幕間 片翼の蝶
残酷な描写があります。ご注意下さい。
片羽の蝶は、飛べない。
エサを求めてとびまわることも、
雨露をしのぐ場所へ移動することも、
できない。
「ルーフェ!」
天上の大広間にひろがる、大量の血。
その中心に倒れ伏す青年へ、美しい金髪の女が駆けよった。
「姉さ、……かはっ」
女によく似た金の巻き毛が、どす黒い赤に染まっている。背中の双翼は毛羽だって傷つき、ひどいありさまだった。
「やめて、動いちゃだめ。傷が開いてしまうわ。いったい誰が……」
女が手をとると、青年はうっすらと金の瞳をひらいた。
「ごめん姉さん。僕はもう一緒にいることが出来ないみたいだ」
弱々しくほほえむ顔色は青白い。
「ごめん、ね。またいつか、二人で……」
瞳に残された光が消えていく。
「ルーフェ! ルーフェ!?」
強く青年の手を握りしめるが、再びその手が動くことはなかった。
「っ!」
ふいに、背後から斬りつけられて、金髪の女は倒れこむ。血だまりのなかに、舞い上がった白い羽が雪のようにつもった。
「シーフェ。君は、天界の秘密を知りすぎた」
そこにいたのは、天上を統べる壮年の男だった。どこを見ているか分からない目が、大広間と奥へ続く扉のあいだをさまよう。ぼそりと呟いた。
「天使はいても、本当の神などいない」
広間に生臭い血のにおいが漂う。傷の痛みに顔をしかめながら、女はすがるように叫ぶ。
「天使長様! あなたが、あなたがルーフェを?」
体が震え、床にたてた爪がギリギリと音をたてた。
壮年の男は冷たい瞳で女を見下ろす。
「君は、愛する弟のためなら何でもするだろう? 囮に使わせてもらったよ」
何でもないように言葉をこぼすと、再び男は虚空から光の剣をつくりだす。
「っ!」
ためらい無く、女の手の甲に剣先を突き立てた。骨を砕く音が響き、床には新たな血がひろがる。
女は歯をくいしばって顔をあげた。困惑と動揺をのせて、震える声でたずねる。
「っ、私をおびきだすためだけに、ルーフェを殺したのですか? わざわざ、呼びつけて?」
濁った目が女を見ていた。
「私も、天界のためなら何でもするのでね」
「……!」
女の瞳に怨嗟の色がゆらめいた。血濡れの体で、あらんかぎりの力をこめて睨みつける。
「よくも弟を……!」
空気が痛いほどはりつめる。
這いつくばった女の体が真っ白な光を帯びた。まっすぐで、純粋で、それゆえに脆い、清廉な光。
「お前など……お前など、殺してやる…………!」
だがその光も、男が発する光に比べれば弱い。壮年の男は気にする様子もない。両者の力の差は歴然だった。
男は剣を振りかぶる。
「さあ、姉弟そろって消えてもらおう」
「っ!」
女は横に体を投げ出す。
背中から振り下ろされた鋭い刃先は、心臓の位置をかすめて傷ついた翼に深く食い込んだ。
なんとか起きあがって、広間の奥の部屋へと飛び込む。
「これが、私たちの『神』だったなんて……」
小さな部屋のなかには、台座が置かれていた。
鎮座するのは、黄褐色の宝石。絶大な力を秘める鉱石は、ほのかに輝きを放っていた。
「ここに、世界に、こんなものがあるから……っルーフェ、ごめんなさい。ごめんなさい……!」
台座にすがりついて女は泣いた。
「絶対に、仇をとるから……!」
「シーフェ、もう終わりだ」
扉が開いて、剣を持った男が入ってくる。余裕に満ちた表情と足取りは、隠れても無駄だと語っていた。
「私は、諦めない。やりとげるまで絶対に死なない。……天使も悪魔も、使う魔素は同じ。なら、力の流れを逆転させれば……」
女は手にとった宝珠をにぎりしめ、追ってきた男に向かってつぶやく。
「【反転】」
美しい金の髪が毛先から漆黒に染まり、黄金の瞳が禍々しい光を放つ。
「ふふ……」
体から溢れでた光に、ほの暗い狂気が混じる。愛と、憎しみと、醜悪に満ちた、黒い光。
「なに……!?」
光に照されて、男が初めて動揺した様子をみせた。
「お前が悪い、この宝石が憎い、世界など、赦すものか……」
震える手のひらを構えて、男へと向ける。
絶望の涙を流しながら、女はいった。
「お前も、天界も、世界もすべて。全て全てすべてすべてすべて!!!!」
「無くなってしまえ!!!!!」
暗い奔流が、全てを押し流した。
片翼の天使は、翔べない。
それは致命的であり、天使としての尊厳を失うことであり、天界にとどまるのが不可能なことを意味する。
雨が降っていた。
工事の足場が組まれた、五十階建ての高層ビル。濃い灰色の空の下、金髪の女が立っていた。
その両眼は閉じられている。
金の髪にひと房まじる、黒いメッシュ。シンプルな白いドレスをまとい、口もとには上品な笑みを浮かべていた。
激しい雨粒がコンクリートの屋上をたたく。濡れて顔にはりついた金髪からは、とめどなくしずくが滴っていた。
女の手のなかにあるのは黄褐色の指輪。
宝石は、天界から逃げるときに持ち出してきたものだ。
あの時から、女の翼は片方だけ。
殺された愛しい弟に、天界の秘密。
ふいに、つぶやきがこぼれる。
「救いたかった」
ほの暗い光の剣を、足元の地面に叩きつける。コンクリートが悲鳴をあげて、灰色の欠片が飛び散った。
「……守ってあげられなかった」
もう一度、剣が怨みを込めるように振り上げられる。切り裂くような音と共に、建物全体に大きな亀裂が走った。
激しい雨はやまない。地面に叩きつける勢いが増した。
「何も出来なかったッ!!!」
悲痛な悲しみと怒りを宿して、三度、その手が動く。ビルが軋み、女を起点に強烈な衝撃が広がった。
いくつものガレキが生まれ、足場となっていたパイプが降りそそぐ。ビルは、跡形も残らない。
「待っていてね、ルーフェ」
女は金の瞳を開いた。
「ワタシは最強の王となり、全てを壊し、復讐を果たすから。必ず、やってみせるから」
轟音を響かせ、灰色の建物は暗闇へと崩れ落ちた。




