第13話 新たな翼
朝の特別病室は静かだった。
シュー……
高濃度酸素の音だけが、一定のリズムで流れている。
窓の外は曇り空だった。
昨夜より雨は弱く薄い光だけが、病室へ静かに差し込んでいた。
ベッドへ横になったまま、蒼真は浅く呼吸を繰り返している。
熱は下がったが顔色はまだ悪い。
酸素を入れていても、呼吸は少し苦しそうだった。
それでも昨夜よりは落ち着いている。
ベッド横の椅子へ座ったまま、蓮は小さく息を吐いた。
一睡もしていない。
机の上には空いた缶コーヒーが転がっている。
自分が寝ない事より、蒼真を1人にする事の方が問題だと思った。
シュー……
蒼真が小さく眉を寄せた事に気がつき蓮が顔を上げる。
「……起きたか」
蒼真はすぐに返事をしなかった。
ゆっくり目を開けるが視界がぼやけていた。
天井を数秒見つめた後、やっと蓮へ視線を向けた。
「……ここ」
「医療棟」
蒼真が僅かに顔をしかめる。
「……入院…?」
「お前が折れた」
即答だった。
蒼真は小さく息を吐こうとして、途中で咳き込む。
シュー……ッ
酸素音が乱れ、蓮が即座に流量を確認した。
「動くな」
「……仕事」
「あるわけねぇだろ」
低いその声に蒼真が黙る。
蓮はそこで初めて少しだけ肩の力を抜いた。
昨夜より、ちゃんと反応している。
それだけで十分だった。
蒼真はぼんやりしたまま視線を落とす。
そこでふと気付いた。
首元。
銀のドッグタグが戻っている。
蒼真が数秒それを見つめた。
それからゆっくり蓮を見る。
「……これ」
蓮は缶コーヒーを潰しながら短く答えた。
「落ちてた」
蒼真は小さく笑った。
「……無くしたかと思った」
「気付いてたのか」
「……まぁ」
蓮は呆れたみたいに息を吐く。
「生体反応デバイス入れた張本人が、未だにこんなもん下げてる」
蒼真が少しだけ目を細めた。
「……お前もだろ」
蓮は答えない代わりに自分の首元へ触れた。
同じ重みが、そこにある。
19歳からずっと。
その静かな空気を壊したのは、病室の外から聞こえた騒がしい声だった。
「静かにって言っただろ!」
「だって華凛が走るから!」
「悠真お前も走ってる!」
蓮と蒼真が同時に扉を見る。
数秒後ーバンッ!!と勢いよく病室の扉が開いた。
「パパぁ!!」
華凛だった。
その後ろから悠真。
少し遅れて蒼志。
そして麗華が息を吐きながら入って来る。
蒼真は一瞬だけ目を見開いた。
昨夜、“会いたい”そう言った、その全員が本当に来ていた。
「パパぁ!」
華凛と悠真がそのまま蒼真の元へと走り込んできた。
蒼真は起き上がる事すら出来ず、何とか片腕だけを伸ばし2人を抱き留める。
「昨日あんなに父さんかっこよかったじゃん!」
悠真の昨日の防災訓練の蒼真の姿の印象はやはりかっこいいお父さんだったのだと、蒼真は安心した。
「パパ、寒くない?」
華凛がそう言ってベッドに置いたのは、自宅で蒼真が酸素吸入する際に使うひざ掛けだった。
いつだったか…パパ黒ばっかりー!華凛が選んであげるね!と持ってきたのは、ピンクのリボンの柄のふわふわのひざ掛けだった。
「……ありがとな」
蒼志は部屋の入口から動けずにいた。
下を向いて口を紡ぎ、拳を握っていた。
その拳は小さく震えている。
「……蒼志」
蒼真が名前を呼ぶと、蒼志は顔をあげた。
「来い」
小さい声だが低いその声は強かった。
蒼志は気が付けばベッドの横に走り出し、蒼真の腕の中に収まっていた。
今まで堪えていた涙が溢れた。
そんな蒼志の頭を蒼真は優しく撫でてやる。
そのまま、蒼真は麗華へと視線を向ける。
「……ありがとう、麗華」
子供達に会わせてくれて。
帰らせてくれて。
子供達が帰った後の病室は、少しだけ静かだった。
さっきまで響いていた声が嘘みたいに、部屋には酸素音だけが残っている。
シュー……
蒼真はベッドへ横になったまま、ぼんやり天井を見ていた。
華凛が置いていったピンクのひざ掛けが胸元まで掛けられている。
蓮がそれを見て、小さく吹いた。
「総統」
「……ん」
「似合わねぇ」
蒼真は薄く笑った。
「華凛が選んだからな」
その声は、昨夜よりずっと落ち着いていた。
病室の扉が再び開いたのは、その数分後だった。
入って来たのは白石と研究班の隊員が数名居る。
その手には見慣れたケースがあった。
蒼真の視線が僅かに動いた事に白石は気付くと、開口一番吐き捨てた。
