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『図書館で出会った御曹司が、私のことになるとちょっとおかしい』   作者: 伊佐波瑞樹


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第124話 日曜日の図書館で、君が見つけた景色を一緒に


 日曜日の朝、彩花が目を覚ましたとき、窓の外には冬らしい澄んだ青空が広がっていた。昨日まで空の一部を覆っていた薄い雲はほとんど見えなくなり、遠くの屋根の向こうまで明るい光が届いている。ただ、窓ガラスに指先を近づけると、外の空気が冷たいことはすぐに分かった。


 彩花はベッドから起き上がり、カーテンを開けたまましばらく空を眺めていた。今日は午後一時半に、青凪市立中央図書館の入口で悠真と待ち合わせている。金曜日の夜に決まった約束は、昨日一日を過ごしている間もずっと心の片隅にあり、今朝になってようやく、その日が来たのだと実感できた。


(今日、悠真君に会えるんだ。前に一緒に図書館へ行ったときも楽しかったけど、今日は私から話したいことがたくさんあるな)


 机の上には、昨日のうちに確認した鞄が置かれている。図書館の利用カードと財布、ハンカチはすでに入れてあり、日曜日に借りた小説だけが、しおりを挟んだ状態で机の端に残っていた。


 彩花はその本を手に取り、表紙に描かれた古い駅舎と花壇を眺めた。物語の幼なじみたちは、彩花が昨夜読んだところでもまだ再会していない。二人が同じ故郷へ戻ってきて、それぞれの記憶をたどっていることは分かっているのに、顔を合わせるまでにはもう少し時間が必要らしい。


 読み終えてから悠真に話すこともできたが、今は途中まで読んだ自分の気持ちを伝えてみたかった。物語の結末を知らないからこそ、どんな再会になるのか想像する楽しさもある。


 彩花は本を鞄へ入れると、制服ではなく、昨日選んでおいた落ち着いた色の服へ着替えた。鏡の前で髪を整え、マフラーを合わせてみる。いつもより少し丁寧に身支度をしている自分に気づき、頬がわずかに熱くなった。


(図書館へ行くだけなんだけど……やっぱり、悠真君に会うからかな)


 胸の奥に生まれた照れくささを否定することなく、彩花は鏡の中の自分へ小さく微笑んだ。


 階下へ降りると、台所から味噌汁の香りが漂ってきた。母の紗月が朝食を用意しており、父の耕助は食卓で新聞を読んでいる。姉の凛花はすでに席についていて、彩花の姿を見ると楽しそうに目を細めた。


「おはよう、彩花。今日はいつもより早いね。待ち合わせは午後からだったでしょう?」


「おはよう、お姉ちゃん。うん、午後一時半だよ。でも、なんとなく目が覚めちゃって。午前中は家のことを手伝ってから出かけるつもり」


 彩花が答えると、凛花はそれ以上からかわず、隣の椅子を引いてくれた。妹が今日を楽しみにしていることは、わざわざ言葉にしなくても伝わっているらしい。


「午後は晴れそうだけど、夕方は冷えるみたいね。帰る時間が遅くなりすぎないように気をつけて。図書館の中は暖かいでしょうけど、外へ出ると寒く感じると思うから」


 紗月がそう言いながら朝食を並べると、彩花は素直に頷いた。


「うん。帰るときは連絡するね。悠真君とも、あまり遅くならないように話しておくつもり」


 耕助は新聞を畳み、娘へ穏やかな視線を向けた。


「せっかく楽しみにしていたんだから、ゆっくり本を見ておいで。ただ、時間を気にしすぎて落ち着かなくなる必要もないよ。帰りのことは、余裕を持って考えればいい」


「ありがとう、お父さん。今日は前に借りた本の話もする予定なの。悠真君が見つけた昔の図書館の写真も見せてもらえるんだ」


 彩花が嬉しそうに話すと、耕助は少し興味を示した。


「昔の図書館か。今の建物とは、ずいぶん違うのかもしれないね。どんなところが変わっていて、どんなところが残っているのか、比べてみるのも面白そうだ」


 父の言葉に、彩花は頷いた。悠真がその写真のどこを面白いと思ったのか、まだ詳しくは聞いていない。今日は写真を一緒に見ながら、その話を聞けるのが楽しみだった。


 朝食を終えたあと、彩花は紗月と一緒に食器を片づけ、居間の掃除を手伝った。昨日、本棚を整理したばかりなので、今日は床や棚の周囲を軽く掃除するだけで済んだ。


 作業を終えて時計を見ると、まだ午前十時を少し過ぎたところだった。出発までには十分な時間がある。


 彩花は自室へ戻り、星模様のノートを開いた。


 祖母へ手紙を書こうとしている少女の物語は、昨日も少し書き進めたが、手紙そのものは二行のままになっている。少女は毎朝庭の花を見ながら、遠くに暮らす祖母の現在の生活を知りたいと思い始めていた。


 彩花はその場面を読み返し、少女が机の上に置いた便箋へ目を向けるところを少し書き足した。少女は自分の庭で見つけたことを伝えようとしているが、祖母の庭にも同じ花が咲いているとは限らない。それでも、違う場所でそれぞれの景色を見ていることを、寂しいだけのことにはしたくなかった。


(同じ景色を見ていなくても、相手が見ているものを知りたいと思う。それって、悠真君と話しているときの気持ちにも少し似ているのかな)


