが、祖母や鉢植えについては話していないため、明日も内容をうっかり説明しすぎないようにしたいと思った。
(隠したいわけじゃないんだよね。ちゃんと物語にしてから、最初に読んでほしいんだ)彩花はノートの表紙をそっと撫でた。悠真が完成を急かさずに待ってくれていることも、彼女には嬉しかった。
スマートフォンに悠真からメッセージが届いたのは、その少しあとだった。『彩花さん、今日はどんな土曜日だった? 俺は写真集を読んだり、琴葉と押し葉をどう残すか話したりしていたよ。明日の待ち合わせは、予定どおり午後一時半に中央図書館の入口で大丈夫かな』と書かれている。
彩花はすぐに返事を打ち始めた。『うん、大丈夫だよ。今日は家で本を読んだり、書きかけのお話を少し進めたりしてたの。お姉ちゃんが花屋で植物の育て方を聞いてきて、家でもその話をしたよ』と送ると、ほどなく悠真から『凛花さん、前に話していた鉢植えのことを調べているんだね』と返ってきた。
『そうなの。今日はまだ買わないで、置く場所の条件を確かめてきたんだって。悠真君のところの押し葉も、もう少し乾くのを待っているんだよね』と彩花が続ける。悠真は『うん。昨日琴葉と確かめたけど、まだ完成とは言えなかったから、もう少し待つことにしたよ。今日は乾いたあとの紙をどうするか話したんだ』と答えた。
彩花は琴葉が楽しそうに紙を選ぶ姿を想像し、自然に微笑んだ。『琴葉ちゃん、きっと楽しみだね。明日、そのお話も聞かせてほしいな』と送ると、悠真は『もちろん。彩花さんが今日読んだ本の話も聞きたいよ』と返してくれた。
その言葉を見て、彩花は昼間の小説を思い出した。幼なじみの二人がまだ会っていないことを話すだけでも、悠真はきっと面白がってくれるだろう。ただし、読み終わっていない以上、結末を知ったような言い方はしないようにしたい。
『まだ読み終わってないけど、登場人物の歩き方で気持ちが伝わってくるところがあって、すごく好きだったの。明日、もう少し詳しく話すね』と彩花は送った。悠真からは『楽しみにしているよ。明日は寒そうだから、無理のないように来てね』と返ってきたため、彩花も『悠真君も暖かくして来てね。おやすみなさい』と伝えた。
◇
悠真はメッセージを終えると、明日持っていく本を机の上へ並べた。地域の歴史写真集はまだ読み終えておらず、返却期限も確かめてあるため、無理に明日返す必要はない。図書館では新しい本を探すだけでなく、彩花がどんな本に興味を持ったのか聞く時間も大切にしたかった。
机の引き出しには、彩花からもらった淡い青色の花柄のカードがしまわれている。『私の好きなものを、いつも大切にしてくれてありがとう。』『悠真君と話す時間が、私は好きです。』という言葉は、取り出して読まなくても覚えていた。悠真は引き出しへ手を伸ばしかけたが、今日はそのまま机の上の本へ視線を戻した。
(明日は、彩花さんの話をたくさん聞きたいな。俺の話もしたいけれど、何を話すか決めすぎなくてもいい)悠真は静かに息をついた。二人が会うのは図書館であり、そこで過ごす時間には、本を選ぶ自由も、黙ってページをめくる静けさもある。
航平と調べている昔の駅前の写真についても、撮影場所はまだ分からない。琴葉の押し葉も完成していないし、彩花の冬の部誌も印刷へ進む最後の受け渡しを待っている。話題にできることは多いが、どれも無理に結論を出す必要はなかった。
悠真は明日の待ち合わせ時間をもう一度確かめ、机のライトを消した。窓の外には静かな冬の夜が広がり、遠くの街灯が薄い雲の下で淡く光っている。明日、中央図書館の入口で彩花の姿を見つけたとき、自分がどんな顔をするのか、少しだけ想像して笑った。
◇
彩花は眠る前、葉模様の日記帳を開いた。今日読んだ小説では幼なじみの二人はまだ再会せず、星模様のノートでは少女の祖母との思い出が一場面増えた。凛花は鉢植えを買わずに育てる条件を調べ、悠真とは明日の約束を改めて確かめ合った。
彩花はその順番で日記を書き、最後に「明日、午後一時半。中央図書館の入口」と記した。日記帳の文字を見つめると、約束が目に見える形でそこにあることが嬉しくなる。けれど、明日の出来事を先に決めつけるのはやめておこうと思った。
(会ってから見つかることが、きっとたくさんあるよね)彩花は日記帳を閉じ、明日使うマフラーを椅子の背へ掛けた。星模様のノートは机の上に残し、読みかけの小説だけを鞄へ入れて、忘れ物がないかもう一度確かめる。
窓の向こうで、風が庭木の枝を揺らしていた。通学路の蕾は今日は見ていないし、明日も図書館へ向かう道によっては通らないかもしれない。それでも、月曜日にまた確かめられることを思うと、見ていない一日もその蕾の時間の一部なのだと感じた。
彩花はベッドへ入り、灯りを消した。まだ完成していないものも、まだ分からないことも、今日の終わりにはたくさん残っている。けれど明日は、悠真と一緒に本を開く時間が待っていた。
土曜日の夜は静かに更けていく。彩花は待ち合わせの場所をもう一度心の中で確かめ、嬉しさを胸に抱いたまま、ゆっくり目を閉じた。




