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第三話 友達の色と潮風(1)

 壁に掛けられた時計が、まだ早い時間を指していた。人の少ない教室を、朝の光が優しく照らす。その光の温度は柔らかくて、まどろみのようだった。


 昨日のことが、ふと頭をよぎる。カナデから託された、あのトランペットの重み。不格好だけど確かに鳴った、自分の音。そして――ぐっと近づいた、カナデの笑顔。


 不意に胸が、そっと波立つ。だけど現実は、今日も教室という定位置にわたしを押し戻す。あくびを噛み殺したそのとき、背後で教室の扉が開く音がした。振り向けば、こけしみたいな丸い頭――汐見若葉が、ぱちぱちと瞬きをしていた。そしてまるで、動物園の珍獣でも見つけたかのように、指をさしてきた。


「あーっ、美奈氏だ! 珍しい! 今日は朝早いねえー、どしたの?」


 若葉はリュックを背負ったまま、わたしの元に勢いよく駆け寄って来た。ちょっとひどくない? と思いつつも、わたしは引きつった笑顔を作って、小さく息を吸う。そして、用意していた言葉を、ゆっくりと口にする。


「おはよう、若葉ちゃん。わたしが早起きなんて、珍しいよね」


「ほんとだよ。だって、いつもギリギリの美奈氏が……何かあったん?」


「いや、たまたま。こういう日、年に数回あるんだよね……」


 あはは、と笑ってごまかす。――もちろん、たまたまなんて嘘だ。昨夜、カナデと別れてから――一通、メッセージが届いていた。


『明日は一日、学校に行こうと思う』


 そのたった一行を見た瞬間、わたしの中で何かが跳ねた。カナデが行くのなら――わたしも行かなきゃと思った。会えるかもしれない、なんて思ってしまった。それだけで、いつもより一時間も早く目が覚めてしまって……。自分でもちょっと、呆れるくらいだった。


 だけど、そんな話を若葉にしたら大変なことになる。詮索・妄想・からかいの三点セットが飛んでくるのは目に見えていた。


「あ~、あるある。たまにめっちゃ早く起きちゃう日、あるよねー。あ、日菜子氏だ! おっは~」


 人影に気付いた若葉が、ぶんぶんと勢いよく手を振った。視線をたどれば、轟日菜子が教室に入ってくるところだった。わたしたちに気づくと、彼女はいつものように優しく微笑んで、小さく手を振ってきた。


「若葉ちゃん、美奈ちゃんもいる。おはよう~」


 そのふんわりとした声に、軽く手を振って挨拶を返す。日菜子は教室の真ん中辺りの自席に鞄を置き、わたしたちの元にやって来た。


 若葉と日菜子。この二人が、普段の学校生活を共にするクラスメイトだった。若葉は小さくて華奢だけど、声と態度は誰よりも大きく、コミュニケーション能力が飛びぬけている。文芸部で小説を書いているらしく、わざとなのか分からないけど話し方がオタクっぽくて独特な子だ。対する日菜子はふわふわの長い髪を耳の下で二つに結い、穏やかな笑みを浮かべるいかにも女子って感じの女の子。放送部に入っているからなのか、彼女の声はいつも砂糖菓子みたいに甘くて可愛らしい。


 クラス唯一のマイナー文化部の二人は仲間意識を持って自然と仲良くなり、そこに教室で浮いていたわたしが加わった。後付けということもあり、わたしはどうも彼女たちと波長を合わせられていない気がする。いつもそうだった。この二人と一緒にいるとき、わたしはいつも聞き役になってしまう。輪の中にいるはずなのに、どこか外から覗いているような感覚。まだ人間関係の輪郭が、よく分からないままだった。


「……ね、いいよね、美奈氏?」


「えっ?」


 声をかけられて、思考が一気に引き戻される。さっきまで、完全に置いてけぼりだった。顔を上げると、若葉と日菜子が揃ってわたしの顔を覗き込んでいた。


「あ、もしかして今、美奈氏寝てたでしょ? まあ、早起きしたからしょうがないかー」


「若葉ちゃんが体操服を忘れたから、別のクラスに借りに行こうっていう話になって。まずはC組から行こうかって言ってたの」


 日菜子はまるで何も気にしていないかのように、さらりと補足してくれる。その笑顔に、罪悪感が湧いた。きっと、このふたりはわたしを置いて話を進めるつもりなんてなかったんだ。ちゃんと、わたしを仲間に入れてくれようとしている。だけど――仲間って、どうしたらなれるんだろう。


 それに、今さっきまでどんな話題だったのかも分からなかったわたしに、「いいよね?」と聞くのは、なんだか奇妙な気がした。たぶん、若葉にとっての「いいよね?」は、「もう行くから、ついてきてね」の意味なんだろう。それは、わかっている。きっと――そんなことを人付き合いをするうえで、突っ込んではいけないのだろう。


「ごめんごめん半分寝てた……C組ね! 若葉ちゃんの知り合いでもいるの?」


「うん! 文芸部のヤツがいるんだ~」


 わたしは、曖昧な笑みを浮かべて立ち上がる。スカートの裾をさりげなく整えながら、ふたりを見た。若葉は満足そうにくるりと踵を翻し、教室の扉へ歩き出す。その後ろを、日菜子とわたしが保護者のように付いていった。


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