 彩花はペンを止め、窓の外へ視線を向けた。


 悠真が見ているものを知りたい。自分が見つけたものも、彼に伝えたい。


 それは少女と祖母の関係とは違うけれど、離れた場所で過ごす時間を言葉でつなごうとする気持ちには、どこか共通するものがあるのかもしれない。


 彩花は手紙の三行目を無理に書き足すことはせず、少女が便箋を前にして考える時間を、もう少し丁寧に描くことにした。


 やがて時計が十一時を過ぎた頃、彩花はノートを閉じた。今日はここまでにして、午後は悠真との時間を楽しもう。そう決めると、机の上を片づけ、出発の準備を始めた。


     ◇


 同じ頃、九条家では悠真が自室の机に向かっていた。


 窓の外には青空が広がり、庭の木々には冬の日差しが降り注いでいる。悠真の机には、日曜日に借りた町並みの写真集と、学校の課題をまとめたノートが置かれていた。


 課題は昨日のうちに終えているため、今朝は写真集の気になるページをもう一度確認していた。


 古い図書館の閲覧室を写した写真には、木製の長い机と、背の高い窓が並んでいる。窓の近くには本を読む人の姿があり、写真の端には本棚の一部も写っていた。


 悠真はその写真を眺めながら、初めて見たときに気になったことを思い出した。


 建物の形や机の配置は、今の中央図書館とは違っている。しかし、本を読む人が自然に集まり、それぞれの時間を過ごしている様子には、今の図書館にも通じるものがある。


(彩花さんに、この写真を見せたいと思ったのは、建物が面白かったからだけじゃないんだろうな。昔も今も、誰かが本を読むために集まっていたことが、なんだか嬉しかったんだ)


 悠真は自分の気持ちを確かめるように、写真集のページをゆっくりめくった。


 以前なら、建物の構造や年代を中心に説明していたかもしれない。もちろん、そうしたことを調べるのも好きだ。けれど今は、そこにいた人々がどんな時間を過ごしていたのかも気になるようになっている。


 彩花と話すことで、自分の興味が少しずつ広がっているのだと感じた。


 扉の向こうから控えめなノックが聞こえ、悠真が返事をすると、妹の琴葉が顔を覗かせた。


「お兄様、今日は彩花さんと図書館へ行かれるんですよね。もう準備は終わりましたか?」


「うん。持っていく本も決めたし、あとは出かける時間を待つだけだよ。琴葉は今日は何をする予定なの?」


 悠真が尋ねると、琴葉は少し考えるように首を傾げた。


「午前中は本を読んで、午後はハクと庭で遊ぼうと思っています。押し葉は、今日もまだ開かないことにしました。昨日もそのままにしておいたので、もう少し待ってから確認したいです」


「そうだね。急いで開けなくても大丈夫だと思うよ。今度確認するときは、また一緒に見よう」


 悠真が答えると、琴葉は嬉しそうに頷いた。


「はい。それから、お兄様。彩花さんに、今日も楽しい時間を過ごしてくださいって伝えてくださいね」


 思いがけない言葉に、悠真は少し驚いた。


「ありがとう、琴葉。そう伝えるよ」


 琴葉は兄の表情を見て、くすりと笑った。


「お兄様、彩花さんとお会いする日は、いつもより楽しそうです。昨日も写真集を何度も見ていらっしゃいましたし」


 悠真は一瞬言葉を探したが、否定する理由はなかった。


「そうだね。彩花さんと話すのは、俺にとって大切な時間だから。今日も楽しみにしているよ」


 悠真が素直に答えると、琴葉は満足そうに微笑んだ。


「それなら、よかったです。私も、今度お兄様からお話を聞けるのを楽しみにしています」


 琴葉はそう言って部屋を出ていった。


 悠真は閉じた扉へ目を向けながら、妹にも自分の変化が伝わっているのだと感じた。


 彩花と出会う前から、本を読むことも、誰かと話すことも好きだった。けれど、次に会う日をこれほど楽しみにしたり、相手へ見せたいものを前もって選んだりすることは、以前の自分にはあまりなかった。


 悠真は写真集を鞄へ入れ、手帳に書いた待ち合わせの時間をもう一度確かめた。


 午後一時半。


 青凪市立中央図書館の入口。


 約束は、今日も変わらずそこにあった。


     ◇


 昼食を終えた彩花は、出発前にもう一度鞄の中を確認した。


 財布、ハンカチ、図書館の利用カード、借りた小説。必要なものが揃っていることを確かめると、玄関で靴を履き、マフラーを巻いた。


 紗月が見送りに来て、彩花の襟元を少し整えてくれた。


「今日は晴れているけど、風は冷たいからね。帰るときは連絡を忘れないで」


「うん。ありがとう、お母さん。行ってきます」


 彩花が笑顔で答えると、紗月も穏やかに微笑んだ。


「行ってらっしゃい。楽しんできてね」


 玄関を出ると、冬の空気が頬へ触れた。日差しは暖かそうに見えるが、風が吹くたびに指先が少し冷える。


 彩花は鞄を肩へ掛け直し、中央図書館へ向かった。


 道の途中には、木曜日から気にしている小さな植え込みがある。今日もそこを通ることになったため、彩花は自然に歩く速度を落とした。


 枝先の蕾は、まだ固く閉じたままだった。


 昨日と大きく変わったところは見つからなかったが、朝の日差しを受けて、表面の色が少し明るく見える。


(今日も、まだ咲いてないんだね。でも、ちゃんとここにある。明日も、明後日も、少しずつ見ていけたらいいな)


