第十七話 それぞれの居場所(1)
夜、ベッドに横たわりながら、わたしはスマートフォンを握りしめていた。カナデが好きだと言っていたアーティスト――何度も聴いているはずの曲を、また再生する。イントロが流れ出しただけで、胸の奥がじんわりと熱くなるのが分かる。いつも聴いているのに、その歌声は、なぜだか今日に限ってやけに切なく響いた。
……カナデは一体何を思って、この曲を聴くのかな。誰かを思い浮かべながら? それとも、単になんとなく好きなだけ?
スマートフォンを胸に押し当てて、目を閉じる。歌詞のひとつひとつが、カナデへの想いに触れてくる。好き。優しいところも、真っ直ぐなところも、音を重ねたときのあの安心感も。思い出すだけで、胸がいっぱいになる。息が詰まるほどの恋しさが、波のように押し寄せてきて――その瞬間、不意にスマートフォンが震えた。
びくりと飛び上がりそうになって、思わず心臓を押さえる。画面を見ると、カナデからの通知だった。吹き出しの中に浮かぶ文字を見つめながら、一瞬息が止まっていた。
――だめだ、わたし。なんでこんなに、どきどきしてるの。
火照った顔を冷ませないまま、スマートフォンを布団の上に放り投げて、スリッパも履かずに部屋を飛び出す。階段を駆け下りながら、まだ胸の奥が熱いままだった。
「……お母さん! カナデが……金曜日に泊まりに来ないかって! 行ってきてもいい?」
リビングでソファーにもたれてドラマを見ていた母親が、ちらりと顔をこちらに向けた。テレビの中では、若い男女が痴話げんかの末に抱き合っている。なんだろう、このドラマ。いたたまれなくて、なんとなく目を逸らしてしまう。
「なーに? また奏ちゃんなの? お邪魔するなら、手土産用意しなきゃ」
母は機嫌良さそうにそう言って、またテレビへ視線を戻す。
「本当に仲良しなのね……奏ちゃん奏ちゃんって、最近そればっかりなんだから。これは彼氏はできないか……」
――その一言に、わたしの心臓が小さく跳ねた。
「えっ。いや、そんなに言ってないし……! っていうか、彼氏とか、興味ないから! とにかく、金曜は帰らないからね!」
捨て台詞のように言い放ち、リビングを後にする。部屋に戻って扉を閉めた瞬間、身体の奥から溜息が漏れた。
「……彼氏、ねえ」
母の何気ない言葉――その一言が、わたしに小さな棘のように引っかかる。わたしだって、分かっている。世間の“普通”の恋愛が、男女のものだって。さっきのドラマだって、そうだ。きっと母親も、そんな未来をわたしに勝手に重ねている。でも、わたしは……その期待に、応えられないかもしれない。だって、わたしは女の子のカナデのことが――好きなんだから。この気持ちに、きっと嘘はつけない。カナデの姿を思い浮かべるだけで、嬉しくて、愛おしくて、苦しくて――だけど、それを母親に伝えたら、どんな顔をするだろう。想像するだけで怖くなり、喉がきゅっと締まるようだった。
ベッドに投げ出したままのスマートフォンからは、まだ曲が流れ続けていた。歌詞の中で描かれる、“言えない想い”と“割り切れない距離感”。まるで、わたしの気持ちを代弁しているみたいで、切なさがじんわりと広がっていく。
「……ほんと、困っちゃうよ」
苦笑まじりに呟いて、スマートフォンを手に取った。カナデとのトークルームを開く。画面の中の小さな吹き出しが、わたしをじっと見つめているように感じてしまう。
……わたし、カナデが好き。
それはもう、どうしようもなくて、隠しきれないくらいに。胸をぎゅっと抑えながら、わたしは返事を打ち込んだ。




