第十九話 雨の日と恋心(5)
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数日後の放課後。昇降口の前で、わたしは日菜子と若葉と並んで、取り留めのない雑談をしていた。雨上がりみたいな冷たい空気が残っていて、靴箱のあたりはいつもより少しだけ静かだった。何気ない会話の合間にふいに、聞き慣れた足音が廊下の奥から近づいてくる。軽くて、迷いがなくて、どこか乱暴にリズムを刻むみたいな歩き方。
「ごめん、ホームルームが長引いて。待たせた?」
ぱたぱたと駆けてきたのは、カナデだった。ブレザーの前を適当に押さえたまま、息を少し弾ませて、靴箱の前でしゃがみ込む。スニーカーを無造作に引っ張り出して、片方ずつ、乱暴なくらい勢いよく履く。
かっこいい。でも、ちょっと子どもっぽい。そんな感情が同時に目に入ってきて、わたしは視線を外すタイミングを失った。
「ぜーんぜん。C組って、いっつも長いよねー。新町先生って淡々としてるけど、真面目だからホームルームもちゃんとやってるんだろうねー」
若葉が笑いながら肩をすくめて言うと、わたしたちはそのまま四人で連れ立って、校舎をあとにした。風が冷たくて、空は薄い鉛色のまま。吐く息が少しだけ白くなる。
今日の目的は、あくまで日菜子の「クリスマスプレゼントの下見」だった。でも、それが半分くらい建前だってことは、わたしにもわかっていた。だって、わたしがクリスマス当日にカナデと過ごすことになったのを、ふたりはもう知っている。そしてそれを知ったうえで、今日を作ってくれている。
ありがたい。嬉しい。なのに、どこか怖い。わたしが勝手に浮かれて、勝手に期待して、勝手に心を大きくしてしまいそうで。
「松波さん、今日は付き合ってくれてありがとう」
校門を出たところで、日菜子がにこりと笑って、礼儀正しく頭を下げた。その丁寧さに、カナデが少しだけ眉をひそめる。困ったみたいに笑いながら、頭の後ろを掻いた。
「いや、全然。でも……私、ちゃんと相談に乗れる自信ないんだけど」
「そんなことないよ、三人寄ればなんとやらって言うでしょ?」
日菜子が柔らかく言って、それから――わたしに視線を向けた。優しくて、わたしの背中を押す目だった。
「それに……松波さんも、美奈ちゃんと一緒に過ごすって聞いたから」
その一言で、わたしの鼓動がどくんと跳ねた。過ごすという言葉が、勝手に特別に聞こえてしまって、身体の内側が熱くなる。
違う。わたしは「ただの友達」だから。浮かれちゃだめ。舞い上がっちゃだめ。そう思っているのに、口元は勝手に笑う形になってしまう。ほんの少しだけ、嬉しさが漏れてしまう。
「確かに。私もミナへのクリスマスプレゼント、探してみよっかな」
カナデが何気なく言って、わたしの方をちらっと見る。また、跳ねた。心臓が、ずっとうるさい。
カナデはたぶん、本当に軽い気持ちで言っている。友達と過ごす、ただのイベントくらいの温度で。なのにわたしは、その言葉ひとつで勝手に温度を上げてしまう。勝手に特別だと思ってしまう。
四人で電車に揺られ、数駅先のショッピングモールにたどり着く。冬の風にあおられて前髪が乱れたけれど、それすら気にしていられないくらい、心がざわついていた。
フロアマップの前で「どこ行く〜?」と若葉が声を弾ませ、日菜子が目を輝かせる。わたしたちは、それぞれ気になるお店へと流れるように歩き出した。
雑貨屋、服屋、茶葉専門店。日菜子は「あ、これ蒼ちゃん喜ぶかな」と呟きながら、いろんな商品を手に取っては悩み、戻して、また悩む。その姿はまさに、恋をしている可愛い女の子。その様子があまりにも軽やかで、見ているだけでこちらまで笑顔になりそうだった。
でも同時に、胃の奥がきゅっと冷える。日菜子の浮かれには、ちゃんと応えてくれる相手がいる。わたしとは違う。わたしのこの浮き足立った気持ちは、どこに向けて飛んでいくんだろう。
店内を歩きながら、目に入るすべてのものが「カナデに似合うかどうか」の物差しで測られていく。カナデが好みそうな色、カナデが使いそうな雑貨――だけどどれも、しっくりこない。わたしがどれだけ想っても、カナデのほしいものは、わたしにはわからない。それが、少しだけ苦しかった。
一方でカナデは「あ、これミナ好きそうだね」と言い、結構な頻度で商品を指さしていた。しかも、その勘がいちいち当たるのだから、ちょっとだけ悔しい。
「ミナって分かりやすいから。好きそうなもの、大体分かってきたよ」
からかうように笑うカナデに、わたしは唇を尖らせた。
だったら、カナデもわたしを見習ってよ――。もっと、わかりやすくなってくれたらいいのに。こっちは、どれだけ考えてもわからないことばかりなのに。
ほしいもの、聞いてみようかな。だけど、それはサプライズじゃなくなるし。そもそも恋人でもないのにプレゼントって、どうなんだろう。そうやって悩み続けるわたしの心の内をカナデは知らないまま、隣で呑気に歩いていた。
