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『図書館で出会った御曹司が、私のことになるとちょっとおかしい』   作者: 伊佐波瑞樹


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第129話 金曜日の放課後に届いた知らせと、君と過ごす次の時間


金曜日の朝、青凪市の空には、薄い雲の向こうから柔らかな日差しが差し込んでいた。住宅街の屋根には冬らしい淡い光が広がり、庭木の細い枝が冷たい風に揺れるたび、地面に落ちた影が静かに形を変えている。


水瀬彩花は窓際に立ち、カーテンの端を指先で押さえながら、しばらく外の景色を眺めていた。昨日までの数日間を思い返すと、学校でも家でも大きな事件が起きたわけではなかったが、毎日少しずつ違うものを見つけていた気がする。


冬の部誌は、印刷へ進めるための準備が整いつつある。昨日は顧問の先生から必要な確認を受け、表紙の最終データと確認用紙をそろえるところまで進んだ。


ただし、印刷を担当する人への確認はまだ残っている。今日、その作業を進められるかどうかは分からなかったが、彩花は完成へ近づいていることを素直に嬉しく感じていた。


(今日、最後の確認ができたらいいな。でも、急がずに進めようって、みんなで決めたんだもんね)


彩花は机へ向かい、星模様のノートを開いた。


離れて暮らす祖母へ手紙を書こうとしている少女の物語は、少しずつ形になってきている。少女は祖母から教わったことを思い出しながら、窓辺の鉢植えを自分の目で確かめようとしていた。


便箋に書かれた二行は、まだ変わっていない。


『おばあちゃん、庭の花がもうすぐ咲きそうです。』


『毎朝見ていると、昨日とは少し違うところが見つかります。』


彩花はその文章を読み返し、少女が本当に伝えたいことについて考えた。


祖母へ花の様子を知らせたい。


自分が毎日見つけていることを聞いてほしい。


そして、離れた場所で暮らしている祖母が、今どんな毎日を過ごしているのか知りたい。


それらの気持ちは、少女の中でまだ一つの言葉になっていない。


(この子は、手紙を書き終わらせたいだけじゃないんだよね。おばあちゃんと、また同じものを見ているような気持ちになりたいのかな)


彩花は少し考え、ノートの余白へ小さな印をつけた。


今日の夜、もう一度この場面を読み返してみよう。


そう決めてからノートを閉じると、階下から母の紗月が呼ぶ声が聞こえてきた。


彩花は返事をして制服の襟を整え、鞄を持って部屋を出た。


◇


朝食の席では、父の耕助が新聞を畳みながら、温かいお茶を飲んでいた。母の紗月は食卓へ小皿を並べ、姉の凛花は窓の外を眺めながら、週末の予定について考えているようだった。


