俺、迷宮へ迷いこむ
去っていった方向をみると、怪しい男の姿はもうなかった。
「ベルの方、見てたよな……」
だが、いつかの金髪女のように頭がおかしい様子ではなかった。普通にイケメンなだけで誠実そうだったし、悪いことをしそうには思えなかったのだ。
肩に居座るタヌキが身じろぎした。
『小僧。あの男、ワシのことも見えておった。ただ人に神の姿は認識できぬというのに。そのくせ、あやつ自身のあやしい気配はまったく感じられぬ』
珍しく、見栄っ張りなタヌキが警戒している。いい人そうだったけど……まあ、心にはとめておこうかな。
「ふーん……なあ、俺はなんで見えてんの?」
俺、ただの人。
『そりゃあ、お主とは縁が結ばれておるからの。小娘の場合も魔力を調節することで、お主に姿を認識させておるのじゃろ』
縁……このあいだの、封印解除うんぬんのことか? あの石段の場所、二度と行きたくねえ。怖いのはもうこりごりだ。
ぶるりと思い出したように身体が震えた。
「はるひと、でんしゃ来た!」
つないでいた手がひっぱられる。
わずかな車体の軋みと、ホームに反響する鈍い音。
大きく動かされた空気がほおを撫でる。
視線を線路の先へ向けると、ちょうど電車が入ってきたところだった。
市の中心にある繁華街は、一本の長いメインストリートと、そこから網の目状に広がる、大小さまざまな路地から成る。
時刻は午前十時。
「ふぁああああ」
メインストリートを前に、アメジストの瞳がかがやく。なにやら謎の歓声を幼女があげた。
胸元のドクロも意気込んで飛びはねる。
「クマさんがいる! クマさん!!」
コミカルなゆるキャラが店先でポーズをきめている。大喜びの幼女は、パタパタと走っていった。
『ふぉおおおお』
感動の鳴き声があがる。和菓子屋のショーケースに、ピンク色の桜もちが並んでいる。
小さな生き物は、ぽてりと地面に飛び下りた。ふわふわのしっぽが期待を示すように震える。
『供物じゃぁあああ!!』
短い手足を動かして、大興奮の小さな生き物は突撃していった。
最後に残されたのは、俺ひとり。
「どうすっかなあ」
トメばあの買い物をすませたいが、さすがにあいつらから目を離すのもちょっとなあ。
「先輩、お疲れ様です」
涼やかな声。
セーラー服の少女が駆け寄ってくる。赤い紐で結んだポニーテールがゆるりと流れた。
清楚な美少女ぶりは健在だ。
「おー、昨日ぶりだな。学校か? 今日は土曜だぞ?」
「最近の高校は休日も課外があるんですよね」
困っちゃいます、と後輩は笑った。
その微笑みの美しさは、通りを歩く人々がふり返るほどだ。
そして、一緒にいる男は誰なんだとばかりの視線が地味に痛い。いや、バイト先の知り合いですけどなにか?
「そっか、女子高生も大変なんだな」
「でも私、がんばります」
まっすぐな瞳で、彼女はわずかにほおを染めた。
こちらを見ているようで、どこか遠くに心があるような、そんな表情。
和菓子屋から、甘い香りの風が吹いてくる。
「好きな人には、見ていて欲しいじゃないですか。認めてほしくなりません?」
長い黒髪が儚げに揺れた。
少女のつぶやきを、ざわめく通りの足音がかき消していく。
はっとして俺の視線に気づくと、あわあわと両手を振り回した。
「わ、私、もう行きますね! 先輩もお休み楽しんでください! いつもそんな格好ばかりなんですから、たまにはカッコいい洋服でも買って下さいね!!」
パタパタと少女は走り去る。
「ん、気をつけて」
万年、白いTシャツと青いジーンズの俺は、頷いて少女に手をふった。
ダサくてすまんな。
「はるひと、風船もらった! 持っててー」
「お、良かったなあ」
戦利品を手に幼女が戻ってきた。
銀のツインテールが嬉しそうに跳ねる。
「んふふー」
風船を受け取って、ぽんぽんと頭をなでる。へにゃりとますます愛くるしい笑顔を浮かべた。思わず口もとがゆるむ。
ああもう可愛いなこいつ!……いや、待ってくれそういう意味じゃない。スマホ取り出さないで、違うから。110はカンベン。
『小僧、あのピンクの餅を買ってくるのじゃ!』
タヌキは当然買えなかったようで、桜もちの購入をねだってくる。ぴょんぴょんと茶色いフワフワのかたまりが飛び上がった。
「んー、餅がいたむといけないから、帰りにな」
『ほんとうか!? 約束じゃぞ!!』
つぶらな瞳が喜びでかがやく。
ボリュームのあるしっぽがブンブンと振り回された。
「じゃあ、買い物に……うおっ!?」
体に軽い衝撃が走る。
「すいません、大丈夫で……」
「ったく、テメェ、前みて歩けよ!!」
中学生くらいだろうか。イライラした声があがる。ぶつかったのは黒っぽい服装の相手だった。黒髪に、ガラの悪そうな鋭くて青い目。
