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まだ名もなき怪物達 第4部ー神代蒼真ー  作者: HANA


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第12話 代償

夜の総統室は静かだった。

昼間まで子供達の声で満ちていた黎明本部とは思えないほど、廊下には人の気配がない。

窓の外では、小雨が降り始めていた。

規則的な雨音だけが、静かに部屋へ落ちている。

蓮が一服を終えて総統室へ戻ると机へ伏せたまま、蒼真は動かなかった。

「……蒼真」

蓮の低い声が落ちる。

蒼真の反応が薄い。

返事は帰ってくるが遅い。

「……ん」

掠れた声で机へ伏せたまま、顔も上げない。

呼吸が浅い。

シュー……

高濃度酸素マスクの音だけが静かに響いている。


蓮は無言のまま蒼真の隣へ歩み寄り、机の上の大量の書類に目を疑った。

地震対策会議。

避難区域見直し。

物資再配置。

広域連携計画。

そして、防災訓練の報告書。

今日一日で処理した量でないことは見てすぐに分かる。

「……お前、いつからこれやってた」

蒼真から返事はなく蓮の眉が寄る。

「蒼真」

蓮が蒼真の肩へ触れた瞬間、蓮の表情が変わった。


熱い。


「おい」

蒼真がやっと僅かに顔を上げたが焦点が合っていない。

「……平…気」

反射みたいに返ってくる言葉に蓮は小さく舌打ちした。

「平気な奴は机で落ちねぇよ」

蒼真は薄く笑おうとして、失敗した。

呼吸が乱れる。

シュー……ッ

酸素音が少し荒くなる。

蓮はすぐに机の資料を横へ押し退けた。

「立てるか」

「……まだ、会議資料が」

「いいから立て」

低いその声にようやく蒼真が僅かに動く。

けれど立ち上がろうとした瞬間、膝が崩れた。

「っ……」

蓮が咄嗟に支える。

その重さに、一瞬だけ蓮は息をのんだ。


ー重い。

落ち方が、力の抜けた人間の落ち方だった。


「蒼真!」

今度は返事がなく、肩で呼吸している。

意識はあるが、明らかに危ない。

蓮は蒼真の顔を覗き込む。

青白い。

酸素を入れていても、呼吸が追いついていない。

その時だった。

ピリリ、と蓮の端末が震える。

画面には【震度速報】の文字。

蓮は数秒だけ画面を見た後、舌打ちした。

「……ふざけんなよ」


崩壊は

休ませてくれない。


「蒼真、聞こえるか」

蒼真からの返事はなく、浅い呼吸だけが繰り返されている。

目は開けているが焦点が定まっていない。

シュー……ッ

酸素音が不規則に乱れ、蓮の顔色が変わる。

「……っ、クソ!!」

低い声を総統室へ響かせ、即座に医療班専用通信端末を開く。

「医療班、白石!!今すぐ総統室だ!!」


蓮が怒鳴る。

それだけで異常だった。


廊下にまで響いた蓮の声にまだ残っていた隊員達や幹部の顔色が変わった。


“総統が倒れた”


その事実が、一瞬で広がっていく。

蒼真は蓮の腕へ半分体重を預けたまま、うまく呼吸が出来ていない。

「……れ、ん……」

掠れた声だった。

蓮がすぐ顔を寄せる。

「喋るな」

「……書類……」

「黙れ」

蓮は蒼真の言葉を遮るように即答だった。

けれど、そのからだは少しだけ震えていた。

バタバタと足音が近付く。

最初に総統室へ飛び込んできたのは白石と葛城だった。

「黒瀬!!」

扉を開いた瞬間、白石の表情が変わる。

蒼真の顔色、呼吸、発汗。

視界へ入った情報だけで理解した。

限界を超えている。

「神代、寝かせろ!床におろせ!」

蓮はすぐに、しかし、ゆっくりと床に寝かせる体勢に入り、葛城が補助する。

白石はすぐ蒼真の前へ膝をついた。

「酸素流量上げる!」

蓮が即座に設定を切り替えた。

シューッ!!