「おはよう、彩花。今日は金曜日ね。今週も学校、いろいろ忙しかったんじゃない?」


紗月の言葉に、彩花は椅子へ腰を下ろしながら頷いた。


「うん。でも、楽しかったよ。文芸部の部誌も、少しずつ完成に近づいているし」


「昨日も準備を進めたって話していたね。今日は印刷するのかい?」


耕助が尋ねると、彩花は首を横へ振った。


「まだ分からないよ。印刷をお願いするときに、担当の人へ確認することが残っているの。昨日はそのためのデータと確認用紙をそろえたところだから」


耕助は納得したように頷いた。


「なるほど。そこまで丁寧に進めているなら、完成したときは嬉しいだろうね」


「うん。自分の作品が載るのも楽しみだけど、みんなで一緒に作っているって感じがするのが嬉しいかな」


彩花がそう答えると、凛花が楽しそうに笑った。


「彩花、最近ずっと部誌の話をしてるもんね。完成したら、私にも見せてよ」


彩花は少し照れくさくなりながら、姉へ目を向けた。


「うん。ちゃんと完成したらね。でも、私の書いたお話も載ってるから、ちょっと恥ずかしいかもしれない」


「そこは読ませてよ。彩花が頑張って書いたものなんだから、私は楽しみにしてるんだよ」


凛花は冗談めかした口調ではなく、穏やかな声でそう言った。


彩花はその言葉を聞き、胸の奥が温かくなった。


悠真も、完成した部誌を読んでみたいと言ってくれている。


大地も、彩花の作品を楽しみにしていると話してくれた。


そして、家族もこうして完成を待ってくれている。


誰かに読んでもらうことは、やはり緊張する。


けれど、その緊張の向こうに嬉しさがあることを、彩花は少しずつ知り始めていた。


「ありがとう、お姉ちゃん。完成したら、ちゃんと見せるね」


彩花が微笑むと、凛花も嬉しそうに頷いた。


朝食を終えたあと、彩花は玄関でマフラーを巻き、鞄の中身を確認した。


借りている読みかけの小説も、いつもの場所に入っている。


幼なじみの二人が故郷へ戻ってくる物語は、まだ再会の場面へ進んでいない。


今日も少し読めたらいいなと思いながら、彩花は家族に挨拶をして外へ出た。


◇


通学路の植え込みへ近づくと、彩花はいつものように歩く速度を落とした。


低い枝の先にある蕾は、今朝もまだ開いていない。


けれど、昨日より少し明るい光の中で見ると、表面の重なりが前より分かりやすく感じられた。


彩花は通行する人の邪魔にならない位置へ寄り、静かに枝先を眺めた。


(今日も、まだ咲いていないんだね)


そのことに、がっかりする気持ちはなかった。


むしろ、毎日同じ場所で小さな蕾を見つけられることが、今では少し嬉しくなっている。


彩花はふと、星模様のノートの少女を思い浮かべた。


少女もまた、窓辺の鉢植えを毎日眺めている。


祖母から教わったことを思い出しながら、花が咲くのを待っている。


けれど、彩花が今感じていることと、少女が感じていることは、きっとまったく同じではない。


少女には、祖母と過ごした庭の思い出がある。


その思い出が、花を待つ時間に別の意味を与えている。


(私が見つけたことを、そのままこの子に言わせるんじゃなくて、この子自身が何を感じるのか考えたいな)


彩花はそう思い、蕾から視線を離した。


自分の体験を物語へ生かすことはできる。


けれど、登場人物には登場人物の暮らしがあり、思い出がある。


その違いを大切にしながら書いていきたい。


彩花はマフラーを直し、学校へ向かって歩き始めた。


◇


青葉高校の教室へ入ると、窓際では数人の生徒が週末の予定について話していた。


誰かが駅前の店へ行くと言い、別の生徒は家でゆっくり過ごすつもりだと答えている。金曜日らしい少し浮き立った空気が教室に広がっていたが、授業の準備をしている生徒も多く、いつもどおりの朝でもあった。


