俺、後輩パワーをもらう
「お兄さん、そのお花、素敵ねえ」
声をかけてきたのは、どこかの店のエプロンをつけた女の人だった。
夕陽を背にしていて、全体的に影がかかっている。帽子を深く被っていて、顔はよく分からない。
ただ、声の調子やしゃべり方、ちょっとぽっちゃりした体型から、そう思ったのだ。
「ああ、ありがとうございます」
女の人は横に体を傾けた。帽子からはみ出した口もとが、ゆるりと弧を描く。
「ねえそれ、よければ少し譲ってはもらえないかしら。とてもキレイだもの」
「え」
花束を見下ろす。
「ダメかしら?」
俺が渋っていると思ったのだろう。申し訳なさそうな響きが混じる。
「もちろんタダでとは言わないわ。うちの手作りサンドイッチと交換でどう?」
手元の袋を振ってみせた。中には、サンドイッチとおぼしきものが三つほど入っている。
俺はあわてて花束を差し出した。
「いやいや、全然大丈夫ですよ。好きなだけもらってください」
後輩とベルには申し訳ないが、家に帰っても正直もて余してしまう。それに、せっかくなら素敵だと言ってくれる人にあげた方が、花も喜ぶのではないだろうか。
「成立ね。サンドイッチ、美味しいから食べてみてね」
「はい、ありがとうございます」
結果、三分の二ほどの花を引き取ってもらい、荷物はずいぶん軽くなった。手には交換したビニール袋が残る。
「じゃあ」
女の人は、去っていった。
「はるひと、おまたせ!」
入れ違いに幼女が雑貨店から出てくる。ルンルンしているところをみると、ウィンドウショッピングは楽しかったらしい。
頭の上には疲れきったタヌキが乗っていた。
秋の夕暮れは早い。空には少しずつ藍色が広がり始めていた。
「あれ、はるひと、お花減った?」
「き、気のせいじゃね?」
まっすぐな瞳に見上げられて、思わず目をそらす。
「ほんと?」
「ほんとほんと」
ぬるい風が体に吹きつけた。
タヌキがピクリと鼻を動かす。
『小僧、その袋はなんじゃ? なんぞ、うまそうな匂いがするのう』
「んー、もらいもん?」
「ベル、それ食べたい!」
俺は、気づかなかった。
この裏通りには、食べ物を扱う店なんてなかったことに。
俺が一人になったタイミングで、声をかけてきた不自然さに。
「家帰ってからな。ほら行くぞ。電車に遅れる」
夕闇の中で、オレンジの花びらが暗い炎に包まれた。燃えかすになって、アスファルトに散らばる。
女の人の黄金の瞳が、物陰で妖しく光ったことにも気づかなかった。
次の日。時刻は朝八時。
「おかえりなさい、はるひと! お風呂にする? ごはんにする? それとも、わ、た、……みゃ!?」
「するわけねぇだろ!!」
玄関で靴をはいた俺は、しゃがんで幼女のやわらかいほっぺたをムニムニとつねった。こいつ、ご丁寧に赤いチェックのエプロンまでつけてやがる。
「アホか! 言いたかっただけだろうが! あと今は朝だからおはようだっつーの!!」
幼女はもちもちのほっぺたを伸ばされながら、器用にくちびるをとがらせた。
「はっへ、ひひははっはんはほん」
「いや、開きなおるな!」
ほっぺたから手を放すと、幼女はなおも不満げにいった。
「だって、これなら男は確実におちるっておかーさんがいってたもん」
「おちッ!?」
お母さん、子どもに何を教えてるんだ! 何を!! 俺はそんなんに引っかかったりしないからな、絶対。
「はぁー、もう行くからな。夕方には帰ってくるから」
今からみっちり八時間、バイトである。
「はるひと」
「ん?」
ふりかえると、寂しそうに両手をのばす幼女と目があった。しょんぼりとツインテールの先が垂れている。
「だっこ」
つい口もとがゆるむ。これだからちびっこは。
わきの下に手をいれて持ち上げた。小さいのでやっぱり軽い。幼女はくすぐったそうに笑うと、ぎゅっと首に手をまわした。
「んふふ。はるひと、いってらっしゃい」
「ん、行ってきます」
さらさらの銀髪を優しくなでた。
バイトは、何事もなく終了した。
時刻は午後六時。
スタッフルームの窓の外は、そろそろ日が沈もうとしている。
俺はベンチに座って休憩していた。
「お、なんか楽しそうな顔してるな」
「そうなんですよ先輩! うちの神社、オレンジの花を育てていたんですけど、今朝見たら紫の花に変わってたんです!! すごくないですか?」
「ブッファ!?」
思わず口もとを押さえた。
申し訳なさと驚きが、同時に突き刺さる。吹き出しつつも、かろうじて真顔を保った俺をほめてほしい。
「ベルだろ、それ……」
どうやら、オレンジの花のかわりに紫の花を咲かせていたらしい。
どうやって?
