俺、元気をもらう
そこにいたのは、タヌキだった。
そう、タヌキ。
ふわっふわの。
『ワシは偉大なる変化の神じゃぞ! もっとうやまい、供物を献上することをゆるそうぞ!!』
短い四つの手足を器用に動かして、ぴょんぴょんと飛び上がる。
とりあえず扉を少しあけてやると、すかさず中へ入りこんできた。どうどうと我が物顔で部屋のなかを闊歩する。
『ほお! これは居心地の良さそうな住処ではないか!!』
部屋の明かりに照らされて、タヌキの様子がハッキリとみえた。
デフォルメされたような丸っこい体。
きらきら輝くつぶらな瞳。
ボリュームのある、茶色いしっぽ。
背中には、赤い唐草模様とえんじ色の帯が複雑に編みこまれた笠を背負っている。
ちょっとハデだけど、お坊さんがかぶっていそうな三角の笠だ。
その辺のキャラクターショップで売っていそうな感じで、これでワシ口調のしわがれ声じゃなければ……なんて思ってしまう。
『さあ小僧! ワシにたべものを献上せよ!!』
ピクピクと鼻先を動かしてタヌキがいう。
騒がしい老人の声でキュートなタヌキがしゃべるのは、なんだかシュールである。
コイツはもしかしなくても、あの祠の正体だろう。姿は違うけど、いろいろと覚えがありすぎる。
デカイ態度とか、デカイ態度とか、デカイ態度とか。
「食いもん……」
あれだけ怖がらせておいて、何でタヌキなんだとか。
どうしてついてきたんだとか。
聞きたいことは山ほどあるけど。
疲れていた俺は結局、めんどくさくなってしまった。
「まあそんなこともあるか、うん……それで? つまり腹が減ったと」
『ムッキィー!! う、うるさい、つべこべ言わんで出すのじゃ!!』
目の前の生き物は毛を逆立て、怒ったように飛びはねた。手足を勢いよく動かす。ボリュームのあるしっぽがコミカルにゆれた。
これは……うん。
可愛い。
「はいはい」
口元がにやけるのをこらえて、リュックを探る。
たしか、後輩からもらったあまりが……あった。
取り出したのは、柏の葉が巻かれた桜もちだ。
「ほれ」
二本足で立ちあがって、ぷるぷるしていた生き物に渡す。
『ふおぉぉお』
ころんと床に座ると、腹のうえで大きな桜もちをセット。
つぶらな瞳をキラキラさせて、夢中でもちを食べはじめた。いや、ほんとにジジイかよ。乙女の間違いじゃないか?
「…………」
もふりたい。
見るからにふわふわでさらさらの毛のなかに手をうずめてあたたかさに包まれる感触を味わいたい。
犬とか猫とか飼ってみたいけど、アパートが禁止だから我慢していたのだ。
どうしてもやってみたくなった俺は、目の前のもふもふに手をのばす。
『甘いのう! 美味いのう! この外側のピンクの皮も、もちもちで歯ごたえがいいのう!』
……タヌキに歯ごたえなど分かるのか。
桜もちに夢中な生き物は気づかない。ではさっそく。
「おお……!」
毛並みはツヤツヤのふわっふわだ。
指のあいだをなめらかな感触が通りぬける。
ずっと触っていたくなる心地よさだ。
うーん、タヌキの毛って硬いイメージがあったんだけど、そこは違うのな。これはなかなか良い。
我慢できなかった者が、もう一人。
「ベルも!」
タヌキに負けず、アメジストの瞳がきらめく。
手をワキワキ、うずうずしながら待っていた幼女が、茶色いもふもふに飛びかかった。
『ふぎゃっ!?』
「クマさんだ! ふわふわでかわいい!! やわらかーい!!!」
両手でぎゅっと抱きしめると、ぷくぷくのほっぺたをよせる。
小さな生き物はベルの腕のなかで逃れようともがくが、なにせ大きさが違う。結果は見えたもので。
『や、やめっ!? ワシは偉大なる変化神で、クマでは……こら、しっぽをさわるでな……やめっ、おねがいっ、アーッ!!』
「かーわーいーいー!!!」
笑顔の幼女は容赦なく生き物をなでくりまわす。
耳をさわり、頭をなで、小さな鼻のあたまにちょんと手をふれる。その手つきは一流のもふリストだ。
『こ、小僧! 今すぐこの娘を引きはがせ!!』
生き物のつぶらな瞳がすがるように輝く。
俺は、にっこり笑って再びタヌキに手をのばした。
「俺にもちょっと癒しをくれないか。今日は疲れたんだ」
『おのれ、小僧ぉぉおおおお!!』
もふもふタイムはしばらく続いた。
『よ、よいか、絶対にその娘を近づけるでないぞ。ぜったいじゃぞ!』
存分にもふられたタヌキ様は、部屋のすみに逃げこんでしまった。
ふわふわのしっぽを枕に丸まり、すぐに寝息をたてはじめる。
あ。ていうか、うちに居座る気なんですね?