彩花が席へ向かうと、田辺大地が顔を上げた。


「おはよう、水瀬。昨日、調べ学習を提出したって話しただろ。先生から、来週の授業で何人かのまとめを紹介するかもしれないって言われたんだ」


大地は少し緊張したように笑った。


彩花は鞄を置き、興味深そうに頷いた。


「そうなんだ。田辺君のまとめも紹介されるかもしれないんだね」


「まだ分からないけどな。でも、もしそうなったら、何を調べたのか自分の言葉で説明できるようにしておこうと思ってさ」


大地は机の上に置いたノートへ目を向けた。


「書いた文章をそのまま読むだけじゃなくて、最初に何が気になったのかも話せたらいいかなって」


彩花はその言葉に微笑んだ。


「うん。田辺君がどうして調べようと思ったのかを話したら、聞いている人も興味を持ちやすいと思う」


「だよな。昔の祭りの場所が変わったことだけじゃなくて、今も続いていることも話したいんだ」


大地はそう言い、少しだけ肩の力を抜いた。


彩花は、彼が最初に調べ学習のことで悩んでいた頃を思い出した。


何を書けばいいのか分からないと話していた大地は、今では自分が何を伝えたいのかを考えられるようになっている。


その変化を近くで見られたことが、彩花には嬉しかった。


「田辺君、最初に話していたときより、ずっと楽しそうだね」


彩花がそう言うと、大地は少し驚いたように目を瞬かせた。


「そうか? まあ、最初は面倒だなって思ってたけど、調べてみたら意外と面白かったからな」


大地は笑いながら続けた。


「妹にも写真を見せたし、家でも祭りの話になったんだ。調べ学習がなかったら、たぶんそんな話もしなかったと思う」


彩花はその言葉に頷いた。


何か一つを調べたことが、別の会話につながる。


それは、最近の彩花自身にも覚えのあることだった。


通学路の蕾を見つけたことから、家族と植物の話をするようになった。


悠真と昔の図書館の写真を見たことから、街の変化や、そこで過ごした人々の時間について考えるようになった。


大地もまた、自分なりの楽しさを見つけたのだろう。


「そういうのって、いいね。調べたことが終わっても、そこで見つけたものは残るんだね」


彩花が答えると、大地は嬉しそうに頷いた。


「うん。水瀬も部誌が完成したら、きっとそういう感じになるんじゃないか?」


その言葉に、彩花は少し考えてから微笑んだ。


「そうかもしれない。完成したあとも、みんなで考えたことは覚えていたいな」


予鈴が鳴り、教室の中の声が少しずつ落ち着いていく。


彩花は自分の席へ座り、教科書を取り出した。


今日もまた、一日が始まろうとしていた。


◇


桜華学園高等部では、悠真が朝の授業前に窓の外を眺めていた。


校庭の木々には冬の光が当たり、細い枝の影が地面へ長く伸びている。


昨日、琴葉と一緒に確認した押し葉のことが、まだ心に残っていた。


葉は以前より平らになっていたが、完全に乾燥したとは判断できなかった。


琴葉は早くしおりにしたいと話していたものの、無理に完成させようとはせず、もう少し待つことを受け入れていた。


(琴葉も、楽しみにしているものを大切に待てるようになったんだな)


悠真は妹の嬉しそうな顔を思い出し、静かに微笑んだ。


そのとき、森川航平が教室へ入ってきた。


「おはよう、九条。昨日は図書室で付き合ってくれてありがとう。あのあと家でも少し資料を見直してみたんだけど、やっぱり写真の撮影場所はまだ決められそうにないな」


航平は少し困ったように笑いながら、悠真の机の近くへ来た。


悠真は顔を上げ、頷いた。


「おはよう、航平。昨日の資料だけでは、はっきりしなかったからね。別の写真や地図が見つかれば、少しずつ確かめられるかもしれない」


「そうなんだよな。でも、今は分からないことが増えるのも面白くなってきたよ。最初は早く答えを出したかったけど、最近は調べる途中で別のことが気になるんだ」


航平はそう言い、鞄からメモ帳を取り出した。


そこには、昨日見つけた資料の題名と、確認したい項目が書かれている。


「この本、昨日は時間がなくて全部見られなかったから、また今度続きを見ようと思ってる。九条が借りてる古い図書館の写真集も、読み終わったら感想を聞かせてくれよ」


悠真は頷いた。


「うん。まだ途中だけど、昔の閲覧室の写真は何度見ても面白いよ。今の図書館とは違うところも多いけど、そこで本を読んでいた人のことを考えると、また違って見えるんだ」


航平は少し笑った。


「それ、水瀬さんと話してから気づいたことなんだろ?」


「そうだね。彩花さんは、写真に写っている人がどんな時間を過ごしていたのかを考えていたんだ。俺は最初、建物の形や配置ばかり見ていたから、新鮮だったよ」


悠真が答えると、航平は感心したように頷いた。


「同じ写真でも、見る人によって違うんだな。俺も、次に資料を見るときは、建物だけじゃなくて人のことも考えてみるよ」


その言葉に、悠真は穏やかに微笑んだ。


彩花が自分へ教えてくれた見方が、今度は航平との会話にもつながっている。


それが、少し嬉しかった。


「そういえば九条、今週末は何か予定あるのか?」


航平が何気なく尋ねると、悠真は少し考えた。


「今のところ、特別な予定は入っていないよ。家で読書をしたり、琴葉と過ごしたりすると思う」


「そっか。俺は家で調べ学習の続きをするつもりだけど、時間があったら本屋にも寄りたいな」


航平はそう言い、少し楽しそうに笑った。


悠真は友人の様子を見ながら、ふと彩花のことを思い浮かべた。


今週末、彼女はどんなふうに過ごすのだろう。


先週の日曜日には中央図書館で会ったが、次に会う約束はまだしていない。


また一緒に本を見たいという気持ちは、互いに伝え合っている。


けれど、彩花にも学校や家での予定がある。


悠真はそのことを大切にしたいと思っていた。


(今夜、週末の予定を聞いてみようかな。無理に誘うんじゃなくて、彩花さんがどう過ごしたいのかも聞いてみたい)


