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まだ名もなき怪物達 第4部ー神代蒼真ー  作者: HANA


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第27話 馬鹿息子

ICUの照明は落とされていた。

静かな機械音だけが響いている。

ピッ……

ピッ……

シュー……

人工呼吸器の規則的な音。

包帯、酸素、点滴。

あれだけ暴れていた神代蒼真は、今は静かだった。


麗華はしばらく何も言えなかった。

医療者として見れば分かる。

どれだけ危なかったか、どれだけギリギリで帰って来たか。


肺。

骨盤。

腰椎。

圧迫。

酸欠。

全部…分かってしまう。


それでもベッドの横へ辿り着いた時。

麗華の目に映ったのは総統でも怪物でもない。

ただの、 “帰って来た夫”だった。

蒼真が薄く目を開ける。

鎮静は入っているが完全には落ちていない。

ぼんやりと視線が揺れて、麗華を見つけると安心したみたいに目が細くなった。

麗華は泣かなかった。

泣きそうなのを堪えながら、そっと前髪を撫でる。

「……馬鹿」


絞りだした小さな声だった。

蒼真はまだ挿管の管が入っていて喋れない。

呼吸管理がされている。

だから代わりに弱く指先だけを動かした。

麗華はその手を握る。


温かい。

生きてる。

ちゃんと帰って来た。


麗華は静かに息を吐くと、そっと身体を屈めた。

そして昔、無茶をして熱を出して寝込んだ時のように蒼真の額へ優しく口付けた。


「……おかえり、蒼真」


ピッ……

モニターの波形が少しだけ揺れる。

蒼真の閉じかけた目から一筋だけ涙が零れた。


ICUの小さな窓越しに蒼志はずっと中を見ていた。

悠真も華凛も誰も喋らなかった。華凛の手にはピンクの毛布が握られていた。

機械音だけが静かに漏れてくる。

ピッ……

シュー……

その向こうで麗華が蒼真の額へ口付ける姿が見えた。

蒼志は小さく息を呑む。


父親の目から涙が零れるのが見えたから。

蒼志は知らなかった。

安心すると涙が流れることを。

現場で父が流していた涙は恐怖の涙だったから。

神代蒼真がそんな風に泣く所なんて今まで一度も見た事がなかった。


絶対倒れない人。

絶対前に立つ人。

怖くても笑う人。

それが父だった。


なのに今はベッドの上で管を入れられてボロボロのまま泣いていた。


蒼志の目からも涙が溢れる。

「……父さん……」

その肩に、そっと大きな手が置かれた。

天音だった。

蒼志が顔を上げる。

天音も静かだった。

いつもみたいに笑わない。

ふざけることはなく、ただ窓の向こうの息子を見ていた。

そして小さく呟く。

「……帰って来たな、馬鹿息子」

その声は震えていた。

隣で澪が涙を拭った。それでも微笑んでいた。

「……良かった……」


本当にそれだけだった。


ICUの中では 麗華が蒼真の手を握っている。

ICUの外では家族がそれを見守っている。

怪物でも。

総統でもない。

ただ“帰って来た家族”として。

ただの神代蒼真の帰還に安堵していた。




黎明本部庁舎 地下統括室では救助が落ち着きを見せ、避難者支援の統括が行われていた。


「東北地方、毛布多めに支給」

「首都圏から地方への主要道路、自衛隊車両優先。一般車両は物資搬送の協力企業のみ」

統括室では蒼真に変わり、蓮が指揮を取っていた。


「お前、寝たのか?」

現場から戻り、隊服のまま指揮を続けていた蓮に葛城が声をかけた。

聞くまでもなかったことではあった。

泥のついた隊服のまま、目の下にクマが出来ている蓮を休ませたいと思った葛城の言葉だった。

「寝た」

「……」

そう言われると葛城も何も言えなかった。

ブラックコーヒーを統括テーブルに静かに置くとそのまま持ち場へと戻った。


