第9話 前兆
内閣危機管理室・緊急合同対策会議
長いテーブルを囲む複数の人影の視線は壁のスクリーンにむけられていた。
特定地域の地図が映し出されており、赤い印が偏っていた。
「……以上が現在の観測結果です」
国の担当官が説明を終えると会議室には沈黙が流れた。
警察側の男が腕を組み、椅子に背中を預けた。
「規模は小さいのでしょう?」
「…はい」
国の担当者は少し悩んで返事を返す。
その様子を見ていた、消防側が資料を見ながら続ける。
「ただ、頻度が問題です。通常の数値を明らかに上回っている」
再び会議室に沈黙がながれた。
蒼真は資料に目を落としたまま一言も発していなかった。
「現時点では“注意喚起レベル”という認識でいいかと」
国の担当官がまとめに入ろうとした時だった。
「……甘いです」
低い声が静かに会議室へおとされた。
空気がわずかに変わり、会議室の視線は蒼真に集まっていく。
蒼真は資料から顔をあげた。
「規模じゃないでしょう。あまりにも揃いすぎてる」
一拍おき、息を吸い込む蒼真。
「偶然で片付けるには無理がある」
静かな声だったが断定に近い言い方をした。
国側の一人がわずかに眉を寄せ、蒼真を見据えた。
「……失礼だが…まだ可能性の段階だ。そこまで断定するには根拠が――」
その言葉の途中で椅子がわずかに軋む音が響き、警察側のトップが口を開いた。
「……いや…神代くんがそう言うなら、その通りでしょう」
警察トップの言葉に国側の視線が揺れる。
消防側も小さく息を吐く。
「神代くんの現場で見てきた判断ですしね」
国側の人間は誰もすぐには言葉を返せなかった。
国、各機関の重役が揃うこの会議の中で37歳という蒼真の年齢は国から見れば異質にしか見えないのだろう。
国側も蒼真の今までの活躍を知らないわけではないが、若造が口を挟んでくるな。というような視線を向けている。
しかし、蒼真はそんな視線など気にする様子もなく、ただ一度だけ視線を落とす。
「起きてからじゃ遅いです」
蒼真が小さく、だが確かに落とした言葉に会議室には再び沈黙した。
それは迷いの沈黙ではなく、判断を待つ沈黙だった。
「……では、どう動くべきですかな」
国側が蒼真を試すように問い直してきた。
蒼真は少しだけ目を閉じ、考える。
「確認です。…崩れる前に見る」
蒼真の視線がスクリーンに映し出される地図へ向く。
「老朽化建物、法面、不安定箇所」
一つ一つ現実を並べていく。
「全部洗いましょう」
そして一拍おくと
「災害避難場所、緊急時直轄対応の連絡手段、病院施設の受け入れ対応…全て」
蒼真はゆっくりと立ち上がると国側の人間へ鋭い眼差しを向けた。
蒼真の後ろに控えていた蓮も同じ視線を向けている。
2人の目は一切揺れていなかった。
「その全て、全員を帰すという黎明の理念に賛同していただきたい」
警察と消防が顔を見合わせ、頷いた。
国側はしぶしぶといった感じではあるが「……了解しました」と国の担当官も頷いてくれた。
国の危機管理対策会議は動き出した。
まだ何も起きていない。
けれど、確実に何かが近づいて来ている。
国側の人間だけが足早に去っていき、会議室の扉が閉まる。
警察消防のトップと蒼真と蓮の間に張り詰めていた空気が緩む。
「……いい顔してたな」
警察側の男が小さく息を吐き言葉を続けた。
蒼真は何も言わず、視線だけをわずかに向ける。
「神代くんがああいう顔するようになるとは。大人になったなぁ」
警察側の男は笑っていた。
一拍置いて、蒼真が短く返す。
「……昔からですよ」
間を置かずに消防側の男が吹き出した。
「嘘つけよ、現場で一番暴れてたの誰だ?神代くんと黒瀬くんだろ」
隊長時代の現場指揮テントでの黒瀬くん怖かったなぁ…早く降りろって…。と消防の男が呟く。
蒼真はほんの少しだけ目を細め、蓮は少しだけ目を逸らした。
現場や合同訓練でよくこの2人とは会っていた。
19歳の第一特務遊撃隊隊員時代から総統就任までの間の隊長時代も。
自分と蓮を見守ってくれていた人達だ。
「……否定は…できませんね」
少し困ったように蒼真は笑った。
その横で蓮が一言呟く。
「事実だからな」
「おい」
蒼真が即座に返す、そのやり取りに警察が笑う。
「その辺も変わってないんだなぁ」
警察消防が立ち上がると当時の現場の空気が戻ったような気がした。
けれど、懐かしい空気はすぐに消える。
蒼真も立ち上がり姿勢をただすと
「動きます」
短く告げる。
警察と消防が頷く。
「「任せた」」
2人の言葉が重なっていた。
余計な言葉はいらない。
信頼は十分だった。
会議室を警察消防の2人と共に出て、軽い挨拶をすると2人は少し急ぎ足で歩いていく。
気配が遠ざかると蒼真と蓮は歩き出した。
2人の足音だけが廊下には響いていた。
蒼真の背筋は崩れず歩幅も変わらないように見えたが、廊下の角を曲がったあたりでその足が止まった。
その瞬間、蒼真の呼吸が乱れ、壁に手をつく。
「……は……っ」
抑え込もうとする音が漏れる。
追いつかない呼吸。
息を吸ってもうまく肺に入ってくれない。
「……」
目を閉じ、整えようとするがすぐには戻らない。
数秒、動けずそのまま壁にもたれかかった。
「……出せ」
短くそれだけを伝えると蓮は蒼真の手元へ差し出す。
見なくても分かるそれを受け取り、マスクを顔へ押し当てた。
シュー……
空気が流れ込む音がただ、廊下に響いている。
「……は……っ」
目を閉じて、一気に息を吐くと次の呼吸が繋がってくれる。
もう一度、深く吸い込むと
「……は……」
少しずつ呼吸が整い、蒼真の肩の力が抜けていく。
壁に預けていた体をわずかに起こし、数秒そのまま呼吸をする。
蓮の足音は動かず待っている。
「……」
蒼真は目を開け、視線を足元へ落とした後、ゆっくりと壁から離れる。
「……悪い」
小さく呟いたその声。
返事はない
必要ない
まだ浅い呼吸ではあるが、蒼真はマスクを外し一歩を踏み出した。
その表情は先ほどまで壁に手をついていた男とは思えないほど、総統の顔だった。
「次、幹部達との定例だ」
車に乗り込むと蓮が低く言う。
まだ呼吸が少しだけ浅かった蒼真はマスクを再び装着する。
シュー……と車内に静かに酸素の音だけが響く。
「……何時」
「到着次第」
「充分だな」
即答だった。
蓮は何も言わない。
言っても止まらない。
それを知っている。
蒼真はネクタイを少し緩め、後部座席のシートに体を預ける。
その時。
ーウィン、ウィン…。と地震の速報の知らせが蓮の内閣危機管理室専用端末から鳴り響く。
2人は音には反応したが、何かを口に出すことはなかった。
けれど、 2人とも同じ事を考えている。
崩壊の音はいつだって静かに忍び寄ってくる。