幼女が両手をあわせて、伸びろー! と、上下にニョキニョキと動かしているイメージが浮かんでしまう。
「っ……!」
ツボにはいって、肩の震えが止まらなくなった。
「す、すごいな。それは」
「ですよね。手品ですかね?」
相変わらずの美少女な後輩は、こてんと首をかしげた。こんなことをしても、清楚な雰囲気が失われることはない。長い黒髪がさらりと揺れた。
「っ、ゲホッ」
ここ数日、体がだるい。頭もふわふわする。
「くそ……」
加えて、頭から離れないのは腕のアザだ。あと一週間で死にますと言われた呪い。
右腕だけでなく、左手や両足の先にも青黒い黒ずみが発生していた。チクチクと痛みがたえまなく続く。
「……きっついな、これは」
じわりと死が迫るのを視覚的に見せつけられるのは、やはり辛い。
「……でも」
だけど、あと三日もすれば。
死んでしまえば。
この辛さも、心配も無くなる。
その方が楽なんじゃないか? これ以上の努力など、自分でも期待していない。何でもいい。
結局、俺は自分の事などどうでもいいのだ。
「先輩、悩みごとですか?」
後輩が、うつむていた俺を下からのぞきこむ。心配の色が黒い瞳にはあった。
「ん? いや、何でもないよ」
しまった。顔に出ていただろうか。後輩にまで心配されてしまうとは、俺もまだまだだな……
彼女は顔を近づけた。距離がぐっと縮まる。
「先輩なら、大丈夫です! 私信じてますから!」
「……おー? ありがとな」
何で信頼してくれるのかは知らんが。そこまでのことを、彼女にしてあげただろうか。
「ふふ、何でここまで言われるのか分からないって顔してますね」
「えっ! 分かんの? なんで?」
すげえ、エスパーか?
ベルといい、この後輩といい、女の人は勘が鋭いのだろうか。
「先輩は、分かんなくてもいいんです!」
彼女は、くちびるにひとさし指をあてて、いたずらっぽく笑った。
「だから、教えてあげません」
入り口のところまで行くと立ち止まって、振り返る。ツヤのあるポニーテールがゆるりと流れた。
「先輩は先輩らしく、進めばいいんですよ!」
そういって、彼女はスタッフルームから出て行ってしまった。
「……応援、されてしまったな」
残された部屋で、一人つぶやく。
なんとなく、ふわふわと先のことを考えないようにしていた。
もう死んでしまうならそれでもいいかと、思っていたが。
「もうちょっと、頑張ってみるか」
ゆっくりと腰をあげた。
『小僧!』
店の外に出ると、聞き覚えのある声がした。
笠を背中にくくりつけたタヌキがちょこちょこと走ってくる。俺の体をよじ登ると、背負っていたリュックを器用に開けて潜りこんだ。
『散歩して疲れたのじゃ。ワシを運べ』
ふんぞり返った上から目線は健在である。
「おまえなあ」
こいつはこいつで好き勝手うろちょろしていることも多い。アパートの部屋から居なくなることもよくあった。今日も町を歩き回っていたのだろう。
「俺はタクシーかよ」
『ついでではないか。ワシは寝ておるから、家に着いたら起こせ。あと、桜もちを買って帰るのじゃ! 結局この間、買っておらぬではないか!』
「へいへい、店がある方通って帰るよ」
ポケットに手をつっこんで、夕暮れの町を足早に歩く。冷たい風が、容赦なく体温を奪っていった。ふるりと背筋が震える。
「っと、」
靴ひもがほどけたので、立ち止まってかがみこむ。自分の体が被さって、地面に濃く影を落とした。暗くてよく見えない。
夕日が沈む、薄暗い街。
そう。それは、日常の裏側が垣間見える、黄昏の時間。
「!」
ガチャリ、と。
頭に何かが突きつけられた。
冷たい感触が伝わる。
ヒヤリと心臓が凍った。
「ったく、依頼書には同じルートしか通らねぇって書いてたのによ。手間かけさせんじゃねえぞ、オッサン」
聞いたことのある声。
視界の端に、ここ数日で見慣れた、夜空のような濃紺のマウンテンパーカーが映る。
空気が、鋭い冷気を纏った。
体に力は入るものの、固まってその場から動けない。
俺は今、どうなっている?
「……っ」
あり得ないと、心のどこかが叫んでいた。
普通、敵対するように、人に銃を突きつけるだろうか。
つい先日、良い奴だと言ってくれたのは嘘だったのだろうか。そりゃ確かにやらかして謝ったりもしたけど。
仲良くなれたと思っていたのは、俺だけなのか?
嘘だよな?
俺の勘違いだろ?
だけどこれは、この状況は。
あたりは闇に包まれた。暗い夜の気配が、すぐそこにある。
「カイ、お前……」
どうして。