悠真はそう考え、机の上のノートを閉じた。


◇


昼休み、彩花は青葉高校の図書室へ向かった。


昨日、文章表現に関する本を読んだことで、星模様のノートの物語について新しい考えが浮かんでいた。


今日はその続きをもう少し確かめたいと思っていたが、借りている小説も読み進めたかった。


図書室へ入ると、窓際の席には柔らかな光が差し込んでいた。


彩花は静かな席を選び、鞄から小説を取り出した。


幼なじみの二人が故郷へ戻ってくる物語は、少しずつ終盤へ近づいているように感じられる。


けれど、二人はまだ再会していない。


彩花はしおりを挟んでいたページを開き、続きを読み始めた。


物語の中では、故郷へ戻った一人が、昔よく通っていた駅前の道を歩いている。


子どもの頃には大きく感じられた建物が、今は少し小さく見える。


道の曲がり方は覚えているのに、店の名前が変わっている。


その違いを見つめながら、登場人物は、かつて一緒に歩いた幼なじみのことを思い出していた。


彩花はページをめくり、静かに息をついた。


懐かしい場所へ戻ることは、ただ昔を思い出すだけではないのかもしれない。


今の自分が、昔の景色をどう見ているのか。


そこに、過ぎた時間が表れるのだろう。


(この人は、昔のままの町に戻りたいわけじゃないんだね。変わった町の中で、あの人ともう一度話せるかもしれないって思っているのかな)


彩花はそう考えながら、読み進めた。


物語は、もう一人の幼なじみの視点へ移った。


その人物もまた、故郷の別の場所を歩いている。


昔よく待ち合わせをした場所を思い出しながら、今はそこにいない相手のことを考えていた。


二人は同じ町へ戻ってきている。


けれど、まだ互いの姿を見つけていない。


彩花はその距離を感じながら、静かにページを閉じた。


昼休みの終わりが近づいていた。


続きが気になったものの、今は授業へ戻る時間だった。


彩花はしおりを挟み、鞄へ本をしまった。


(もう少しで会えるのかな。でも、急いで読んじゃうのはもったいない気もする)