アクセサリー屋の奥、日菜子はネックレスや髪留めを一通り眺めたあと、ふと足を止めた。視線の先には、小さなリングが整然と並ぶケース。日菜子はそっと手を伸ばし、細い銀の指輪をひとつ手に取って――そのまま、左手の薬指にはめた。
「日菜子ちゃん……それ、指輪? かわいい」
つい声をかけると、日菜子の肩がぴくりと跳ねた。振り返った顔は、頬までほんのり色づいていて、ふわっとした笑顔を浮かべていた。
「えっ、美奈ちゃん! えへへ……貰えると、いいなあ、なんてね……。でも、どうせなら……ペアリングがいいかな? 蒼ちゃんと、お揃いの……」
嬉しそうに、自分の指を見つめるその姿が――恋そのものだった。わたしはそんな姿を黙って見つめながら、自然と手が伸びていた。日菜子みたいに、わたしも誰かと――カナデと、こんなふうに指輪を選べたら。そんなことを、思ってしまった。
陳列された中のひとつを取って、真似するように、自分の左手の薬指にはめてみる。細くて、光を受けてきらきらと輝いて――わたしの指にはめられた銀色の指輪が、妙に馴染んでいる気がした。
もしこの指輪が、カナデから贈られたものだったら。そんな妄想が脳裏をよぎった瞬間、身体の芯がじん、と熱くなる。
……ないない、ないってば。それでも、想像しただけで鼓動が早くなるのは、なんでだろう。そのとき、ふいに背中から声がした。
「ミナ、指輪欲しいの?」
その一瞬で現実に引き戻されて、心臓が跳ねた。言葉がうまく出てこない。カナデにばれたら、どうしよう――わたしが、こんなにも浮かれていたこと。わたしが「ただの友達」じゃ済まない気持ちを、抱えていること。
手の中の指輪が、急に重くなる。咄嗟に言い訳を探して、慌てて笑った。
「べっ、べつに! ほしくはないけど、ペアリングとか、ちょっと憧れるなあって。それだけなの……! ねっ、日菜子ちゃん……!」
「えっ? う、うん! 素敵だよね!」
震える手で指輪を外し、元の場所へ戻す。わたしと日菜子は目を合わせて、苦笑いを交わした。指輪を見ているなんて、なんてことないはずなのに――カナデの前では、どこか後ろめたくなる。なのにカナデはまったく悪気なく、ただ首を傾げた。
「ふうん、ペアリング。ミナもやっぱ、そういうのに憧れるんだ。……もしかして、好きな人でもいるの?」
笑って言われたその一言に、わたしの呼吸が止まりかけた。隣で日菜子が、はっと息を呑むのがわかる。店内の喧騒が、一瞬だけ遠のいて聞こえた。
「やっ……やだ、カナデったら……いるわけないでしょ! ちょっと憧れてるだけ……」
なんとか笑顔を繕って、そう答える。なのに、喉の奥がひりついて、声がうまく出なかった。
「そっか。ミナって結構、乙女なところあるもんね。私はそういうの、よく分かんないけど」
カナデはそう言って指輪ケースを一瞥し、すぐに興味を失ったみたいに視線を外した。その仕草は、あまりにもあっさりしていた。
「でも指輪って、恋人に貰うのが一番嬉しいんでしょ? だったら、彼氏ができた時のために取っておきなよ。ミナならきっと、いい彼氏ができると思うし」
カナデが放った「彼氏」という言葉だけが、耳の内側で冷たく響いた。カナデの声は、何も知らない優しさに満ちている。だからこそ、余計に痛かった。
そうだよね、普通は彼氏だよね。わたしの想いなんて、きっと想定の外。それはわかってた。わかってたのに、こんなに苦しいなんて、ずるい。
笑顔の裏で、胸の中が軋むように痛んでいた。
彼氏。違う。そんなの、いらないのに。わたしがほしいのは――彼氏じゃないのに。
「……そうだね。いつか、恋人と……一緒に、買いに来れたらいいな」
わたしはただ、そう言うしかなかった。笑顔を、崩せなかった。だけど、本当は崩したかったのかもしれない。泣きたいくらい、叫びたかった。だけどその瞬間、きっと何かが終わってしまう。声が少しだけ震えていたのは、自分でも気づいていた。
カナデの横顔は、いつもと同じ穏やかなままで――何も、変わらなくて。どうして、気づかないんだろう。わたしの浮かれがどれだけ必死で、どれだけ痛々しいか。友達の仮面の下で、どれだけの気持ちを押し殺しているのか。
それでも、言えない。だって、失うのが怖すぎるから。
わたしたちの様子を、日菜子がそっと見守っていた。わたしは日菜子に笑いかけてから、強がるようにカナデの腕を取る。
「そんなことより、カナデ。カナデって、アクセサリーとか付けないの? ……コレとか似合いそうだけど」
話題を逸らすように、近くにあったネックレスを指差した。カナデは何気なく目をやり、「そうかな。でもアクセサリーは、よく分かんないや」と、何も気にした様子もなく笑っていた。
その笑顔が、まるで何も知らない子どもみたいで――眩しすぎて、目を逸らした。わたしは笑って、誤魔化したはずだったのに。なのにその優しささえ、もう痛くて仕方なかった。