酸素音が一気に流れた。

それでも蒼真の呼吸は浅い。

白石が低く舌打ちする。

「何があった」

蒼真は答えなかった。

いや、答えられない。

代わりに蓮が吐き捨てるようにくちを開く。

「寝てないです、このバカ」

白石は一瞬だけ目を閉じ額を手で覆う。

予想通りすぎた。

その時。


また小さく揺れが走り、総統室の照明が微かに揺れた。

3人が天井を見上げた。

虚ろな目で蒼真も天井を見上げているようだった。


今優先するべきは地震じゃない。

蒼真だった。


「白石さん」

蓮が低く呼ぶ。

「……運ぶぞ」

白石は頷くと、蒼真の顔を真っ直ぐ見た。

葛城も頷く。

「神代、医療棟行くぞ」

蒼真が小さくマスク越しに呟く。

しっかり耳を傾けていなければ、聞こえないような。

「……嫌だ」

反射で出たいつもの言葉だった。

白石の眉間に皺が寄る。

「嫌じゃねぇ」

「……まだ……仕事が……」

「だから倒れたんだろぉが!!」


珍しく白石の声が強かった。

総統室の空気が止まった。

蒼真が小さく息を飲む。

葛城が白石に変わってそのまま低く続けた。

「自分が何人に見られてると思ってる」


呼吸が乱れて、立てない。

それでも仕事へ戻ろうとする。

そんな姿を今日だけでも。

子供達、 教師、保護者、第一。

全員が見ていた。

葛城は視線を逸らさない。

「お前が壊れたら、全部止まるんだ」

その言葉に蒼真の指先が、僅かに動いた。


到着したストレッチャーに乗せられた時、蒼真の首元から落ちた何かが音を立てた。

蓮はそれを見つめると静かに拾い上げ、ジャケットのポケットへしまい込む。



医療棟、特別病室の空気は重かった。

シュー……ッ

高濃度酸素の音だけが、不規則に響いている。

ベッドに横たわり、蒼真は呼吸を繰り返しているが、明らかに浅い。

白石はモニターを睨みながら低く舌打ちした。

「酸素の入り、悪いな…完全にオーバーワークだ。……入院だ」

葛城も顔を上げなかった。

「……だから止めろって言ったんだ」

蓮は何も返さなかった。

返す余裕がなかった。

蒼真の呼吸が、まだ安定しない。

それでも、蒼真は入院は嫌だ。と小さく声を出す。

シュー……ッ

酸素音が乱れる度、蓮の眉間が深く寄る。

白石が短く言った。

「黒瀬、東雲を呼べ」

蓮が顔を上げると白石は真っ直ぐ蓮を見た。

「このバカ、東雲以外の言葉聞かねぇだろ」

蒼真が僅かに顔をしかめた。

「……聞いてる」

「じゃあ入院しろ」

白石と葛城の声が重なったが、蒼真は頑なにに嫌だ。と言い張る。

蓮は小さく息を吐くと端末を取り出した。

数コールですぐ繋がる。

『……蓮くん?』

麗華の声だった。

静かだが、張り詰めている。

蓮は一瞬だけ目を閉じた。

「麗華さん」

それだけで麗華の声色が変わった。

『……蒼真、倒れたのね』

蓮は短く頷いた。

「呼吸状態悪いです。白石さんと葛城さんが入院って言っても聞き入れません」


電話越しに、麗華が息を飲む音だけが聞こえた。

『……蒼真に変わって』

蓮はスピーカーモードに切り替え、蒼真の枕元へスマホを置く。

『……蒼真』

麗華の声が落ちた。

ベッドに横になったまま、蒼真が僅かに目を動かす。

『聞こえてる?』

蒼真は返事をしなかった。

代わりに呼吸だけが浅く続く。

シュー……ッ

麗華は少しだけ声を柔らかくした。

『……仕事、したいのも分かる』

『でもね』

そこで一度言葉を切る。

『帰って来れなくなったら、意味ないの』

蒼真の指先が僅かに動く。

葛城も白石も何も言わない。

『華凛、今日も待ってたよ』

その瞬間、蒼真の呼吸が少しだけ止まった。

『悠真も』

『蒼志も』

麗華の声は責めない。

でも逃がさない。

『みんな、“帰って来る”って信じてる』

シュー……

酸素音だけが響く中、蒼真はゆっくり目を閉じた。

苦しそうに、小さく息を吐く。


「……会いたい……麗華に…子供達に…」


掠れた声で絞り出した言葉だった。

『うん』

麗華はすぐ頷いた。

『だから、生きて戻って来なさい』

『明日、みんなで行くから』

短かった。でも、蒼真にはそれで十分だった。


長い沈黙の後、蒼真が小さく呟く。

「……入院、嫌い」

白石が即座に吐き捨てる。

「知ってる」

葛城が額を押さえた。

蓮だけが少しだけ肩の力を抜いた。

麗華も電話越しに、小さく笑った。

『我慢しなさい』

蒼真は数秒黙った後、諦めたみたいに、小さく息を吐く。

シュー……

「……分かった」

その瞬間その場の全員がやっと少しだけ息を吐いた。




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