 彩花は蕾へ小さく微笑み、再び歩き始めた。


 今日はそのことを悠真へ話してみようと思っていた。毎日同じ場所を見ているだけなのに、少しずつ違う発見があること。変わっていないように見える日にも、確かめる楽しさがあること。


 そんな小さな話を、彼はきっと丁寧に聞いてくれる。


 図書館が近づくにつれて、彩花の胸には少しずつ緊張が広がっていった。


 前にも同じ場所で待ち合わせたことがある。それなのに、今日も悠真の姿を見つける瞬間を想像すると、胸の奥が落ち着かなくなる。


(会えるのが嬉しいから、緊張するんだよね。きっと、悠真君も楽しみにしてくれてる)


 彩花はそう考えながら、歩道の先に見えてきた中央図書館へ目を向けた。


     ◇


 青凪市立中央図書館の入口には、日曜日らしい穏やかな人の流れがあった。


 親子連れが返却する本を抱えて建物へ入り、年配の男性が掲示板の前で立ち止まっている。自動扉が開くたびに、館内の暖かい空気がわずかに外へ流れ、紙と木の匂いが混じったような図書館特有の空気が感じられた。


 彩花が入口へ近づくと、少し離れた場所に立つ悠真の姿が見えた。


 落ち着いた色のコートを着た悠真は、通行の邪魔にならない場所で待っていた。手には鞄を持ち、時折周囲へ目を向けている。


 彩花が近づくと、悠真も彼女に気づいた。


 その瞬間、彼の表情が柔らかく変わった。


「彩花さん、こんにちは。来てくれてありがとう。寒くなかった?」


 悠真は穏やかな声で挨拶した。


 彩花はその声を聞いた途端、胸の奥にあった緊張が少しだけほどけていくのを感じた。


「こんにちは、悠真君。ううん、大丈夫だよ。今日は晴れてるから、歩いてると少し暖かかったの。悠真君こそ、待たせちゃってない?」


「俺も少し前に着いたところだよ。ちょうど入口の掲示を見ていたんだ。今日は館内で小さな展示もあるみたいだね」


 悠真が指し示した先には、図書館の案内板があった。季節に合わせた本の紹介や、地域に関する資料の展示について書かれている。


 彩花はその案内へ目を向け、少し興味を示した。


「本当だ。季節の本も紹介されてるんだね。あとで少し見てみたいな」


「うん。まずは借りている本のことを話して、それから気になる棚を見て回るのもいいかもしれないね。彩花さんは、何か最初に見たいものがある?」


 悠真の問いに、彩花は少し考えた。


 以前なら、彼が行きたい場所を優先しようとしていたかもしれない。けれど今日は、自分から話したいことも、見たいものもある。


「最初に、悠真君が見せたいって言ってた写真を見たいな。そのあとで、私が借りた小説の話も聞いてほしい。時間があったら、展示も一緒に見たいなって思ってる」


 彩花がそう答えると、悠真は嬉しそうに頷いた。


「もちろんだよ。俺も、彩花さんと一緒に写真を見たいと思っていたんだ。じゃあ、まずは座れる場所を探そうか」


 二人は並んで図書館の中へ入った。


 自動扉を抜けると、外の冷たい空気とは違う穏やかな暖かさが広がっていた。館内には静かな足音と、遠くで本を戻す小さな音が響いている。


 彩花はマフラーを少し緩めながら、悠真の隣を歩いた。


 前に一緒に来たときも、同じように館内を歩いたはずだった。それなのに今日は、隣にいることが少しだけ自然に感じられる。


 もちろん、胸が高鳴らないわけではない。


 けれど、その高鳴りを無理に隠そうとするより、今はこの時間を楽しみたいと思っていた。


     ◇


 二人は館内の閲覧スペースで、周囲の利用者の邪魔にならない席を見つけた。


 窓からは冬の日差しが差し込み、机の表面へ淡い光を落としている。少し離れた席では学生が参考書を広げ、別の場所では年配の女性が新聞を読んでいた。


 悠真は鞄から写真集を取り出し、彩花の方へ向けて置いた。


「これが、前に話していた本だよ。青凪市の昔の町並みや建物の写真が載っていて、いろいろな場所の変化が分かるんだ」


 彩花は表紙を眺め、ゆっくり頷いた。


「前に一緒に見た本とは、また少し違うんだね。悠真君が借りてから、どんなところが面白かったのか気になってたの」


 悠真は嬉しそうに微笑み、しおりを挟んでいたページを開いた。


 そこには、古い図書館の閲覧室を写した写真があった。


 木製の長い机が並び、背の高い窓から光が差し込んでいる。机へ向かう人々の姿は小さく写っているが、それぞれが本や資料へ目を落としていることが分かる。


 彩花は写真へ顔を近づけすぎないようにしながら、じっと眺めた。


「わあ……今の図書館とは、ずいぶん雰囲気が違うね。でも、本を読んでいる人たちの姿を見ると、なんだか少し似ている気もする」


 彩花の言葉に、悠真は目を細めた。


「俺も、そう思ったんだ。最初は窓の形や机の配置が気になったんだけど、何度か見ているうちに、ここで本を読んでいた人たちのことも考えるようになってね」


 悠真は写真の端に写る窓を指し示した。


「この窓、今の建物より少し高い位置まであるんだ。光の入り方も違うし、机の向きも窓に合わせて考えられていたのかもしれない。もちろん、写真だけでは理由までは分からないけど、そういうことを想像するのが面白くて」


