俺、呪われる
「うう、右腕がうずく……」
肩の近くがじわじわと痛む。額には汗が浮かんでいた。
鋭い目をしたカイが、バカにしたように笑った。
「ハッ! オッサン、中二病か?」
「うるせえ、違うわ!」
俺だってわかってるよ!
二十五歳にもなって、こんな恥ずかしいセリフを吐くと思わなかった。
どうせならもっと、『あなたを一生しあわせにします』みたいな、ハッピーなセリフがいい。
「まあまあ。それより、どうします?」
濃い空色のパーカーを纏った少年がいった。
「……悪い方から頼む」
こういうのは、嫌なことから終わらせた方がいい。
息をゆっくりと吐き出した。無意識に力が入っていた肩をまわす。鼓動が速くなっているのを感じた。
黒髪に深海の瞳の少年は、にっこりと頷いた。片耳で十字架のピアスが軽く揺れる。
「春人さんの風邪、普通のものではないでしょう。おそらく前触れかと。腕を見てください」
右腕の、肩のあたり。
黒々と、『咒』の文字が浮かんでいた。
まわりの肌は青紫で、内出血のようになっている。
「咒は、中国語で『呪い』を表すんです。見た感じ、蠱毒の一種だと思うんですけど」
蠱毒。
古代、中国の少数民族が行っていた、呪術の一つである。
百の生き物、蛇やムカデを一つの壺に閉じ込める。
互いに食らいあって残った最後の一匹は、濃縮されて、毒性が増しているというわけだ。この毒を使って、呪いをかける、とかなんとか。
「強力なものです。まあ、過程はどうあれ、だいたい最後には死んでしまうんですけどね」
「え?」
目をかっ開いた。
今、この少年はとんでもないことを言ってのけたような?
自分の耳が信じられない。
「俺、死ぬの?」
「はい。そのままだと死にます。三日くらいで」
「三日くらいで」
微笑んだソラは、おっとりと肯定する。柔らかい黒髪がサラリと揺れた。
またズキリと腕が痛んだ。
「ってぇ……」
顔をしかめる。
腕が痛いのは、牛人から逃げるときに、どこかにぶつけたんだと思っていた。風邪も、どこかでもらってきたのかと。
そのうち治るだろうと気にしていなかったんだが。
ぞわりと鳥肌が立つ。
体が震えた。
息を大きく吸って、吐き出す。
腕の痛み。おさまらない気だるさ。
もしも、これらが死へのカウントダウンだとしたら?
急に、恐怖が現実味を帯びてきた。
「けっ、ビビってやんの」
「カイ、だめだってば。ほらベルちゃん連れてきて」
少年は片割れをせっついた。
「わーったよ」
カイは、こちらをひと睨みすると、入り口から出ていった。俺、なんかしたっけ?
申し訳なさそうに、ソラが眉を下げる。
「春人さん、すいません」
「いや、気にしてないさ」
少年はほっとしたように微笑んだ。
「良いニュースは、少しだけ呪いの進行を遅らせる手段があることです」
そういって、俺の腕を指さす。
『咒』の文字の下には、銀の塗料でバツ印が描いてある。
「呪い返しです。一週間くらいならもつと思います。たぶん」
「たぶん」
……最後の言葉が一番怖い。
「一週間たったら?」
「死にます」
「死にます!?」
「あはは、そんなもんですよ」
にこにことソラは言った。
「容赦ねぇ……」
この少年、意外とSかもしれない。
「おいチビ、こっち来い」
カイに連れてこられた幼女は、手にお菓子を持っていた。
「はるひと、みてー!」
いや、お菓子をはめていた、と言うべきだろう。
とんがったコーンのお菓子を、十本の指すべてにはめていたのである。円錐形の、ぼうしみたいになっているお菓子だ。
「まじょのツメー!」
両手をばっと広げてみせる。
アメジストの瞳が楽しげにかがやいた。
銀のツインテールがぴょこぴょこと跳ねる。
『小僧、無事じゃったか』
タヌキが幼女の頭から、俺の肩に飛びうつる。こちらもちゃっかりと香ばしいせんべいをくわえていた。
「これねえ、食べれるんだよ!」
幼女はへにゃりとした口もとのまま、指にはめたお菓子をカリカリと食べはじめた。大変ご満悦なようである。
「余ってたからやった」
つっけんどんにカイがいった。
濃紺のパーカーがそわそわと音をたてる。
「そっか。ベル、良かったなあ。カイもありがとな」
「別に、あげただけだし」
ぽりぽりと頬をかく。鋭い瞳があらぬ方向を向いた。
案外、優しい奴なのかもしれない。
「はるひと、はるひと、左手だして!」
Tシャツの裾がひっぱられる。
「ほら」
左手を出してやると、薬指にとんがったコーンのお菓子がはめられた。
幼女はぱあっと花が咲いたように笑う。
「えへへ、ゆびわ!!」
「ブフォっ!?」
婚約指輪とか。
どこでそれを知ったよ、お前。あと逆だろ。俺が指輪あげる方だろ。
「えーとね、『ベルは、はるひとを生涯のおっととし、どんなときでも笑顔を忘れずに、どんなときでも感謝のきもちを忘れないことをちかいます』だったかな?」
「誓ってんじゃねぇよ、アホ!?」
……誰だ。教えたやついるだろ絶対! 出てこい!! おじさん怒んないから!!