「ああ、悪い、気をつけるよ」
あるよなあ、こういう何言われても反抗してしまう年頃って。俺もそうだったわ。
「うっせー、どんくさいんだよ、オッサン!!」
チッと舌打ちをして、そいつは行ってしまった。
「おっさん……」
そうか、俺はもう、おっさんなんだな……
──『どんくさいんだよ、オッサン!!』
ダメだ、抑えろ、俺。相手は中学生だろ。
……………………
………………………………………
「こんの、クソガキぃいいいいい!!!!」
「わわ、はるひとっ!?」
トメばあのおつかいの為、ホームセンターに立ち寄る。
「荷造り用の紐と、ガムテープと……」
いくつか買って、店を出た。なんとなく隣の店に目をやる。
木製の看板に、「ザ・リブラ」とおしゃれな字体で書かれている。アパレルショップのようだ。
店の前のスペースには路上販売コーナーが設けられ、カラフルなワンピースや帽子、アクセサリーなどが並べてある。
「たまにはカッコいい洋服でも……か」
一人と一匹を連れて、のぞいてみることにした。
中へ入ると天井が高くて意外と広い。軽快なBGMが流れ、アンティークなライトが店内を明るく照らしていた。
「っしゃいませー」
カウンターで、だるそうに店員がいった。
キンキンに冷房が効いて、すこし寒い。
全部で三階建て。
地下と一階、二階の売り場があるようだ。メンズの服が置いてある地下へ、足を踏み入れた。
「凝ってるなあ……」
頭上には青銅の剣がディスプレイされ、味のある陳列棚の横には子どもがすっぽり入りそうな土の瓶が配置してある。天井からはサーカスのように、何枚もカラフルな布がつながって垂れていた。
あるだけの文化とデザインと色彩をぶちこんだというか。ごった煮というか。独特な雰囲気が満ちている。
「はるひと、これ!」
楽しそうにベルがひっぱり出してきたのは、いかつい頭蓋骨のプリントされた、真っ赤なTシャツだった。ラインストーンが全体に散りばめてある。
しかも、デカデカと “I’ll be back !!!” と書いてあった。
「これは、ちょっと……」
なぜそれを選んだし。
着たら、ヤバいやつじゃん。外に出たとたんに怖いお兄さんにからまれるのとか、俺イヤだからね?
所狭しとあるハンガーラックには、はち切れんばかりに洋服が掛けられていた。
詰め込まれたそれは色ごとに分けられていて、横から見ると、重なった洋服が見事にグラデーションを作り出している。
ミリタリーや演劇の衣装も取り扱っているようで、古いカーキの軍服やごついブーツ、分厚い皮のコートなんかが木箱の上に雑多に置かれている。
華やかな羽のついたカウボーイハットなんてのもあった。
「かっけぇ……あ、こっちも」
思わず身を乗り出す。
男としては、こう、非常にそそる。ロマンなのだ。心にグッと来る。
「おようふく、いっぱいある!」
『珍しい骨董もあるのう』
ちびっこ達にしてみれば、地下にある不思議でジャンキーなアパレルショップは秘密基地のようなものだろう。背の高いラックのあいだをはしゃいで駆けまわっている。
「一つくらい、買ってもいいかなあ」
「はるひと、こっちはー?」
今度はいくらかマシな黄色いTシャツを幼女がもってくる。
「んんん」
いやしかし、自分が着るとなると黒とか白とか、もうちょい普通の色の方が……
けっこう夢中になっていたらしい。
俺たちは、いつのまにか店の奥まで来てしまっていた。
BGMが遠くに聞こえる。
膨大な洋服のかかった、カラフルなラックの通路を右へ左へと曲がる。もはや、降りてきた階段の位置すらあいまいだ。
「かえり道、分かんないね」
幼女もすこし不安そうだ。銀のツインテールが所在なげにゆれた。
「大丈夫、ここは店の中だ。すぐ見つかるさ」
とはいったものの、背の高いラックで視界をふさがれ、まわりを見渡すことは不可能である。
あまりの高さに、自分が小人になってしまったような感覚を覚えた。
とりあえず、歩き続けることにした。強めの冷房が、じわりと体温を奪っていく。
三人で通路をひたすら歩く。歩く。歩く。
BGMは聞こえなくなっていた。
タヌキが肩に飛びのってきた。
『小僧。この通路、おかしな気配があふれておるぞ』
「え?」
言われて、気づいた。
一本道なのだ。
分かれ道がない。
ぎっしりと服の詰まったラックの道が、ゆるくカーブしながら続く。
「なら、服のすき間から外に出れば……」
手近なラックに下がる服をかき分けようとして、衝撃を受けた。
「これ……ラックじゃない」
壁だった。
カラフルなタテ線がいくつも引かれた、壁。
平たい感触が手に伝わる。
不自然に高いと思っていたラック。
俺が服やラックだと思っていたのは、壁に描かれた絵だったのだ。




