俺、物理的な証明を受ける
残酷な描写があります。ご注意下さい。
「その呪術」
指摘されて、ズキリと右腕が痛んだ。動かすと痛みが酷いので、ほとんど使い物にならない。
「蠱毒だろう? ずいぶん進行しているとみえる。かなり緻密に組んであるから、術者は相当な者だろうね」
よれたスーツの男は、薄い唇を吊り上げた。芝居がかったように夜空をあおぐ。
これだけ強烈にワザとらしくても、目を離せばすぐに忘れてしまいそうになる。特徴がないことが特徴とも言える不気味さは変わらない。
「……」
「キミの器が欠けた状態はマイナス、デメリットであるといえる。しかし、それだけじゃない。別の見方も出来るんだ。キミにかかっている呪いは中華系の類い。なんという偶然! 丁度いい! 相性もいい! 全てがいい!」
訳がわからないし、微妙に話が噛みあわない。
印象に残らない平凡さなのに、テンションがやたらと高い男は俺を指差した。
「ヒントをあげよう。陰陽説だ。聞いたことくらいあるだろう?」
「……」
陰陽説。
中国をルーツとする考え方のひとつである。
『物事は、良い面と悪い面の二つから出来ている』とするものだったか。ひとつの円を白と黒で塗り分けた、太極図がよく知られている。
「……それが、呪いと何の関係があるんだよ」
かろうじて言い返す。
男は器用に片方の眉をあげた。
「つまり、キミの魂が欠けた状態にもメリットはあるということさ。そのメリットが、解呪への役割を果たす。……そうだな、欠けた聖杯に魔力は溜まらないし、注いでもこぼれ落ちる。かけられた呪いは、効力を発揮することができない」
先行きの見えない話とは裏腹に、夜空には明るく星がきらめいている。
「呪いも一種の魔力。蠱毒は身体だけでなく、魂さえも蝕むものだ。それが今回は裏目に出た」
男は愉しそうにささやいた。
「呪いも、こぼれ落ちるからだ」
「っ、意味わかんねえこと言うな!」
「いーや、キミは分かってるハズだ。仕組みを利用した形跡がある。溜まらないまでも、聖杯は魔力を帯びているからだ」
真っ暗な瞳が俺を射抜いた。
「聖杯は、キミの魂そのものだ。強く願っただろう? 魔力を急速かつ、強制的に取り除くように」
「は? そんなことしてな……」
こそこそと、ふわふわの茶色い毛玉がやって来る。背中に背負った笠と、デフォルメしたような可愛らしい体。
タヌキは、つぶらな瞳でこちらを見上げた。先ほどまで近くに隠れていたらしい。
「お前、生きてたのか!」
タヌキはペシリとしっぽを打ちつけた。ひそひそと囁く。
『勝手に殺すでないわ!……小僧。この男が言うておるのは、おそらくワシの祠の封印を解いた時のことじゃ。お主はあのとき願ったじゃろう? 何とかしてくれ、元の世界に帰してくれと』
たしかに、あの時は無我夢中だったけど……
「あいつの言ってること、意味わかるのか? てか、その事知ってたのか?」
『うむ、祠の封印に使われておる魔力を一度、杯に吸いとって溜め込んで、お主がそれを外に出してしまえば解けると思うてな』
「……」
……つまり、こいつは解呪のヒントを知ってて言わなかったってことか? 俺が一生懸命に寺や神社をまわってる間も? 死ぬかもしれないって悩んでる間も?
「いや、早く言えよ!」
ガシリと小さな生き物のしっぽを鷲掴みにして、逆さまに吊るす。つぶらな瞳がぶらぶらと揺れた。
「まったく……」
俺の魂には『穴が空いてる』からこそ呪いが効かないとか、明らかに重要な事実っぽいだろ! 教えろよ!
