第二十話 大好きな君と(4)
劇場を出た瞬間、冷えた空気が頬に刺さって、現実に引き戻された。そんな中でカナデが、「次は私の番だね」と言って、迷いなくわたしの手を引いた。人混みをすり抜ける歩幅が少し早くて、わたしは半歩遅れてついていく。繋いだ掌があたたかい。たったそれだけのことなのに、身体の奥が落ち着かなくなる。
カナデが連れてきてくれたのは、駅前の路地を一本入ったところにある、お洒落なカフェだった。ガラス越しに見える店内は、アンティーク調の照明と白いテーブル。カップルや女性客でほぼ満席で、クリスマスらしい甘い匂いが漂っている。
――こんな場所に、カナデが?
意外すぎて、思わず立ち止まりそうになる。カナデは平然を装いながらも、わずかに肩が固かった。
「ネットで調べて、ミナが好きそうだなって、思ったから……」
言いながらカナデは、店の看板をもう一度だけ見上げて、すぐに視線を逸らした。照れ隠しみたいに口元が引きつっていて、わたしはそれだけで、胸が熱くなる。
わたしのために、ここを選んでくれた。絶対、慣れていないのに。似合わない場所に、わざわざ連れてきてくれた。
そんなところも、たまらなく好きだと思ってしまった。
席に案内され、ふたりでメニューを開く。写真には可愛いスイーツやドリンクがずらりと並んでいて、わたしの好みにぴったりだった。カナデは居心地が悪そうに苦笑して、ページをめくる手つきだけが少しぎこちない。
ウエイトレスのお姉さんを呼んで、迷った末にふたりともパンケーキとカフェラテを注文した。注文を終えた途端、わたしの方が急に落ち着かなくなって、テーブルの端を見つめる。するとカナデが、ふいに思い出したみたいに言った。
「……そういえばミナって、コーヒー飲めたんだっけ」
「えっ。うん……カナデが飲んでて、かっこいいなって思って真似したら……飲めるようになったの」
言った瞬間に、心臓が跳ねた。かっこいいなんて、余計だった。なのに口から出てしまったのは、たぶん本当だからだ。カナデは一瞬だけ目を丸くして――次の瞬間、からかうように笑った。
「何それ、私の真似してくれてたんだ。ミナってほんと、かわいいね」
さらりと当たり前みたいに、冗談の延長みたいに、カナデは微笑む。その軽さが、わたしにはいちいち刺さっていく。
雑談をしながら待っていると、動物のラテアートが描かれたカフェラテが運ばれてきた。泡の上にちょこんと浮かぶ、丸い顔。それに思わず息が漏れる。
「すごい……! かわいい……!」
わたしがスマートフォンで写真を撮っていると、カナデは「へえ、すごいね」と一言言って、容赦なく自分のカフェラテを飲み始めた。カナデって本当に、可愛いものに興味ないんだ。もう少し、余韻とか情緒とか……ないのだろうか。
だけど、そういうところもカナデらしいと言えばカナデらしい。それに、カナデのそういう飾らなさが――わたしにとっては、たまらなく愛おしかった。
それぞれが頼んだパンケーキを半分こし、一緒に食べる。こういう行為なら、友達っぽくてちょうど良かった。カナデは「めちゃくちゃ甘い。食べきれるかな……」と言いつつも、パンケーキを全て平らげたし、何ならわたしがギブアップした分も食べてくれた。その細い身体の一体どこに吸収されているんだろうと、カナデのお腹を盗み見る。羨ましいなと思いつつ、わたしは自分の贅肉を摘まむしかなかった。
パンケーキで満腹になった身体を抱えて店を出ると、外はもう濃い藍色の空が広がっていた。夕方のはずなのに、夜の気配がわたしたちをすっぽり包み込んでいる。電飾の明かりが足元を照らして、まるで夢から現実に引き戻される合図みたいだった。
――もう、今日が終わってしまう。
そんな予感に、なんだか落ち着かなくなった。もっと一緒にいたい。もう少しだけ、カナデの隣にいたい。でも、口には出せない。頭ではずっと「友達のままでいなきゃ」と言い聞かせているのに、気づけば身体は、カナデの隣を求めて動いてしまっている。
わたしはそっと、カナデのコートの裾を摘んだ。帰り道を選ぶには、まだ早いふりをして。
友達同士なら、このあとは一体どうするんだろう。もう解散? ――いやだな、こんなに楽しかったのに。こんなに、心が満たされてるのに。
……本当にただの友達なら、きっとこんなふうに終わりを怖がったりなんて、しないんだろうな。
「ねえ、ミナ。もう一か所、連れて行ってもいい?」
その言葉に顔を上げる前に、カナデの手が伸びてきた。あ、繋ぐんだ――と思った瞬間には、わたしの手は有無を言わせず引っ張られていた。そして、気づいた時にはカナデのコートの右ポケットの中に、わたしの手が包み込まれている。
「えっ? か、カナデ……!」
ポケットの内側はほんのり温かくて、その奥にあるカナデの掌が、指を一本ずつ絡めてきた。逃げられないように、ぎゅっと。
これ……いつもの握り方じゃない。
心臓が一気に暴れ出して、喉までせり上がりそうになった。指の間を滑るカナデの指の温度が、直接胸の中心に触れてくる。
「ははっ……ミナ、真っ赤じゃん。そんなに? 大丈夫?」
「大丈夫も何も……! カナデが、変なことするからでしょ……!」
「今日、ずっと様子がおかしかったから。でも良かった、ちゃんと照れてくれるんだ」
それは、どこまでもいたずらっぽい笑顔だった。無自覚で、自然で、わたしを追い詰める。
――どういうこと? 余裕のあるふりをして、必死で平然を装って。友達としての距離を守らなきゃって、何度も自分に言い聞かせていたのに。この気持ちがばれてしまったら、全部壊れる。だから、ずっと息を殺していた。なのにカナデは、こんなにも近い。
「やっぱ、ミナは照れてる方が似合ってるよ。私を照れさせるには、まだまだだね」
「ちょっと、それどういうこと? カナデのバカ……!」
夜空に響く、軽い笑い声。その音に、どうしようもなく胸が鳴る。
友達のはずなのに。どうしてこんなにも簡単に、わたしの心を揺らすんだろう。
こんなふうに手を絡められたら、また好きになってしまう。もうこれ以上、好きになりたくなんて、ないのに。もう十分すぎるほど、好きなのに。だけど、この手をずっと、握っていたい。この夜が、終わらなければいいのに――そんな願いが、喉までこみ上げてくる。でもそれを言葉にしたら、もう「友達」には戻れなくなる。




