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第十三話 涙の理由(2)

 電車で三十分ほど揺られ、海辺の駅に到着する。若葉が提案した場所は、意外なことに水族館だった。駅から降りた途端、公園の中にそびえる巨大な観覧車が目に付いた。


「はーん……観覧車か……」


 若葉が観覧車を見上げて、腕組みをしながら何かを考え込んでいた。わたしはそんな若葉に近付き、耳打ちをした。


「若葉ちゃん……! ほんと、普通にしてて大丈夫だからね!」


 絶対変なことしないでねと、目で訴えかけてみる。当の若葉はわたしの気持ちを理解したのかしてないのか、あっけらかんと笑っていた。


「美奈氏ったら何言ってんだよ。それよりもさあ、松波奏を放っておいていいのー? ほら、なんか日菜子氏と親交を深めてるよ」


 若葉が振り向いて指を指した先には、何やら笑いあっている日菜子とカナデがいた。今日も可愛らしい服に身を包んだ日菜子は、カナデの横に立つとお似合いのカップルに見えなくもない。一瞬胸が疼いてしまい、自分で自分に呆れてしまう。二人を見ていたわたしの視線に日菜子が気付き、手を振って微笑んだ。


「ふふっ……美奈ちゃんに、ヤキモチやかれちゃうかも」


 柔らかく甘く呟かれたその言葉に、身体が跳ねる。「えっ!」と驚くと、日菜子は小走りでわたしのところまでやって来て、背中をとんと押す。顔を上げると含み笑いをしたようなカナデと目が合って、ふっと笑われた。


「……ミナ、ヤキモチしてるの?」


「カナデったら! またからかってるでしょ?」


 照れ隠しについその身体を叩くと、楽しそうな笑い声が降って来た。その声が、優しくて、楽しそうで、ちょっとだけずるい。また、そうやって。軽くて、無自覚で。わたしがどんな気持ちでここにいるかなんて、カナデは全然知らないんだろうな。なんだか悔しくて、でもどうしようもなくて――カナデの服の端を、気づかれないように、そっと指先で掴む。アスファルトの照り返しがじりじりと背中を焦がすけれど、それ以上に、胸の中が熱かった。


「おーい、美奈氏と松波奏〜! 置いてくぞー!」


 若葉の声に、はっとして顔を上げる。太陽の下、まるでお姉さんと子供みたいなシルエットのふたりが手を振っている。その光景が遠くて、眩しくて、一瞬だけどこか現実じゃないみたいだった。目を向けると、カナデがわたしを見ていた。変わらない笑顔で、優しく微笑むその顔に――わたしの心が、またぐらりと揺れる。


「ミナ、行こうか」


 わたしは手を離し、頷く。その手の温度が欲しい、なんて言えるはずない。それに、伸ばしてしまったら……どうせ妹扱いされるに決まっている。両手で鞄の持ち手を握りしめ、わたしは笑って走り出した。


 海辺の公園をしばらく歩くと、ガラス張りのドームが現れる。その前では、校外学習と思われる小学生たちが群れていた。先生の話なんか聞かずに周りの子とわいわい戯れあっている姿に、暑いのに元気だなと思うと同時に、ちょっと懐かしく感じてしまう。


「小学生が沢山いるねー……ミナは、ここ来たことある?」


 隣のカナデが、雑談の中で尋ねてきた。当のカナデは初めてのようで、珍しそうに辺りの景色を見回している。


「それこそ、小学校の校外学習で来たような気がする……全然覚えてないけど」


「えっ。ミナの学区って私と隣でしょ? こんなとこに来るの?」


 驚いたように言うカナデを見て、はっとした。そういえば、カナデにはまだ言ったことがなかったかもしれない。まあ別に、言いふらすようなことでもないんだけど。


「……小学校の頃に、この辺に住んでいて。二年くらいしか住んでなかったんだけどね」


「そうだったんだ。ミナってもしかして、転勤族?」


「中三の頃に今の家に来て……それまでは二年に一回くらい転校してたから、そうなのかも」


 カナデの横顔を見つめながら、自然と歩調がゆるむ。転校、引っ越し、別れ――この街に来るまでは、それが日常だった。初めのうちは泣いていたけど、だんだんと泣かなくなって、最後には「またね」と嘘をついて笑えるようになっていた。その「また」なんて、きっともう来ないのに。仲良くしていた子の名前も、顔も、もう曖昧で。思い出そうとしても――ぼやけた写真みたいに、輪郭がはっきりしない。


 きっとわたしは、そうやって“忘れられること”にも、“忘れてしまうこと”にも、慣れてしまったんだと思う。仲良くしてくれた子はたくさんいた。だけど、「永遠に続く関係」なんて、どこにもなかった。


 仲良くしても、どうせ終わる。いなくなったら、自然に距離ができて、やがて連絡が減って……そのままフェードアウト。忘れたくなくても、忘れられてしまったら終わりなんだ。だからわたしは……期待しないようにしてきた。期待しないことが、わたしの“自衛”になっていた。


 だけど……今は。この関係だけは、終わらせたくないと――そう思ってしまう。


「ねえ、ミナ。もしかして……またどこかに引っ越しちゃうの?」


 唐突なカナデの声に、はっと意識が戻る。振り向くと、眉間に皺を寄せたカナデの横顔が、すぐそこにあった。その顔がなんだか、ひどく真剣で――胸が一瞬、きゅっと縮こまる。


「えっ。ううん……もう今後は、今の家に定住するつもりだけど……」


「そっか。……なら、安心した」


 息をついたカナデが、何でもないように笑ってみせる。その笑顔が空の色よりもまぶしくて、息が詰まりそうになる。


「……ミナがいなくなるなんて、考えたくないしね」


 照れくさそうに呟いた声が、真っ直ぐに身体に落ちていく。そんな顔で言うなんて……本当ずるい。そんなことを言われたら、それを信じたいと願ってしまう。そんな希望を持ってしまったら、また失ったときに立ち上がれなくなる。期待したぶんだけ、崩れ落ちるのが怖い。信じたいのに、信じきれない。それでも――。


「……わたし、カナデとずっと一緒にいたいって、思ってるから」


 俯いたまま囁くと、カナデが息を呑む気配がした。「私も」と笑い、カナデは前に向き直る。今だけは。この時間だけは――その言葉を信じていたいと、思ってしまった。


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