蒼真がいない今、きっと蓮は止まらないだろう。

だが、地震発生から丸2日が過ぎていた。

葛城や統括室オペレーターは交代で仮眠を取っていた。


蓮のスマホが静かに音を鳴らした。

蓮は画面を見つめると静かに椅子に腰掛け、息を吐きタバコに火をつけた。

画面には…


白石さん

神代の意識、戻ったぞ。


と、メッセージが表示されていた。


「……クソ野郎。帰ってきたのか…」

誰にも聞こえない声で蓮は呟き、タバコを吸う。

その表情は泣きそうな、だけど嬉しそうな表情だった。


タバコを吸い終えると蓮はそのまま椅子に座り続けていた。

指揮する声も聞こえない。

大型モニターには各地の避難所状況の表示。

オペレーター達の声とキーボード音。

そして――規則的な寝息。

葛城は資料を見ながら小さく息を吐いた。


不思議に思ったオペレーターが蓮を覗き込む。


「…葛城さん、黒瀬補佐官が…」

「…寝かせてやれ。指揮は俺がするから」

蒼真の無事を確認し、蓮は力尽きたように椅子の上で眠っていた。

その寝顔はどこか幸せそうな表情だ。

そっと葛城は蓮に毛布をかけると呟いた。


「お前も大概、大馬鹿野郎だよ。怪物ども」


椅子へ深く座ったまま蓮は完全に眠っていた。

隊服は泥と粉塵だらけで袖には乾いた血。

髪も乱れたまま。

現場から戻って一度も着替えていない。

それなのに「寝た」と言い張っていた男だった。

葛城は毛布を肩まで掛け直す。

「……せめて風呂入ってから倒れろ」

小さく呟くが蓮は起きない。

本当に限界だった。

地震発生から丸2日。

蒼真が埋まってからは呼吸すら忘れていたみたいに止まらなかった。

その相棒がようやく帰って来た。

だから蓮は今、初めて眠れている。

統括室の誰も起こそうとはしなかった。



数時間後。

ピク、と蓮の指先が動き、ゆっくり目を開けた。

統括室はまだ動き続けている。

だが最悪の混乱は越えていた。

蓮はぼんやりしたまま天井を見つめる。

数秒のあと視界がはっきりしたころぽつりと呟く。

「……蒼真」

寝起きの第一声がそれだった。

近くのオペレーターが慌てて答える。

「意識戻られて白石さんと奥様が付いてます」

蓮は小さく息を吐いた。


生きてる。


その確認だけで少し安心出来た。

葛城が蓮の隣に座り呟く。

「……5時間」

蓮が顔を上げる。

「お前が寝た時間だ」

「長いっすね」

「感覚バグってんだよ」

葛城が呆れながら返す。

蓮はブラックコーヒーを一口飲むと、ゆっくり立ち上がった。

その瞬間オペレーター達と葛城が嫌な予感を覚えた。

蓮は静かに口を開いた。

「……現場行ってくる」

統括室全体の声が裏返った。

「「は?」」」

葛城がすでに歩き出そうとする蓮を引き留める。

「待て」

蓮は平然としていた。

「ドッグタグ落ちてる」

「だからって今から行くのか!?」

「落ち着いただろ」

「お前が落ち着いてねぇよ!!!!」

珍しく葛城が声を荒げた。

だが蓮はもう隊服のファスナーを上げ直している。

しかも泥だらけのままで。

葛城が額を押さえた。

「風呂入れ、着替えろ。せめて飯食え」

蓮は数秒考えた後、

「……おにぎり持ってく」

「そういう問題じゃねぇ!!!!」

近くにあったおにぎりを手に蓮が真顔で話すと統括室が少しだけ笑う。

久しぶりだった。

張り詰めた空気じゃない笑いは。


その時、統括室入口から奏が顔を出した。

「補佐官、俺らも行きます」

律も後ろで頷いている。

蓮は少しだけ目を細めた。

「……悪ぃな」

「何言ってんすか」

奏が笑う。


「蒼真さんの回収っすよ」


その言葉に。

蓮はほんの少しだけ安心したみたいに息を吐いた。




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