そう思いながら、彩花は図書室をあとにした。


◇


放課後、文芸部の活動場所へ向かうと、佐々木先輩が机の上に書類を並べていた。


表紙担当の女子部員もすでに来ており、二人で何かを確認している。


「お疲れさまです」


彩花が挨拶すると、佐々木先輩は顔を上げた。


「お疲れさま、水瀬さん。ちょうどよかったわ。今日は、印刷担当の方へ確認する時間が取れたの」


彩花は少し驚き、机の上の書類へ目を向けた。


「そうなんですね。昨日そろえたデータと確認用紙を見てもらえるんですか?」


「ええ。まだ実際の印刷を始めるわけではないけれど、こちらで準備した内容に問題がないか確かめてもらえるそうよ」


佐々木先輩は穏やかに説明した。


彩花は頷き、鞄を置いた。


昨日までの確認が、今日の作業につながっている。


そのことが嬉しかった。


表紙担当の女子部員は少し緊張したように笑った。


「私、昨日から何回もデータを見直しちゃった。でも、もう変えるところがないか確かめたくなっちゃって」


彩花は彼女の隣へ立ち、微笑んだ。


「大切に作ってきたから、気になるんだよね。でも、昨日もみんなで確認したし、今日は準備したものをちゃんと見てもらおう」


女子部員はその言葉に頷いた。


「うん。ありがとう、水瀬さん」


しばらくして、佐々木先輩の案内で、部員たちは印刷担当者へ確認をお願いした。


準備した最終データと確認用紙を見てもらい、昨日までに整理した印刷条件を説明する。


担当者は内容を確かめながら、いくつかの項目について質問した。


佐々木先輩は確認用紙を見ながら答え、表紙担当の女子部員も、調整した部分について説明した。


彩花は隣で聞きながら、必要なところを補足した。


「表紙の枝先と下部の文字については、同じ紙と印刷条件で試し刷りをして比較しました。元の雰囲気を残したまま、少し見やすくした調整案を使っています」


担当者は頷き、試し刷りを見比べた。


「なるほど。こちらの調整案を使うんですね。データと確認用紙の内容も合っていますし、今のところ大きな問題はなさそうです」


その言葉を聞き、彩花は胸の奥が少し軽くなるのを感じた。


ただし、担当者は続けて、実際の印刷工程へ進む前に最終的な受け渡しの確認が必要だと説明した。


佐々木先輩はその内容を丁寧に書き留めた。


「ありがとうございます。では、今日確認していただいた内容をもとに、最終的な受け渡しの準備を進めます」


担当者が頷くと、部員たちは礼を伝えた。


部室へ戻ったあと、表紙担当の女子部員はほっとしたように息をついた。


「よかった……。大きな問題がないって言ってもらえたね」


彩花も微笑んだ。


「うん。まだ受け渡しの確認は残っているけど、ここまで進められて嬉しいね」


佐々木先輩は二人を見守りながら、穏やかに頷いた。


「そうね。今日は大きな進展だったと思うわ。でも、まだ印刷が始まったわけではないから、最後まで丁寧に進めましょう」


部員たちは頷き、今日確認した内容を整理した。


最終データと確認用紙に大きな問題は見つからなかった。


印刷へ進めるための準備は、また一つ前へ進んだ。


けれど、部誌が完成したわけではない。


彩花はそのことを理解しながら、胸の中に小さな達成感を抱いていた。


◇


同じ頃、桜華学園高等部では、悠真が放課後の生徒会の仕事を終えようとしていた。


今日は確認する資料がいくつかあったものの、予定していた作業は順調に進んでいた。


悠真は書類を整理し、必要な連絡事項を確認した。


窓の外には夕方の光が差し込み、校庭の木々が静かに揺れている。


作業を終えて廊下へ出ると、航平がちょうど階段の方から歩いてきた。


「九条、もう終わったのか?」


「うん。今日は予定どおり終わったよ。航平は、これから帰るところ?」


悠真が尋ねると、航平は頷いた。


「そう。今日は家でゆっくりするつもりだよ。明日は調べ学習の資料をもう少し見直そうと思ってるけど、日曜日は特に予定ないかな」


航平はそう言い、少し笑った。


「九条は? 週末、また図書館に行くのか?」


悠真は少し考えた。


「まだ決めていないよ。彩花さんにも予定があるだろうし、もし時間が合えば、また一緒に本を見られたら嬉しいと思っているけど」


航平はその言葉に、楽しそうに目を細めた。


「そっか。じゃあ、誘ってみたらいいんじゃないか? 水瀬さんも、また一緒に本を見たいって言ってたんだろ?」


悠真は頷いた。


「うん。でも、無理に予定を合わせてもらうのは違うと思うから、まずは彩花さんの予定を聞いてみようかな」


航平は少し感心したように笑った。


「お前らしいな。まあ、そういうところがいいんだろうけど」


悠真は少し照れくさくなりながら、友人へ微笑んだ。


「ありがとう。航平も、週末はゆっくり過ごしてね」


「おう。また来週な」


二人は校門の近くで別れ、それぞれの帰り道へ向かった。


悠真は歩きながら、今夜彩花へ送るメッセージについて考えていた。


先週の日曜日には中央図書館で会った。


昔の閲覧室の写真を一緒に見たり、読んでいる本の話をしたりした。


その時間は、悠真にとって大切な思い出になっている。


また同じ場所で会えたら嬉しい。


けれど、彩花がどう過ごしたいのかも聞きたい。


(まずは、週末の予定を聞いてみよう。彩花さんが無理なく過ごせる時間があれば、そのときに会えたらいいな)


悠真はそう考え、夕方の道を歩き続けた。


◇


彩花が青葉高校を出る頃には、空の色が少しずつ深くなり始めていた。


冬の日暮れは早く、校門の近くには帰宅する生徒たちの姿が続いている。


彩花はマフラーを巻き直し、冷たい風の中を家へ向かって歩き始めた。


今日の文芸部では、印刷担当者に最終データと確認用紙を見てもらうことができた。


大きな問題は見つからず、最後の受け渡しへ向けた準備が進んだ。


彩花はそのことを思い返しながら、自然と歩調を緩めた。


いつもの植え込みが見えてきたからだ。


低い枝の先には、朝と同じように小さな蕾がついている。


夕方の光は朝より柔らかく、枝の片側だけを淡く照らしていた。


彩花は歩道の端へ寄り、静かに眺めた。


(今日も、まだ咲いていないね。でも、朝とは少し違う色に見えるな)


