第十七話 それぞれの居場所(6)
部屋に戻ると、床に布団を敷いていたカナデと目が合った。カナデはわたしの全身を観察し、「ミナって、寝るときも可愛い服着てるんだね」と茶化してくる。今日のために一番可愛い寝間着を持ってきたとは言えず、曖昧に笑って視線を逸らした。
「ミナはベッド使って大丈夫だよ。私は床で寝るからさ」
布団を敷き終えたカナデはそのまま床に全身を投げ、身体を伸ばした。その拍子に出る声が、なんだか少し眠そうだった。――せっかく、二人きりでお泊まりしてるのに。こんなこと言ったら、引かれるかな。でも……わたしだけじゃない。カナデだって、さっきちょっとからかってきたし――だったら、少しくらい……。
「……い」
喉の隙間から、詰まったような声が出る。食いしばった歯を、意を決して動かした。
「……一緒に寝てくれないの?」
言った途端、頭が真っ白になった。顔から火が出そうで、布団に飛び込みたい気持ちをぐっと堪える。わたしの言葉に、カナデの気配がふわりと揺れた。やっぱり言わなきゃ良かったと、早速心の中で後悔をする。
「……えっ、何。一緒に寝たいの?」
床に寝転がったカナデがわたしを見ている、気がする。顔を両手で隠して距離を取り、そのままカナデのベッドに倒れこんだ。マットレスが小気味よく身体を弾ませ、重力に任せて顔を埋める。
「超恥ずかしがってるじゃん。ミナってさ……実は結構、甘えたがりだよね」
カナデの笑い声が、部屋に響いた。悔しいくらい、その声が好きだった。もっとちゃんと、大人っぽく振る舞いたいのに――意識すればするほど、わたしは自分でも驚くくらい、子供っぽくなってしまう。こういうところが、カナデから妹扱いされる所以なのかもしれない。
「……いいよ。じゃあ、一緒に寝ようか」
優しい声が、頭の上から降ってくる。次の瞬間、ベッドが沈み、カナデの気配がすぐ近くに迫っていた。はっとして顔を上げると、ふざけたような笑みを浮かべたカナデが、わたしに覆いかぶさろうとしている。わたしは息を止めて、勢いよくベッドの端に転がっていった。
「いやいや。誘ってきたのはミナの方じゃん。本当……ミナって面白いよね。見ていて飽きないよ」
カナデは肩を揺らしながらわたしの隣に横たわり、天井を見上げる。その横顔が穏やかで、優しくて、触れたくなるくらい綺麗で。わたしは布団に顔を埋めながら、そっと目線を向けた。するとカナデが突然顔をこちらに向けるものだから、ばっちり目が合ってしまう。カナデが微笑んだ途端心臓が跳ね上がり、わたしは目を瞬かした。
「ふふ。友達がこんな風に泊まりに来たのとか……初めてだよ。結構楽しいね」
「……わたしも、お泊まりは初めて。今日はカナデのいろんな一面が見れて……楽しかったな」
そう呟いて、思い出すのはお兄さんとじゃれ合う姿、ピアノを弾く手つき、苦笑しながら語った昔のこと。カナデの知らなかった顔を知るたびに、もっともっと見たくなってしまう。――欲張りだな、わたし。こんなにも、カナデのことを好きになってしまっている。布団に顔を埋めながらくすくすと笑うと、カナデはばつが悪そうな顔をして、視線を外した。
「ミナったら……もう寝るよ」
カナデが手を伸ばして、部屋の明かりを消した。その瞬間、カナデの輪郭が闇に沈む。見えないはずのカナデの姿が、気配だけで分かるのが不思議だった。手を伸ばせば、届く距離。いつだって、抱きしめることができる距離。でも――触れてしまったら、全部が変わってしまいそうで、ぎゅっと拳を握る。
「あのさ、ミナ……本当に、色々、ありがとうね」
沈黙の中、カナデが背中越しに呟いた。普段よりも少しだけ、心細そうな声だった。その声がどうしようもなく愛おしくて、わたしは布団の中で息を呑んだ。
「ミナがいなかったら、私……ほのかと仲直りすることもなかったと思うし、逃げてばかりで、また吹奏楽をすることもなかったと思う。自分のことが嫌いなまま……ずっと一人で、吹き続けてたと思うんだ。だからさ、上手く言えないけど……私を見付けてくれて、一緒にいてくれて、ありがとう」
そう言って、カナデは布団にうずくまった。わたしの胸が、静かに波打つ。触れたい。抱きしめたい。そっと自分の身体を寄せると、服越しにカナデの背中の温もりが伝わってきた。わたしは瞼を下ろし、その背中に頬を寄せる。
「……そんなの、わたしこそだよ。だってカナデは……何もないわたしに……居場所をくれたんだもん。あの日、カナデは音楽が自分の居場所だって言ってたけど……わたしね……カナデの横が、一番居心地がいいの」
カナデの背中越しに、心臓の音が聴こえる。リズムの違うふたつの鼓動が、少しずつ近づいていくみたいだった。恥ずかしくて、今にも死んでしまいそう……だけど不思議と、安心できた。
「そっか。じゃあ私も……ミナの隣が、私の居場所だ。ミナといると、なんか……落ち着くんだよね」
もぞもぞと身体を動かしていたカナデが、くるりとわたしに向き直った。穏やかな顔をして、そのままわたしの胸に顔を埋める。長い両腕が背中に回されて、カナデの身体がわたしの身体を包んでいた。身動きが取れず、息を止めてそのまま固まった。全身がカナデの香りと体温に優しく包まれていて、頭が沸騰しそうだった。暴れる心臓を落ち着かせようと慌てていると、静かな部屋の中、穏やかな寝息の音が聞こえてくる。
「ええ……? うそでしょ? 寝てる……?」
何も知らないカナデの寝息が、わたしの胸に響いていた。もしかして、わたしのことを抱き枕だと思ってるの……? 苦笑しつつ、この温もりが愛しくて、そっとその短髪を撫でた。
カナデの隣が、わたしの居場所。この心地よさも、あたたかさも、全部が愛おしくてたまらない。ほんの少しだけ腕に力をこめて、その背中を抱きしめる。できることなら、このまま朝まで、夢の中でも一緒にいられたらいいのに……なんて。そう思った瞬間、また一段と胸が苦しくなる。この温もりを、ずっと側で感じていたい。だから……わたしの気持ちは、カナデには内緒だ。
「カナデ……好きだよ」
呟いた独り言は、夜の闇の中に溶けていった。