 彩花は悠真の指先が示した場所へ目を向けた。


 窓の形。


 机の並び方。


 光が差し込む角度。


 自分一人で写真を見ていたら、そこまで細かく気づかなかったかもしれない。


「本当だね。窓から入る光が、机の上へ届くようになってる。ここで本を読んでた人たちは、今みたいに明るい照明がたくさんあるわけじゃなかっただろうし、窓の近くが好きだった人もいたのかな」


 彩花がそう話すと、悠真は嬉しそうに頷いた。


「そうかもしれないね。俺は建物のことから考え始めたけど、彩花さんの話を聞くと、そこで過ごしていた人たちの時間まで想像したくなるよ」


 彩花は写真を見つめたまま、小さく微笑んだ。


 同じ写真を見ているのに、二人が最初に気づくものは違っている。


 けれど、どちらかの見方が正しいというわけではない。


 悠真が窓の形に気づいたから、彩花は光の中で本を読む人々の姿を想像できた。彩花が人々の時間について話したから、悠真も建物の使われ方を別の角度から考えられた。


「悠真君と一緒に見ると、写真の中にあるものが増えるみたい。最初は本を読んでる人たちが気になったけど、今は窓の形も、机の並び方も面白いなって思う」


 彩花がそう言うと、悠真は少し照れくさそうに微笑んだ。


「俺も同じだよ。彩花さんと話していると、自分が見ていなかったところに気づけるんだ。だから、今日はこの写真を一緒に見たかった」


 その言葉に、彩花の胸が小さく高鳴った。


 悠真が自分へ何かを見せたいと思ってくれたこと。


 そして、ただ説明するためではなく、一緒に考えたかったと言ってくれたこと。


 その気持ちが嬉しくて、彩花はしばらく写真から目を離せなかった。


(悠真君が面白いと思ったものを、私にも見せたいって思ってくれたんだ。それって、すごく嬉しいことなんだね)


 彩花はゆっくり顔を上げ、悠真へ微笑んだ。


「見せてくれてありがとう、悠真君。私、この写真を一緒に見られてよかった」


 悠真はその言葉を聞き、穏やかに頷いた。


「こちらこそ、ありがとう。彩花さんに見てもらえて嬉しいよ」


 二人はそのあとも、写真集のいくつかのページをゆっくり眺めた。


 昔の商店街。


 今は姿を変えた駅前の建物。


 かつて道沿いに立っていた大きな木。


 写真に写るものの中には、今も残っているものもあれば、すでに見られなくなったものもある。


 悠真は資料に書かれている説明を読みながら、自分が気になったところを彩花へ伝えた。彩花も、写真の中にいる人々や、そこを歩いていた人の気持ちを想像して話した。


 会話は静かな声で続き、ときどき二人は言葉を止めて写真を眺めた。


 その沈黙は、気まずいものではなかった。


 同じページを見つめながら、それぞれが考える時間を持てることも、二人にとって心地よかった。


     ◇


 写真集を一通り眺めたあと、彩花は鞄から借りた小説を取り出した。


「今度は、私が読んでる本の話をしてもいい?」


 悠真は嬉しそうに頷いた。


「もちろんだよ。彩花さんがどんなところを面白いと思ったのか、ぜひ聞きたいな」


 彩花は本を机へ置き、表紙を悠真へ向けた。


 古い駅舎と、その近くにある小さな花壇が描かれている。悠真は表紙を眺め、少し興味深そうに目を細めた。


「駅舎が描かれているんだね。どこか懐かしい雰囲気があるな。彩花さんが話してくれた、故郷へ戻ってくる幼なじみの物語だったよね」


「うん。二人とも同じ町へ戻ってくるんだけど、私が読んだところでは、まだ再会してないの。でも、それぞれが昔の場所を訪ねていて、少しずつ同じ時間へ近づいている感じがするんだ」


 彩花はページを開かず、今まで読んだ内容を思い出しながら話した。


「面白いなって思ったのは、二人が同じ場所を違うふうに覚えているところなの。一人は駅前の花壇のことを覚えていて、もう一人は時計や待合室のことを思い出してる。同じ時間を一緒に過ごしてたはずなのに、心に残ってるものが違うんだよね」


 悠真は静かに聞きながら、少し考えるように視線を落とした。


「それは面白いね。二人が同じ場所にいたことは変わらないけど、何を大切に覚えているかは違うんだ。再会したときに、その違いを話せたら、新しい発見がありそうだね」


 彩花はその言葉に頷いた。


「私もそう思う。もしかしたら、相手が覚えていることを聞いて、初めて思い出すこともあるかもしれないよね」


「うん。自分では忘れていた景色が、相手の言葉で戻ってくることもあるのかもしれない」


 悠真の声は穏やかだった。


 彩花は彼の言葉を聞きながら、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。


 自分が好きだと思った場面を、悠真も面白いと感じてくれる。


 しかも、ただ頷くだけではなく、そこから別の考えを広げてくれる。


 それが嬉しかった。


「悠真君と話してると、まだ読んでない続きまで楽しみになるな。二人が再会したとき、どんな話をするのか、もっと気になってきちゃった」


 彩花が笑うと、悠真も微笑んだ。


「それなら、読み終わったときにも感想を聞かせてほしいな。もちろん、急いで読む必要はないけど」


「うん。読み終わったら、また話したい」


 彩花はそう答え、本の表紙を指先でそっと撫でた。


 今まで、本を読んで感じたことは、ノートへ書き留めたり、家族へ話したりすることが多かった。けれど今は、悠真へ伝えたいと思うことが増えている。


 その変化が、彩花には少し不思議で、同時に嬉しかった。


     ◇


 しばらくして、二人は閲覧スペースを離れ、館内の展示コーナーへ向かった。


 入口の案内板で見つけた展示は、冬の暮らしや季節の移り変わりを扱った本を紹介するものだった。棚には冬の植物や昔の生活道具、季節の行事に関する本が並び、簡単な紹介文が添えられている。


