俺、情けない
とても残酷な描写、展開があります。ご注意下さい。
「あなたは騙されていただけ。これを聞いてもまだ、かばうのかしら?」
「……」
幼女は無言でシーフェの剣を受けとめている。
ちょうど、こちらに背を向ける形だ。ツインテールの毛先が曖昧に揺らいだ。
否定はしない。かといって、肯定する様子もない。
「そんな、どうして……」
胸に、黒いモヤモヤが広がる。
頭の中で、襲ってきた奴の言うことなんて真に受けるな、と誰かがいった。……だけど、考えれば考えるほど、つじつまが合うのだ。一度持ってしまった疑いは、どんどん膨れ上がる。
こんな冴えない男のところに突然、なんの理由もなしに幼女が来るわけがない。
こんな価値もないような奴に、いきなり『結婚して』なんて言うわけがない。
最初から、目的があったんだとしたら。
ガラガラと、何かが足元から崩れ落ちていく。
「信じられないという顔ね。ここまで言えば分かるかしら」
妖しく光る黄金の瞳と目があった。
とろけるような、甘やかな黄金。視線を外すことが出来ない。シーフェは鍔ぜり合いを保ったまま、腰の抜けた俺を見下ろした。
艶やかな声が、脳に染み込む。
「聖杯は、『選定』の勝者に与えられるモノ。何でも一つだけ願いを叶えてくれる、まさに魔法の代物なの。けれど、」
金髪の女は愉しそうにささやく。
「──選定で勝ち上がるより、直接かすめとった方がいいと思わない?」
一瞬、呼吸を忘れた。
「それ、は……」
脳が言葉を理解するのに、かなりの時間を要した。
こいつは『選定の優勝商品を、先に奪ってしまおう。その方が、選定で勝ち上がるよりずっと良い』と言ってるのか?
……んで、その商品が、俺?
「はるひと、落ち着いて──」
ベルは最初から、俺を殺そうとしていた? 俺の魂に宿る聖杯を、契約で縛って奪うため?
「……そっか」
ベルが見ていたのは、俺じゃない。俺の中に宿った、聖杯を見ていたんだ。
「はるひと、聞いて──」
不安と混乱。
頭がごちゃごちゃして、もう訳がわからない。
ベルに『嘘だろう』と尋ねればいいのか? それとも『裏切ったのか』と? 勝手に優勝商品にされて、狙われて殺されるのを嘆くか?
悪いけど俺は、正義の味方でも、強い意思をもった人間でもない。
「はるひと──」
乾いた笑いがもれる。
「……はは、そうだよな。俺なんかが」
どこまでも薄っぺらくて取り柄もない、虚ろな人間だ。
どうしたらいいんだっけ。俺は何を聞けばいいんだっけ。
ベルが、聖杯が、悪魔が契約が神が呪いが闇が魔法が魔術が天使が怪物が血が悪霊が暗闇が変な男がナニカが封印が光が魂が聖杯が戦争が魔王が誰かが──
「はるひとってば!」
「ふふ、あんなに混乱しちゃって可愛いわね」
「っ、この!」
漆黒の大剣と、ほの白い細身の剣。
交差した剣を挟んで、二人の視線が交わった。
「ワタシの目的はベル、あなたじゃないの。そろそろね」
狂気に満ちた瞳が俺を見やった。にこりと美しい笑みを浮かべる。
「お兄さん、気分はいかがかしら?」
その声に、はっと現実に引き戻された。瞬きのあいだに、女は別の人物へと姿を変える。
「あれは……」
どこかの飲食店らしきエプロンに、ちょっとぽっちゃりした体型、深くかぶった帽子。そこにいたのは、いつかの帰り道にサンドイッチをくれた女の人だった。
「遅効性だから、もう効いてくるのではなくて?」
ぴんと来た。
「おまえ、姿を変えて……!」
にやりと笑った女の人は、またもとの体型に姿をもどす。つまり、シーフェはあの女の人に化けて、俺に近づいていたということだろう。
『ワシより……変化の術が上手い、じゃと……!?』
後ろのほうから愕然とした声が聞こえてくるけど、後でフォローするからちょっと待って。もう少しでつながりそうなんだ。
『気分はいかが』という言葉、『サンドイッチ』、『遅効性』とくれば……
「あ」
シーフェが怪訝な顔をする。
「……なにかしら」
分かってしまった。
こういうときの勘は、意外と当たるのだ。そろりと幼女へ目を向ける。銀のツインテールがピクリと震えた。
「べ、ベルは悪くないもん。はるひとの代わりに味わってあげただけだもん」
「確かに、三つも食べちゃってたけど」
いつぞやの女の人から渡されたサンドイッチ。俺も食べたかったんだけどなあ。……かっぱらっていった小さな犯人がいるもんだから。
シーフェが目を見開く。
「あなたまさか、」
軽く肩をすくめた。
「ああ、俺は食ってない。誰かさんがつまみ食いしてな」
「へぁっ!?」
その誰かさんは、慌てて弁明を始めた。フリルたっぷりの黒いドレスが、焦ったように揺れる。
「だ、だって、ジューシーなハムがいっぱい挟んであって、ピリッとコショウがきいてて、旨みの宝石箱みたいに美味しかったんだもん!!」
「しれっと自白で食レポすんなし!? 腹減るわ!?」
思わずいつものようにツッコんだ。
幼女にあるまじきリポートには舌を巻く。これぞ天然フラグクラッシャーというか、なんというか。
たぶん、シーフェは毒か何かをサンドイッチに仕込み、俺に食べさせようとしたんだと思う。直接、一人の時を狙ってまで渡してきたのだから。
