俺、日常へ帰りたい
「ふん。ただの人間にしては良くやった、というところか」
男は異様であった。
目元を隠す、長い前髪。そのすき間から、ギラリと紅玉の瞳が光った。ただ喋っているだけなのに、背筋がゾクリと冷えていく。しかし、神々しい訳ではない。
澄みきった悪。
器の底に溜まった濁りをかき集め、突きつめて凝縮したかのような。恐怖のかたまりと言った方がいい。
でも、助けてくれた……んだよな?
白髪の男は、表情を変えずにつぶやいた。
「……おい」
「はい、旦那様。ここに」
呼びかけに応え、ぬるりと空間が歪む。
そこに立っていたのは、サラリーマン風のくたびれた男だった。後ろになでつけた黒髪。混沌をはらんだ底無しの瞳。
そして。どこにでもいるような、記憶に残らない平凡さ。
この世のあらゆる顔を平均してそろえたような、特徴が無いことが特徴ともいうべき男。こいつ……
「どこかで、会ったか……?」
ソレは、俺にニヤリと笑いかけた。
「やあ、春人くん。久しぶりだね? ああもう忘れてしまっているかな? それなら二度目の初めましてだ! ならば! なおさら! 言うまでもなく! 私たちは何度でも友人になれる!」
平凡な男は、腕に誰かを抱えていた。
銀のツインテール。フリルたっぷりのドレスから、力なく垂れた腕。しっかりと閉ざされた瞳。
小柄で、ちょうど小さな子どもくらいの……
「っ、ベル!!」
「眠っているだけだよ。キレイだろう? 傷なんて、我々は放っておけば治るからねえ。さ、キミに預けるとしよう」
近づいてきた男から、幼女をそっと受けとった。
「んむ……」
無意識に、幼女が顔をすりよせた。柔らかな重みが腕に伝わる。微かな寝息が聞こえてきて、ほっと息をついた。
「ああそれと、」
平凡な男は地面に転がっていた何かを拾い、俺の手のひらに載せた。
黄色っぽい宝石に、リングがついてる。これは……指輪? 一体誰の落としものだ?
「先ずは一つ、だねえ」
「!」
黄色い宝石が、するりと手のひらに溶けていく。じんわり温かな熱が広がった。
「なに、悪いものじゃないさ。それはもとからキミ自身だからね」
「俺、自身……?」
従者はパチリと片目をつぶった。
「八つのカケラのうち、そのひとつ。残りも頼むよ、なんせキミと私の仲だ」
男は大げさに両手を広げてみせる。視線を俺の後ろへやった。
「まだやるのかい? お嬢さん、そろそろ幕引きの頃合いでは?」
そうだった。
タワーから飛び降りて、地面に激突する寸前。白い髪の男に俺は引き上げられた。しかしその衝撃で、引っつかんでいたシーフェを離してしまったのだ。
「う……」
金髪の女は、地面に倒れ伏していた。
もう動けないのだろう。というか、俺もああなるはずだったのだ。かろうじて生きているのは、彼女が人ではなかったからか。鋭い黄金の瞳だけが、こちらを睨みつけている。
「っ、まだよ……まだ……!」
クスリ、と。
これ見よがしな笑い声がきこえた。
「はぁ~い、そこまで~」
面白がるような少女の声。くすくすと辺りに声が響く。
「シーフェちゃん、可愛いね~! すっっごく弱いクセに、殺意だけは一人前だもん。うはっ、ボクお腹痛くなっちゃう!」
「誰、だ……?」
白髪の男とその従者に続く、三人目の闖入者。
「さ、逃げるよシーフェちゃん♪」
タワーの影から、小柄な人物が現れる。服装という点から見るならば、その少女は最も存在感があった。
目につくのは、ブレザーの制服の上から羽織ったヒョウ柄の白衣。ド派手もいいとこである。袖口はブカブカで、大きく垂れ下がっていた。
「こういうときは一旦帰って、作戦をたて直すのが良いんだよ~」
クセっ毛の茶色いセミロングに、ずる賢そうな細い目。こちらの弱さを見透かしそうで、警戒心を抱く。
「おや、手を貸すのかね?」
平凡な従者が興味深そうにたずねると、キツネ目の少女はニヒリと笑う。両手をあごにあて、ちょこんと首をかしげた。
「そりゃあ、しっかりタンマリもらったからね! ほらボク、仕事はキッチリやるほうですしぃ~?」
「ほう、それはそれは」
面白そうに目を細める従者に、少女はむっと唇をとがらせる。
「やだなぁ、これでも緊張してるんだよ? 恐っろしいモノの前から、シーフェちゃんをかっさらうんだからさ」
ちらりと従者の後ろにいる、白髪の男に視線をやった。
先ほどから、無言で男はなり行きを眺めている。……何を考えているのだろうか。目もとは長い前髪に隠れて見えなかった。
「お金さえ払ってくれれば、誰にでも、なぁーんでもしてあげるよぅ。なんと、初回はサービスしちゃう!」
少女はパチンと俺にウインクを投げると、可愛らしく敬礼してみせた。