 彩花は植物の本が並ぶ一角で足を止めた。


「これ、ちょっと気になるな」


 悠真が隣へ来ると、彩花は冬の蕾について紹介された本を指し示した。


「木曜日から、通学路の植え込みにある小さな蕾を見てるの。まだ何の花か分からないんだけど、毎日少しずつ見てると、光の当たり方で違って見えたりして面白いんだ」


 悠真はその話を聞き、嬉しそうに頷いた。


「前にメッセージで話してくれた蕾だね。今日も見てきたの?」


「うん。今日もまだ咲いてなかったけど、朝の光が当たると少し明るく見えたよ。昨日と大きく変わってなくても、見るたびに気づくことがあるんだなって思ったの」


 彩花は少し照れくさそうに笑った。


「すごく小さなことなんだけど、悠真君に話したかったんだ」


 悠真はその言葉を聞き、柔らかな表情になった。


「俺は、そういう話を聞けるのが嬉しいよ。彩花さんが毎日見ているものを教えてもらえると、俺もその景色を少し知れた気がするから」


 彩花は胸の奥が温かくなるのを感じた。


 自分が見つけた蕾は、悠真にとってはまだ実際に見たことのないものだ。


 それでも、話すことで少しだけ同じ景色を分け合える。


「ありがとう。悠真君は、昨日いつもの道で何か見つけた?」


 彩花が尋ねると、悠真は少し考えてから頷いた。


「昨日は琴葉とハクと一緒に庭を歩いたんだけど、普段はあまり気にしていなかった木の影が、時間によってずいぶん違う形になることに気づいたんだ。午前中は石畳の端まで伸びていた影が、少し時間が経つと別の場所へ移っていてね」


 悠真は展示棚の前で、声を落としながら続けた。


「前なら、日差しの向きが変わったんだなって思うだけだったかもしれない。でも、彩花さんが蕾の話をしてくれたから、いつもの庭を少し違う気持ちで見てみたくなったんだ」


 彩花はその言葉を聞き、思わず微笑んだ。


「そっか。悠真君も、いつもの場所で新しいものを見つけたんだね」


「うん。彩花さんのおかげだよ」


 悠真は穏やかに答えた。


 彩花は展示棚へ目を向けながら、胸の奥に広がる嬉しさを感じていた。


 同じ場所にいなくても、互いの言葉が相手の一日に小さな変化を生むことがある。


 それは、星模様のノートに書いている少女の気持ちにも、少し似ているのかもしれなかった。


 彩花は展示されている植物の本を手に取り、目次を確かめた。


 冬の蕾についての説明はあったが、通学路で見た植物が何なのかを、今ここで決めることはできなかった。葉や枝の形もきちんと覚えているわけではないため、似た写真を見つけただけで判断するのは難しい。


