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まだ名もなき怪物達 第4部ー神代蒼真ー  作者: HANA


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第29話 怪物はまだ終わらない




病室の窓から柔らかな午後の日差しが差し込んでいた。

あの首都壊滅の巨大地震から2ヵ月が過ぎていた。


シュー……

小型酸素の音が病室には響く。

まだ呼吸が安定しない蒼真は安静時も酸素マスクを使用していた。

少し動くだけでも息が上がり、思うように進まないリハビリに蒼真は投げやりになる日も多かった。


それでも蒼真は今日は珍しく長く起きていた。

膝の上には小さなピンクの毛布。

華凛が選んでくれた膝掛けでいつも自宅で使っているものだ。

蒼真はそれを静かに撫でる。

その指先は少し震えていた。

右腕と右脚は圧迫の後遺症でうまく力が入らなくなっていた。

瓦礫の圧迫の影響で動かすと震えてしまい、痺れも残る。


「……ひざ掛け…ここに華凛がいるみてぇ」

掠れた声だった。

ベッド横の椅子に座る麗華が小さく頷く。

「華凛、“パパ寒いかも”って」

蒼真が目を閉じる。

その顔は瓦礫の下に居た総統ではなく、ただの父親だった。

「……そっか」

小さく笑う蒼真。

でも次の瞬間、少しだけ目尻が赤くなった。

蒼真は膝掛けを出来る限りの力で握る。

「……華凛、ありがとう」

シュー……

酸素音が静かに響く。

蒼真はゆっくり息を吸った。

「パパ、頑張るから」

麗華が顔を上げる。

蒼真は窓の外を見たまま続けた。

「……また抱っこするからな」

その声はあまりにも弱かった。


けれど確かに未来を見ていた。


そして少しだけ笑う。

「蒼志とも、悠真とも……ッ…」

呼吸が詰まり、少し咳き込む蒼真の背を麗華がすぐに支えた。

それでも蒼真は止めなかった。

「……キャッチボール、するからな」

その瞬間、麗華の目から一筋、涙が零れた。


だってそれは“もう出来ないかもしれない”を知っている人間の願いだったから。


絶望してベッドから起きない日もある。

動かない体に苛立って、自分で脚を殴りつけている姿も麗華は何度も見ていた。

平行棒での歩行練習で、「たった一歩が出ない」と泣きそうな顔で車椅子に腰掛ける蒼真に蓮が何度も「焦るな」と声をかけ続けてくれていることも。


何度も、何度もよろけながら

息苦しさとも戦いながら

それでも蒼真は諦めていなかった。


「…蓮が、まだ走るだろって…」


どれだけ壊れても。

呼吸が苦しくても。

また家族の所へ戻る為に。


「まだ、俺は総統として…やるべきことが残ってる」


窓から視線を麗華に戻した蒼真は麗華の涙を拭いた。


「……泣かないで、麗華。俺は帰ってきた」

「…うん、帰ってきたね」


父親として、黎明総統として…蒼真として。

神代蒼真は”神代蒼真”として麗華の元へ帰ってきた。


2人の間には小型酸素の駆動音だけが響いていた。

シュー……

シュー……

窓の外では少しずつ街が動き始めている。

崩壊した首都、瓦礫が止まったままの時間を浮き彫りにする。

それでも世界はまた前へ進もうとしていた。

蒼真は静かに目を閉じ、麗華の手を左手で握る。


「…ここにいて」

「はいはい」

蒼真は甘えるのがうまくなった。

いてほしければ伝え、帰ってほしくないときは服の裾を引っ張ったりすることが増えた。


コンコン。

病室の扉がノックされると麗華が返事をするより早く扉が開いた。

「失礼しまーす」

軽い声で入って来たのは奏だった。

その後ろから律。

さらに桐谷達第一の面々が顔を覗かせる。

その瞬間、蒼真が露骨に嫌そうな顔をした。

「……うるせぇの来た」

「蒼真さん酷くないっすか?!」

奏が即座に食いつく。

そんないつものやり取りに病室の空気が少しだけ変わった。

“日常”の空気へ。


律は病室へ入るなり静かに蒼真を見る。

酸素がつけられ痩せた身体。

震える右手も全部見えた。

けれど律はそれを顔に出さなかった。

自分の憧れた背中のこの人は戻ってくると信じていた。


代わりに小さく笑う。

「総統、サボり過ぎです」

蒼真が鼻で笑う。

「……5年、休んでねぇんだ。有休消化だ」

「酷ぇw」

相沢が吹き出すと

「みんなに休めって言って、一番休んでねぇw」

瀬戸まで吹き出す。

「蒼真さん、本当にそういうところ」

奏も腹を抱えて笑い出した。

そんな第一の様子に蒼真も笑う。


今の第一特務遊撃隊は蒼真が選抜して作り上げたチームだった。

自分たちの頃とは違う、止まることのできるチーム。

あの地獄のような救助の日々をこの6人は乗り越えてくれたのだ。

誰よりも危険な高難度救助の現場の数々を。


麗華は蒼真の横顔を見つめていた。

ここ数日こんな顔をほとんどしていなかった。

蒼真が笑っているだけで、大丈夫だと思えた。

でも、その間も蒼真は左手を麗華の手から離す事はなくしっかりと握っていた。


その時、病室の扉がまた開いた。

「……騒がしいと思ったら」

入って来たのは蓮だった。

書類の束を持ち、疲れ切った顔をした完全に働き過ぎの補佐官の姿だった。


「……お前、寝てんの」

「誰のせいだと思ってやがる」

「俺」

即答する蒼真に第一のみんなが吹き出す。

蓮は大きくため息をつくと、そのまま蒼真のベッド横へ来る。


