第十三話 涙の理由(5)
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水族館を出ると、潮の香りと一緒に、傾きかけた陽射しが差し込んできた。照り返すアスファルトに目を細めながら歩いていたら、前を行く若葉がふいに立ち止まって、やけに真面目な顔つきでこちらを振り返る。
「……あそこに、大きな観覧車があるだろ? 小説の資料として乗りたいんだけど……残念ながら、私は高所恐怖症でね。よって、美奈氏と松波奏にリサーチをお願いしたいと思う。日菜子氏は、私ともう一回ソフトクリームでも食べよう」
「……えっ」
あまりにもできすぎた口実に、思わず眉をひそめた。高所恐怖症って、絶対に今作った設定だ。横のカナデは、そんな茶番めいた話に微塵も疑問を持たない様子で、観覧車を見上げていた。
「別にいいけど……。具体的に、何したらいいの?」
「乗って、感想を教えてくれたら十分」
「それでいいんだ。汐見さんが満足する感想を言えるかは分からないけど……ミナ、行こうか」
そう言って、カナデがわたしに手を差し出してきた。風の中にそっと差し出されたその手が、陽の光を受けてきらめいて見えた。
当たり前のような仕草。でも、わたしにとっては――その何気ない一歩が、地面を一枚一枚めくっていくみたいに、不安を呼び起こしてくる。
指先から、心臓が熱くなる。また、だ。カナデってもしかして、こういうことを普通にする子なんだろうか。プリクラの、ハグだって。誰にでも。友達になら、なんの躊躇もなく。
にんまりと笑っている日菜子と若葉に見送られながら、カナデの手を取って観覧車を目指す。指先から伝わる体温が、わたしをどうしようもなく不安にさせた。
「カナデって……他の子にも、こういうこと……するの?」
そう問いかける自分の声が少し拗ねたように聞こえてしまって、恥ずかしかった。でも、もう止められない。足元の影が重なるのを見つめながら、小さな声で続ける。
「……若葉ちゃんとか、日菜子ちゃんとか。仲良くなったら、普通に……手を繋いだり、するの……? だって……こないだの、ハグも……」
そこまで言ってから、ふと気づく。何言ってるんだろう、わたし。その言い方は、まるで恋人でもあるみたいだ。
沈黙がおりた。カナデはしばらく何も言わずに、歩きながらわたしを見つめていた。その視線が、怖かった。何も言わない時間が、全部を否定されているようで――わたしの手から、少しずつ力が抜けていく。
「……もしかして、ヤキモチ? ミナったら、本当に妬いてくれるんだ」
「ち、違うから……! 気になっただけ……!」
反射的に否定したけれど、わたしの声はきっと、すごくわかりやすかったと思う。だってわたしは、こんなにも顔が火照っているし、心の中がぐちゃぐちゃで。なのにカナデは軽く笑って、ただわたしの手を握り直した。
「ミナにしかしないよ。ミナは私の、特別だからね」
まるで何気ない挨拶みたいに言われたその一言が、わたしの心を根こそぎ持っていった。その「特別」が、恋の意味じゃないとわかっているのに――その言葉を、どれだけ待っていたかわからない。何度、心の中で願ったかわからない。なのに、あまりにもあっさりと。こんなふうに笑いながら、無邪気に言われるなんて思ってなかった。
わたしの中でぐるぐると絡まっていた想いが一気にほぐれて、でも代わりに――胸の中に、痛みが広がっていく。
カナデは、わたしがどれだけの覚悟でこの言葉を求めていたか、わかっていない。その単語が、わたしにとってどれだけ重いものか、きっと想像もしていない。そのたった一言が、こんなにも簡単にわたしを崩してしまうなんて。
「……また、そういうこと、言って……」
それでも、嬉しい。なのに、胸の奥が軋む。やっぱり、期待してしまうから。希望を持ってしまうから。片方の手で顔を隠し、涙が滲みそうになって、空を見上げた。西日が眩しくて、泣きそうなわたしにはちょうどよかった。
手を繋いだまま、券売機でチケットを購入する。そこから観覧車の乗り場へと続く階段を上がるとき――ふたり並ぶには狭すぎて、自然と手は離れた。繋いでいた掌に、まだじんわりと体温が残っている。ふうっと息を吐いても、熱は身体の奥から消えてくれない。