けどうまくいかなかった。なぜなら、ベルが食べちゃったから。
「鉄の胃袋だ……」
最近体調を崩した様子もないし、まあ、大丈夫だったんだろう。というか、知らない人から貰ったものを食べちゃいけないのは当たり前ではなかろうか。
『その方法、ありなんじゃ……』
どこからかタヌキの呟きがきこえる。が、そんなことはどうでもいい。
幼女の胃袋、恐るべし。シーフェの毒殺計画は失敗に終わり、結果的に俺は助かっているワケだ。ベルはなおも熱弁をふるう。
「レタスがしゃきしゃきで歯ごたえあってね、ほんのりバターの香ばしい匂いがして……ベル、ギョーザの次くらいに好き!」
「たたみかけてんじゃねえよ!?」
高い金属音がして、二人が距離をとった。
「嘘でしょう、そんなバカなこと……」
シーフェの耳が赤い。
要するにこの人、毒殺を企んだつもりが、美味しいサンドイッチを作ってあげただけになってしまったのだ。
そのままにしておくのも気が引けたので、声をかけた。
「俺は、どうでもいいけど。普通に美味しいっていってんだからそれでいいだろ」
シーフェはふいっと横を向いた。まだ耳が赤い。
「……良かった。いつものはるひとだ」
視界のすみで、幼女の口もとがほころぶ。柔らかなアメジストの目もとが、ほっとしたように緩んだ。
時刻はたぶん、六時くらい。
完全に日が落ちて真っ暗だけど、夜と呼べる程ではない、不確かな時間。暗闇の中でも、分厚い雨雲が空を覆っているのが見えた。
「……」
しばらく黙っていたシーフェは、ぼそりといった。
「……あなた、ルーフェに似ているのね」
「え?」
冷たい風が、斬りつけられた背中の傷にしみた。幸い傷は浅かったようで、痛いけどギリ動ける。
ぶつぶつと、虚空を見上げて女はつぶやき続ける。
「そう、ちょっとめんどくさがりだけど、優しいところ。ワタシはあの子を愛していたわ。……貴方は生きているのに、なんであの子は死ななければならなかったのかしら」
ポツリ、と雫が落ちてくる。
次の瞬間には、バケツをひっくり返したような雨が降っていた。アスファルトで弾けた粒が轟音をたてる。みるまに服が濡れて重たくなり、体温を奪っていった。
「あの子だけが怖い思いをして、あの子だけが痛みに耐えながら死んで。あなたは笑って生きながらえているのは、どうして? ルーフェは、死ななければならなかったの? ねえ、なんで?」
凍った雨がアスファルトに打ちつける。
狂気と混沌が入り交じった黄金の瞳が、空を見上げた。
「あなたが、代わりに死ねばよかったのに」
つられて俺も上を見る。
曇天に、いくつかの白い軌跡がきらめいた。ものすごい速度でこちらに向かってくる。
「はるひと、あぶな──!」
「え?」
瞬間。
俺を突き飛ばして、目の前に小さな影がおどり出た。
刺さる。
刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さるささるささるささるササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササルササル──────
小さなからだを、降り注いだ剣が貫いた。
「ベル!!!」
頭のてっぺんからつま先まで、氷漬けになった気分。
ぽたり、と。
アカイロの血痕が、水溜まりを染めていく。地に膝をついた幼女は微動だにしない。血のついたくちびるから、かすれ声がこぼれた。
「……はるひと、逃げて」
言うなり、足下の地面がどろりと溶けて、黒いナニカがわき上がる。以前にも見た、寒気のするあの黒い異形。
辺りを漆黒に塗り潰したソレらは、シーフェへと襲いかかった。女の白いドレスが黒い波に飲み込まれる。
「っ、今のベルじゃ、足止めくらいしか出来ない。シーフェの狙いははるひとだから」
幼女は懇願する。つやつやのさくらんぼのような唇が、きゅっと結ばれていた。
「はやく……」
広がる鉄くさい臭い。
紫の花飾りが、血だまりに浮かぶ。光を反射して透き通っていたそれは、真っ赤に染まり、曇っていった。
「……」
心に穴が空いていた。
穴を吹き抜けるすきま風が、思考を鈍らせる。かばわれた俺は、致命傷を負わずに済んだ。背中の傷は浅い。身体も動く。だけど。
頬を大量の雨粒が滑り落ちた。
「あ……」
だけど、急に温かい灯火を吹き消されたような。根っこにあった安心感が失われたような。その光景は、精神に大きな黒い穴を穿っていた。
「そんな……どうすれば、」
嫌だ。ウソだ。……こんなの、こんなの、
ノロノロと立ち上がる。一歩、ベルの方へと踏み出した。喉から絞り出した声が震える。
「ぁ、……はやく、病院に」
地面のアカイロは広がっていく。顔を歪めながら、それでもアメジストの大きな瞳が俺を見据えた。
「……行って。はるひとさえ無事なら大丈夫だから。……おねがい、ね?」
ただの人間で。
ろくな力もなくて。
かばわれて。
信じてもやれない。
俺には願いを聞くことしか、出来なくて。
強く、奥歯を噛み締める。
握りこんだ手のひらに、深く爪が食い込んだ。
「っ…………クソったれが!!」
──ああ。やっぱり俺には、何も。何も出来ないのか。
身を翻して、夜の闇へと駆け出した。




