俺、凡庸であり平凡ならざる男に出会う
同じ紫紺の瞳、同じ銀髪のツインテール、同じ無邪気な声なのに、ぬぐいきれない違和感。
こいつは、誰だ?
「はるひとくん、キミは選ばれたじんぶつだ。なんて幸運なんだろう! であえて光栄だよ!」
幼女は鷹揚に片手を差しだした。
感激する言葉のワリには、こちらをねっとりと見定める視線と、動かない表情。さくらんぼのようなツヤツヤのくちびるが、愉悦にゆがむ。
「……あの子の姿で話すな。気持ち悪い」
幼女であって幼女ではない、気持ちの悪いズレ。
俺は目の前の小さな手から目をそらす。
偽物でも。幼女に対して手を払いのけるなど、乱暴なことをしたくなかった。
「ふむ、キミの好きな人物にあわせてはなそうと思ったんだがね。お気に召さなかったようだ」
そっくりな幼女は首をかしげると、面白そうに笑う。
その容姿がふたたび溶けはじめた。
身長がイビツな音をたてて伸び、銀の長髪が後ろに撫でつけた黒髪に変わる。頬がこけ、くすんだ蒼白い肌が現れた。
「これでいいかね?」
感情の抑揚が無い、のっぺりとした声。
立っていたのは、くたびれたサラリーマン風の男だった。
よれよれのスーツを着て、丸まった背中。
特徴のない、横を通りすぎても記憶に残らない、どこにでもいるような普通の男。
平凡すぎて、淡白で、空虚な表情は不気味なものさえ感じさせる。世の中の顔と体格を平均してそろえたような、いてもいなくても変わらない、空気のような男だ。
特徴がない。それが逆に、不気味さを与えている。
「問おう。聖書を開いて朝の礼拝で祈りを捧げ、食事の前に神に感謝し、欠かさず清貧な暮らしをすることは?」
「っ、」
男がぐっと顔を近づける。
やはり、この男の顔は覚えられない。記憶に焼きつけようとしたところで、砂のように脳からさらさらとこぼれ落ちていくのだ。
「どうなのかね?」
こちらの考えを見透かすような、見続ければどこまでも落ちていきそうな、混沌が渦巻く黒い瞳がこちらをのぞきこんだ。
「い、いや、ないけど」
思わず気圧されて答えると、男は大きく頷いた。ニィっと薄い唇が引き上がる。
「ほーぅ、それはよろしい! 非常によろしい! いやあ、これこそ神に感謝するべきことだろう!」
天をあおぎ、壊れた人形のようにケタケタと笑い声をたてる。
「は、何いってんだアンタ」
頭おかしいんじゃないのか。
俺はあまりの異様さとペースに飲まれて、相手が何者で、何のために連れてこられたのかまで意識がいかなくなっていた。
「ふむ、実に喜ばしい! そこの優秀な兄妹にも感謝すべきだろう! 何せ、しがない魔族の願いにこたえて、春人くんを連れてきてくれたのだからね。みたところ、彼らはこちらの血も混ざっているようだけど、どこまで──」
男の足元に銃弾が撃ち込まれる。不意の衝撃音に、ビクリと肩が揺れた。
少し離れたところ。
夜の闇に溶け込むように、フードを深く被った二人組が立っていた。
フードの下から少年が男を睨みつける。感情を圧し殺して、それでも堪えきれない怒気がにじむ。
「五月蝿い。僕たちのことはいいからさっさと話を進めろ」
「ソラ兄ぃ」
カイが取りなすように声をかけた。
深夜の公園は冷える。遠くの歩道でチカチカと信号が点滅した。赤いランプが警告するように光り続けている。
男はわざとらしく肩をすくめた。
「おぉ怖い。じゃ、本題に戻すとしよう。ああその前に」
混沌が渦巻く瞳が顔すれすれに迫る。あまりの勢いにのけぞった。
「お嬢様のことは好きかね? 気に入ってくれたかい?」
「お嬢様?」
「ベルだよ」
凡庸な男は腕を組んで片手を顎にそえる。
未だに壁際から動けない俺をニヤリと流し見た。
「かぁわいいだろう? 健気だろう? キミのことを一途にもとめてくれるのは体がゾクゾクしないかい? 好きにしていいんだぜ?」
「……するわけねぇだろ」
「おや、これもお気に召さなかったようだ」
怒りを含ませて返した俺に、くつくつと喉の奥で笑い声をたてる。
「本題に移ろう」
男の声が一段低くなった。
「キミの魂は欠けているんだ」
「穴が空いた器。目の荒いザル。ひび割れた皿。これじゃあ魔力を注いでも、すき間からこぼれ落ちてしまう。そこで、だよ」
「すき間を埋めていた、元の欠片をさがして修理してあげればいいのさ。名案だとおもわないか? もともともはキミの魂の一部なんだぜ? 欠片はそれ単体でも膨大な力を持つ。なにせ聖杯の一部だからね。そうだな、ひとつの世界の秩序を保つことが出来るくらいの力、といったらいいかい?」
「は……?」
こいつは、何を言ってる?