「仕事だ。決裁に避難所から仮設住宅への移行の市民誘導。山ほどある、暇してんなよ」

蓮はそろそろ蒼真が仕事をしたがるだろうと仕事を与えに来ていた。

「鬼」

と言いながらも、どの書類も急ぎの物は見当たらず蒼真は蓮の顔を見る。

「仕事もリハビリになるだろ」

「……やっぱ、鬼の補佐官」

「蒼真さんの有休終わったっすね」

奏が言うとまた第一がクスクスと笑っていた。

シュー……

シュー……

窓の外では再建工事のクレーンが動いていた。


壊れた街。

壊れた身体。

戻らないものもある。

それでも。

神代蒼真はまだ止まらない。

帰る場所が待っているから。


「じゃ、俺ら戻ります」

奏が扉に手をかけると律達も軽く手を上げた。

「総統、サボり過ぎないでくださいね」

「……有休だっつってんだろ」

掠れた声で返す蒼真のそのやり取りにまた笑いが起きる。

やがて第一が病室を出ていくと静けさが戻った。

シュー……

シュー……

小型酸素の音だけが規則的に響いている。

蓮は持ってきた書類を整理しながら蒼真を見た。

「……で」

「ん?」

「オンライン会議入るぞ」

蒼真の眉が露骨に寄る。

「今?」

「今」

「鬼」

「有休終わり」

即答する蓮に麗華が思わず吹き出してしまった。

蓮はノートPCをテーブルへ置くと手慣れた動きで通信準備を始めた。

「30分で切る」

「短ぇ」

「倒れるよりマシだ」

蒼真は不服そうに鼻を鳴らす。

それでも拒否はしなかった。

蓮はそんな蒼真を横目に静かに視線を落とす。


本当はまだ休ませたい。

まだ歩行も不安定だ。

少し動くだけで呼吸が乱れる。

それでも今、“戻る場所”を失わせる方が危険だった。

蓮は知っている。

神代蒼真は前へ進むことで生きる人間だ。

だから止めるだけじゃ駄目だった。


「……スーツ、シワ寄ってるぞ」

「うるせぇ」

麗華が苦笑しながら蒼真の襟を整える。

酸素マスク、痩せた身体。

それでもスーツを着た瞬間に病室に居た“患者”が少しだけ消える。


代わりに“黎明総統・神代蒼真”が戻って来た。


蓮は通信を接続すると画面が開く。


国家危機管理室。

各省庁。

警察庁。

消防庁。

自衛隊。

全国主要機関。


その空気が一瞬止まったのはモニター越しにも蒼真にも分かった。


誰もが知っていた。

神代蒼真は生きていると。

だが実際に見るのは初めてだった。

酸素マスクをつけた姿、モニター奥に少しだけ移りこむ車椅子。

細くなった身体とまだ顔色も悪い。

本震が残した代償だった。


静まり返る画面の向こうを見ながら蒼真は小さく息を吸う。

シュー……

そして静かに口を開いた。


「……お待たせしました」


その瞬間、止まっていた空気が動いた。

国家側の表情が少しだけ緩んだ。


帰って来た。

この人はまだ立っている。

誰もがそう感じた。


会議はすぐに本題へ入る。

避難所縮小、仮設住宅移行、物流再建。

医療支援、瓦礫撤去、全国再建計画。

蒼真は資料へ視線を落としながら重要ポイントの見逃しがないか確認する。

右手は震えてペンも上手く持てない。

それでも判断だけは一切鈍っていなかった。


「第三避難区画は高齢者優先で移送しろ」

「輸送路は北側回せ。海沿いは余震で崩れる」

「医療班は仮設移行後も残せ。感染症増える」


次々飛ぶ指示に国家側の人間達が息を呑む。


怪物は、まだ終わっていなかった。


会議開始から20分程経った時だった。

蒼真の呼吸が少し乱れ、肩が上下していた。

シュー……

シュー……

咳が出て一瞬、蒼真の言葉が止まった。

その瞬間蓮が即座にマイクを横取りする。

「5分休憩いれます」

モニターの向こうの誰も異論を唱えることはなかった。

あれだけの重症を追い、こんな短時間で仕事に戻っていること事態が異常なのだから。


蒼真が蓮を睨みつけた。

「……おい」

「黙れ患者」

蓮は酸素流量を確認しながら水を差し出し、麗華は背中を支える。

完全に過保護に見えるその様子。

国家側の画面越しにはその光景が映る。

会議の参加者たちは言葉を失っていた。


そこに居たのは。

無敵の怪物じゃない。

壊れながら、それでも立ち続ける人間だった。


呼吸が少し落ち着くと蒼真はマスク越しに息を吐き、マイクを入れる。

「……すいません」

「まだ2分」

「うるせぇ」

もっと休憩しろ。と蓮が怒る声に国家側の空気が少しだけ和らぐ。

しかしそのまま会議は再開され再建計画は次々整理されていく。

やがて終了時間となり通信を終了しようとする蓮を、国家の首相が引き留め静かに口を開いた。

「神代総統」

蒼真は真っ直ぐに画面を見つめていた。


数秒の沈黙のあと、首相が深く頭を下げていた。

「……本当に、戻って来てくださったんですね」

病室が静かになり酸素音だけが響いていた。

蒼真は小さく目を閉じ静かに頷いた。


「……えぇ」

その声は弱かったが確かに前を向いていた。

「あなたの判断のおかげで今回の地震において国の予測の死者・行方不明者数が大幅に下回りました。今後の大災害発生時、災害統括を黎明にお願いしたい」


蒼真はその言葉を聞くと、少しだけ俯き、震える右手を見つめた。

しかし、すぐに力の限り右手を握るとモニターをまっすぐに見据える。


「……全員、帰します」





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