蕾の形は、大きく変わっていないように見える。


けれど、毎日眺めているうちに、彩花はその小さな姿を少しずつ覚えるようになっていた。


名前も、咲く時期も、まだ分からない。


それでも、どの枝についているのか、光が当たるとどんなふうに見えるのかは、以前より分かるようになっている。


彩花は小さく微笑み、家へ向かって歩き始めた。


◇


夕食後、彩花は自室で星模様のノートを開いた。


今日の昼休みに読んだ小説のことが、まだ頭の中に残っている。


幼なじみの二人は、同じ故郷へ戻ってきている。


けれど、まだ再会していない。


その距離が、物語の中で静かに描かれている。


彩花はそのことを思い出しながら、自分の物語へ目を向けた。


祖母へ手紙を書こうとしている少女も、離れた場所にいる大切な人のことを考えている。


けれど、二つの物語は同じではない。


少女にとって祖母は、今も大切な家族であり、手紙を送れば言葉を届けられる相手だ。


彩花はその違いを意識しながら、昨日までに書いた文章を読み返した。


(この子は、おばあちゃんに何を伝えたいんだろう。花が咲きそうなことだけじゃなくて、自分が少しずつ変わっていることも知ってほしいのかな)


彩花はペンを持ち、少女が窓辺の鉢植えを眺める場面へ文章を書き足した。


少女は水差しを持ち上げる前に、土の様子を確かめる。


祖母がそばにいた頃は、何を見ればいいのか教えてもらえた。


けれど、今は自分で考えなければならない。


少女は少し迷いながらも、すぐに水を与えるのではなく、もう少し様子を見ることにした。


その判断が正しいのかどうかは、まだ分からない。


けれど、祖母から教わったことを思い出し、自分の目で確かめようとしている。


彩花はそこまで書き、静かにペンを置いた。


少女の手紙は、まだ二行のままだ。


けれど、三行目へ進むための気持ちは、少しずつ見えてきている。


彩花はノートを閉じ、机の上へ置いた。


そのとき、スマートフォンが小さく震えた。


画面には、悠真からのメッセージが表示されていた。


『彩花さん、今日もお疲れさま。今日は学校で航平と週末の予定について話したよ。彩花さんは、土曜日と日曜日、何か予定がある?』


彩花は文章を読み、少しだけ胸が弾むのを感じた。


悠真が週末の予定を聞いてくれている。


それだけで、何か嬉しいことが始まりそうな気がした。


彩花は少し考え、返事を打った。


『悠真君もお疲れさま。明日は家で少しゆっくりしたり、読みかけの本を読んだりしようと思ってるよ。日曜日は、今のところ特別な予定はないかな。悠真君は?』


送信して少しすると、悠真から返事が届いた。


『俺も日曜日は特別な予定がないんだ。もし彩花さんの都合がよければ、また中央図書館で一緒に本を見られたら嬉しいなと思って』


彩花はその文章を読み、思わず頬を緩めた。


また中央図書館で会えるかもしれない。


先週の日曜日に一緒に過ごした時間が、鮮やかに思い出される。


昔の閲覧室の写真を見たこと。


本棚の間を歩きながら、互いの気になる本について話したこと。


同じ机で本を開き、静かな時間を過ごしたこと。


そのどれもが、彩花にとって大切な思い出だった。


(また、悠真君と図書館へ行けるんだ)