男はかまわず話し続ける。平坦な声が少しだけ早口になった。
「ああ、安心してくれたまえ。いくら器に魔力を注いだところで、キミ自身は魔法も魔術も使えはしない。ただの人だからね。じゃあ、そんなことする必要無いんじゃないかって? いいやそんなことはない! 聖杯の穴を埋めれてやれば、心の安息がやって来るだろう。臆することはない。満たされてシアワセな結末さ」
男は俺に背を向け、公園の奥へと歩いていく。
「こぼれ落ちたカケラは八つ」
「ちらばった残りを探してくれたまえ。なに、本体があるのだから、欠片も近くに引き寄せられてくるはずさ。さらに! なんと! とても幸運なことに!」
男は振り返る。目がらんらんと光っていた。口もとがこれでもかと吊り上がる。
「ひとつはお嬢様が持っているから、見本に見せてもらうといいだろう。ああ、途中でキミに降りかかる災いからも、彼女は守ってくれるだろうさ。必死にねぇ」
平凡な男は、おかしそうに含み笑いをした。混沌の瞳が光る。
「お優しいことだ。さっさと殺してしまえばいいものを」
夜の冷気が体の芯まで染み込んだ。
手をついた地面の、砂利のざらついた感覚だけが、生きているという感覚を思い出させてくれる。
「、それは……」
誰を? ……俺を? 殺すって、ベルが?
「質問がある」
何だね、と男は首をかしげた。
「欠片を全て集めるとどうなるんだ」
「ほう、よくぞ聞いてくれた!」
男は両手を広げた。
「なに、簡単なことさ、欠片を集めきればキミの魂は救われる! キミは楔からときはなたれる! 多くの人に希望を与え、求められる。その存在を渇望されるのさ」
「何バカなこといって──」
「この世界がどれだけキミのことを待ち望んでいたのか、知らないだろう? これは我ら今代の悲願なのだよ! 地べたに這いつくばってでも最初の一歩を踏み出すための礎となり! 挑戦へとたじろぐ背中を押そうじゃないか! キミが欠片を集めて満たされた存在に至るのならば! 私はその瞬間のためにすべてをさしだそう!」
興奮したように言いつのった男は、幾度か咳払いをした。手のひらを上にむけて、人差し指で俺を示す。
ささやき声が耳に届いた。
「君はそこにいるだけでいい。認められて、みんなから尊敬されるんだ。いいと思わないか?」
「…………」
ぐらりと心がゆらぐ。
とても、魅力的な提案。
ずっ、無価値だと思っていた。この先、誰からも必要とされない人生。ゆっくりと、甘い毒は心に染み込んでくる。
……聞いてはダメだ。疑いを、持て。
上手い話に簡単に乗ってはいけないと、理性が告げていた。
口の中がカラカラに渇く。
「もうひとつ、いいか?」
男は大げさに笑顔をつくる。
「ああ、いいとも。 キミの質問には何でもこたえよう!」
「……何でベルは、俺に結婚を迫る。前から思ってたけど、おかしいだろう。それに俺は、俺なんかが、何かを持っているはずがない」
突然俺の部屋にやって来た幼女は、毎日騒ぎながらも楽しげに暮らしている。
その目的は、明かさぬまま。
こいつはベルを知っている。ならば、目的についても知っているのではないか。
「可愛い子には旅をさせよって言うだろう?」
男は俯くと、可笑しくてたまらないように唇を歪ませる。
「それにキミは、ソレを持っているとも。すべての人が持っていない、稀有で、貴重で、喉から手が出るほど切に望む存在なんだ」
「ぜひとも、お嬢様をまもってやってくれたまえ。もっともタダの人間のキミが、彼女をどうやって守るのかは分からないけどね。まあ、大人しく結婚してくれればいいんだが」
「だからしねえよ!」
ベルとやり取りしていたいつものクセで、つい口が出てしまった。男は俺の答えに落胆することもなく、肩をすくめる。
「残念、式の準備まで整えてあるのに。あとはキミが頷くだけだから、気がむいたら教えてくれたまえ」
「…………」
男は大げさにぴしゃりと額を叩く。
みるからにワザとらしく、胡散臭い仕草。ギギギ、と首を横に曲げる。
「ふむ、あまり乗り気では無さそうだね」
しばらく考えていた男はぽんと手を打った。
「そうか、私のことが信用できないのだね? そうかそうかそうか! いきなり他人から言われても信じられないだろうね。私はキミの味方だよ」
唐突に味方だと言い切った男は、のっぺりとした顔で笑顔をつくった。
「ちゃんとその証拠を見せてあげようじゃないか」




