第28話 証
統括室を出た時には外は完全に夜になっていた。
余震はまだ続いているが落ち着きを見せていた。
崩落現場の空気は少しだけ変わっていた。
怒号は減り、代わりに重機音と瓦礫を片付ける音が静かに響いている。
蓮はヘルメットを被り直しながら 現場を見上げた。
大型商業施設崩落現場。
蒼真が埋まった場所だった。
「補佐官」
後ろから奏と律が追いつく。
その後ろには工兵班と消防の数名も居た。
蓮は短く言う。
「……ドッグタグ探す」
その言葉に誰も何も言わなかった。
ただ、その場の全員が頷く。
皆、意味を知っていたから。
あれはただの認識票じゃない。
“帰す為の証”だった。
蓮は瓦礫の山へ静かに足を踏み入れる。
泥、血、コンクリート粉塵。
ライトに照らされた現場は、もう戦場の残骸だった。
「この辺りだな……」
蓮が小さく呟く。
蒼真を引きずり出した場所。
メットを投げ捨てた場所。
『嫌だァァァ!!!!』
あの声が、まだ耳に残っていた。
蓮は眉間を押さえる。
「補佐官、少し休んだ方が――」
律の言葉を蓮は首だけで制した。
「いいから探せ」
低い声だったが怒ってはいなかった。
ただ、止まれなかった。
その時だった。瓦礫を動かしていた奏がふと声を上げる。
「……あった」
全員の動きが止まる。
ライトが一斉に奏の動かした瓦礫へ向けられる。
砕けたコンクリートの隙間に泥と血で汚れた銀色が鈍く光る。
切れたチェーンに繋がる傷だらけのドッグタグだった。
蓮はゆっくり奏の元へ近付き、そして膝をつき、それを拾い上げた。
掌の中。
泥を指で拭う。
刻まれている文字が見えた。
神代蒼真。
隊員番号。
血液型。
生体反応ID。
全部ちゃんと残っていた。
蓮は何秒かそれを見つめたまま動かなかった。
その姿に誰も声を掛ける事はなかった。
やがて蓮は小さく息を吐く。
「……回収完了」
掠れた声は少し震えていた。
その瞬間だった。
近くに居た工兵班のおっちゃんが、ヘルメット越しに小さく笑う。
「ちゃんと帰って来れて良かったな」
蓮は顔を上げる。
数秒。
そして、
小さく頷いた。
「……あぁ」
その返事だけで十分だった。
帰り際、車両に乗り込む前に蓮はふと足を止める。
瓦礫の上にボロボロになった蒼真の名前が刻まれたメットが転がっていた。
大きく抉れた傷とひび割れ。
蒼真の代わりに瓦礫を受け止めた痕。
蓮は静かにそれを拾い上げる。
重い。
確かにそこに残っていた。
蓮は小さく笑う。
「……メット…被ってたな、クソ野郎」
挿管で頭を抑える為に蓮が外して投げ捨てたメット。
そしてそのままドッグタグとメットを抱え蓮は現場を後にした。
病室は静かだった。
薄暗い室内に人工呼吸器の音だけが規則的に響いている。
シュー……
ピッ……
シュー……
ベッドの上で蒼真はまだ挿管されたままだった。
全身が痛々しい程壊れている。
肺を守る為の鎮静は浅くなっていたが意識はまだ不安定だった。
それでも生きていた。
扉が静かに開くと入って来たのは蓮だった。
泥と血の跡が隊服に残っている。
現場から戻ったばかりなのが分かる姿だった。
本部へ戻るとそのまま蒼真の病室へ足が向かった。
蓮は何も言わず。ただ静かにベッド横へ立つと小さく息を吐く。
そしてポケットへ手を入れた。
取り出したのは傷だらけのドッグタグ。
瓦礫の中から回収された神代蒼真の証。
蓮はそれを静かに見つめた。
蒼真の掌へ、そっと置いた。
小さな金属音と冷たい感触に蒼真の指先が僅かに動く。
数秒遅れて薄く目が開いた。
ぼやけた視界に移る白い天井。
人工呼吸器の違和感と全身の痛み。
その中で掌の感触だけは、はっきり分かった。
蒼真はゆっくり視線を落とす。
傷だらけの銀色。
泥の跡。
切れたチェーン。
じっと見つめていた。
理解するまで少し時間が掛かった。
でも、それが何か分かった瞬間。
蒼真の目元が、ほんの少しだけ緩んだ。
蓮は低く呟く。
「……回収完了」
掠れた声だった。
蒼真の指が弱くドッグタグを握る。
その動きを見た瞬間。
蓮の肩から少しだけ力が抜けた。
ずっと張っていた糸がようやく緩むみたいに。
蓮は俯いたまま小さく笑った。
「……帰って来やがった」
怒ってるみたいな、呆れてるみたいな声。
でも泣きそうだった。
蒼真は静かに目を閉じる。
安心したみたいにドッグタグを握ったまま。
シュー……
シュー……
人工呼吸器の音だけが静かに続いている。
蓮はしばらくその場を動かなかった。
やがて訓練生時代のように蒼真の額を軽く叩く。
「……クソ野郎」
そんな蓮を蒼真は薄く目を開けて睨みつけていた。
「なんだよ…言いたいことでもあんのか」
睨みつける蒼真は不服そうにしている。
「…そうだ、お前ちゃんとメット被ってたな、珍しく」
蓮は近くにあった面会者用の椅子に腰掛けた。
「被ってなかったら死んでたって白石さん言ってたぞ」
まだ部屋を出たくなかった。
部屋を出たら何かが途切れてしまいそうで、怖かった。
それは蒼真の意識とかではなく
張りつめ続けている蓮自身が途切れそうになっていた。
ここまで走って止まれなかった。
いや、止まらなかった。
この部屋を出たら止まりそうだった。
まだ止まれない。
止まらないための蒼真の言葉が欲しかった。
「……復帰、焦るなよ。骨盤はきついぞ。寒い日痛てぇし…痺れる」
シュー…
変わらず返事はなく人工呼吸器の音だけが響く。
けれど蒼真の視線が揺れることはなく蓮を真っ直ぐに見ていた。
「…流石に今回はお前、死んだと思ったわ」
ははっと蓮は少し笑い、俯いた。
「反応が失くなって、怖かった。…黒歴史バラそうとしたのに、お前が俺のバラすなよ」
蒼真の口元が少しだけ緩んでいるように見えた。
「……お前が居なくなったら、困るんだよ。俺も走れねぇ…黎明も第一も走れねぇ」
蒼真が少しだけ目を見開いていた。
「まだお前、走るだろ?」
蓮は顔をあげ、蒼真と視線が噛み合う。
ー当たり前だ。
蓮には蒼真の声が聞こえた気がした。
「……統括室に戻る。総統様の代行仕事が山ほどあるからさ」
蓮は立ち上がるとゆっくり部屋の出口へ向かう。
扉に手をかけると開ける前に蒼真を振り返る。
ドッグタグを握った蒼真は蓮に視線を向けたままだった。
止まり方を忘れた怪物達は
ひたすらにその歩みを進め続ける。