「それでは、『ラメルの何でも屋』をどうぞ、ご贔屓に~!」
少女は、大人の女性であるシーフェを軽々と担ぐ。奇妙な少女と翼の折れた天使は、瞬きの間に消え失せた。
「私達も行くよ。また会おう、春人くん」
平凡でくたびれた男が肩をすくめる。主と一緒に、その姿がゆっくりと揺らぎ始めた。
「……」
事態を静観していた白髪の男は、少しの沈黙のあと、ポツリとこぼす。前髪に隠れて見えなかったけど、なんとなくこっちを向いた気がした。
「我が娘はあの程度では死なぬ。……これからも、頼むぞ」
そうして、白髪の男とその従者は、夜の闇にかき消えた。
「んむ……」
もぞもぞと腕の中で何かが動く。ゆっくりとまぶたが開いた。
「ベル、」
「ごめんなさい」
目を開けた幼女は、開口一番にそういった。
「だまそうと、したの。全部ぜんぶ、ほんとのことだよ。……でもっ」
アメジストの瞳から、ぽろぽろと雫がこぼれ落ちる。
「はるひとが好きなのは、ほんとだもん! ウソじゃないもん!! ベルの名前よんでくれたし、デートも途中だったけど出来たし、あと、あと、」
「……」
ぽりぽりと頬をかいた。あさっての方向に目を向ける。
「……俺も、悪かったよ」
雨のなか、小さなからだを貫く剣。
どこまでも紅い水溜まり。
脳裏に浮かぶのは、血にまみれたアカイロの記憶。
二度と離さないように。腕のなかの温もりを、しっかりと抱え直した。
「……あー、俺は、そんなんどうでもいいから。めんどくさいし。魔王戦争がどうのとか、知らねえし」
涙の筋のついたほっぺたを、Tシャツの裾でふき取る。ついでにちょっと垂れていた鼻水もぬぐってやった。
「だから、お前が悪魔だろうが何だろうが、ウチで好きにやってればいいさ。また一緒にギョーザでも食いに行こう」
「ギョーザ……!」
とたんに、アメジストの瞳が輝き出す。
さくらんぼみたいなツヤツヤの唇が、こらえきれずにほころんだ。ぽすんと腹のあたりに衝撃が走る。見下ろした幼女は、満面の笑みを浮かべていた。
「はるひと、やっぱり好き! ベル、お嫁さんなる!!」
「はっはっは。だが断る」
イヤでーす。魂をとられるんなら、なおさらイヤでーす。
「ひどい!? はるひとのいじわる!!」
こんなに好きなのに!? と、幼女はプンスカ怒る。くちびるがキュっと尖っていた。
「ふ、」
思わず口もとがゆるんだ。
これよ。ギョーザに喜んでかる~く求婚しちゃう、このテンション。食い物に釣られるあたり、さすがちびっこ。やっぱ五歳児 (自称さんびゃくさい)の魔王さまはこうでなくちゃな。
幼女はいじけていた。ショックを受けたように、銀のツインテールがヘタれる。
「むぅ。なら、どうしたらお嫁さんにしてくれるの?」
ちびっこがムスッとふて腐れる。柔らかなほっぺたが可愛らしく膨れていた。
「だからそんなことしませんってば」
「やーだぁー! なんでなんでなんでー!!」
ちびっこは短い手足をバタバタと動かした。ぽかすかと拳が胸をたたく。……可愛いけど、可愛いけど。こればかりは譲らない。
「んなこといっても……」
俺にそんな趣味は無いしなぁ。どうしたら諦めてくれるのだろう。オレ、ケイサツ、イキタクナイ。オーケー?
てか、悪魔がどうとか、魂をとられるのがどうとか、解決してなくないか? どうすんのこれ?
胸に両手でしがみついた幼女が、俺をまっすぐに見上げる。切り揃えた前髪が期待するように揺れた。
「はるひと、ベルと一緒にいてくれるんでしょ?」
「う……」
結局、問題の先送りに過ぎなかったが。
こういえば、ベルの結婚してくれ症候群が治まるかなって。
だから俺は、言ってしまった。
ずっとずっと後になって、そのセリフを後悔するとは知らずに。
「あー……じゃ、将来ベルが、立派な魔王サマとやらになったらな。考えんこともない」
ピンク色に染まったほっぺたが、嬉しそうに緩む。にっこにこの笑顔だ。
「やったぁ!! ベル、およめさん!!! ……あてっ」
サラサラの銀髪にチョップをかましつつ、幼女を抱えて立ち上がる。
「するわけねぇだろアホか……へっくし!」
さっみぃ。いい加減、吹きつける風が寒すぎる。濡れた服も着替えたいし、さっさと帰るか。
空には満天の星が広がっていた。
穏やかにまたたく様子は、いつもの日常が再び戻ってきたみたいだ。ベルとも仲直り? が出来たし、まあいいかな。
「……そういえばベル、白い髪の知らない男が、お前のことよろしくって」
「え?」
ピタリと動きを止めた幼女は、大きな瞳を見開いた。
「ぱぱ、来てたの!?」
一瞬、思考が停止する。
「…………ぱ、」
……ぱ、
パパですと────────!!!??




