序章 1 キツネ
「はるひと、にゃーん!」
アメジストの瞳が俺を見上げる。
幼女は両手をグーにして、招くように動かした。銀のツインテールがぴょこりと跳ねる。
「なんの動物でしょう!」
「んー? ネコじゃねえの?」
俺はネギをきざみながら答えた。
トントンと、キッチンに小気味良い音が響く。白菜と、あとは肉も入れて、と。今日の夕飯は鍋だ。もう12月だしな。
窓の外には、ちらちらと白いものが降っている。遠くまで、地面に柔らかくつもっていた。
『小僧、小僧。もちろんデザートには、桜もちがついてくるのじゃろうな?』
足下で、わくわくと茶色い生き物が飛びはねる。
手触りの良さそうな、もふもふの毛並み。デフォルメされた丸っこいボディは、おやつのツマミ食いで太り過……ふわふわ度がアップしている。
「はいはい、ちゃんとメシ食ったらな」
ふんぞり返ったタヌキは、つぶらな瞳を嬉しそうに輝かせた。ボリュームのあるしっぽがぶんぶんと揺れる。
『うむ! 何といっても、ワシは偉大なる変化の神じゃからな!』
「神さま……」
寒いからって、最近ずっとヒーターの前で丸まってるじゃねえか。んでもって、しれっとメシの時だけやって来るし。もうこれ、ただのタヌキじゃない?
……え? 結局、あの時の件はどうなったかって?
──『春人さん、大丈夫ですか!』
──『生きてるかオッサン!!』
シーフェも、白い髪の男と従者も、みんなその場から消えて。
あれから、火災に対応していた双子が戻ってきてくれたのだ。んで、なんとか家まで戻ってきたってわけ。幼女と、その辺で震えていたタヌキも回収してくれたので、マジ感謝だ。
あと、普通にカゼをひいた。雨のなか、長時間いたんだから当たり前か。2ヶ月も前のことだし、もう治ったけど。
「はるひと、はるひと、メェ~!」
「ぐぇっ……ひ、ヒツジ?」
かまってほしいとばかりに、ちびっこが腰あたりに飛びつく。引っぱられて、ズキリと背中に痛みが走った。
「んふふ、あたり!」
そうそう、シーフェに斬りつけられた背中のケガ!! ベルの不思議な魔法で、あっという間に治ると思うだろう?
残念、フツーに病院に行ったんだよ! 地味に痛かったわ!!
幼女はフリルたっぷりのドレスを揺らして、満面の笑みを浮かべた。
「二問連続で正解したはるひとには、ベルがおよめさんになってあげましょう!……んにゅ!?」
「ならなくていいでーす」
もちもちのほっぺたをつつき、再び具材を切る作業に戻る。
そう。いまだに求婚してくるのだ。この幼女。俺がベルの本来の目的を知ってもなお。
で、そのあたりを聞いてみたところ。
──『なあ、ほんとに、本当にもしもの話だけどさ。ベルのお願いをきいたら、俺は魂をとられることになるんじゃ……?』
幼女はしっかりと頷いた。
その瞳には、なんだかよく分からない決意が満ちている。むしろ、開き直ってさえいるような……
『たしかに最初はパパに言われて始めたよ。でも、はるひとはベルの名前を呼んでくれたでしょ? 現魔王の娘としてでなく、ベルのことを見てくれた。それがとっても嬉しかったの。はるひとのこと、大好きだから』
へにゃりと笑ってから、幼女は当たり前のように澄んだ瞳で告げる。
──『だから、その魂はベルがもらう』
──『そ、そうか……』
ヒヤリとした。結局そこに行き着くのか。その答えは、幼児らしくない歪み方をしている。なんだか、人にあるまじき片鱗が見えたようで。
ちびっこはまだ、俺の家に居座るつもりらしい。
白い髪の男……いや、ベルのお父さんか……。娘をよろしく頼むって、そういうこと?
──『春人くん、残りの欠片を探してくれたまえ。何、器の本体がここにあるんだ。キミに引き寄せられてくるだろうさ』
「……ま、平和が一番。あいつがケガしないのが何よりだな」
知らず、食材をきざむ手に力が入る。
まぶたの裏には、冷たい血溜まりと倒れ込んだ小さな体。
あの時、もうベルは帰ってこないんじゃないかと。俺には何も出来なかった。目の前で、命が消えていくのを見ているだけなんて。あんな恐ろしい体験は、二度とごめんだ。
「……今度こそ、守ってみせる」
振り払うように呟き、きゃいきゃいとはしゃぐ幼女を眺めた。
ちびっこは居着いたままだし、聖杯呼ばわりされている件についても解決していない。欠片集めとやらをこのままやってみようかと思っている。言うこと聞くのはなんか癪だけど。
そんなわけで、アパートのワンルームには今日もにぎやかな声が響いている。
「はるひと、はるひと! じゃあねえ、これは? ベルの一番好きなどうぶつ!」
アメジストの瞳が嬉しそうにかがやく。
幼女は親指と中指、薬指をくっつけて、残りをピンとたてた。
「こんこんっ! なーんでしょ!」
「あー……」
幼女はそわそわと俺の答えを待っている。ひたむきな瞳に、思わず口もとがゆるんだ。
料理の手を止め、しゃがんで目線を合わせる。
「キツネ、かな?」
「せいかい!」
へにゃりとほっぺたをゆるませ、幼女は愛らしい笑みを浮かべた。
◇
暗い灰色の空の下、ボロいアパートの近くにたたずむ影がひとつ。目線の先には、にぎやかな声が聞こえる窓があった。
時折、慌てたように駆け回る青年と楽しげな幼女の姿がうつる。
「……守護る、ねえ。それは自分じゃなくて、あの子の為とちゃうの? せぇっかく、ええ聖杯持ってはるのにねえ」
自分で使わないなんてもったいないコトしはるわぁ、とくすくす影は笑った。軽やかな笑みとは裏腹に、重くて厚ぼったい雪が静かに町を覆っていく。
「ウチ、気になるわぁ。あんたはんの願いは、何なんやろなあ?」
2章開始です。
またのんびり更新していきます。よろしくお願いします。