「今度、もう少しよく見てみようかな。何の花なのか分かったら嬉しいけど、分からないまま見てるのも、ちょっと楽しいんだ」


 彩花が言うと、悠真は頷いた。


「そうだね。名前を知ることも面白いけど、名前を知らないからこそ気づくこともあるのかもしれない。もし調べたくなったら、一緒に資料を探すのも楽しそうだね」


「うん。そのときは、また相談してもいい?」


「もちろんだよ。俺も一緒に考えてみたい」


 二人は微笑み合い、展示棚のほかの本へ目を向けた。


     ◇


 展示コーナーを見終えた頃には、館内の時計が午後三時を少し過ぎていた。


 彩花は時間を確かめ、少し驚いた。


「もうこんな時間なんだね。写真を見たり、本の話をしたりしてたら、あっという間だったな」


 悠真も時計へ目を向け、穏やかに頷いた。


「本当だね。まだ少し時間はあるけど、帰りのことも考えながら過ごそうか。彩花さんは、ほかに見たい棚はある?」


 彩花は少し考え、首を横に振った。


「今日は、悠真君と見たいものをたくさん見られたから、満足してるよ。もし悠真君がまだ見たいところがあるなら、一緒に行きたいな」


 悠真はその言葉を聞き、少しだけ考えた。


 以前なら、彩花の希望を優先して、自分の見たいものは後回しにしていたかもしれない。けれど今日は、彼女が自分の興味を聞きたいと言ってくれている。


「それなら、地域資料の棚を少しだけ見てもいいかな。航平が駅前の変化について調べていて、俺も気になる資料があるんだ」


 彩花は嬉しそうに頷いた。


「うん、行こう。悠真君が気になってるもの、私も見てみたい」


 二人は地域資料の棚へ向かった。


 そこには青凪市の歴史や、昔の町並み、地域の行事に関する本が並んでいる。悠真は背表紙を確かめながら、駅前の変化について扱った資料を探した。


 彩花は隣で本の題名を眺め、ふと一冊の地域写真集へ目を留めた。


「悠真君、これも面白そう。昔の商店街の写真が載ってるみたい」


 悠真は彩花が示した本を見て、少し興味深そうに頷いた。


「本当だね。航平が調べている内容にも関係がありそうだ。少し中を見てみようか」


 二人は棚の近くにある閲覧用の台へ本を置き、ページを開いた。


 写真には、今より道幅が狭く見える商店街や、昔の看板が並ぶ通りが写っていた。悠真は建物の配置を確かめ、彩花は店先に立つ人々の姿へ目を向けた。


「こうして見ると、今とは違うところがたくさんあるね。でも、道の形は少し似てるのかな」


 彩花が言うと、悠真は写真の説明を確認した。


「場所によっては、建物が変わっても道の位置が残っているところがあるみたいだね。ただ、この写真だけでは今のどの場所に当たるのか、正確には分からないところもあるな」


 悠真はそう言いながら、写真の端に写る交差点へ目を向けた。


 彩花はその横顔を見つめ、彼が本当に楽しそうに資料を読んでいることに気づいた。


 普段の悠真は、相手の話を丁寧に聞き、落ち着いた言葉を選ぶことが多い。けれど、自分が興味を持ったものを見つけたときには、目の奥に少し違う輝きが生まれる。


 その表情を見るのが、彩花は好きだった。


(悠真君が好きなものを見てるときの顔、なんだかいいな。私も、もっといろんなことを聞いてみたい)


 彩花はそう思いながら、写真集へ視線を戻した。


 しばらく二人で資料を眺めたあと、悠真は本を元の場所へ戻した。航平が調べている内容に関係しそうな資料があったことは覚えておき、学校で話すときに、実際に自分で確認してみるよう伝えようと思った。


 彩花も、地域の写真を見たことで、同じ街に暮らしていても知らないことがたくさんあるのだと感じていた。


     ◇


 午後三時半を過ぎた頃、二人は図書館の入口近くへ戻った。


 館内にはまだ多くの利用者がいたが、午後の光は少しずつ傾き始めている。窓の外では冬の青空が淡い色へ変わり、建物の影が長く伸びていた。


 彩花は鞄の中の小説を確かめた。まだ読み終えていないため、今日は返却せず、もう少し読み進めることにした。返却期限にはまだ余裕があることを確認している。


 悠真も写真集を手に取り、少し考えたあとで鞄へ戻した。


「俺も、もう少し読みたいところがあるから、今日はこのまま持ち帰ろうと思う。彩花さんに見せられたのは嬉しかったけど、まだ気になる写真が残っているんだ」


「うん。私も小説の続きが気になるから、今日は返さないことにしたよ。読み終わったら、また感想を話したいな」


 彩花が答えると、悠真は微笑んだ。


「楽しみにしているね。俺も写真集を読み進めて、また面白いところを見つけたら話したい」


 二人は図書館の外へ出た。


 冷たい風が頬へ触れ、館内の暖かさに慣れていた彩花は、思わずマフラーへ顎を埋めた。


 悠真はその様子に気づき、少し心配そうに声をかけた。


「寒くない? 中にいたから、外の空気が余計に冷たく感じるね」


「うん、ちょっとびっくりした。でも大丈夫。マフラーもあるし、歩いてたら少し暖かくなると思う」


 彩花は笑って答えた。


 図書館の前には、行き交う人々の姿があった。親子連れが手をつないで歩き、買い物帰りらしい人が紙袋を持って通り過ぎる。街の音は館内よりずっと賑やかだったが、冬の午後らしい落ち着きが感じられた。