「はい、あげる!」
幼女は、カイにもお菓子をあげていた。
「いらねえ」
カイは、ふいっと横を向いた。相変わらず不機嫌そうである。
だが、幼女はあきらめない。
回り込んで、カイを下からじっと見上げた。パーカーの裾をつかむ。
「ベルのおかし、まずかった?」
「……そ、そういうワケじゃねぇよ」
焦ったような声。
首にかけた十字架のネックレスが、うろたえたように揺らぐ。
「ほんと?」
幼女はぷくぷくのほっぺたを嬉しそうにもちあげる。
「う……」
さすがのクソガキも、幼女には弱いようだ。しぶしぶお菓子を受け取っていた。
思わず口もとがほころぶ。
ソラも苦笑していた。
「まあ、解く方法を僕たちも探しますから。春人さんも調べてみてください」
「分かった、ありがとう」
……呪いねえ。
しかし、誰が一体そんなことを。俺は何か恨みを買うようなことをしただろうか。
『小僧、小娘が持っておった呪いの本がお主の家にあるはずじゃ。それを調べればよかろう』
事情をなんとなく察したタヌキが告げる。
「ああ、貸してもらうか」
カイに、みっつめいる? とお菓子を押しつけている幼女をながめる。
見てみる価値はあるだろう。
「はるひと、終わった?」
ベルが駆け寄ってくる。退屈そうなアメジストの瞳が見上げた。
『小娘、お主の持っておる書物をよこすのじゃ』
「? いいよ?」
タヌキがベルの腕に飛び込む。
小さな生き物を抱える幼女は、端から見ても愛らしい。
「ああ、終わったよ。帰ろうな」
ずいぶん待たせてしまったから、じっとしていることに飽きたのだろう。
ゆるく笑って、さらさらの銀髪に手を置いた。
「うん!!」
とたんに、大きな瞳がキラキラと輝きだす。
タヌキを抱きしめて、幼女はバックスペースの入り口に、片手をかざした。
もちろん、指には食いかけのお菓子がはまっている。
「かえりは、早く帰ろう?」
可愛いらしく、こてんと首をかしげた。
パチリ、と黒い電流が弾けた。
足元に円形の精緻な模様が現れる。ぶわりと風が魔方陣から吹き出した。
これは、まずい予感しかしない。
「ベル、ちょっとストッ……」
フリルたっぷりの黒いドレスが強風ではためいた。ぺったんこの胸元で、ドクロのネックレスが不敵にワラう。
幼女は無邪気にはしゃいで言った。
「こうしたら、すぐだよ!」
轟音と、明るい光。
小さな手のひらから、黒い奔流がほとばしった。
地下から放たれた一撃は、斜め上、一直線に風穴を開けていた。バックヤードの一角から街の大通りまで、あらわになっている。人の往き来までバッチリみえた。
アパレルショップのカウンターで、店員が椅子から転げ落ちているのが確認できる。
「あいるびーばっく!!」
双子がぽかんと口をあける。
途方に暮れる俺の耳に、喜ぶ幼女の声がひびいた。