彩花は胸の奥が温かくなるのを感じながら、返事を打った。


『うん、私もまた一緒に本を見たいな。日曜日なら大丈夫だと思うよ。何時頃にしようか?』


送信すると、悠真から少しして返事が届いた。


『ありがとう。彩花さんが無理なく来られる時間がいいと思うんだけど、午後一時半頃はどうかな? 前と同じ中央図書館の入口で待ち合わせできたら嬉しいな』


彩花はその文章を読み、少し考えた。


午後一時半なら、昼食を家で食べてから出かけられる。


帰りも遅くなりすぎずに済みそうだった。


『うん、午後一時半なら大丈夫だよ。中央図書館の入口で待ち合わせしよう』


彩花がそう返すと、悠真からすぐに返事が届いた。


『ありがとう。日曜日に会えるのを楽しみにしているよ。寒いかもしれないから、暖かくして来てね』


彩花はその言葉を読み、静かに微笑んだ。


『悠真君もね。私も楽しみにしてるよ』


送信したあと、彩花はスマートフォンを胸元へ少し近づけた。


日曜日の午後一時半。


中央図書館の入口。


次に会う時間と場所が、はっきり決まった。


そのことが、彩花にはとても嬉しかった。


◇


同じ夜、悠真は自室の机に向かっていた。


彩花とのメッセージを終えたあとも、日曜日の約束が心に残っている。


午後一時半に中央図書館の入口で待ち合わせる。


先週の日曜日と同じ場所で、また彩花と会える。


悠真はそのことを思い、静かに微笑んだ。


机の上には、まだ読み終えていない古い図書館の写真集が置かれている。


日曜日までに読み終えられるかどうかは分からないが、彩花と話したいことは少しずつ増えていた。


昔の閲覧室の写真。


航平と調べている駅前の街並み。


琴葉と一緒に確認した押し葉のこと。


そして、彩花が毎日眺めている小さな蕾のこと。


どれも、彼女と話したい大切なことだった。


(彩花さんも、また一緒に本を見たいって言ってくれたんだな)


悠真はその言葉を思い出し、胸の奥が温かくなるのを感じた。


彩花が自分と過ごす時間を楽しみにしてくれている。


そのことが、何より嬉しかった。


けれど、今はその気持ちを急いで何かの答えへ結びつけようとは思わなかった。


彼女と一緒に本を開き、互いの見つけたものを話す。


その時間を大切にしたい。


悠真は窓の外へ視線を向けた。


冬の夜空には、薄い雲の向こうに月の光が広がっている。


日曜日まで、あと二日。


その時間さえも、今は少し楽しみに感じられた。


◇


彩花は眠る前に、葉模様の日記帳を開いた。


今日の出来事を思い返すと、朝の植え込み、教室での大地との会話、昼休みに読んだ小説、文芸部での印刷準備が順番に浮かんでくる。


そして、夜には悠真と日曜日の約束をした。


彩花はペンを持ち、今日のことを書き始めた。


『今日は冬の部誌の印刷準備がまた少し進んだ。印刷担当の方にデータと確認用紙を見てもらって、大きな問題はなさそうだと言ってもらえた。まだ最終的な受け渡しの確認は残っているけど、完成へ近づいているのが嬉しい。みんなで丁寧に作ってきた時間を、最後まで大切にしたい。』


彩花はそこで一度ペンを止め、今日の部室の光景を思い出した。


表紙担当の女子部員が、ほっとしたように笑っていたこと。


佐々木先輩が、まだ印刷は始まっていないから最後まで丁寧に進めようと言ってくれたこと。


どれも、今日の大切な出来事だった。


彩花は日記帳へ続きを書いた。


『悠真君と、日曜日にまた中央図書館で会う約束をした。午後一時半に入口で待ち合わせることになった。先週の日曜日も一緒に本を見たけど、また会えると思うとすごく嬉しい。今度は、どんな本の話ができるかな。』


書き終えると、彩花はしばらくその文章を眺めた。


悠真と会う日が決まっている。


それだけで、明日からの時間が少し違って感じられる。


けれど、明日も自分の一日を大切に過ごしたい。


読みかけの小説を読み進めたり、星模様のノートの続きを考えたり、家族と話したりする時間も、彩花にとって大切なものだった。


(明日は、ゆっくり本を読もうかな。それから、日曜日に悠真君へ話したいことも、少し考えてみよう)


彩花はそう思い、静かに微笑んだ。


星模様のノートの物語は、まだ完成していない。


祖母への手紙の三行目も、まだ書かれていない。


冬の部誌も、印刷を待っている。


通学路の蕾も、まだ咲いていない。


けれど、今日、確かに一つ新しい約束が生まれた。


日曜日の午後一時半。


中央図書館の入口。


そこで、また悠真と会える。


彩花は日記帳を閉じ、机のライトを消した。


窓の外には、静かな冬の夜が広がっている。


明日は土曜日。


そして、その次の日には、悠真と会う約束がある。


彩花は胸の奥に広がる温かさを感じながら、ゆっくり目を閉じた。


金曜日の夜は、穏やかに更けていった。


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