 悠真は彩花の隣に立ち、少しだけ声を落とした。


「今日は来てくれてありがとう。彩花さんと一緒に写真を見られて、本当に楽しかった」


 彩花はその言葉を聞き、胸の奥が温かくなった。


「私もだよ。悠真君が面白いと思ったところを教えてくれて、すごく嬉しかった。それに、私の小説の話も聞いてくれてありがとう」


「こちらこそ。彩花さんが何を大切に読んでいるのか聞けて、俺もその本を読んでみたくなったよ」


 悠真が微笑むと、彩花は少し照れくさくなった。


「読み終わったら、また話すね。結末がどうなるのか、私もまだ分からないけど」


「うん。彩花さんが読み終わるまで、楽しみに待っているよ」


 二人はしばらく、図書館の前で今日見たものを振り返った。


 古い閲覧室の写真。


 昔の商店街。


 冬の蕾についての本。


 それぞれが気になったところは少しずつ違っていたが、話しているうちに、同じ時間を過ごしたことがより鮮やかに感じられた。


 やがて彩花は、帰る時間を考えてスマートフォンを取り出した。


「そろそろ帰ろうかな。お母さんにも、帰るときは連絡するって言ってあるから」


「そうだね。日が暮れるのも早いし、無理のない時間に帰ろう。彩花さん、帰り道は気をつけてね」


 悠真は穏やかに答えた。


 彩花は母へ帰宅することを知らせるメッセージを送り、スマートフォンを鞄へしまった。


 そのあと、悠真へ向き直った。


「悠真君、今日はありがとう。また一緒に本を選べたら嬉しいな」


 彩花がそう言うと、悠真の表情が柔らかくなった。


「俺も、また一緒に行きたい。次はどんな本に出会えるのか、今から楽しみだよ」


 彩花は微笑んだ。


 次に会う日が決まったわけではない。


 それでも、また一緒に本を選びたいという気持ちは、二人の間で自然に共有されていた。


「じゃあ、またね。悠真君」


「うん。またね、彩花さん」


 二人は互いに手を振り、それぞれの帰り道へ向かった。


 彩花は少し歩いてから、そっと振り返った。


 悠真もまだこちらへ目を向けていて、彩花に気づくと、もう一度小さく手を振ってくれた。


 彩花は胸の奥が温かくなるのを感じながら、笑顔で手を振り返した。


     ◇


 帰宅した彩花を、紗月が玄関で迎えた。


「おかえり、彩花。寒かったでしょう。図書館は楽しかった?」


「ただいま、お母さん。うん、すごく楽しかったよ。悠真君が見せてくれた昔の図書館の写真がね、今とは違う雰囲気なのに、本を読んでる人たちの姿は少し似てる気がしたの」


 彩花は靴を脱ぎながら、嬉しそうに話した。


 紗月は娘の表情を見て、穏やかに微笑んだ。


「そう。いい時間を過ごせたみたいね。まずは手を洗って、温かいものでも飲みなさい。続きはそのあとで聞くわ」


「うん、ありがとう」


 彩花は手を洗い、居間へ向かった。


 凛花はソファで本を読んでいたが、妹の姿を見ると顔を上げた。


「おかえり。どうだった、今日の図書館?」


「ただいま、お姉ちゃん。すごく楽しかったよ。悠真君が見せてくれた写真も面白かったし、私が読んでる小説の話もできたの」


 彩花が答えると、凛花は嬉しそうに笑った。


「よかったね。昨日から楽しみにしてたものね」


 彩花は少し照れくさくなりながらも、素直に頷いた。


「うん。また一緒に行きたいなって思ったよ」


 凛花は妹の表情を見つめ、優しく微笑んだ。


 以前の彩花なら、誰かと出かけたあとに、こんなふうに自分から次の約束を楽しみにする気持ちを口にすることは少なかったかもしれない。


 今は、その変化を無理に隠そうとしていない。


 凛花はそのことを嬉しく感じながら、妹の話へ耳を傾けた。


     ◇


 九条家へ戻った悠真は、玄関でハクに迎えられた。


 白い毛並みの大きな犬は、悠真の姿を見ると嬉しそうに尻尾を振り、足元へ近づいてくる。


「ただいま、ハク。今日はいい子にしていた?」


 悠真がしゃがんで声をかけると、ハクは鼻先を近づけた。


 その様子を見ていた琴葉が、廊下の奥から歩いてきた。


「おかえりなさい、お兄様。彩花さんとの図書館、楽しかったですか?」


「ただいま、琴葉。うん、とても楽しかったよ。前に借りた写真集を一緒に見たり、彩花さんが読んでいる小説の話を聞いたりしたんだ」


 悠真が答えると、琴葉は嬉しそうに微笑んだ。


「よかったです。お兄様が見せたいって言っていた、昔の図書館の写真も見てもらえたんですね」


「うん。彩花さんは、写真に写っている人たちのことを考えてくれてね。俺は窓の形や机の配置が気になっていたけど、話しているうちに、そこで本を読んでいた人たちの時間まで想像できるようになったんだ」


 悠真は穏やかな声で説明した。


 琴葉は少し考え、頷いた。


「同じ写真でも、見ているところが違うんですね。でも、違うからこそ、一緒に見ると面白いのかもしれません」


「そうだね。俺も、今日はそれを改めて感じたよ」


 悠真が答えると、琴葉は満足そうに微笑んだ。


 ハクは二人の会話を聞いているように、足元で静かに座っている。


 悠真はその頭を優しく撫でながら、今日の図書館で過ごした時間を思い出した。


 彩花が写真を見つめていた横顔。


 小説の話をするときの楽しそうな声。


 冬の蕾について話したときの柔らかな表情。


 どれも、今日の自分にとって大切な記憶になっていた。


     ◇


 夜、彩花は自室で星模様のノートを開いた。


 今日、悠真と一緒に見た古い図書館の写真が、まだ頭の中に残っている。


 同じ場所にいた人々が、同じ景色を見ていたとは限らない。窓から差し込む光を眺めていた人もいれば、目の前の本へ夢中になっていた人もいただろう。


 それでも、同じ場所でそれぞれの時間を過ごしていた。


 彩花は祖母へ手紙を書こうとしている少女の場面を読み返した。


 少女と祖母は、今は離れた場所で暮らしている。


 少女は自分の庭の花を毎朝見ているが、祖母が今どんな景色を見ているのかは知らない。


 そのことを寂しいと思うだけではなく、知りたいと思う気持ちが、少女の中に育っている。


(同じ場所にいなくても、相手が見ているものを知りたいって思うことがある。今日、悠真君と話していて、その気持ちが少し分かった気がする)


 彩花はペンを持ち、少女が便箋を前にして考える場面へ、少しだけ文章を加えた。


 少女は、祖母が昔教えてくれた花の名前を思い出す。


 けれど、今の祖母がどんな花を見ているのかは分からない。


 もしかしたら、少女の庭にはない花が咲いているかもしれない。


 あるいは、まだ何も咲いていない庭を眺めながら、春を待っているのかもしれない。


 少女はそのどちらでもいいと思った。


 大切なのは、祖母が今見ているものを知りたいという気持ちだった。


 彩花はそこまで書き、ペンを止めた。


 手紙の三行目は、まだ書かなかった。


 けれど、少女がその言葉へ近づいていることは感じられた。


 彩花はノートを閉じ、机の上へ置いた。


 そのとき、スマートフォンが小さく震えた。


 悠真からのメッセージだった。


『彩花さん、今日はありがとう。古い図書館の写真を一緒に見られて、本当に嬉しかったよ。彩花さんが話してくれたことを思い出しながら、また写真集を読んでみたいと思ってる』