「逃げんなよ」
蒼真が少しだけ顔をしかめる。
研究班が静かにケースを開いた。
中に入っていたのは、改良が続けられていた高濃度酸素システムの試作機だった。
以前より小型化されている。
だがその分、胸部固定用ユニットや補助ラインは増え、明らかに“装備”として完成へ近付いていた。
病室が静かになる。
シュー……
今使っている簡易酸素や試作機とは違う。
もっと重い。
もっと現実的な機械だった。
白石が資料を蒼真へ投げつけた。
「昨日のでハッキリした」
蒼真は無言のまま資料へ視線を落とす。
肺機能。
血中酸素濃度。
負荷時低下率。
どれも悪い。
白石は視線を逸らさなかった。
「……ってか、俺の担当医は?なんで白石先輩が説明してんの」
状態説明はいつも担当医がしてくれるはずなのに、居ない。
まるで、白石が担当医かのように説明している事に蒼真は違和感を覚えた。
「いや、担当医、俺だから」
「……は?看護師だろ」
「医師免許取った。呼吸器専門」
蒼真は目を見開いた。
蓮は壁際で腕組みして、しれっとした顔をしていた。
「お前の今後の呼吸管理に必要だろ」
「……知らない…いつ…」
そんな報告も申請書類も見てないはずだ。
相変わらずしれっとしている蓮がようやく口を開いた。
「俺が申請承認した。お前に回したら、白石さんのオーバーワークで承認しないと思った。で、言ってない」
嵌められた……。
「で、だ。次にぶっ倒れたら、このままじゃ、帰って来れない」
話を戻すぞ。と白石が資料に再び視線を戻す。
蒼真は資料を握ったまま、小さく息を吐いた。
シュー……
悔しそうな表情だけれど、もう“平気”とは言わなかった。
白石が小さく息を吐く。
「これは延命装置じゃない」
蒼真が顔を上げると白石は真っ直ぐ蒼真を見る。
「お前が、生きて帰る為の装備だ」
その言葉に病室が静まる。
昨日、帰れなくなりかけた。
麗華の声。
泣いていた蒼志。
飛び付いてきた悠真と華凛。
全部、まだ残っている。
蒼真はゆっくり目を閉じ、長い沈黙の後、小さく口を開く。
「……試す」
研究班の空気が僅かに緩んだ。
白石は頷く。
「表にはまだ出すな」
その言葉に研究班が表情を引き締めた。
「現段階では総統専用試験運用扱いだ」
蓮が静かに続ける。
「国や警察消防側にもまだ伏せる」
蒼真は何も言わなかった。
分かっている。
まだ隠せる。
まだ立てる。
だから隠す。
白石が試作機へ視線を向けた。
「本格運用用に再調整入れる」
「長時間稼働、高負荷対応、現場指揮前提だ」
蒼真が小さく笑う。
「完全に俺専用だな」
白石が即座に返した。
「お前以外こんな使い方しねぇよ」
蓮が小さく吹いた。
病室へ少しだけ笑いが落ちる。
その空気の中で、蒼真は静かに試作機を見つめていた。
以前は、“補助”だった。
けれど今は違う。
これは。
壊れたまま、生きて帰る為の装備となった。
⸻
二年後。
長く続いていた群発地震は、ここ数週間でようやく回数を減らしていた。
現場の空気も、少しだけ変わっている。
張り詰め続けていた警察や消防にも、僅かな安堵が見え始めていた。
それでも。
黎明だけは、まだ気を抜いていなかった。
冷たい風が土砂崩れの現場を吹き抜ける。
規制線の向こう。
黒いロングコートを羽織った蒼真が、静かに瓦礫を見上げていた。
表向きは、ただの現場視察。
警察や消防にも、まだ公にはされていない。
それでも近くで見れば分かってしまう。
呼吸が浅く、長く立っていない。
時折、僅かに胸元へ手が触れる。
ロングコートの内側に隠すように固定された小型ユニット。
蓮だけが、それを知っていた。
「蒼真」
低い声に蒼真が僅かに視線を動かす。
蓮は周囲を確認すると、小さなケースを差し出した。
蒼真は数秒だけ黙る。
それから人目を避けるように背を向け、ケースを受け取った。
数分後。
戻ってきた蒼真の呼吸は、少しだけ落ち着いていた。
誰にも気付かれないように。
まだ隠したまま。
それでも確実に身体は変わっていく。
蒼真は土砂崩れ範囲を見渡す。
「……全員、帰せ」
低いその声で現場が動き出す。
警察。
消防。
第一。
全員が一斉に走り出す。
蒼真はその背中を静かに見つめていた。
もう昔みたいには走れない。
飛び込めない。
それでもまだ、この場所に立っている。
“全員、帰す”
その為に。