タヌキは丸っこいボディをふて腐れたように揺すった。
『言われるまで忘れておったんじゃもん。……それにあやつ、ワシよりも変化が上手いんじゃ。ワシは、ワシは、偉大なる変化の神だというのに、そのワシより……』
泣きそうな声が先細りになって消えた。つぶらな瞳が悲しそうに遠くをみる。どんよりした雰囲気が垂れこめた。
「あー……」
男がころころと姿を変えている様子をみて、衝撃を受けてしまったらしい。
自分のアイデンティティーを奪われるというのは、なかなか堪えるものであろう。あまりの落ち込みように、ツッコミも引っ込めざるをえない。
「お前も大変なんだな。げ、元気出せよ……?」
『うむ……』
そっと地面に下ろしてやると、しょんぼりとタヌキはうずくまった。
……なんか、ごめんな。うん。
のっぺりした男は片目をつぶって見せる。無表情なウインクというのは中々違和感があった。
「なるほど、なるほど、なるほど。どうやらキミは知らなかったと見える。確かに、いきなり自分でやれといっても難しいだろうね」
遠くから救急車のサイレンが聴こえてきた。こちらの方向に向かっているのか、音がだんだん大きくなる。
「しかし、お嬢様がいない方が色々と話しやすいから、連れてきてもらうよう依頼をして正解だったね」
男の視線は宙をさ迷っていた。
「私は勝利を与えに来たんだよ。選定のことも、お嬢様は優しすぎてキミに何も伝えて無いんじゃないかと思ってねえ」
夜の凍えた空気が肌にまとわりつく。
淡々とした独り言は止まらない。
「そう、お嬢様は優しすぎる。それを許している旦那様も。私がしっかりしなければなるまいよ。となると…………いっそ春人くんを殺してしまって、後で報告した方が早いのでは?」
ぞくりとする視線が刺さる。
唯一公園に灯っていた街灯が、音を立てて割れた。闇のなかで起伏に乏しい声だけが響く。
「今のキミに助けは来ない。完全に、確実に、完膚なきまでに。瞬く間に百回は殺せるだろう。私には何とも都合がいい。……考えれば考えるほど、そちらが良い気がしてきたんだがね。キミも、そう思わないかい?」
「え?」
数メートル離れていた男の姿が、目の前にあった。
「!」
掴まれた首が、絞まる。
息がつまる。肺から空気が押し出されて、酸素が吸えない。足が地面から浮き上がるのが分かった。一気に首に圧力がかかる。
「っ!」
喘ぎながら引き剥がそうと手をかけるが、鋼鉄の枷のようでびくともしない。喉の奥から苦痛が込み上げる。
「オッサン!!」
「…………この、魔族が」
遠くから双子の発砲音が鳴り響くが、ターゲットには当たらない。のっぺりした男はニヤニヤと笑うだけだ。
「これでも旦那様の側近だからねぇ。このくらいは防げないと」
男は軽々と苦しむ俺を持ち上げたまま、考え込む。
「呪術に関する本をお嬢様に差し入れたりもしたけど、まどろっこしい事などしなければ良かったね」
ギリギリと締めつけが強くなる。
「やめ……!」
目の前に暗い靄がかかる。酸欠で頭が重い。力が入らない。ドクドクと耳元で脈打つ音がうるさい。身体中の血が冷たくなっていく。
「っ、かはっ……」
このまま俺は、殺され……?
「あぁ、始末してしまう方がやっぱり良い。結末はどちらでも変わらないのだから。明日の朝にはお嬢様に届けてあげられるだろう」
一瞬、物言わぬ死体になった俺が、幼女の目の前に放り出される所を想像した。
「っ!」
だめだ。何とかしろ。
ベルを悲しませたくない。
幼い顔が悲嘆に暮れるのを見たくない。
朝見せた、寂しそうな幼女の表情。出かけていって死んで帰ってきましたなんて、笑い話にもならない。
──『はるひと、いってらっしゃい!』
無邪気なアメジストの瞳が脳裏に浮かぶ。
俺には帰りを待ってくれてる人がいる。
だから、帰らなきゃならない。
こんなとこで、死んでたまるかよ…………!!!
「っ!」
必死にもがいて、男を睨み付ける。
瞬間、
まばゆい光が辺りを照らした。
「春人さん!」
「大丈夫かオッサン!?」
双子が駆け寄り、地面に這いつくばっていた俺を起こしてくれる。
「ゲホッ……ああ、ゴホッ……」
大きく息を吸った。新鮮な酸素が肺と脳に行き渡る。
まだ痺れた圧迫感が残る首もとをさすりながら、前方を見据えた。
男は何の感慨もないような顔で、ぼんやりと立っていた。虚ろな瞳がこちらを眺めている。
「腕の呪いが消えているだろう? 怠さもないはずだ」
「あ……」
右腕にあった『咒』の文字も、身体中に広がっていた黒いアザも、きれいに無くなっていた。つるりとした肌色の皮膚に戻っている。
最近感じていた、酷い気だるさも無い。
「さて、これで信用してもらえたかね? やっぱり強く願うためには死の恐怖が一番だ」
地味で凡庸で胡散臭い男は、片方だけ口角をあげた。
「少なくとも今、私は味方だよ。キミの秘密、知りたくないかね?」