妙な状況に慣れちゃってる気がするけども。
もう俺、突っ込まないわ。
気にしない。うん。
静かな夜に、虫の鳴く声がひびく。
「ねえはるひと、」
あぐらをかいた上に幼女がちょこんと座る。
小さな手で俺の指をつかまえて、開いたり閉じたり、遊び始めた。
不思議そうな紫紺の瞳が俺を見上げる。
「はるひとは何のお仕事してるの?」
「そうだなあ」
最近、ベルはこうしてくっついて来ることが多くなった。小動物になつかれているようで、守ってあげたくなる気持ちをくすぐられる。
初日より、明らかに心の距離が近くなった気がしていた。
──また会いましょう、「虚ろな聖杯」のお兄さん
──『三百年に一度の杯たるお主なら……』
聖杯についてくわしく教えてくれ、なんて言ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。やたらとまわりがそう言うから気になるというだけで、そこに明確な理由はないけど。
教えてくれるだろうか。それとも……
「はるひと?」
「ああいや、仕事だったよな。フリーター、つっても分かんないかあ」
灰色に染まる視界で、膝に乗るベルの髪を優しくすいた。過去の記憶。就職試験の面接を思い出す。
──キミさ、それはうちの会社じゃなくても出来るんじゃない? まったく、最近の若者は個性とか、主体性が無いよねぇ。
無価値で、無個性。
自分はいらない。
いくつも会社を受けて、何度も否定されて、誰にも認められなかった。持っていなかった自信まで無くして、すべてがどうでもよくなった。どうせ自分が悪い。
社会にとっては不良品だっただけだ。
何十、何百社と受からなかったのが三年前。
後先を考えられずにふわふわした気持ちで卒業して、適当な求人を見つけて働きはじめた。
「ふりーた?」
「そうそう、どうでもいいってことだよ」
よく聞く話だ。
中学、高校、大学と来て、初めて挫折らしい挫折をした。
就活が上手くいかなかったことだって、これからの人生を考えれば大したことじゃないかもしれない。
もっと辛い人もいるって言われるかもしれない。
だけど、俺にとっては初めての、心に爪あとを残す衝撃だったのだ。全部だるくなって、考えるのも人間関係を築くのも、やめた。
いらない。価値がない。
誰からも必要とされない。
部屋のなかを見まわす。
木製のローテーブルと、折り畳み式の古いベッド。小さいテレビが隅に置いてあるだけだ。
あとは、扇風機だとか、クッションだとか、雑多なものがあるくらい。洗濯カゴからジーンズの裾がはみ出ているのはご愛嬌だ。
特に目立ったものの無い部屋。
部屋にはその人の個性や趣味が反映されるというが、まあ、そういうことなんだろう。
無色の人間。むしろ、無色を通り越して色褪せ枯れているのかもしれないが。
しょせん、どこにでもいるフリーターだ。
いらない。いらない。いらない。
自分で考えたくせに、口もとが歪むのがわかった。
知らずにうつむく。床に影ができて、視界が暗くなっていった。
「はるひとはやさしいのよ!」
瞬間、世界に強烈な色が戻る。
どこまでも透きとおったアメジストの瞳が俺を射抜いた。よどんだ記憶のの底に沈んでいた俺を、まっすぐな光が引き上げる。
「はるひとは、はるひとはやさしいの! ごはんも分けてくれたの! それにベルのこと、なまえで呼んでくれたもん…………みゃっ!?」
自分のことのように必死に言いつのる様子がなんだかおかしくて、頭に手をおいてグシャグシャと雑になで回した。さらさらの銀髪が心地よい。
「ああ、ありがとな」
口角が自然とあがる。俺が落ち込んでるのをみて、励ましてくれたんだろう。
「?」
ああ、目をまるくして、不思議そうな顔をしているところをみると、分かってないっぽいな。
幼女はハテナマークをしばらく浮かべていたかと思うと、ぱあっと満面の笑みを咲かせた。
「はるひと、わらった!」
銀のツインテールが無邪気にはねる。
胸元のドクロも大きくゆれた。ただそこにいるだけで、存在を肯定してくれているようで。
ふっ、と笑いがこみあげる。
「そうだな」
完全にこの虚無感が消えたわけじゃない。
だけど、心のどこかがじんわりと温かくなった。
ちびっこに元気をもらって、立ち上がる。
「さ、今度こそ寝るぞ。明日もバイトなんだ」
「うん! おやすみなさい!」




