第十九話 雨の日と恋心(4)
それからしばらく他愛もない会話を交わしていると、不意に扉がノックされた。わたしの肩がびくりと跳ねる。反射的にカナデの方を見ると、ごく自然に「はい」と返事をした。扉を開けて現れたのは、カナデの担任――地学教師の新町先生だった。ゆるく着崩したスーツに、分厚い眼鏡。わたしも授業を取っているけれど、今日も相変わらず無愛想で、感情の読めない顔をしている。
「……松波さん。早速居座っているんですね」
「はい。先生が使っていいって言ったので。おかげさまで快適です、ここ」
「……それは良かった。ならば午後の授業にも、ぜひ出席してください」
淡々とした声で返しながら、新町先生はわたしの方に視線を移した。
「貴女は……G組の春日さん、ですね」
「は、はい。お邪魔してます……」
眼鏡の奥の瞳が、静かにわたしを射抜いてくる。無表情のまま何を考えているのか全く分からなくて、わたしはつい身を引いてしまった。
「……春日さんは、松波さんのご友人ですか?」
新町先生のその問いかけに、カナデが間髪入れずに答える。
「そうですよ。私の、高校の唯一の友達です」
さらりとしたその言葉に、思わず胸がじんと熱くなる。先生は微動だにせず頷くと、深く息を吐いた。
「春日さん。松波さんは、現在のままでは出席日数が足りず、留年の可能性があります。ご友人として、何かしら助言してあげてください」
「えっ……」
一瞬、言葉の意味が頭に届かなかった。意味を理解した次の瞬間、わたしはカナデの方へ顔を向け、声を張り上げていた。
「カナデ! 留年なんて……だめだよ……!」
夏休み明けから出席率が悪いとは思っていたけれど、まさか、そこまでとは。あっけにとられて思わずカナデに近づいていき、勢いよくその肩を揺すった。
「一緒に二年生になろうよ……! わたしだけ進級なんて、やだよ……!」
「ちょ、ちょっとミナ、落ち着いてって……」
カナデは苦笑しながらなだめるけれど、わたしの手は止まらない。感情があふれて、目には涙が浮かんできた。いくら不良の松波と言われていても……カナデが置いていかれる未来なんて、考えたくなかった。
「あーもう、ミナ……泣かないでよ……」
苦笑いを浮かべながら、カナデは困ったように天井を見上げる。ふう、と一つ息を吐いて、頭を掻いた。
「だってさー、教室にいてもつまんないし……。でも、留年はさすがにヤバい……あっ、そうだ」
カナデは何かをひらめいたらしく、明るく手を叩く。綺麗な黒目を輝かせて、にやりとわたしに向き直った。
「ミナとさ、朝一緒に登校するのはどう? ミナが待ってるって思えば、私も頑張って起きれる気がするし」
「……うん、そうする……。来なかったら、カナデの家まで行って引っ張っていくね……」
グズグズと鼻をすすりながら睨むと、カナデは「それなら安心だ」と笑いながら、机の上のティッシュを差し出してきた。
「はい。泣き虫のミナにあげる」
「もう……誰のせいで泣いてると思ってるの……?」
文句を言いながら、あっけらかんとしたカナデから素直にティッシュを受け取った。けれど――カナデと一緒に登校できることを想像すると、やっぱり胸が少し嬉しくて、くすぐったかった。
「……なるほど。春日さんと松波さんは、本当に仲が良いんですね」
ぽつりと呟いたのは、新町先生だった。無表情ながらも、どこか興味深げにこちらを見ている。
「そうなんです。だからさ先生、来年のクラス分け、春日さんと同じにしてくださいよ。そうしたら私、ちゃんと学校来ると思います」
冗談めかして言うカナデに、先生が淡々と返す。
「……まずは、貴女が無事に進級してからですね。話はそれからです」
「そうだよ、カナデ! 絶対二年生になって!」
再びわたしが圧をかけると、カナデは頬をかきながら、小さく「わかったよ……」と苦笑した。