 彩花は画面を見つめ、自然に微笑んだ。


『こちらこそ、ありがとう。私もすごく楽しかったよ。悠真君が面白いと思ったところを教えてくれて、写真を見るのがもっと好きになった気がする』


 送信すると、少しして返事が届いた。


『それなら嬉しいな。彩花さんが読んでいる小説の続きも、また聞かせてね。二人がどんなふうに再会するのか、俺も気になってきたよ』


 彩花は思わず笑みを深めた。


『うん。読み終わったら、また話すね。悠真君も写真集で新しい発見があったら教えてほしいな』


『もちろんだよ。次に話せるのを楽しみにしているね』


 彩花はその文章を読み、胸の奥に温かさが広がるのを感じた。


 今日、図書館で会えたことが嬉しかった。


 けれど、それだけではない。


 別れたあとも、同じ本や写真について話せることが嬉しい。


 今日見つけたものが、明日以降の会話へつながっていく。


 そのことが、彩花には何より大切に思えた。


     ◇


 同じ夜、悠真は自室で写真集を開いていた。


 古い図書館の閲覧室の写真には、昼間とは少し違う印象があった。


 彩花と一緒に見たことで、窓や机だけではなく、そこにいた人々の姿へ自然に目が向くようになっている。


 悠真は写真を眺めながら、今日の彩花の言葉を思い出した。


『悠真君と一緒に見ると、写真の中にあるものが増えるみたい。』


 その言葉が、胸の奥に静かに残っていた。


(俺も同じだよ、彩花さん。彩花さんと一緒にいると、今まで気づかなかったものが見えるようになるんだ)


 悠真は写真集へしおりを挟み、丁寧に閉じた。


 机の引き出しには、彩花からもらった淡い青色の花柄のカードがしまってある。


 彼はその場所へ一度目を向けたが、今夜は取り出さなかった。


 今日、彩花と交わした言葉だけで、十分に温かな気持ちになれていたからだ。


 悠真は窓の外へ目を向けた。


 冬の夜空には、いくつかの星が見えている。


 明日からはまた学校が始まり、彩花とは別々の場所で一日を過ごすことになる。


 けれど、今日一緒に見た景色は、これからも二人の中に残っていくだろう。


 悠真はそのことを嬉しく思いながら、静かに微笑んだ。


     ◇


 彩花は眠る前に、葉模様の日記帳を開いた。


 今日の出来事を書き始めると、中央図書館の入口で悠真を見つけた瞬間のことが、真っ先に思い出された。


 彼が自分に気づいて微笑んでくれたこと。


 古い図書館の写真を一緒に見たこと。


 小説の話を聞いてもらったこと。


 冬の蕾について話したこと。


 どれも、今日の大切な思い出だった。


 彩花はペンを持ち、ゆっくり書き始めた。


『今日は悠真君と中央図書館へ行った。前に借りた写真集を一緒に見せてもらって、昔の図書館の閲覧室の写真がとても印象に残った。悠真君は窓の形や机の配置を面白いと思っていて、私はそこにいた人たちのことを考えた。同じ写真を見ているのに、気になるところが違うのが楽しかった。』


 彩花は一度ペンを止め、今日の悠真の表情を思い出した。


 写真について話しているとき、彼は本当に楽しそうだった。


 自分の好きなものを誰かに伝えることが、こんなにも嬉しいのだと、彼も感じてくれていたらいい。


 彩花は日記帳へ続きを書いた。


『悠真君が、自分の面白いと思ったところを話してくれたのが嬉しかった。私も、読んでいる小説のことを話せた。まだ読み終わっていないけれど、今感じていることをそのまま聞いてもらえたのが嬉しい。』


 書き終えると、彩花はしばらく日記帳を見つめた。


 悠真と出会った頃は、彼の優しさに驚くことが多かった。


 今でも、彼の言葉に照れくさくなることはある。


 けれど、今日はそれ以上に、一緒に考えたり、話したりする時間そのものが楽しかった。


(悠真君といると、いつもの景色が少し違って見える。私も、悠真君にとってそんな存在になれていたら嬉しいな)


 彩花はそう思いながら、日記帳を閉じた。


 机の上には、星模様のノートと、まだ読み終えていない小説が並んでいる。


 どちらも、これから先へ続いていくものだった。


 彩花はライトを消し、ベッドへ入った。


 明日からはまた、青葉高校での日常が始まる。


 悠真も、桜華学園高等部で自分の一日を過ごすだろう。


 同じ場所にいなくても、今日見つけた景色を思い出したり、新しい発見を伝え合ったりすることはできる。


 彩花はそのことを嬉しく感じながら、ゆっくり目を閉じた。


 冬の日曜日は、穏やかに終わろうとしていた。


 今日一緒に見た景色は、明日になっても消えない。


 そして、まだ知らない景色を、これからも悠真と一緒に見つけていけたらいい。


 そんな願いが、彩花の胸に静かに残っていた。


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